※ 本ブログポストは、福島県浪江町町長 馬場有様にご寄稿いただきました。 本日、浪江町がGoogle マップのストリートビューでご覧いただけるようになりました。 浪江町は日本の太平洋に面する福島県浜通りにあります。海、山を有し、「海と緑にふれあう」美しい町です。それが 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災とそれに伴う原発事故により、21,000 人の全町民が今も全国に避難しています。 震災から 2 年経過した今でも、浪江町には自由に立ち入ることができません。多くの町民から、ふるさとの状況を見たいという声があります。また、世界的にも原発事故の悲惨な状況を映像で見たいという方がたくさんいらっしゃると思います。 Google の協力で、今回ストリートビューで町のありのままの姿を多くの町民の皆さまにお知らせできること、世界に発信できるということをとても、嬉しく思っています。 大きな地図で見
東日本大震災の液状化被害で地上に突き出した千葉県浦安市の「高洲中央公園」のマンホール保存工事が終わり、同市はモニュメントとして一般公開している。 保存反対の声に配慮し、式典は行わなかった。「震災の記憶」と題した案内板が設置され、近所の人たちが見入っていた。 マンホールは、浦安市が災害に備えて飲料水約100トンを備蓄するため、平成8年に整備した貯水槽の一部。震災時の液状化被害で地面から約1メートルの高さに浮き上がった。近くの中学3年生、石山貴士君(15)は「あまり目立つのは困るけど、風化させるよりはいい」と話していた。関連記事東海大浦安が2連覇 柔道全国高校選手権ミッキーと親善大使が訪問 浦安市役所
父のお下がりで貰った大切な青いドラムはドラムと呼べる形ではなかった。 漁師の祖父が建てた立派な我が家は今じゃ更地。 祖母の嫁入りの際に持って来た着物は海で若布のように漂う。 来るはずもない山の上に妹の通信簿。 若かりし頃の母の写真から海の匂い。 全部ガレキって言うんだって。 全部ガレキって言われるんだって。 町は被災地と呼ばれた。 ただの高校生が被災者と呼ばれた。 あの子は思い出になった。 上を向いて歩こうと、見上げる空は虚無の青。 頬を伝う涙なんて、とっくの昔に枯れちゃった。 頑張るしかない。渇いた笑いが吹き抜ける。 ガレキの受け入れ反対‼と TVで見たんだ妹と。 昨日までの宝物。今日は汚染物と罵られる。 子供を守れ‼受け入れ反対‼国も県も何してる‼ ガレキと暮らす私達。 好きで流されたんじゃないのに…。目から流れた涙は懐かしい海の味。 こんな悲しいモノを見るくらいなら、受け入れなんて最
カンニング竹山 @takeyama0330 今から福島県いわき市に向かう。震災から9ヶ月、現在の福島県、そしていわき市の現状を一日取材させて頂きその取材内容を本日22時からのTBSラジオDig生放送で話します!そして今夜はラジオ福島からDig全国生放送!取材の模様は俺のTwitterで出来るだけtweetします。では。 カンニング竹山 @takeyama0330 頑張ります! RT @masayoshih: 期待してます。 RT @takeyama0330: 今から福島県いわき市に向かう。震災から9ヶ月、現在の福島県、そしていわき市の現状を一日取材させて頂きその取材内容を本日22時からのTBSラジオDig生放送で話します!そして今夜はラジ
3月11日に「東日本大震災一周年追悼式」が都内で開催されます。 自然災害による追悼式を政府が主催するのは初めてのことだそうです。 天皇、皇后両陛下がご臨席されるほか、犠牲者の遺族や各界代表が出席する予定とのこと。 3月11日は震災犠牲者の一周忌。その日は静かに追悼したい。 地震が発生した14時46分に黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈りたい。 そう思っていた矢先、ツイッター上である騒ぎが起こりました。 きっかけは社民党党首福島みずほさんのつぶやきでした。 脱原発をめざす女たちの会では3月11日の福島集会バスツアーを企画しています。 ツアー詳細や賛同人の申し込みはhttp://t.co/fVDnaUqsをご覧下さい。 ぜひ、あなたも賛同人に!4月7日と6月2日も午後から東京の日本教育会館で集会予定。 スケジュールに入れておいて下さい。 (ツイッターより引用) この企画は、東京から脱原発運
