松尾睦のブログです。書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
その時その時を懸命に生きる
女優の江波杏子さんといえば「個性派俳優」のイメージがある。
17歳のときに映画界に入り、女賭博師シリーズ17本に出演したものの、所属していた大映が倒産。1年後に出演したインディーズ映画『津軽じょんがら節』でキネマ旬報主演女優賞に輝く。
さぞや自分軸を明確にしてキャリアを歩んできたのかと思いきや、どうも違うようだ。
「テレビに出る人はタレントと呼ばれ、若い頃からキャラクターを確立している人が多いけれど、私は与えられた役をこなしてきたにすぎないので、そういう感覚はどうも馴染まない。その時その時を懸命に生き、流れ流されここに来たから分岐点と言えるものがないんです」(p.3)
これを読み、バルセロナオリンピックの400mで日本人60年ぶりのファイナリストになった高野進氏の言葉「ポジティブ・ノンレジスタンス(肯定的な無抵抗)」を思い出した。
あれほどの個性を発揮している江波さんが「流れに任せてここまで来た」という点が意外だった。
次の言葉も気になる。
「どんな場合であっても役者というのは、素材にすぎません。そこに転がっている机や椅子と同列のものだと、若い頃から口酸っぱく言われてきました」(p.3)
素材としての自分を意識して、その時その時を懸命に生きることが大事なのかもしれない。
出所:ビッグイシュー日本版 Vol.299, p. 3.
17歳のときに映画界に入り、女賭博師シリーズ17本に出演したものの、所属していた大映が倒産。1年後に出演したインディーズ映画『津軽じょんがら節』でキネマ旬報主演女優賞に輝く。
さぞや自分軸を明確にしてキャリアを歩んできたのかと思いきや、どうも違うようだ。
「テレビに出る人はタレントと呼ばれ、若い頃からキャラクターを確立している人が多いけれど、私は与えられた役をこなしてきたにすぎないので、そういう感覚はどうも馴染まない。その時その時を懸命に生き、流れ流されここに来たから分岐点と言えるものがないんです」(p.3)
これを読み、バルセロナオリンピックの400mで日本人60年ぶりのファイナリストになった高野進氏の言葉「ポジティブ・ノンレジスタンス(肯定的な無抵抗)」を思い出した。
あれほどの個性を発揮している江波さんが「流れに任せてここまで来た」という点が意外だった。
次の言葉も気になる。
「どんな場合であっても役者というのは、素材にすぎません。そこに転がっている机や椅子と同列のものだと、若い頃から口酸っぱく言われてきました」(p.3)
素材としての自分を意識して、その時その時を懸命に生きることが大事なのかもしれない。
出所:ビッグイシュー日本版 Vol.299, p. 3.
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愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め
愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め
(ホセア書12章7節)
(ホセア書12章7節)
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杉氏の家風
吉田松陰や妹・文を育てた杉氏の家風について。
文が久坂家に嫁に入るとき、松陰は次のように語ったらしい。
「お父さまお母さまの平素の訓えをな、忘れるなよ。それにわが杉家には、まことに立派な家風がある。それは第一に先祖を尊びたまうこと、第二には神明を崇めたまい、第三には親族と睦じくしたまい、第四には学問を好みたまい、第五には田畠のことを親(みずか)らしたまい、勤労を尊び、勤倹質素を重んじたまうこと。こういうことは、どこの家に移しても決して恥ずかしくないことじゃ」(p.177-178)
これらは、よく考えてみると伝統的な日本の価値観である。
日本人が大切にしてきた考え方を実践するとき、優れた人が育つのではないだろうか。
出所:田郷虎雄『久坂玄瑞の妻』河出文庫
文が久坂家に嫁に入るとき、松陰は次のように語ったらしい。
「お父さまお母さまの平素の訓えをな、忘れるなよ。それにわが杉家には、まことに立派な家風がある。それは第一に先祖を尊びたまうこと、第二には神明を崇めたまい、第三には親族と睦じくしたまい、第四には学問を好みたまい、第五には田畠のことを親(みずか)らしたまい、勤労を尊び、勤倹質素を重んじたまうこと。こういうことは、どこの家に移しても決して恥ずかしくないことじゃ」(p.177-178)
これらは、よく考えてみると伝統的な日本の価値観である。
日本人が大切にしてきた考え方を実践するとき、優れた人が育つのではないだろうか。
出所:田郷虎雄『久坂玄瑞の妻』河出文庫
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『久坂玄瑞の妻』(読書メモ)
田郷虎雄『久坂玄瑞の妻』河出文庫
大河ドラマ「花燃ゆ」でも知られる久坂玄瑞の妻(&吉田松陰の妹)・文の物語である。
本書でインパクトを感じたのは、久坂玄瑞でも、その妻・文でもなく、吉田松陰を育んだ杉家の家風である。
非常にオープンで、学びの雰囲気に満ちており、かつ人間を尊重する家だからだ。なぜ、そうした家風になったのか?
