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RaymondChandlerに関するsso775のブックマーク (5)

  • 「長いお別れ」フィリップ・マーロウとギムレット

    「長いお別れ」part11のつづきです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・part12 紳士と淑女の会話・・その2 マーロウは自宅でチンピラと乱闘し、警官に助けられ、かすり傷で片付ける。 リンダに電話して、警告してくれたことのお礼を言い、心配してくれたことのお礼にお酒にさそう。 リンダは運転手つきで、マーロウの家にやってきて、運転手を帰す。 彼女は長椅子に腰をおろした。 「何を飲みますかね」と私は尋ねた。・・・・・・ 「シャンペンをあけようを思っていた」・・・・・・ 「氷を入れるバケツはないが、シャンペンは冷えている。永い間しまっておいたのが、二ある。コードン・ルージュです。いい品物だと思うんだがね。ぼくにはよくわからない」 「なんのためにしまっておいたの」・・・・・・・ 「君のためさ」 彼女は微笑をうかべたが、信じられないといったように、私の顔をじっと見つめた。 僕はこの一

  • レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』〜読んだだけでギムレットの味がする逸品〜 : 食べて読んで聴いて観て...語り合おう!

    2004年05月26日21:41 カテゴリ&マンガ&ゲーム レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』〜読んだだけでギムレットの味がする逸品〜 チャンドラー作品中でもNO1の人気を誇るハードボイルド小説。 酒の味が一段旨くなること...請け合いますよ。 長いお別れ チャンドラー作品の中で私立探偵フィリップ・マーロウが主人公の中長編は7編あります。 映画『3つ数えろ』でハンフリー・ボガートがマーロウ役をやった『大いなる眠り』 大男マロイがとても切ない『さらば愛しき女よ』ラストのキスシーンが記憶に残る『高い窓』 構成の鋭さが光る『湖中の女』ハリウッドを舞台にした『かわいい女』 かの名セリフで有名な『プレイバック』 そして今回BLOGする『長いお別れ』...それぞれ独特の魅力があるのですが一冊選べと 言われたらやはり『長いお別れ』になると思います。10回近くは読みましたね。 初めてチャンドラーの

  • 長いお別れ

    コーヒーをつぎ、タバコに火をつけてくれたら、あとはぼくについてすべてを忘れてくれ─を殺したと告白して死んだテリー・レノックスからの手紙にはそう書かれていた。 彼の無実を信じ逃亡を助けた私立探偵マーロウには、心の残る結末だった。 だが、別の依頼でテリーの隣人の失踪の理由を探るうち、マーロウは再度事件の渦中へと・・・・・・ハードボイルドの巨匠が瑞々しい文体と非情な視線で男の友情を描き出す畢生の傑作。 「アルコール恋愛のようなものだね」と彼は言った。 「最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ」 「そんなに汚いものか」私は訪ねた。  『長いお別れ』 探偵といえばフィリップ・マーロウ。 アメリカのハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーが生みだした我らが孤高のヒーロー。 ロサンゼルスの私立探偵である。 不世出の作家、チャンド

  • 「ギムレットには早すぎる」についての考察

    ネタバレ注意! ネタバレなしはこちらへどうぞ 名台詞「ギムレットには早すぎる」についての考察「THE LONG GOODBYE」(1953)から始まった不思議な誤解の環 引用(斜字)は以下から Raymond Chandler「THE LONG GOODBYE」 PENGUIN BOOK 1959 (ペイパーバック) レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」ハヤカワミステリ文庫 清水俊二訳 1989 40版(初版1976) こちらも参考にしました 「THE LONG GOODBYE」 ランダムハウスのヴィンテージブックス 1988 (ペイパーバック) 私立探偵フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)が殺人事件に巻き込まれる物語。 この小説はいくら会話の妙とディテイルを楽しむとは言え、以下にある「長いお別れ」の重要な構成トリックを先に読んでしまうとやはり、興醒めする。従って既に読ん

  • レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)

    アメリカの推理小説家で、ダシール・ハメット、ロス・マクドナルドとともにアメリカのハードボイルド御三家と称される作家の一人で、ハードボイルド探偵の代表格フィリップ・マーロウの生みの親。その文学性の高い文体と生き生きとした人間描写で、現在でも多くのファンに愛され続けています。 イリノイ州のシカゴに生まれますが、両親が離婚したため母親に連れられて7歳の時に渡英しロンドン郊外に住みます。 その後大学中退しパリ、ミュンヘンに留学。1907年に帰国しイギリス国籍を取得。海軍省に勤務しますが半年で退職。その後は新聞・雑誌に記事やエッセイや詩を発表します。 その後生活苦から1912年アメリカに戻って簿記係や石油会社役員などを務めますが内輪揉めや不祥事から解雇され44歳で失業してしまいます。 その間の1934年には18歳年上のピアニストパール・ユージェニー・ハールバート(通称シシー)と結婚しています。 職を

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