九州大学病院(福岡市東区)は14日、記者会見を開き、11日から入院している松本龍前復興担当相の症状について「震災対策で心身が疲労し、『気分障害』が誘発されたとみられ、軽度の躁状態にある」と発表した。 久保千春病院長は「事務所などに報道機関からの問い合わせが相次いだため、病状を報告してほしいと家族から要望があった」と説明。主治医団リーダーの神庭重信教授(精神医学)は「松本氏や家族の話から、6月初めくらいから不眠、高揚感といった症状が出ていたとみられる」と述べた。 松本氏が東日本大震災の復興をめぐり、「知恵を出さないやつは助けない」などと発言したこととの関連については、「松本氏の言動のいくつかは、本意とは違うことを口走ってしまうという(気分障害の)精神状態と関連するとみられる」と述べた。 退院の時期については「検査結果をみながら検討する」とした。 松本氏は現在、気分安定薬を服用しながら
■編集元:ニュース速報板より「津波を生き残った児童 「先生が大丈夫だと言うので校庭でたき火してたら津波がきて皆死んだ」」 1 名無しさん@涙目です。(長屋) :2011/06/03(金) 21:17:22.27 ID:LKHEKFVV0● ?2BP “避難まで30分校庭待機” 巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。 津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。 石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明になっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。 こ
東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか 本文全文 「災害がほんとうに襲ったとき」は中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』(1995年3月刊・みすず書房)に収録されています。本稿の電子データの公開および無償頒布につきましては、著者の中井久夫氏とみすず書房の許諾を得ております。 「災害がほんとうに襲った時」 中井久夫 ●パート1 電話は多くの生き残った人に「自分は孤独ではない We are not alone 」という感じを与える効果があったと私は思う 1995年1月17日午前5時46分から 最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の5秒間で起こった圧死だという。行政の対応が遅れた理由は簡単である。幹部は、多くは郊外の自宅にいて眠っていた。つまり一私人であった。私もそうであった。昼間
英語圏の総合科学誌「ネイチャー」の福島原発事故Q&Aの日本語訳(Part 1) 今日、米国東海岸時間で11時頃から、英米で主に編集されてる(出版は英国)総合科学誌の「ネイチャー」が、オンラインで福島原発事故に関するQ&Aを行いました。「ネイチャー」誌は、事故発生当時から、ブログやオンラインの紙面で、事故そのものや、それに関する現地測定のデータ、さまざまな国のさまざまな機関によるモデル試算の結果、日本や国際の関連機関のプレスリリースなどを、地道に報道してきました。それらは、こちらにまとめられています。⇒ http://www.nature.com/news/specials/japanquake/index.html 「ネイチャー」誌は、事故当初から、「総合科学誌」としての立場から、客観的に、刻々とレポートされてくる数値と過去の例(チェルノブイリなど)に基づく報道や社説を出してきています。記
Understanding the radioactivity at Fukushima A physics and engineering perspective Prof. Ben Monreal UCSB Department of Physics Ben Monreal, UCSB Physics 3/11 Q&A Panel: Ben Monreal Prof.Theo Theofanous, UCSB Chem E. Prof. Patrick McCray, UCSB History 福島原発の放射能を 理解する 物理と工学からの見地 カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB) 物理学科 Ben Monreal 教授 質疑応答: Ben Monreal Theo Theofanous 教授、UCSB化学工学科 Patrick McCray 教授、UCSB歴史学科 201
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