「松陰の学問の緒(いとぐち)は、父百合之助自身によって手ほどきされた。それは非常に風変りな方法によってであった。武士とは名のみで、自ら耕し、自ら蒔き、自ら野に草を刈り、自ら山に薪を拾う、そういう勤労の生活を続けていた百合之助は、その田に畠に山に野に、常に二人の幼い息子を伴うた。そして、耕しながら、蒔きながら、刈りながら、拾いながら、そのひまひまに書が講ぜられ、光輝ある皇国の歴史が説かれた」(p.129)
そういえば吉田松陰の『留魂録』にも、人生を四季にたとえた表現があったのを思い出した。自然と勤労と勉学が一体化している点がすごい。
松陰が自宅で幽閉中に、様々な若者を教えていたときの様子も印象的である。
「母の滝子は、むろんのこと、自身が穏健な人物で、穏健なことを好む父や兄も、それを深く喜んだ。そして彼等は、子であり弟である松陰について、自分達も学び、また、ひたすら松陰の心の静穏ならんことを祈って、なにくれともなく松陰をいたわり庇った」(p.143)
子や弟からも積極的に学ぼうとする雰囲気に少し驚いた。
さらに、杉家には、婦人の修養のために月1回の勉強会があり、なんと30年間も続いたらしい。
こうした家風が松陰を生み、さらに、歴史を動かす人物を輩出するのを後押ししたのだろう
大河ドラマ「花燃ゆ」でも知られる久坂玄瑞の妻(&吉田松陰の妹)・文の物語である。
本書でインパクトを感じたのは、久坂玄瑞でも、その妻・文でもなく、吉田松陰を育んだ杉家の家風である。
非常にオープンで、学びの雰囲気に満ちており、かつ人間を尊重する家だからだ。なぜ、そうした家風になったのか?
「松陰の学問の緒(いとぐち)は、父百合之助自身によって手ほどきされた。それは非常に風変りな方法によってであった。武士とは名のみで、自ら耕し、自ら蒔き、自ら野に草を刈り、自ら山に薪を拾う、そういう勤労の生活を続けていた百合之助は、その田に畠に山に野に、常に二人の幼い息子を伴うた。そして、耕しながら、蒔きながら、刈りながら、拾いながら、そのひまひまに書が講ぜられ、光輝ある皇国の歴史が説かれた」(p.129)
そういえば吉田松陰の『留魂録』にも、人生を四季にたとえた表現があったのを思い出した。自然と勤労と勉学が一体化している点がすごい。
松陰が自宅で幽閉中に、様々な若者を教えていたときの様子も印象的である。
「母の滝子は、むろんのこと、自身が穏健な人物で、穏健なことを好む父や兄も、それを深く喜んだ。そして彼等は、子であり弟である松陰について、自分達も学び、また、ひたすら松陰の心の静穏ならんことを祈って、なにくれともなく松陰をいたわり庇った」(p.143)
子や弟からも積極的に学ぼうとする雰囲気に少し驚いた。
さらに、杉家には、婦人の修養のために月1回の勉強会があり、なんと30年間も続いたらしい。
こうした家風が松陰を生み、さらに、歴史を動かす人物を輩出するのを後押ししたのだろう
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あなたがたは地上に富を積んではならない
あなたがたは地上に富を積んではならない
(マタイによる福音書6章19節)
(マタイによる福音書6章19節)
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『下町ロケット2 ガウディ計画』(読書メモ)
池井戸潤『下町ロケット2 ガウディ計画』小学館
『下町ロケット』はイマイチだったけれど、第二弾の本書は面白かった。テーマが医療だからかもしれない。
子どもが使う心臓弁を開発するストーリーなのだが、開発に行き詰ったときに、担当者が病院を訪れて子供たちと交流し、やる気を取り戻す場面がある。
ここを読んでいるとき『小さな命が呼ぶとき』(ジータ・アナンド著、戸田 裕之訳、新潮文庫)を思い出した。この本の中でも、難病の薬を開発するため、患者と交流させることで研究者を奮起させるシーンがあるからだ。
自分の働きによって他人が喜ぶのを実感するとき、人は心の底からやる気がみなぎるのだろう。
