「箱根駅伝」連載の第2回のテーマは「魅力」。初回は元日本テレビのプロデューサー、坂田信久氏(69=現国士舘大教授)。当時、不可能と言われた往路復路の2日間200キロ以上に及ぶ全区間のテレビ中継を、総責任者として1987年(昭62)に初めて実現させた。以来、箱根駅伝は全国で人気が急上昇、正月の風物詩となった。番組制作へと突き動かした箱根の魅力、そして制作秘話を坂田氏に語ってもらった。 坂田氏が箱根駅伝に初めて出会ったのは1964年、入社1年目の冬だった。日本テレビの報道部運動課に配属され、初めて箱根駅伝を取材した。注目選手は同10月の東京五輪代表候補だった順大の沢木啓祐(当時2年)。ところが彼は「花の2区」で大ブレーキになり、区間15位に終わった。その翌日、帖佐監督が打ち明けた話に衝撃を受けた。 坂田氏 レース前夜と当日朝に沢木が「ひざが痛くて走れない」と言ってきた。これに監督は「歩いてでも