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負けたとき、そばにいる

先日紹介した『遠いリング』の中で、数々の世界チャンピオンを育てた名トレーナー、エディ・タウンゼントさんの言葉が心に残っている。

負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。世界チャンピオンになったら、みんなウォーッといってリングに上がりますね。だっこして肩車しますね。狂ったようになりますね。でもボクならない。一番最後に上がるの。よかったね、おめでとう、というだけよ。夜、ドンチャン騒ぎありますね。でも騒がない。ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。でも負けたときは最後までいます。病院にも行くの。ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」

勝ったときに共に喜ぶよりも、負けたときにそばにいることを大切にする。それが教育者なのだろう。自分を振り返ったとき、まったくできていないことに気づいた。
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『遠いリング』(読書メモ)

後藤正治『遠いリング』岩波書店

しぶい題名につられて買ってしまった。

あの赤井英和、井岡弘樹が在籍し、晩年のエディ・タウンゼントがトレーナーをしていたグリーンツダジムを舞台にしたノンフィクションである。

格闘技モノなので「どうかな?」と思っていたが、そこに描かれているのは、ボクシングという世界を超えた、「人生をどう生きるか」というテーマであった。

才能に恵まれたエリートもいるし、そうでない者もいる。運がいい人もいれば、悪い人もいる。一人ひとり違う「個性」を持ち、それぞれの「思い」を持って、リングに賭ける8人のボクサーの姿が淡々と描かれている。

定職にもつかずにアルバイトをしながら、10代、20代の青春を殴り合いに賭ける若者たち。そもそも何のためにボクシングをするのか?

作者の後藤さんは次のように語っている。

「ボクシングがなにを残したかではなく、それをしたこと自体が価値なのだ。十年の歳月を経てさまさなければならないほどのほてりを帯びた青春が意味のないものであるはずがない。たとえ、その後どう生きようと、そのとき過ごした時間は動かない。そう思えるのである。」

私たちもよく「あの経験が何につながっているのか」と問うことがある。しかし、よく考えてみたら「何かに熱中し、どっぷりと浸かった経験」それ自体に意味があるのではないか。そう思った。

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クマに襲われ、感動する

以前紹介した書籍『凍』の主人公で、世界的なクライマー山野井泰史さんが、昨年9月、奥多摩でランニング中にクマに襲われて重傷を負ったということを知った。

山野井さんのブログ「山野井通信」を見たら、次のような記事が載っていた。

「ご存知の方も多いと思いますが、9月17日の朝、熊の攻撃に遭いました。(中略)右腕は筋肉を損傷し20針くらい縫いました。顔は眉間の上から鼻にかけ70針ほど縫い現在でも大きく腫れています。残念なのは2ヶ月後にオーストラリアクライミングを考えていたのに最も大切な腕を痛めてしまった事です。それでも・・・生きている熊に触れられるなんて・・・感動、言葉が適切ではないと思いますが、貴重な体験をしたような気がします。」

さぞ悲嘆に暮れていると思いきや、山野井さんは、クマに襲われながらも、感動していた。やっぱり「常人じゃない」。

よく考えたら、彼は、クライミングという行為よりも、自然を体感するということに生きがいを感じているのかもしれない。「あの山をみると、登らざるをえない自分がいる」と語った山野井さんの気持ちが少しわかったような気がした。

出所:山野井通信
http://www.evernew.co.jp/outdoor/yasushi/o_docandimg/yasushi4_08.htm

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人の救いはむなしいものです

『まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。』
(詩篇60章11-12節)
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『職人』(読書メモ)

永六輔『職人』岩波新書

職人が大好きな永六輔さんが、これまでに出会った職人の言葉を集めたり、職人・芸人の方と対談したり、職人について講演した内容をまとめたものである。

僕も職人的に生きたいと思っているが、本書を読んで自分の甘さを痛感した。
以下は、心に残った職人さんの言葉。

褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこかで嘘になります」

「自分の作品を自分で売るようになると、品がなくなります。自分の子どもを自分では売らないでしょう」


目立たないように生きる― 昔はそういう生き方でしたよね。いまは、目立つように生きる、そうなってますわね。」

一番おもしろかったの次の言葉である。

「コラッ!あんまり勉強すると、バカになっちゃうぞ

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ポジティブ・ノンレジスタンス

バルセロナオリンピックの400mで、高野進氏が日本人60年ぶりのファイナリストになったレースを見て感動したのを覚えている。

北京オリンピックで日本チームが400mリレーで銅メダルをとったのも、高野氏が開発した「二軸走法」によるところが大きいらしい。二軸走法とは、武道や忍者のすり足を応用したもので、日本人に合った走り方である。

