上高地の嘉門次小屋に、泊まってみたい。
岩魚の塩焼きを食べたい。
ウェストンが嘉門次に贈った、ピッケルを見たい。
そして、4代目当主、上條 輝夫さんにお会いできれば…。
嘉門次小屋。
2017年10月17日。
岩魚の塩焼きを食べたい。
囲炉裏で、岩魚の塩焼き。
岩魚の塩焼き13年のベテラン。芸術品のように並べられていく。
右は塩焼きの岩魚、左端に骨酒(こつざけ)用の岩魚。
昼飯に寄って、岩魚の塩焼きを食べた。
うまかった! ホクホクして、尻尾から頭まで平らげた。
味は、日本一、と常宿にしている千葉のお客さんが言う。
囲炉裏を囲んで、焼くのを見ながら、食べるのがいい。
囲炉裏は、嘉門次小屋のリビング・ルームだった。
夕飯にも、岩魚の塩焼きが出るというが、
こんなにうまいなら、何度でもいい。
ウェストンが嘉門次に贈った、ピッケルを見たい。
囲炉裏に飾ってあった。上は、嘉門次愛用の村田銃。
囲炉裏のピッケルと、岩魚の塩焼きを、
見に来るお客さんが多い。外国人も。
これで、嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べた、
ウェストンが嘉門次に贈ったピッケルも見た。
これまで、嘉門次小屋に泊まらなかったのは、松本から近すぎたから。
嘉門次小屋から河童橋まで、歩いて1時間。
河童橋まで来ると、松本に着いた気分になる。
あとは、バスターミナルから、シャトルバスで、
沢渡の駐車場まで30分。それから、車で50分で松本。
嘉門次小屋から、2時間半で、家に着くから、
嘉門次小屋に泊まらずに、帰ることになる。
嘉門次小屋は、松本市の安曇上高地。
それで、嘉門次小屋に泊まる計画を建てた。
翌日に、徳本(とくごう)峠へ行こう。
ウェストンが、松本から上高地に入るときに越えた峠。
徳本峠から眺めた、穂高連峰に感激していた。
嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べてから、
夕方まで、明神の周辺を散策。
明神岳。明神橋から。
左は2,263メートル峰と、右は明神岳Ⅴ峰、2,726メートル。
嘉門次の碑。嘉門次小屋の前で。
山の名ガイド上條嘉門次は71歳で没する。
「嘉門次小屋」の説明。嘉門次小屋の入口で。
「上條嘉門次が、1880年に建てた山小屋です。
嘉門次はウォルター・ウェストン氏の山案内をした事により、
山岳ガイドとして、名を馳せました。ウェストン氏が、
日本の山を世界に紹介された著書「極東の遊歩道」、
「日本アルプスの登山と探検」には、嘉門次の事も書かれています。
ウェストン氏は、日本山岳会の設立に寄与されましたので、
レリーフがバスターミナルの対岸にあり、毎年6月には、
ウェストン祭が行われます。
小屋の囲炉裏に、ウェストン氏から「長い友情の記念に」と、
贈られたピッケルを、嘉門次が愛用した猟銃と共に展示しています。
当主は4代目で、嘉門次の曾孫に当たります。」
3時からの風呂に合わせて、嘉門次小屋に戻った。
汗を流して、夕飯の5時半まで間がある。囲炉裏へ行った。
千葉からのお客さんは、岩魚の塩焼きに、ビール。
囲炉裏には、燻した岩魚。骨酒(こつざけ)用。
京都からのお客さんが、岩魚の骨酒を、うまそうに飲んでいる。
それで、骨酒の飲み方をスタッフから教えてもらって、
岩魚の骨酒を頼んだ。
「2~3分置いて、味を出してから、飲んでください」と言われた。
そして、飲む。うまい!
2杯目のお代わりの酒を注いでもらった。
今度は、岩魚を箸で押すようにして、ほぐした。
2杯目も、うまい! やがて、酔った。酔いは、
嘉門次小屋のスタッフ、京都と千葉のお客さんと近くなった。
5時半から夕飯。
岩魚の塩焼きは、何度食べてもうまい!