普段の仕事の中にも、そうした情報を意図的に流すことが大切なのではないか、と感じた。
『下町ロケット』はイマイチだったけれど、第二弾の本書は面白かった。テーマが医療だからかもしれない。
子どもが使う心臓弁を開発するストーリーなのだが、開発に行き詰ったときに、担当者が病院を訪れて子供たちと交流し、やる気を取り戻す場面がある。
ここを読んでいるとき『小さな命が呼ぶとき』(ジータ・アナンド著、戸田 裕之訳、新潮文庫)を思い出した。この本の中でも、難病の薬を開発するため、患者と交流させることで研究者を奮起させるシーンがあるからだ。
自分の働きによって他人が喜ぶのを実感するとき、人は心の底からやる気がみなぎるのだろう。
普段の仕事の中にも、そうした情報を意図的に流すことが大切なのではないか、と感じた。
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「思い」の共有と継承
1817年生まれの思想家ヘンリー・ソローは、米国ボストンの郊外にあるコンコードに生まれ育った。そして、ウォールデン池がある森で2年数か月を過ごし、そのときの経験をもとに名著『森の生活』を書く。
ちなみに、ソローはハーバード大学出身なのだが、その頃のハーバードは田舎の現地大学にすぎなかった、という点に少し驚いた。イギリスの大学に追いつき追い越せという雰囲気だったという。
感銘したのは、現在でも、この地には、「自然とともに生きること」を提唱したソローの考え方が根付いているということ。
1990年、コンコードに大型土地開発プロジェクトがもちかけられた際、地元の人々はNPOを立ち上げて、ソローの住んでいた森を買い取ったらしい。その後も、14の開発プロジェクトが起きるたびに、全米の支援者の支援を受けながらことごとく土地を取得していく。
個人の思想が、その地に浸透しているという点がすごい。「思い」の共有、「思い」の継承の大切さを感じた。
Skyward, 2016.11, p.30-41
ちなみに、ソローはハーバード大学出身なのだが、その頃のハーバードは田舎の現地大学にすぎなかった、という点に少し驚いた。イギリスの大学に追いつき追い越せという雰囲気だったという。
感銘したのは、現在でも、この地には、「自然とともに生きること」を提唱したソローの考え方が根付いているということ。
1990年、コンコードに大型土地開発プロジェクトがもちかけられた際、地元の人々はNPOを立ち上げて、ソローの住んでいた森を買い取ったらしい。その後も、14の開発プロジェクトが起きるたびに、全米の支援者の支援を受けながらことごとく土地を取得していく。
個人の思想が、その地に浸透しているという点がすごい。「思い」の共有、「思い」の継承の大切さを感じた。
Skyward, 2016.11, p.30-41
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自分の道をきめる
昭和の名脇役と呼ばれた沢村貞子さん。
「私は添えもの的メロドラマの主演より、野心作の脇役を望んだ」という貞子さんは、「役者のくせに、主演を断るとは、どういうわけだ」と怒られたという(p.217)。
「私としては、役者の家に生まれ、そのきびしさを知っているからこそ、脇役をのぞんだのである。映画スターにはいろいろの条件が必要である。その第一は、美しく魅力的でなければならない。私は、自分の顔を、鏡の前でつくづく眺めた。それは、どうひいき目にみても、観客がお金を払ってまで見たいと思う顔ではなかった」「<やっぱり脇役を志す方がいい>私は、いつの間にか二十六歳をとおに越えた自分の顔をみつめたうえで、はっきり、自分の道をきめた。そして、次から次へ与えられる役を、ただ一生懸命やった」(p.17-218)
自分らしさを大切にしたからこそ、脇役を選んだ貞子さん。
注目したいのは「役者のきびしさを知っているからこそ脇役をのぞんだ」という発言である。単なる希望ではなく、その世界を見極めた上での選択だ。
20代で自分の進むべき道を見極めた貞子さんだからこそ、「昭和の名脇役」と呼ばれるまでになったのだろう。
