constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

転倒する警備対象

2005年05月10日 | nazor
またイラクで日本人拘束事件が起こったわけだが、今回の場合、これまでの拘束事件とは幾分異なる側面を含んでいるといえる。

これまで拘束された日本人は、イラクの子供たちへの支援活動や、フリーのジャーナリスト、あるいは「自分探し」の旅人であった点で、「民間人」という範疇で捉えることができた。だからこそ、その成否にかかわらず、解放に向けた交渉過程で「彼らは無関係だ」という主張が一定の正当性を持ちえた。

しかし、今回の拘束事件においては、「メディアや企業を警備 斎藤さん雇用のハート社」(共同通信)と報じられているように、現在その存在が脚光を浴びると同時に、問題視されてもいる民間軍事/警備会社(PMCs)の所属というグレーゾーンである点で、「彼は民間人なので、無関係だ」という言明は説得力を持ちにくい状況にある。

はやくもPMCs研究の古典と評されるP・W・シンガー『戦争請負会社』(日本放送出版協会, 2004年)の区分によれば、ハート・セキュリティ社は、軍務コンサルタント企業か軍務支援企業に該当する。たしかに戦闘行為に直接かかわっていない点で、これらの企業は、一般的な意味で「民間企業」であるが、戦争が国際領域の現象であり、政府/国家の専権事項であるという国際政治の大前提が後景に退きつつある現在において、軍隊の任務と民間企業のそれの線引きは限りなく曖昧化されている。

さらに今朝のラジオニュースでは、民間企業であるハート社は、米軍/英軍の警備を担当していると報じられているように、暴力の行使を専門とし、独占しているはずの軍隊が、自らの防衛を民間企業に委ねるという転倒が生じている。加えて、移行政府が成立したといっても、現在のイラクが国際政治学が仮定する主権国家としての体裁に程遠い状態にあり、国家による暴力の独占やその正当な行使が整っていないことは、公と民の区分が不十分であることを示している。

その意味で、米英軍によるイラク攻撃という古典的な戦争様式で始まった「イラク戦争」は、その始まりの条件を彼方に追いやり、ウェストファリア体制の機能不全を凝縮した空間を創出した点にこそ歴史的な意味を見出すことができるといえるではないだろうか。
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