非国民通信

ノーモア・コイズミ

電力不足は人を殺します

2011-03-29 22:47:43 | ニュース

節電条例検討へ(読売新聞)

 石原知事は17日の記者会見で、コンビニ店の深夜営業をやめてもらうなどの都独自の節電条例を検討することを示唆した。

 知事は「(都議会)臨時会を開いて、条例制定も考えなくてはいけない」と語った。具体的には、〈1〉午後10時以降にネオンを消す〈2〉自動販売機も夜間は消灯〈3〉コンビニエンスストアは午後10時以降閉める――といった案を示した。知事は14日、「節電啓発担当」の蓮舫行政刷新相と面会した際、「政令を出すべきだ」と政府の対応を求めていた。

 石原慎太郎が常日頃より「日本人の我欲が横行している」と主張してきたのは夙に有名ですが、表面上は石原に反対する素振りを見せていながらも少なからぬ人が「おまえこそ欲にまみれている」とか「欲の皮の突っ張った同じ日本人が私たちの生命を脅かしているのだよ!」などと、石原とそっくり同じことを説いているのですから救いようがありません。他人の欲を抑え込みたがるという点では同じ穴の狢です。加えて石原は都独自の節電条例を示唆したとのこと(ちょっと取り上げる時期が遅れましたが)、詳細は上記飲用をごらんいただければと思いますが、石原に反対している「つもり」の人も同様に「コンビニを昼夜問わず日本中で営業したり飲料の自動販売機をこれほどたくさん置いたりして電気を使い続けることは電気の浪費ではないかとの問題提起をしたい」などと掲げていたのを思い出して、これまた頭が痛くなってきました。

 ちょっと頭の足りない道徳家にしてみれば、夜間のコンビニ営業なんかは目の敵にしたくなるものなのでしょう。とかく深夜のサービス業には享楽的なイメージや、日本人の大嫌いな浪費のイメージがありますからね。しかし、現実はどうでしょうか。自販機は意外に細かく電力系統の切替が利くみたいで、この頃は夜間に消灯している機械が随分と増えており意外に世間の動向に敏感な様子が窺われます。まぁコンビニは照明を控えめにする程度で営業を続けているところもありますが、仮に営業を止めたとしても食品を腐らせてしまうわけにはいきませんので冷却のために常に電力を消費し続ける、ゆえに夜間営業を止めても節電効果はちょっと微妙です。そもそも夜間は計画停電の対象から外れていることからもわかるように、元から電力が余っているわけです。夜間に節電に励んだところで捨てられる電力が増えるだけで何の解決にもなりません。夜間の節電を訴えるような人は、要するにその人の奉じる道徳を世間に強要したがっているだけ、電力不足に乗じて自説の売り込みを図っているだけです。


計画停電で首都圏の病院困惑、手術や検査できず(読売新聞)

 東京電力による計画停電の影響で、首都圏で診療に支障が生じる医療機関が現れている。

 医師らは「病気の発見や治療が遅れ、患者が不利益を受けてしまう」と危機感を募らせる。一方で停電対象地域にありながら停電を免れる病院もあり、不公平感も強まっている。

 相模原市の国立病院機構相模原病院は、計画停電のため、緊急以外の手術をほとんど行えない状態が続いている。自家発電機を備えているが、患者の安全を考えて、予約の手術はすべて中止にしてきた。

(中略)

 埼玉県吉川市の吉川中央総合病院でも、一部の患者の手術を延期した。総務課の担当者は「手術日はこれ以上延ばせず、夜間に行うしかない。2次救急指定病院は停電の対象外にするなど、もっと医療を重視してほしい」と訴える。

 一方、電力不足の招いた結果として夜間労働は増加せざるを得ないようです。昼間には計画停電がある、計画停電の予定が無くとも電力需要の読み違えから予期せぬ停電に至る可能性がある、そうした中で手術を行うのは著しく危険を伴います。だからといって患者をいつまでも放置するわけにもいきません。ではどうすれば? 必然的に、電力供給に余裕があり、停電の恐れのない時間帯――すなわち深夜に手術を行うしかないという結論に至るわけです。かくして深夜に働かざるを得ない人が増え、その人達の生活を支えるためにも小売店などの深夜営業は必要性が高まっていくことでしょう。道徳家の抱くイメージからはほど遠い、深夜営業の実態がそこにはあります。

 あまり意識されてはいませんが、工場などでも電力供給に不安のある時間帯を避けて操業しているところが増えているそうです。休日に操業したり、あるいは夜間に操業したり。平日の昼間に、全員が一斉に電気を使えば電力不足で危機的状況を招きますけれど、電力を使う時間帯をずらして電力需要を均等化すれば、福島の原発が動かなくても何とかなるということなのかも知れませんね。しかし、これは当然のことながら負の影響もあるはずです。深夜勤務が常態化した場合、前立腺ガンになる可能性が3.5倍、乳がんになる可能性が1.6倍、心筋梗塞になる可能性が2.8倍に増加すると言われています。これでは放射線などよりずっと、健康に及ぼす悪影響は大きくなってしまうでしょう。「健康のためなら死んでもいい」なんてジョークがありますが、「脱原発のためなら死んでもいい」なんてのは悪い冗談に過ぎます。

 日本中を覆い尽くす自粛ムードと電力不足の中で、娯楽産業は存亡の危機に瀕しています。再開の見込みが立たなかった電力食いのディズニーランドでは、特例として環境評価の手続きをスルーして自前の発電施設を作って対応しようなんて動きすらあるようです(原発でさえなければ、何でも安心安全ですからね!)。別に遊園地が動かなくても死ぬ人はいないように見えるかも知れませんが、失業して人生が立ちゆかなくなる人はたくさん出てくることでしょう。かといって行楽施設を稼働すれば世間の激しいバッシングに遭うことは必至ですし、どこかが電力を使えば別のどこかで電力が不足してしまいます。さらには突発的な停電の可能性は事故発生のリスクを飛躍的に高めるわけです。ではどうすればいいのか、やはり電力需給に不安のない時間帯、電力を消費しても他所に迷惑をかけない時間帯――すなわち深夜に営業するしかないと言うことにもならざるを得ないでしょう。

 電力供給が追いつかないことが確実視される以上、電力需給が逼迫する夏場に向けて製造業や娯楽産業の大幅な夜間労働へのシフトは避けられないことが予想されます。誰もが平日の昼間に働く、全員が一斉に同じ時間帯に活動するというのは、実は贅沢なエネルギーの使い方なのです。足りない電力を行き渡らせるためには、同時に(平日の昼間に)電力を使うのを止めて、交代で(つまり昼夜交代で)電気を使うしか無くなってしまうのであり、それは地球には優しくとも人間には少なからず厳しい結果を招くものと言えます。