食事中に、香港からのお客さんと目が合った。
ご夫妻と、ご両親の4人で、上高地のあとは、
北海道に行くと言う。
嘉門次がウェストンの山案内人だったこと、
ウェストンが世界に日本アルプスを紹介したこと、
嘉門次小屋の当主は4代目、などの話をしていると、
その4代目の当主、上條 輝夫さんが、お見えになって、
話の輪に加わってから、場が一気に盛り上がった。
香港の人は、当主を囲んで、写真を撮っていた。
日本の、いい思い出になったようだ。
4代目当主、上條 輝夫さんに、お会いできれば…、
は、こうして、実現した。
食事が終わると、当主は囲炉裏に移動され、
京都の人、千葉の人、私と歓談していただいた。
そして、当主の「安曇節」のご披露があった。
焼酎「霧島」を、ごちそうしていただいた。
私は、これで、すっかり酔っぱらった。
当主も嬉しそうで、くつろがれていた。
当主、ありがとうございます。
嘉門次小屋に来てよかった。
日本一うまい、岩魚の塩焼きにありつけた。
岩魚の骨酒を飲むことができた。
香港からのお客さんと、歓談した。
そして、当主と囲炉裏を囲んで、
酒を飲み交わすことができた。
私の山の「思い出」として、
一生、忘れられないものになった。
岩魚の塩焼きを食べたい。
ウェストンが嘉門次に贈った、ピッケルを見たい。
そして、4代目当主、上條 輝夫さんにお会いできれば…。
嘉門次小屋。
2017年10月17日。
岩魚の塩焼きを食べたい。
囲炉裏で、岩魚の塩焼き。
岩魚の塩焼き13年のベテラン。芸術品のように並べられていく。
右は塩焼きの岩魚、左端に骨酒(こつざけ)用の岩魚。
昼飯に寄って、岩魚の塩焼きを食べた。
うまかった! ホクホクして、尻尾から頭まで平らげた。
味は、日本一、と常宿にしている千葉のお客さんが言う。
囲炉裏を囲んで、焼くのを見ながら、食べるのがいい。
囲炉裏は、嘉門次小屋のリビング・ルームだった。
夕飯にも、岩魚の塩焼きが出るというが、
こんなにうまいなら、何度でもいい。
ウェストンが嘉門次に贈った、ピッケルを見たい。
囲炉裏に飾ってあった。上は、嘉門次愛用の村田銃。
囲炉裏のピッケルと、岩魚の塩焼きを、
見に来るお客さんが多い。外国人も。
これで、嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べた、
ウェストンが嘉門次に贈ったピッケルも見た。
これまで、嘉門次小屋に泊まらなかったのは、松本から近すぎたから。
嘉門次小屋から河童橋まで、歩いて1時間。
河童橋まで来ると、松本に着いた気分になる。
あとは、バスターミナルから、シャトルバスで、
沢渡の駐車場まで30分。それから、車で50分で松本。
嘉門次小屋から、2時間半で、家に着くから、
嘉門次小屋に泊まらずに、帰ることになる。
嘉門次小屋は、松本市の安曇上高地。
それで、嘉門次小屋に泊まる計画を建てた。
翌日に、徳本(とくごう)峠へ行こう。
ウェストンが、松本から上高地に入るときに越えた峠。
徳本峠から眺めた、穂高連峰に感激していた。
嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べてから、
夕方まで、明神の周辺を散策。
明神岳。明神橋から。
左は2,263メートル峰と、右は明神岳Ⅴ峰、2,726メートル。
嘉門次の碑。嘉門次小屋の前で。
山の名ガイド上條嘉門次は71歳で没する。
「嘉門次小屋」の説明。嘉門次小屋の入口で。
「上條嘉門次が、1880年に建てた山小屋です。
嘉門次はウォルター・ウェストン氏の山案内をした事により、
山岳ガイドとして、名を馳せました。ウェストン氏が、
日本の山を世界に紹介された著書「極東の遊歩道」、
「日本アルプスの登山と探検」には、嘉門次の事も書かれています。
ウェストン氏は、日本山岳会の設立に寄与されましたので、
レリーフがバスターミナルの対岸にあり、毎年6月には、
ウェストン祭が行われます。
小屋の囲炉裏に、ウェストン氏から「長い友情の記念に」と、
贈られたピッケルを、嘉門次が愛用した猟銃と共に展示しています。
当主は4代目で、嘉門次の曾孫に当たります。」
3時からの風呂に合わせて、嘉門次小屋に戻った。
汗を流して、夕飯の5時半まで間がある。囲炉裏へ行った。
千葉からのお客さんは、岩魚の塩焼きに、ビール。
囲炉裏には、燻した岩魚。骨酒(こつざけ)用。
京都からのお客さんが、岩魚の骨酒を、うまそうに飲んでいる。
それで、骨酒の飲み方をスタッフから教えてもらって、
岩魚の骨酒を頼んだ。
「2~3分置いて、味を出してから、飲んでください」と言われた。
そして、飲む。うまい!
2杯目のお代わりの酒を注いでもらった。
今度は、岩魚を箸で押すようにして、ほぐした。
2杯目も、うまい! やがて、酔った。酔いは、
嘉門次小屋のスタッフ、京都と千葉のお客さんと近くなった。
5時半から夕飯。
岩魚の塩焼きは、何度食べてもうまい!
食事中に、香港からのお客さんと目が合った。
ご夫妻と、ご両親の4人で、上高地のあとは、
北海道に行くと言う。
嘉門次がウェストンの山案内人だったこと、
ウェストンが世界に日本アルプスを紹介したこと、
嘉門次小屋の当主は4代目、などの話をしていると、
その4代目の当主、上條 輝夫さんが、お見えになって、
話の輪に加わってから、場が一気に盛り上がった。
香港の人は、当主を囲んで、写真を撮っていた。
日本の、いい思い出になったようだ。
4代目当主、上條 輝夫さんに、お会いできれば…、
は、こうして、実現した。
食事が終わると、当主は囲炉裏に移動され、
京都の人、千葉の人、私と歓談していただいた。
そして、当主の「安曇節」のご披露があった。
焼酎「霧島」を、ごちそうしていただいた。
私は、これで、すっかり酔っぱらった。
当主も嬉しそうで、くつろがれていた。
当主、ありがとうございます。
嘉門次小屋に来てよかった。
日本一うまい、岩魚の塩焼きにありつけた。
岩魚の骨酒を飲むことができた。
香港からのお客さんと、歓談した。
そして、当主と囲炉裏を囲んで、
酒を飲み交わすことができた。
私の山の「思い出」として、
一生、忘れられないものになった。