白内障の手術をした。先日は右目で、左目は2週間後になる。要したのは20分前後で、シュールな万華鏡のような画像が写っていた。目という繊細な部位にメスを入れるなんて、さすが医師というべきか。翌日、眼帯を外したら、クリアな世界が広がっていた。左目の術後、眼鏡なしの日々を送れるかもしれない。
5時間ほどの日帰り入院だったが、周りは高齢者ばかりで、車椅子で移動している患者も多い。改めて実感させられた老いをテーマに据えた「オットーという男」(2022年、マーク・フォスター監督)を新宿で見た。始まって数分でデジャヴを覚えたのも当然で、本作はスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」(17年、ハンネス・ホルム監督)のリメークである。ユーモアとエンターテインメントがハリウッド風味で味付けされていた。
内容は似ていてもこの6年、俺の心身は脳梗塞で入院するなど甚だしく衰えている。当時は仕事をしていたが、今は無職だ。老いと死がズームアップされ、孤独の色も濃くなっている。リメークではあるが、「オットーという男」に感慨を新たにした。主人公を演じたのはオスカーを2度獲得したトム・ハンクスで、製作にも関わっている。
冒頭でオットーは長年勤めていた会社をリストラされる。同僚に煙たがられていたが、地域でも同様だ。近所を毎日パトロールし、ルール違反している者に注意する。口癖は“idiot”(馬鹿者)だ。首吊り自殺を試みていたが、周囲が騒がしい。正面の家に、メキシコ出身のマリソル(リアナ・トレビーニョ)とトミー(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)の夫妻、2人の女の子が引っ越してきたのだ。
自殺を中断されたオットーはトミーの拙い運転をなじりながら協力する。その後、お節介なマリソルは、メキシコ料理を手に、何度もオットーの家を訪ねるようになる。冷たくあしらいながらも、次第に心が通い合うようになった。それでもオットー孤独は癒えず、首吊り、飛び込み、車の排ガスと自殺はことごとく失敗する。
オットーは半年前、がんで亡くなった妻ソーニャの元に行きたいと願い、墓前に花を捧げつつ、「早く会いたいけど、死ぬのは難しい」などと報告する。ソーニャ(レイチェル・ケラー)との出会いと不幸な事故とその後の献身がカットバックし、時の糸が紡がれ、オットーの心情が浮き彫りになっていく。若き日のオットーを演じたのは、トムの息子トルーマン・ハンクスだ。
オットーは理系の技術職、ソーニャは国語教師志望と志向は異なるが、出会いのシーンが鮮やかだった。心臓肥大症で兵役を不合格になったオットーは、失意のどん底にあった。そんな時、女性が向かいのホームで落とした本を電車まで届ける。彼女がソーニャで、タイトルは「巨匠とマルガリータ」だった。これをきっかけに2人は恋に落ち、結婚する。
オットーは妊娠したソーニャとバス旅行に出る。帰り道、バスは転落事故を起こし、ソーニャは流産し下半身不随で車椅子生活になる。オットーはソーニャの夢を叶えるため、調度の作り替えだけでなく行政にも掛け合い、ソーニャは教師として職を得た。「名探偵モンク」のモンクとトゥルーディーとの絆に重なった。
孤独な男がカラフルな世界の扉を開けるというパターンは欧州映画のトレンドだったが、本作は愛の物語であり、さらに多様性という現在的なテーマを内包している。メキシコ人であるマリソルと心を通わせ、車椅子生活になったソーニャのために尽力する。ソーニャの教え子だったゲイの青年にも偏見は一切持たない。オットーはソーニャによって目覚めた最高の教え子だったのだ。
成り行きで飼うことになった野良猫を、オットーはソーニャの生まれ変わりと感じていたのだろう。SNSをツールにしたインフルエンサーの女性と協力し、友人を救うシーンも痛快だ。根底にあるのは<正義>で、権力に対する反抗心も強い。