 誰1人として清く正しく慎ましい生活を強いられることなく、誰もが豊かさを享受できるような社会を私は理想としますが、有権者の多数は何を望むのでしょうか。石原は原発推進を新たに打ち出したそうですが(どうにも「悪ぶってみた」みたいなノリを感じますが)、リスクを無視して原発推進を訴える人もリスクを無視して原発廃止を訴える人も、要するに原発に拘っているという点では同志であるように思えます。原発で事故が起こればとんでもないことになるのは今さら言うまでもありませんが、逆に原発を停止することで別のリスクを強いられるようでは元も子もないわけです。

 昨今の世論は僅かな被曝にも大騒ぎする一方で、原発や放射線「以外」の要因で次々と死んでいく人のことは気にも留めていない、林業で死亡災害が発生しても平然としている一方で、原発で死亡災害が発生しようものならヒステリックに叫び始める人も多いような気がします。私は原発か原発「以外」かに関わらず危険なものはその危険性に応じて向き合うべきだと思いますが、世間の物差しは「原発か否か」にあるようです。だから原発を廃するために、原発以上に人を害するものを平然と招き入れ、そのことに全く無自覚なまま脱原発という至上命題のために幾多の犠牲を生む愚を犯そうとする人は後を絶たないことでしょう。

 原発推進か廃止かは東京都知事が差配できる範囲を超えているようにも思えるだけに、それを大きく掲げる候補者は夢を語るばかりで喫緊の課題を疎かにするタイプではないかという気がしないでもありませんが、ともあれ電力不足の問題は極めて深刻です。電力不足は人間の生命に直ちに影響を及ぼすものではないように見えるかも知れませんが(熱中症で死ぬ人は確実に増えますよ!)、東日本全域の経済活動並びに社会活動に大きな枷を課すものであり、それは被災地を支援する側の体力をも着実に奪い取っていきます。深夜労働の増加で健康を損なう人も増えることでしょう。原発を推進するか廃止するかではなく、まず電力不足にどう対処するか、これが直近の課題であり、新たな首都のリーダーに突きつけられる試金石です。これを道徳論にすり替えたり東電を罵るだけで済ませたり、あるいは将来の夢を描いて「痛みに耐えよ」と説くような人は、はっきり言って不適格でしょう。脱原発は将来への課題ですが、より速やかに対処すべき喫緊の課題は他にあります。少なくとも不況時に財政再建を掲げるがごときの状況と優先順位を取り違えた主張には、明確にNO!が突きつけられるべきだと言いたいです。

 

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防ぎ得ること

2011-03-27 21:04:29 | ニュース

東電に賠償免責の適用ない 福島第1の補償で官房長官(東京新聞)

 枝野幸男官房長官は25日午後の記者会見で、巨大な自然災害などの場合に電力会社を免責する原子力損害賠償法(原賠法)の例外規定が福島第1原発の事故で東京電力に適用される可能性について「社会状況からありえない」と明言した。

 福島第1原発事故に関わる国による補償は、国と東電の契約の上限の1200億円にとどめ、上限を上回る賠償責任は東電が原則として負うことになる。

 原賠法では「異常に巨大な天災地変または社会的動乱」の場合は、原子力災害に対する東電など原子力事業者の賠償責任を免除し、国が負担する免責条項を定めている。

 政府内には当初、今回の地震と津波は「未曽有の大災害だ」として免責を適用することも検討したが、各地で放射性物質の検出が相次ぎ、東電が賠償責任を免れるのは「国民感情からも受け入れられない」(財務省幹部)と判断した。

 福島の原発で3人ばかりの被曝者が出て世間が大騒ぎしている間にも避難所などでは津波と地震の被災者が続々と倒れているわけで、あまり原発関係のネタばかりを取り上げるのは幾分か心苦しくもあります。まぁ、例えば沖縄の基地問題などもそうなのですが、別に無関心ではなくとも独自の見解を特に持っているわけではない問題というのがありまして、どうしても「ツッコミどころ」の多い問題の方がブログで取り上げる機会は増大しがちです。そういう点では現在の原発ヒステリーはネタにしやすいのですが……取りあえずは書けることを書くだけです、別に聖人君子を気取るつもりもなければ道徳家になるつもりもありません。

 さて、原子力損害賠償法の例外規定を反故にすると枝野が明言しているそうです。労基法26条に定められた休業手当に関しても、どさくさ紛れに例外扱いされそうな時代ですから、そういうこともあるのでしょう。しかるに例外規定を適用しない理由として挙げられたのは「社会状況からありえない」「国民感情からも受け入れられない」だとか。世論に媚びることでは定評のある枝野が権力を握っているだけに、こうした結果は避けられないようです。

 なんだか、東電がJAL化しそうな感じですね。JAL社員のように東電社員もバッシングされ、それを罰することが正義として追求されていくことが予想されます。例によって年齢の高いものからクビが切られる、特定組合所属者を狙った不当解雇の嵐が吹き荒れるのでしょうか。まぁ東電の管轄下で発生した事故は甚大な被害を及ぼすものですが、ただ今後の社会的インフラの整備や安全管理を考える上では、東電に懲罰的措置を取ることが有効かどうかは大いに疑わしいところです。もっとも東電が安全よりもコストを優先するのなら、合理性よりも懲罰感情を優先してきたのが日本国民というもの、たとえ関東地域の電力管理を脅かすことになろうとも、失態を犯した人を罰することを国民は望むでしょう。


「外国人窃盗団」「雨当たれば被曝」被災地、広がるデマ(朝日新聞)

 しかし、被災地では数々のうわさが飛び交っている。「レイプが多発している」「外国人の窃盗団がいる」。仙台市の避難所に支援に来ていた男性(35)は、知人や妻から聞いた。真偽はわからないが、夜の活動はやめ、物資を寝袋に包んで警戒している。「港に来ていた外国人が残っていて悪さをするらしい」。仙台市のタクシー運転手はおびえた表情をみせた。

 流言は「治安悪化」だけではない。「仮設住宅が近くに造られず、置き去りにされる」「電気の復旧は10年後らしい」。震災から1週間後、ライフラインが途絶えて孤立していた石巻市雄勝町では、復興をめぐる根拠のない情報に被災者が不安を募らせた。「もう雄勝では暮らせない」と町を出る人が出始め、14日に2800人いた避難者は19日に1761人に減った。

