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鯨と漁業に関するwhaleboneのブックマーク (6)

  • Japan and the whale

    Hunting whales is irrelevant to feeding Japan's population, draws global condemnation and is certainly not economic. So why does Japan still do it? The answer from the Japanese government is that whaling is an ancient part of Japanese culture, that fishermen have caught whales for centuries, and that Japan will never allow foreigners to tell its people what they can and cannot eat. One Japanese of

    Japan and the whale
  • 皇国にエイハブはいたか

    皇国にエイハブはいたか 初めに断っておくが、この文章は狛犬とは関わりはない。 まずは、次の2枚の写真を見てもらいたい。 私がここで取り上げるのだから、お察しの通り、これは神社の写真である。しかし、神社の写真として見た時、何かおかしな感じがしないだろうか。 双方ともに、一般的な神社では見られないアーチ状のものが写っているのである。 これは一体なんなのだろうか。 しかも、この2枚の写真には驚くべき事実がある。 2枚のうち、左の写真は台湾最南端の岬である"鵝鑾鼻"の灯台のとなりにあった鵝鑾鼻神社であり、右の写真は樺太南部の札塔にあった恵比寿神社なのである。 台湾も樺太も、かつての大日帝国の領域であったとは言え、日列島を挟んで南と北に大きく隔たっている。なぜそんな離れた場所に共通してこんなものが存在しているのだろうか。 最初に入手したのは、鵝鑾鼻神社の写真(絵葉書)だった。それには、このアー

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  • 恵比寿神社:熊野の観光名所

    鯨捕りで栄えた太地の鯨捕りの守り神 和歌山県太地町太地の産土神飛鳥神社近くにある小さな神社。 鯨捕りの守り神である恵比寿を祀っています。 鯨骨の鳥居 鳥居は鯨の骨でできています。 井原西鶴の『日永代蔵』の巻二に収められた「天狗は家な風車(てんぐはいえなかざぐるま)」に「紀伊国に隠れなき鯨ゑびす」とあり、「鯨恵比寿の宮をいはひ、鳥井にその魚の胴骨立ちしに、高さ三丈ばかりも有りぬべし」とあります。 こちらの鳥居は高さは1丈(約3m)ほどなので、西鶴の時代にはその3倍ほどの高さの鯨のあばら骨の鳥居があったようです。 鯨骨の鳥居は1985年に建立され、1996年、2019年と建て替えられています。写真の鳥居は1996年に建て替えられたもの。 熊野の説話:太地の鯨捕り、天狗源内 境内に石 祠の向かいに石が祀られています。

  • 外房捕鯨株式会社

    西郷隆盛は死地・最終決戦の地と 定めた鹿児島は城山の急斜面を登る その際に「よべ(夜這い)がごたる」 そう言って共に死地へ赴く仲間を笑わせた 司馬遼太郎の随筆に拠ると 江戸期薩摩には南方の習俗が濃厚に残り 祭礼の日は無礼講 男女の集団同士が交り そこで宿った子供の父親を妊婦が指名する そんな習慣があったそうな 子供の顔からその父親の面影をみつけ 快哉を叫ぶことが出来ない不安は? それは共同体の暗黙の掟の了解と 家族として過ごした時間が中和 恙なく家族は生きられたに相違ない 歴史学者の網野善彦は中世の商業を 有縁と無縁 そんな概念で説明 有縁の世界では 人と人 人と物は 固く結びついている 無縁の世界では それら関係性が消滅し そこで初めて 商取引・貨幣を通じた交換が成立する 現日の原型たる中世 その商業は 宋銭の流入と無縁空間の成立に拠り 急速に発展した そう解釈している 旅の空間は無縁

  • 戦標船南氷洋を行く 日の丸捕鯨船団の戦い 第一章

    第一章 料戦士の名の下に 昭和20年(1945)8月15日、日はポツダム宣言を受諾、太平洋戦争は終結した。この日、日の主義主張を賭した戦いは終わり、日が生き延びるための戦いが始まった。 一 敗戦、そして 1.終戦直後の糧事情 敗戦の衝撃を日人の心に刻み、昭和20年の夏は終わりを告げた。しかし、収穫を祝うべき実りの秋はやってこなかった。生産設備の軍需転用や戦災による肥料の供給不足、徴兵による労働力不足に加え、夏には冷害と風水害が日列島を襲い、稲作、畑作共に明治38年(1905)以来40年ぶりの凶作となった。冷害の原因は親潮の南下といわれており、イワシやサバなど大衆魚の魚影も沿岸を遠く離れ、漁船と労働力の徴用、戦災や燃料油不足で水産業が弱体化していたこともあって、漁獲高は大きく減少した。 さらに、総計650万人を数える海外からの復員と引揚が始まり、流入する人口が糧不足に追い打ち

  • 和歌山・太地のくじら博物館でくじらに超接近 - 沙東すず

    去年の年末に和歌山のまぐろ競りレポートを書きましたが、今回はその続きです。競り終了後、宿に帰って朝をとり旅支度をしてふたたび勝浦漁港に向かいます。 イカの一夜干しやヒオウギ貝など海産物を売るお店も多い。店員「お土産こうていきませんか〜」 「今日はじめてのお客さんや!テンション上がってきた」 「魚屋で店員として働くことについてですか?そうですね、かなり恵まれてるとは思いますね。集会に行くと体から魚のにおいがするって野良たちにもみくちゃにされたりして…自分じゃようわかれへんのやけど。なのでこうやって毎日ハッピを着て客引きとかがんばってるんですよねー」 アホなアテレコをしている間に勝浦漁港にもどってきました。これから紀の松島遊覧船に乗って太地くじら浜公園に行きますよ! 船の名もくじら号。水色と白で表現された潮が楽しい感じをあおりますね。 せまい岩あいを通り抜けたりして、奇勝名勝をめぐり

    和歌山・太地のくじら博物館でくじらに超接近 - 沙東すず
    whalebone
    whalebone 2008/02/07
    「おらんくの池にゃ潮吹く魚が泳 ぎよる」
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