出所:沢村貞子『貝のうた』河出文庫
「私は添えもの的メロドラマの主演より、野心作の脇役を望んだ」という貞子さんは、「役者のくせに、主演を断るとは、どういうわけだ」と怒られたという(p.217)。
「私としては、役者の家に生まれ、そのきびしさを知っているからこそ、脇役をのぞんだのである。映画スターにはいろいろの条件が必要である。その第一は、美しく魅力的でなければならない。私は、自分の顔を、鏡の前でつくづく眺めた。それは、どうひいき目にみても、観客がお金を払ってまで見たいと思う顔ではなかった」「<やっぱり脇役を志す方がいい>私は、いつの間にか二十六歳をとおに越えた自分の顔をみつめたうえで、はっきり、自分の道をきめた。そして、次から次へ与えられる役を、ただ一生懸命やった」(p.17-218)
自分らしさを大切にしたからこそ、脇役を選んだ貞子さん。
注目したいのは「役者のきびしさを知っているからこそ脇役をのぞんだ」という発言である。単なる希望ではなく、その世界を見極めた上での選択だ。
20代で自分の進むべき道を見極めた貞子さんだからこそ、「昭和の名脇役」と呼ばれるまでになったのだろう。
出所:沢村貞子『貝のうた』河出文庫
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『貝のうた』(読書メモ)
沢村貞子『貝のうた』河出文庫
昭和の名脇役、沢村貞子さんの自伝である。
貞子さんは、戦前に左翼系劇団に入ったが、二度の投獄を経て脱退し、映画女優として活躍する。それまでの、苦しみと葛藤の記録が本書だ。役者の家に生まれたにもかかわらず、役者を毛嫌いして大学に進む。しかし、結局、役者になってしまう貞子さん。親の影響の強さを感じた。
この本を読みながら、題名にある『貝のうた』とは何だろうと思っていた。そのわけは、最後のほうで明かされる。
「蛤は何百何千あっても、それぞれ形が微妙にちがい、出貝は自分の半身である唯一の地貝だけにぴったりと合う。もし、無理にほかの貝とあわそうとしても、けっしてあわないものだという」「もし、「この人こそ、私の半身、私の地貝だ」と思う人を見つけられたら、そんなに幸福だろう」(p.244)
貞子さんは、2度の離婚を経て、最愛の人と結婚したようだが、その経緯はまったく本書には書かれていない。なのに題名は『貝のうた』である。
たぶん、人生のもっともつらい部分を語ったのがこの本であり、その後の幸せな部分はあえて触れなかったのだろう。
人生には光と影の両面があり、影の部分が光の土台になっているのではないか、と感じた。
貞子さんの影が、その後の光を彷彿させる良書である。
昭和の名脇役、沢村貞子さんの自伝である。
貞子さんは、戦前に左翼系劇団に入ったが、二度の投獄を経て脱退し、映画女優として活躍する。それまでの、苦しみと葛藤の記録が本書だ。役者の家に生まれたにもかかわらず、役者を毛嫌いして大学に進む。しかし、結局、役者になってしまう貞子さん。親の影響の強さを感じた。
この本を読みながら、題名にある『貝のうた』とは何だろうと思っていた。そのわけは、最後のほうで明かされる。
「蛤は何百何千あっても、それぞれ形が微妙にちがい、出貝は自分の半身である唯一の地貝だけにぴったりと合う。もし、無理にほかの貝とあわそうとしても、けっしてあわないものだという」「もし、「この人こそ、私の半身、私の地貝だ」と思う人を見つけられたら、そんなに幸福だろう」(p.244)
貞子さんは、2度の離婚を経て、最愛の人と結婚したようだが、その経緯はまったく本書には書かれていない。なのに題名は『貝のうた』である。
たぶん、人生のもっともつらい部分を語ったのがこの本であり、その後の幸せな部分はあえて触れなかったのだろう。
人生には光と影の両面があり、影の部分が光の土台になっているのではないか、と感じた。
貞子さんの影が、その後の光を彷彿させる良書である。
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