俺は最近、引きこもりがちだが、愛すべき変わり者であるオットーが羨ましくなった。視界がクリアになったことをきっかけに、一歩踏み出してみようかな。
5時間ほどの日帰り入院だったが、周りは高齢者ばかりで、車椅子で移動している患者も多い。改めて実感させられた老いをテーマに据えた「オットーという男」(2022年、マーク・フォスター監督)を新宿で見た。始まって数分でデジャヴを覚えたのも当然で、本作はスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」(17年、ハンネス・ホルム監督)のリメークである。ユーモアとエンターテインメントがハリウッド風味で味付けされていた。
内容は似ていてもこの6年、俺の心身は脳梗塞で入院するなど甚だしく衰えている。当時は仕事をしていたが、今は無職だ。老いと死がズームアップされ、孤独の色も濃くなっている。リメークではあるが、「オットーという男」に感慨を新たにした。主人公を演じたのはオスカーを2度獲得したトム・ハンクスで、製作にも関わっている。
冒頭でオットーは長年勤めていた会社をリストラされる。同僚に煙たがられていたが、地域でも同様だ。近所を毎日パトロールし、ルール違反している者に注意する。口癖は“idiot”(馬鹿者)だ。首吊り自殺を試みていたが、周囲が騒がしい。正面の家に、メキシコ出身のマリソル(リアナ・トレビーニョ)とトミー(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)の夫妻、2人の女の子が引っ越してきたのだ。
自殺を中断されたオットーはトミーの拙い運転をなじりながら協力する。その後、お節介なマリソルは、メキシコ料理を手に、何度もオットーの家を訪ねるようになる。冷たくあしらいながらも、次第に心が通い合うようになった。それでもオットー孤独は癒えず、首吊り、飛び込み、車の排ガスと自殺はことごとく失敗する。
オットーは半年前、がんで亡くなった妻ソーニャの元に行きたいと願い、墓前に花を捧げつつ、「早く会いたいけど、死ぬのは難しい」などと報告する。ソーニャ(レイチェル・ケラー)との出会いと不幸な事故とその後の献身がカットバックし、時の糸が紡がれ、オットーの心情が浮き彫りになっていく。若き日のオットーを演じたのは、トムの息子トルーマン・ハンクスだ。
オットーは理系の技術職、ソーニャは国語教師志望と志向は異なるが、出会いのシーンが鮮やかだった。心臓肥大症で兵役を不合格になったオットーは、失意のどん底にあった。そんな時、女性が向かいのホームで落とした本を電車まで届ける。彼女がソーニャで、タイトルは「巨匠とマルガリータ」だった。これをきっかけに2人は恋に落ち、結婚する。
オットーは妊娠したソーニャとバス旅行に出る。帰り道、バスは転落事故を起こし、ソーニャは流産し下半身不随で車椅子生活になる。オットーはソーニャの夢を叶えるため、調度の作り替えだけでなく行政にも掛け合い、ソーニャは教師として職を得た。「名探偵モンク」のモンクとトゥルーディーとの絆に重なった。
孤独な男がカラフルな世界の扉を開けるというパターンは欧州映画のトレンドだったが、本作は愛の物語であり、さらに多様性という現在的なテーマを内包している。メキシコ人であるマリソルと心を通わせ、車椅子生活になったソーニャのために尽力する。ソーニャの教え子だったゲイの青年にも偏見は一切持たない。オットーはソーニャによって目覚めた最高の教え子だったのだ。
成り行きで飼うことになった野良猫を、オットーはソーニャの生まれ変わりと感じていたのだろう。SNSをツールにしたインフルエンサーの女性と協力し、友人を救うシーンも痛快だ。根底にあるのは<正義>で、権力に対する反抗心も強い。
俺は最近、引きこもりがちだが、愛すべき変わり者であるオットーが羨ましくなった。視界がクリアになったことをきっかけに、一歩踏み出してみようかな。