 健康にかかわる情報も避難者の心を揺さぶる。石巻市の避難所にいる女性3人には18日夜、同じ内容のメールが届いた。福島原発の事故にふれ、「明日もし雨が降ったら絶対雨に当たるな。確実に被曝(ひばく)するから」「政府は混乱を避けまだ公表していないそうです」と記されていた。女性の1人は「避難所のみんなが心配しています」という。


原発から20~30キロ圏内の自主避難呼びかけ 枝野氏(朝日新聞)

 枝野幸男官房長官は25日午前の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所から半径20~30キロ圏内の住民に対して自主的に避難するよう要請した。これまで同圏内は「屋内退避」を指示していたが、枝野氏は「避難を希望する人が増加するとともに、商業・物流に停滞が生じ、社会生活の維持継続が困難となりつつある」と説明した。

 さて混乱に乗じてデマを垂れ流す輩が後を絶たない中、一部地域に自主避難が呼びかけられたことが伝えられています。その理由は「避難を希望する人が増加するとともに、商業・物流に停滞が生じ、社会生活の維持継続が困難となりつつある」からだそうです。根本的な問題となる放射線量に関しては依然として予断を許さないものの特段の変化がない中で「商業・物流に停滞が生じ、社会生活の維持継続が困難」となってしまったために非難を余儀なくされるというわけです。これもまた、放射線への過剰反応が生んだ人災と言えます。

 福島第一原発近隣の自治体には物流事業者はおろか救急車すらも立ち入ろうとしないとのことで、言うなれば実質的に住民が「兵糧攻め」にあっている状況です。放射線量の増大によって非難を迫られるよりも先に、放射能を恐れた人々の過剰反応によって原発周辺の自治体が孤立し、それで社会生活の継続が困難になってしまった――これこそ避けられる事態だったのではないでしょうか。仮に原発周りの状況が悪化して非難を余儀なくされることがあろうとも、社会的に孤立しておらずガソリンなどの物資に不足がなければ避難は余裕を持って行われたはずです。ヒステリーとも言うべき原発への恐れから住民を社会的に孤立させ、避難のために必要な物資すら不足する状態に追い込んだのは東電ではなく、恐怖を煽り立てた人々だということは強く意識されるべきでしょう。

 騒ぎ立てたい奴は勝手に騒げ、怖がりたい奴は勝手に怖がっていろ、そんな考えは改めなければならないようです。煽り立てられ、増幅された恐怖の伝染は時に原発よりも早く被害を撒き散らし、被災者や近隣住民を執拗に追い詰めているのですから。今後は事故を起こさないための安全対策だけではなく、恐怖を煽り立て、社会を混乱に陥れようとする人々への対策もまた複合的に考えられていかねばならないのかも知れません。

 今後、新たに懸念されることは何でしょうか。なにやら水の買い占めが起こったようですが、硬度の高いミネラルウォーターで溶いた粉ミルクはミネラル分が多すぎて乳児の健康を害する恐れがあります。あるいは、一部の自治体で安定ヨウ素剤を配ったところ、住民が勝手に服用してしまったり、独自の判断で要領を大幅に上回る分量を飲んでしまったケースがあるそうです。ヨウ素剤にはアレルギー反応を引き起こすなどの副作用があるだけに、この辺の健康被害も懸念されます。中にはイソジンなどのうがい薬を(要素が含まれているから)飲めば放射能から身を守れると吹聴している人もいたものですが、うがい薬の飲用は健康を害する恐れがあります。まぁ、直ちに影響の出る範囲ではないのかも知れませんが! そうでなくとも、放射線への恐れから独自の民間療法的なものに走って体を悪くする人も出てくるのではないでしょうか。なにやら本末転倒に思えてなりませんが、本気で「放射能さえ防げれば」と考えている人が少なくないように見えるだけに、放射線「以外」の要因からなる健康被害の発生は大いに危惧されるところです。ただでさえ原発が大変な状態になっているのに、パニックから余計な被害を生み出すのは勘弁してもらいたいですね。

 

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私は「我欲」を取り戻したい

2011-03-25 23:49:07 | 編集雑記・小ネタ

 色々な面で衰えを感じる昨今でもあります。サッカーや野球を見れば、自分よりも年下の選手が年齢から来る衰えを指摘されることが普通になって久しいですが、肉体的な衰えもさることながら精神的な衰えも顕著で、とりわけ「我欲」が無くなってきた気がします。石原慎太郎は「日本人は我欲にまみれている」と主張し、石原に反感を抱く層でも少なからぬ人が「おまえ(石原)こそ我欲にまみれている」と、競って「我欲」を否定しているだけに、この我欲の衰えは石原の支持層だけではなく反対の双方からも好ましいことと受け止められるものなのかも知れません。しかし私には、昔の自分が持っていた「我欲」が懐かしく思えます。

 石原を支持している人も否定している人も「我欲は良くない」という点では意見が一致しているケースが多いようです。誰を「我欲」の持ち主と見なすかでは若干のズレがあるにせよ、他人の「欲」を抑えつけたがるという点では同志と言うべきでしょう。だから金銭なり利権なりを手にし、個人的に「得」をしている人が罵倒される一方で、逆に自らの報酬をカットしては他人にも同様の振る舞いを求める、禁欲を広めようとする人は幅広く支持を集めたりするわけです。金が欲しい、良い思いをしたいという「我欲」は否定の対象であり、そうした欲望を抑えつけようとする人が待望されていると言えます。企業経営にしてすら同様、売上を落としつつも人件費を中心としたコストカットで利益を積み増すような経営が珍しくないわけですが、これは要するに儲けたいという欲を捨てて、代わりに従業員の「楽をしたい、もっと給料が欲しい」という欲望を抑えることの方に注力した結果でもあるのでしょう。

 他人のことはさておき、自分に関して言えば急速に欲が衰えているように感じるわけです。かつては「あれもしたい、これもしたい、あれが欲しい、これが欲しい」と、もっと色々なものに対して貪欲だったのに、今や何事も簡単に諦めが付くようになってしまいました。以前であれば電車に乗っている時間が惜しかった、早く帰って(目的地について)あれをしたい、これがしたいという欲望が無尽蔵に湧いてきて、長距離通勤なんてとても我慢できなかったものです。それが昨今では「まぁいいか」と移動に費やす長い時間が特に惜しいとも思えなくなってきました。サラリーマン生活を送る上では順応したと言えないこともありませんが、これが自分には純然たる衰えと感じられてならないのです。

