小学生の時に運動会の映像を見た際、初めて聴いた自身の声にショックを受け、声に対してコンプレックスを抱き始める。その後中学生となり、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組を聴き始め、声優なら自身の声を活かせるのではないかと感じ、声優業に興味を抱き始める[16]。 高校生の時に福岡県の女性声優志望者からなるユニット「小梅伍」の2代目メンバーのオーディションを受け、合格した。1999年3月から2代目メンバー、2001年4月から4代目メンバーとして、KBCラジオのラジオ番組『平成アニメっ娘倶楽部』などで活動した[2][8][16]。当初のうちは阿澄曰く客のような状態だったという[16]。5人のうち一番年下で、お姉さん達はマイクの前で上手に話していたが、阿澄は全然言葉が出なかったという[16]。聴くほうに回ってしまうことから、客で、いつもヘコみながら帰っていたと語る[16]。高校3年生で2度目に参加