水泳の北島選手を育てた平井コーチも、日本人にあった泳ぎ方を推奨しているが、陸上の世界でも同じだということがわかった。

その高野氏が400mで脚光を浴びだしたのは大学に入ってから。その後、東海大学の教員となり、海外留学、日本陸連や日本スプリント学会での活動、NPOの立ち上げと、活躍の場を広げる。

共感したのは高野氏のモットーである「ポジティブ・ノンレジスタンス(肯定的な無抵抗)」という考え方。

氏いわく「これまでの人生はほとんど自分で決めてないし、自分でAかBかを選ぶ選択肢もなかった」という。彼の活動は、周囲の勧めに応じた肯定的な無抵抗の結果らしい。

偶然ふってくる出来事から学びのチャンスを得る姿勢こそが、経験から学ぶために重要である、という「計画された偶発性理論」の考え方を思い出した。

さまざまな出来事に、嫌々取り組むか、肯定的に取り組むかで、そこからの学びも違ってくるのだろう。

「ポジティブに流される」ことも大事なのかもしれない、と思った。

出所:「高野進氏:日本の走りで世界と戦う」日経ビジネス2009.12.21・28号, p108-110.
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苦しみの主導権を握り、待つ

ヨットの単独世界一周レースで2位になった海洋冒険家の白石康次郎さんは、次のように語っている。

「苦しみから逃げても何も生まれませんよ。むしろ、逃げたら追いかけてきます。」

では、どうすればいいのか?

自らが主導権を握り、克服のアイデアを出して、苦しみに振り回されない環境をつくりだすことが大事だという。

例えば、船酔いする体質である白石さんは次のように克服している。

「乗船前にオレンジジュースを飲むというのが私の結論。吐くことは吐くが、(オレンジの味を感じることで)おいしく吐ける楽しみを発見した。」

また、自分の思い通りにいくことは少ない現実の中で「待つ」ことの大切さを白石さんは指摘する。無理な勝負に出て痛手を負うのではなく、じっと好機を待つ時期を見極めることだ。

以前紹介した女子プロゴルファーの諸見里さんも「自分の流れが来るまで待つ」とおっしゃっていた。

苦しみの主導権を握り、チャンスを待つ。その先に道が開けるのだろう。

出所:日経産業新聞2009.12.18
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すべての完全な賜物は

『すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。』
(ヤコブの手紙1章17節)
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『父・藤沢周平との暮らし』(読書メモ)

遠藤展子『父・藤沢周平との暮らし』(新潮社)

日本のビジネスマンには藤沢周平ファンが多いらしい。僕も大ファンである。藤沢周平の本はほぼ95%は読んでいる。

その藤沢氏の一人娘である展子さんが書いた本を紀伊国屋で見つけた。娘から見た等身大の藤沢周平が描かれており、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる本である。展子さんを見つめる藤沢周平氏の目があたたかい。

ある日、コマーシャルの出演を断っている周平氏に対して、展子さんが聞いた。

「お父さん、なんでコマーシャルに出ないの。テレビに出れば顔を覚えてもらえるのに」すると父は、不服そうな顔の私に、こう言ったのです。「展子、よく聞きなさい。仕事というものは、どんな仕事でも本業をまっとうするのは大変なことなんだよ。本業以外の仕事で収入を得ようとすれば、必ず本業がおろそかになる。お父さんは、そういうのはあまり好きじゃないな。作家はものを書くのが仕事なんだから。」

これを読み、自分の「本業」とは何だろうか、と考えた。そして、本業をおろそかにしてしまう誘惑がけっこう多いことに気づいた。

「本業をまっとうする」人生を歩みたい、と思った。
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自分のすべてを出す

薬師丸ひろ子さんとは同世代である。

13歳のとき「野生の証明」で鮮烈なデビューをかざり、カリスマ的な存在となるが、その後いろいろな困難を乗り越え、最近、いぶし銀のような魅力を放っている、というイメージがある。

そんな彼女のインタビュー記事を読み、「まるで職人のような人」という印象を持った。薬師丸さんはつぎのように語っている。

「演じることが楽しいと思ったことはありません」ただ「演じる役柄が自分のなかに入り込み、全身全霊で感じられる瞬間がある。そのときには、うれしさが込み上げてきますね。」

うれしいときはあるが、楽しいと思ったことはない、という点、とてもストイックだ。次のコメントには、仕事人としての気迫が感じられる。

「これからも、私に『この役を演じて欲しい』と感じていただけるように、頑張っていこうと思っています。そのためには、常に自分のすべてを出していかなければなりません。毎作毎作が、次につながるステップですから。」

ステータスを得ても、それに甘んじることなく、常に全力投球する。なかなかできることではない。わたしたちは「常に自分のすべてを出している」だろうか?

出所:VISA 2010 JAN No.442, p.8-9.
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