 このところは少し落ち着いてきましたけれど、電力不足の影響で列車の本数が大幅に減らされた当初は、かろうじて乗車するのが精一杯という有様、電車の中で本を読むだけのスペースを確保することなど望むべくもありませんでした。今までは読書に充てていた電車に乗っている時間が、ひたすら圧迫されるだけの時間に変わってしまったわけです。以前であれば本が読めなくなることには大いにストレスを感じていたはずですが、しかるに今や「まぁしょうがないか」とすんなり諦めてしまっている自分がいるわけです。かつての自分はもっと知識に貪欲で、本を読む時間が削られることなど絶対に我慢できなかったのに、こうも簡単に諦めが付いてしまう現在の自分に少なからず失望を感じてもいます。

 何かを「したい」という気持ちが湧き上がってくることが少なくなり、代わりに何も「したくない」という気持ちばかりが勝るようになりました。「あれもやりたい、これもやりたい」という欲望に駆り立てられていた自分はいったいどこに行ってしまったのか、自分の創作欲や表現欲はいつの間に消え失せてしまったのか、結局は何をやるのも面倒になって足が止まってしまい、自分の「欲」が満たされなくとも気にならなくなってしまう、それが堪らなく嫌です。上でも書いたように、日常生活を送る上では今の方が適応できているのかも知れません。毎日仕事に出かけて、帰って寝るだけの日々でも取り立てて不満を感じることが無くなりましたから。他にやりたいと欲することが無くなれば、仕事だけの日々にも不満は感じなくなります。それでもやはり、かつての貪欲さを思うと、ふと物憂い気分になります。

 

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人災は確実に広まっているようです

2011-03-23 23:39:39 | ニュース

「安全なのになぜキャンセル」牛乳生産者落胆(読売新聞)

 福島県川俣町でサンプル調査された牛乳の検体から、食品衛生法の暫定規制値を超える放射線量が計測された問題で、牛乳を原料として使う企業にも影響が出てきた。

 川俣町から約20キロ離れた同町とは別の自治体内にある食品加工会社には、19日の政府の記者会見で問題が発表された後、注文のキャンセルの連絡が入った。

 会社は乳製品の生菓子を仲介商社を通して大手企業に納入しており、この日の正午に22日以降分の注文が入ったばかりだった。これにはファクスで、「製品に使用している全ての乳製品原材料(生クリーム、牛乳、バター)は、この度の震災原発事故発生前に、乳業メーカーにて製造加工されたものです」と安全性を訴えたが、受け入れられなかった。

 さて、天災の発生は防ぐことができませんが、人災の方はどうでしょうか。不要不急の物資の買い占めやデマの横行に加え、先日も取り上げたように福島から来たというだけで宿泊を拒否されたりするなど風評被害的なものも確実に広まっています。そして上で取り上げたようなケース、事故発生前に製造加工された原材料までもが、とばっちりを食らうような形でキャンセルされてしまったそうです。そもそも現状の規模の放射線量であれば、食品添加物や過剰なカロリーや食塩摂取の方を気にした方が長生きできるように思えるのですが。

 放射線自体は好ましいものではないにせよ、放射線「だけ」が有害というわけではありません。天然の食材にも人を死に至らしめる毒性があったり発がん性があったりするものですし、慣れ親しんだタバコやアルコールの害は言うまでもないわけです。集合住宅の受水槽の内側を覗いてみれば、100ベクレル程度の放射線などよりも遙かに体に悪そうなものを見ることができるでしょう。まぁ、日常生活の中には自覚せずとも危険は潜んでいる、テロで殺される可能性は極限まで低くとも、普通の季節性インフルエンザで死んだり車にはねられて死んだり労災で死んだり、あまり意識されないところでこそ毎日のように人が死んでいます。放射線量が増えれば日常生活に潜むリスクは僅かながら増えるのかも知れませんが、もっと危険なものは他にいくらでもあるはずです。


<東日本大震災>ホウレンソウ出荷停止 風評被害、売れぬ野菜 他県産、対象品以外も(毎日新聞)

 食品衛生法上の暫定基準を上回る放射性物質が野菜や牛乳から検出された問題で、政府が出荷停止を指示した福島、茨城など4県の対象農産物以外についても、流通業者の間で販売を見合わせる動きが広がり始めた。農林水産省は関連業界に冷静な対応を求めているが、消費者や小売業者の過剰反応を静めるには時間がかかりそうだ。

 ◇卸業者へ返品相次ぐ

 農水省は週明けの青果取引が始まった22日朝、全国122カ所の主要な卸売市場の卸業者136社に電話で聞き取り調査をした。その結果、出荷停止となった福島、茨城、栃木、群馬4県のホウレンソウ、カキナ以外でも、同地域のレタスやチンゲンサイが小売業者から返品されるなどのケースが4割程度あった。4県以外のホウレンソウでも、買い手がつかない例が1割程度あったという。

 首都圏の青果物卸最大手の東京青果(東京都大田区)では、出荷停止対象の野菜だけでなく、4県産のレタス、チンゲンサイ、ニラのほか、他県産のホウレンソウも小売り側から一部返品を求められた。同社のホウレンソウの取扱量は通常の約4分の1に激減。同社担当者は「風評被害の影響で、小売店では安くしても売れないようだ。返品は受けないことになっているが、この状況下で断りきるのは難しい」と話す。

 JA全農とちぎによると、生産量日本一を誇る栃木県産イチゴの22日の市場価格も1パック220円と、17日の270円から約2割安となった。上三川町の農業、野沢一夫さん(61)は「病気なら農薬を散布すれば治るが、今回は原発問題が収まらないと」とあきらめ顔。JA栃木中央会の高橋勝泰専務理事は「風評被害の補償も求めていきたい」と話す。

 そういえば、いつぞやのダイオキシン騒動の際もホウレンソウが槍玉に挙げられていたのを思い出しました。ホウレンソウは何かしら指標に使われやすい性質があるのでしょうか。まぁ基準値を超える放射線量が検出されたというのなら、ホウレンソウの出荷自体は致し方ないのかも知れません。しかるに、茨城県産のレタスやチンゲンサイまで返品されてしまう始末とのこと。おそらく今後は千葉や埼玉など4県「以外」で生産された葉物野菜にも風評被害は広まっていくことが予想されます。取りあえず放射線測定器は個人でも購入できますので「政府や東電が情報を隠している! 本当はもっと放射能で汚染されているに違いない!」と吹聴して回っている人は、実際に自分で計ってみたらどうですかね?

 かつてO157の集団感染が発生したとき、「容疑者」として名指しされたのがカイワレ大根でした。果たして本当にカイワレが感染経路であったのかは大いに疑わしいところですし、仮にそうであったとしても不十分な洗浄により食中毒菌が「付着」してしまっただけの話であって、別にカイワレがO157を発生させていたわけではありません。しかし、瞬く間にカイワレは市場から姿を消しました。当時の厚労省であった菅直人がメディアの前でカイワレを一気食いするという薄ら寒いパフォーマンスも虚しく、カイワレは完全に消費者から敬遠される存在となってしまったのです。カイワレ生産者の廃業も相次ぎ、中には自殺者まで出たと噂されていますが、今回名指しされた4県の農家はどうなるのか、あるいは近隣でホウレンソウなど葉物野菜を生産している農家はどうなってしまうのでしょうか。

 何かしら目新しいものは国民の恐怖を駆り立てます。従来の季節性インフルエンザで死ぬ人なんて珍しくもなく、取り立てて世間を騒がすものではない一方で、それが新型インフルエンザとなるや大パニックです。とりわけ死亡災害の多い世界である林業で人が死んでも世間は一顧だにしないわけですが、原発の作業中に誰かが死亡すれば、それこそ上を下への大騒ぎが始まるであろうことは想像に難くありません。日頃は不健康な習慣を続けていながら放射線に「だけ」は敏感になっている人も多いことでしょう。喫煙やアルコール摂取で高まる発がんの可能性には無頓着でも放射線には大騒ぎ、農薬は「摂取しても問題がない範囲」と納得できても放射線は微量でも絶対ダメ、と。そうして4県や近隣の野菜類は市場から敬遠され、人災が広まっていくことになりそうです。

 

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何が深刻かって

2011-03-21 23:11:25 | ニュース

「国が責任持て」屋内退避対象地の市長が訴え(読売新聞)

 福島第一原発の相次ぐ緊急事態で、市のほとんどが屋内退避の対象となった福島県南相馬市の桜井 勝延 ( かつのぶ ) 市長(55)は16日午前、電話取材に応じた。

 災害対策の陣頭指揮を執る市長が泊まり込む市役所も屋内退避の対象となった。「4号機からの出火もテレビを見て初めて知った。こんな状況では、まったく対応できない。国がしっかり責任を持って支えて」と語気を強めた。

 市内の一部は原発から20キロの避難指示の範囲に入っていたが、追い打ちをかけるように屋内退避に。「福島市から南相馬市に向かう県道が30キロ圏内になって、事実上の通行止め状態。物資を送ってくれる支援者からの物資が市まで到達しないので、中間地の川俣町まで職員が取りに行くのが現状だ」といらだちを抑えながら語った。

 第一原発で極めて高い放射線量が観測されたが、桜井市長は「市内でもモニタリングしているが、実際は毎時3、4マイクロ・シーベルト。報道も大げさに受け止められている部分もあり、周囲から汚染地域のような扱いを受けている」と嘆いた。

 放射線による直接的な被害が何かと取り沙汰される一方で、それによって巻き起こされた混乱から来る間接的な被害の方が、むしろ深刻化しているのではないでしょうか。とかく未知のもの、日頃は身近に感じていないものに対する恐怖というものは過剰に受け止められやすいもので、放射線の影響もまた必要以上に大きく恐れられているように思います。この辺は遺伝子組み換え技術なんかと似たようなところがあって、野生の動植物の持つ毒性や発がん性には無頓着でも、遺伝子組み換え技術を用いた農作物は実質的に無視しうるレベルの危険性に対してすら徹底した排除に走るような傾向は随所に見られるわけです。放射線に対する反応も然り、タバコの煙を吐き散らしながら放射線に対してヒステリックになっているような人も少なからずいる気がします。タバコの毒性や発がん性は気にしないのに放射線は微量でも絶対ダメと大騒ぎしているとしたら、何とも良いお笑いです。


原発から少しでも遠く…11人、車中泊重ね佐世保へ避難(朝日新聞)

 東日本大震災から1週間たった18日、大事故があった東京電力福島第一原発に近い福島県南相馬市で被災した農業日下邦弘さん(67)と家族ら11人が佐世保市の市営住宅に入居した。「少しでも原発から遠くへ」。車中泊を重ねて西へ1400キロ、親類を頼って佐世保に逃れてきた。市役所で記者会見した日下さんは「原発事故のあった土地に戻れるのだろうか」と言葉を詰まらせた。

(中略)

 「必ず爆発する」。息子らに促され、日下さんらは車4台に分乗して市外へ逃れた。12日には原発の水素爆発に伴って自宅を含む半径20キロ以内への避難指示が出たと知った。もっと西へ逃げようと決めた。

 目指したのが、日下さんの妹夫婦の住む本土西端の佐世保だった。「長崎県は被爆地だから、放射能を巡る災害にもきっと理解があるはずだ」とも考えた。公共施設や親類宅、車中での寝泊まりを重ねて16日夜、佐世保へたどり着いた。いったん妹夫婦宅へ身を寄せた後、17日に市役所へ相談に出向き、翌18日、被災者の入居第一号となった。

 ちなみに放射能というのは放射線を発する能力のことです。放射線と放射能を混同している人が散見されますが、そういう人は何の知識も持とうとしないまま煽られるがままにヒステリーを起こしているだけ、さらに言うならお祭りに参加しているだけなので、取りあえず無視するのが吉でしょう。そして「少しでも原発から遠くへ」と称して福島は南相馬市から長崎まで逃れてきた人がいるそうです。体を張って笑いを取っているように見えなくもありません。まぁ本人は大真面目なのかも知れませんが、こういう人に必要なのは転居先ではなく「落ち着き」や「冷静さ」の類であるように思います。本当に被害が出るとしたら、今後の風評被害(汚染地域扱い)によって畑で採れたものが売れなくなることでしょうし。

 「W杯に出られなかったことが人生における悲劇とでもいうんですか?人が死んだわけじゃない。悲劇という言葉を簡単に使わないように」と、旧ユーゴ出身であるイビチャ・オシムは言いました(参考)。この農業日下邦弘さん(67)は「長崎県は被爆地だから、放射能を巡る災害にもきっと理解があるはずだ」などと述べていますが、長崎の人から見たらどうなのでしょうね? 本物の戦争経験者であるオシムは、悲劇という言葉が軽々しく使われることに眉を顰めました。本物の被曝経験地である長崎にしてみれば、被曝というものを軽々しくヒステリックに扱う人に苛立ちを感じるのではないかという気がします。少なくとも今の福島の状況と長崎の原爆を同列に語るのは実際に被曝した人に失礼です。


福島からの被災者、宿泊拒否しないで 厚労省呼びかけ(朝日新聞)

 厚生労働省は19日、福島第一原発の事故で県外に避難した被災者が旅館やホテルなどに宿泊を断られるなどの問題が起きているとして、都道府県や業界団体への通知で、業者に過剰反応をしないよう指導することを依頼した。

 厚労省は、避難指示に応じて避難した人の被曝(ひばく)線量は極めて限られていて、宿泊を受け入れても問題ないとしている。同省には18日、匿名の男性から「福島から来たといったら宿泊を断られた」と電話があった。これまでに都道府県なども含め、数件の問い合わせがきているという。

 枝野幸男官房長官は19日の記者会見で、「(原発)周辺地域の皆さんの受け入れはまったくリスクはない。風評に惑わされず、安心して受け入れをお願いしたい」と呼びかけた。

 で、こういうこともあったそうです。あたかも被曝と伝染病か何かを勘違いしているかのようです。なにやらハンセン病の元患者の宿泊を拒否したホテルがあったことを思い出させます。いずれにせよ、合理的な必要性に基づいてではなく、無理解と偏見からなる嫌悪感に基づいた宿泊拒否が行われているわけです。ハンセン病の元患者の宿泊を拒んだホテルは営業停止処分を受けて後に廃業することとなりましたが、今回のホテルに対して国や自治体はどういった行動を取るのでしょうか。当然のことながら旅館業法違反に当たりますし、単に福島から来たというだけで被曝者扱いし、かつ被曝者を差別対象として扱おうとするのなら、それは人権侵害でもあります。枝野は「安心して受け入れをお願いしたい」などと暢気なことを口にしていますが、もっと深刻な問題として扱われるべきでしょう。

 

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1週間あまりが経ちました

2011-03-19 23:11:05 | 編集雑記・小ネタ

 震災から一週間余りが経過しました。東京周辺でも相変わらず騒いでいる人は騒いでいる感じで、特定商品の買い占めも続いています。電池やカセットコンロなんかも買い占めの対象になっているだけに、それを転売して儲けようとamazonや楽天、その他オークションの類にとんでもない価格で出品する人も若干いるようです(電池はともかくカセットコンロは別に必要ないと思いますけれど)。まぁ都心部以外は現実問題として連日の停電が待っているわけですから、「支援すべき側」である首都圏の沈静化にはもう少し時間が掛かるのかも知れません。

 さて、こういう大災害の際には自衛隊が災害救助活動に駆り出されるわけで、その活躍が自衛隊を賛美したい人の心に火を付けている部分も少なくなさそうです。もっとも自衛隊が武装集団ではなく災害救助や復興支援に特化した専門集団であったなら、より多くの成果を上げられた、被災をより最小限に抑えられた気がしないでもありません。軍事行為へのリソースの配分を止めて、レスキュー活動のために全ての力を注げるようであったなら、もっと大きな「活躍」が見込めたことでしょう。

 とはいえ自衛隊は暴力装置であってレスキュー隊ではなかったからこそ、現在の規模が維持できていたのであろうなとも思います。何しろ今回の規模の災害は、それこそ数百年に一度でも来るか来ないかというレベルの規模です。この規模の災害に備えた組織を作るとなると、「役に立つ機会が来る可能性は極めて低い」「実際に役に立つかどうか検証できない」「膨大な予算が必要になる」「できあがるまでが遠大に過ぎる」等々の理由から「ムダ」と判定され、仕分けの対象とされてしまうのがオチでしょう。国民や短絡的な政治家から「ムダ」呼ばわりされずに、10万人規模の人員を災害救助のために派遣できる組織を維持するためには、国民の大好きな軍隊の衣を被せるしかなかった、そうしないと理解は得られなかったのではないかという気もします。

 東京電力の原発建設に関する姿勢もまた、少なからず仕分け人的なところがあったのかも知れません。つまり、数百年に一度でも来るか来ないかというレベルの災害までは想定していなかった、そのレベルの災害への備えは「ムダ」と切り捨ててきたと言えそうです。そして結果は、ごらんの有様です。今回のような規模の地震と津波が押し寄せる確率の低さから考えれば、10年に一度クラスの天災への備えに止めていたであろう東電の判断は吉と出る確率の方が高かったようにも思いますが、結局はギャンブルに負けたわけです。

 ちなみに福島の原発の状況をスリーマイルではなくチェルノブイリに喩えるのは、ちょっと不謹慎な気がしますね。福島の状況も相当に深刻ですけれど、チェルノブイリの原発事故は完全に別次元ですから。福島の原発を見て「チェルノブイリになるぞー」と騒ぎ立てるのは、安全な首都圏にいるくせに物資の買いだめに走っている人のノリと似ているように感じます。首都圏の地震被害も福島の原発も相応の深刻さはありますけれど、明らかに別次元の被害を被っている人や地域と同じように振る舞うのは、それこそ傲慢さというものでしょう。

 日本中が萎縮すべきだと私は思いませんが、厄介なのは東北と首都圏の電力が賄いきれなくなっていることです。一部には省エネに協力的でない企業や店舗、組織もありそうですが、ともあれ都心に住んでいる人「以外」は否応なく計画停電に巻き込まれるわけで、こうなると電力消費を増やしそうな事柄には一層の自粛圧力が加わります。関西で選抜をやるのは別に構わないけれど、東電の管内でナイターをやるのはどうかとか、そういう考えも当然ながら出てくるでしょう。まぁドーム球場は昼でも夜でも同等の電力を消費する代物だったりするわけですが、とにかくどこかで電力を使えば、その分だけどこかで不足する、これは何かと厄介な状況です。

 あまり混乱を広げずに電力を融通するにはどうしたらいいのでしょうか? 例えば首都圏の企業に、2週に1日程度でも強制的に休業日を設けさせるなどすれば、電力消費を抑えつつ、かつ通勤客を減らすことで電車の本数も抑えられそうです。この場合に大事なのは「強制」することですね。個々の企業や個人の判断に任せようものなら「無理してでも出社しろ」と迫る雇用主が少なくないですし、出社を控えるのは従業員個人の自己責任になりがちですから。しかし昨今の政府与党は企業に口出ししたくない、企業が自由に振る舞えるよう便宜を図ることを経済政策とはき違えている連中で占められているだけに……

 要はピーク時の電力消費を抑えればいい、という考え方もあります。ピーク時の電力消費を抑え、電力供給に余裕がある時間へ活動をシフトさせればいいわけです。では電力供給に余裕がある時間帯というと――言うまでもなく深夜です。昼間の操業を止めて、夜間に仕事をさせれば電力需給を逼迫させることなく企業活動を続けられます。実際こうした傾向は震災前からも見られるようで、電力会社としては電力供給に余裕のある時間帯に電気を使わせるべく特定時間帯の電気代を安くする、工場なんかは電気代の安い時間に機械を動かそうとする、結果として他の人間があまり働いていない時間帯に従業員を働かせようとするところがあると聞きます。電力消費の面では、それが正しい、省エネに貢献する行為であって地球にも優しいとすら言えますが、ただ必ずしも人間に優しいものではないですよね。しかるに郊外の工場などでは計画停電もあって日中の操業が困難なところが増えるのは確実、それに合わせて電力不安のない時間帯すなわち深夜の操業へとシフトが加速する可能性は少なからずありそうです。

 

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ポピュリズムの勝利と敗北

2011-03-17 23:29:20 | ニュース

 生命を脅かされるような危機とは無縁の首都圏では、食料品を中心に生活物資の買いだめ行為が相次ぎ、小売店では品不足が続いています。利用機会に乏しいせいで意識していませんでしたが、普段は車に乗らない人まで挙って給油に押しかけたせいでガソリンも不足しているとか。場合によっては、この買い占め行為によって被災地に十分な物資が回らなくなる恐れもあるそうです。むしろ私にとって苛立たしく思えるのは石原の今さらながらの暴言なんかよりも、安全なところにいるくせにサバイバル気分でテンションを高くしている人々です。素人が積極的な支援活動に参加しなくとも結構ですが、せめて足を引っ張るような行為は慎むべきでしょう。支援する側に回らねばならない首都圏で混乱が続いたら元も子もありません。


名古屋市議選、民主惨敗11議席のみ 27議席から減(朝日新聞)

 出直し名古屋市議選で民主党が解散前の27を大きく下回る11議席。

 議席数が確定し、減税28、自19、公12、民11、共5、み0。


減税日本、過半数に届かず 第1党に躍進 名古屋市議選(朝日新聞)

 名古屋市議会解散に伴う出直し市議選(定数75)が13日投開票された。河村たかし市長が代表の地域政党「減税日本」(解散前1議席)は目標の過半数に届かなかったものの、第1党に躍進した。最大会派だった民主党(解散前27)は大幅に減らして惨敗。地域政党が躍進を狙う4月の統一地方選にも影響を与えそうだ。

 今回の市議選で減税日本は過半数の議席確保を目標に、新顔40、前職1の計41人を擁立。河村氏は「前職に入れたら市議会を解散させた意味がない」と訴え、得票を伸ばした。民主党は菅政権の支持率低迷に加え、終盤には菅首相の政治資金問題も発覚して苦戦を強いられた。

 自民党(解散前23)は議席を減らしたが第2党は維持し、公明党(同14)は公認した12人が全員当選した。共産党(同8)は16人を擁立したが議席を減らし、みんなの党(同0)は8人を立てたが、初の議席獲得はならなかった。投票率は43.96%(前回39.97%)。

 さて大震災の影に隠れた形となってしまいましたが、名古屋市議選が行われました。「減税日本」が過半数に届かないながらも最大の議席を獲得したそうです。単独過半数ではないということですので、「野党」が連立を組むのか、それとも減税日本とどこかの党が手を組むのか、日本の将来を占う上では重要な転換点にあるように思えます。民主、自民、公明、社民が手を組む反共大連合みたいな形は地方選挙では稀に見られますし、そうでなくとも民主と自民は地方行政では黄金コンビでもありますが、ここで反河村大連合はあるのでしょうか。橋下のようなポピュリストに秋波を送る動きは民主にも自民にもあったわけですけれど、直近で争ったばかりとあっては民主、自民ともに党の主流派が河村と連携するのは難しそうです。しかし人気者を敵に回せば支持者は離れるばかり、民主など既成政党の議員が河村一派に「降伏」する可能性も考えられます。

 さらに注目すべきは、自民は微減なのに民主は議席を激減させたということです。市長選の段階でも触れたことですが、民主党支持層は無党派層よりも熱心に、(民主党候補を差し置いて)河村たかしを支持する傾向が見られました。民主党支持層の理想に近いのは、現役の民主党議員よりも河村の方であったようです。民主党支持層は他党の支持層以上に、そして無党派層以上にポピュリズムに流されやすいとなれば、民主党議員は厳しい決断を迫られることになりそうです。まぁ、東京都議会でそうであるように、選挙時だけは野党面をして主張と戦うフリをしつつ、選挙が終われば団連立の一因として主張を支える、こういうシノギでも実績のある党ですから意外としぶとく生き延びていくのかも知れませんが。

 もう一つのポイントは、みんなの党が1議席たりとも獲得できなかったことです。一時は候補者さえ擁立できれば当選確実、衆院選では圧倒的な強さを見せたみんなの党ですが、全滅という見るも無惨な結果に終わりました。この惨敗ぶりは、同じ衆院選において無様な玉砕ぶりを披露した日本創新党や新党改革を思わせます(覚えてますか?)。結局、ポピュリズムは日本の有権者の心をとらえて放さないけれど、しかし二番煎じとなった時点で速やかに見捨てられるということです。ポピュリズムの旗手が絶大な支持を集める一方で、ポピュリズムの二番手以降は省みられない、それが日本の投票傾向と言えます。

 先の衆院選後には、(共産党などの左派政党は)みんなの党の成功に学ぶべき、ポピュリズムをバカにするなみたいな論調も散見されましたけれど、その手の主張を真顔で展開できるのは日本創新党や新党改革の「失敗」から学べていないがゆえでしょう。ポピュリズムの二番煎じは破滅への道なのです。奇しくも河村たかしに減税日本という、よりポピュリズムに傾斜した対立候補が現れた途端、かつてポピュリズムで一世を風靡したはずのみんなの党は名古屋から駆逐されてしまったわけです。まぁ共産党には心配していませんが、左派政党の未来を考える人は、こうしたポピュリズム政党の「失敗」からも学ぶ必要があると思いますね。

 

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往々にして天罰とは無辜の民を巻き込むものだけれど

2011-03-15 23:42:02 | ニュース

 さて東京周辺の被害は軽微であって、本来なら速やかに支援する側へ回るべきものと思われるのですが、どうにも震災当日より事態が悪化している部分も少なくないようです。東電の「実施してみなければどこが該当区域かわからない」という「計画」停電の杜撰さも混乱に余計な拍車をかけた一因ですし、加えて石橋を叩いて叩いて叩き続けるが如きJRのおかげで月曜日は「乗務員が出勤できない」ために私鉄や地下鉄の運行にまで支障が出る始末、いかに安全重視と言っても取り立てて地震を原因とする事故が起こっているわけでもない状況でこの対応は、少々バランスを欠いているような気がします。東京周辺など被災地ではない安全なところにいる住民の第一の責務は余計な混乱を広げないことにあるはずですが、相変わらずデマが飛び交ったり食料品などの買い占めが続く等々、必要以上に不安が煽られているところもあるでしょう。


松沢氏、東京都知事選の立候補を撤回(朝日新聞)

 東京都知事選に立候補を表明している松沢成文・神奈川県知事(52)は14日、都庁で会見を開き、出馬を撤回すると発表した。松沢氏は、引退の意向だった石原慎太郎都知事(78)の後継含みとされていたが、石原氏が4選出馬を決めたことで引いた形だ。

 会見には、石原氏と上田清司・埼玉県知事(62)も同席。冒頭、上田氏は首都圏の知事同士の争いを避けるため、石原、松沢両氏の調整を進めたと説明。松沢氏は「苦渋の決断だが、受け入れることにした」と述べた。

 首都圏連合の強化や受動喫煙防止条例制定など、松沢氏の公約は石原氏が引き継ぐという。松沢氏は「石原知事から協力してほしいと言われた。一歩下がって全面的に協力する」と話した。神奈川県知事選に立候補することは「できないと思う」と否定した。

 さて、それどころではない震災の影響で脇に追いやられた感もありますが、石原が東京都知事選に出馬を表明しました。それを受けて、石原路線の正当な後継者であった松沢が立候補を撤回したそうです。形式的には無所属を装ってきたとはいえ民主党出身の松沢が石原都政を継ぐとしたら、それはそれで長年にわたって石原都政を支えてきた民主党の行動からすればある意味で妥当な結果に思えないでもありませんでしたが、結果はこのようなことになったわけです。まぁ政策的に根本的な対立のない者同士が啀み合うとしたら、それこそ停滞する国政の再現です。もっともダメな連中同士がつぶし合ってくれた方が好ましかったような気もしますが――当面は推移を見守るほかありません。


「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事(朝日新聞)

 石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。

 発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

 石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している。

 さて、次期都知事最有力候補はこのように宣っているそうです。まぁ、この人の暴言はいつものことであって今さら驚くには値しません。ただ暴言をものともせず、石原に投票した人が東京の有権者の間で多数を占めているだけのことです。石原の暴言に憤る人は元から石原に投票する気などない人々であって、その反発が強まろうと票の数には影響がない、それが実態なのでしょう。自分に票を投じる人たちの怒りさえ買わなければ票は減らないわけです。枝野が「悪しき隣人」と罵った国ですら、この未曾有の大災害を前に神妙さと同情を示す中で、日本の首都で選び抜かれた行政の長はこの有様、日本に反省すべき点があるとしたら、こういう人の当選を許してしまうところであるように思います。

 日本人のアイデンティティーが「我欲」であるかどうかにも、大いに疑問があります。むしろ私には「禁欲」こそ日本のアイデンティティーであるような気がします。そしてこの「禁欲」は自らにではなく、隣人へと課してきたものであるように思われるのです。つまり誰もが抱くはずの自然な欲望を抑え込む、そして私欲を捨てて「公」のために尽くせと迫るのが日本のアイデンティティではないでしょうか。楽をしたい、自分の権利を守りたい、そういう隣人の「欲」を徹底的に否定してきたのが日本社会だったはずです。楽をしたいと願う従業員や職員もしくは同僚を悪罵し、自らの権利を守ろうとする人を既得権益と呼んで社会の敵に仕立て上げてきた、それが日本の姿であって、決して「我欲」とやらにまみれたものではなかった、反対に隣人の抱く「我欲」に対して異常なほど不寛容であり、隣人に対して無欲であることを強要してきたのが我々の社会であるように思います。これを「日本人の心のあか」と呼ぶことは可能かも知れませんが、それは断じて一部地域の人が被災することで洗い落とされるようなものではありません!

 

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イデオロギー主導

2011-03-13 23:40:42 | ニュース

 なんだかまだ体調が悪くて目眩がする、というより微熱が出てきたのですが、被災地からは遠いところにいる人間がへこたれていてもしょうがないので、普通に記事を書くことにします。というより、金曜日に掲載するつもりで下書きしておいた記事ではあるのですが……


自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ(共同通信)

 自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。これを基に議論を進め、05年に策定した改憲草案に修正を加えて、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される5月までの成案取りまとめを目指す。

 参院選を視野に、離反した保守層を呼び戻す狙いとみられる。ただ05年草案も徴兵制には踏み込んでおらず、「右派」色を強めたと受け取られる可能性もある。今後党内外で論議を呼ぶのは必至だ。

 大島理森幹事長は4日夜に「論点は他の民主主義国家の現状を整理したにすぎない。わが党が徴兵制を検討することはない」と火消しを図るコメントを発表した。

 論点では「国民の義務」の項目で、ドイツなどで憲法に国民の兵役義務が定められていると指摘した上で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、さらに詰めた検討を行う必要がある」と記述。

 ネット上で軍事について「詳しいフリ」をしている人の決まり文句として、高度に専門化された近代の軍隊においては徴兵で集められた人員は役に立たない=だから徴兵はない、とするものがあります。ただその辺は、徴兵という行為が何を目的にしているかを理解できていないがゆえの強弁でしかありません(軍事に限らず、経済、科学技術等々ネット上で専門家を装っている連中のいうことほどアテにならないものはないです)。もちろん兵隊の「頭数」を確保することを目的とした徴兵が主流を占めた時代もあったのかも知れませんが、それは徴兵の一側面でしかない、むしろ現代における徴兵の持つ意味合いはもっと別のところにあるはずです。

 たとえばほら、社員の研修先として自衛隊は大人気です。研修と称して従業員を自衛隊に送り込む企業は増加の一途、そうでなくとも「若者を自衛隊に叩き込め」といった類の主張は定期的に持ち上げられています。なぜでしょうか? 武器を手に戦う能力を持たせ、「敵が襲って来ても守れます」みたいな社員を育てたいのでしょうか。でも「当社には襲ってくるような輩はいません」というのが普通の会社ですし、それに人に危害を加えるのは犯罪ですよね? 雇用主や研修屋は社員を自衛隊に送り込んで、あるいは道徳屋は若者を自衛隊に送り込んで、いったい何を得させたいのでしょう。

 結局、日本社会における自衛隊は武道に近い、戦闘能力よりも精神修養的な側面を強く期待される組織として位置づけられているわけです。そして軍隊的な精神を身につけることを期待して、社員や社会不適合者を自衛隊に送り込みたがる連中がいると言えます。つまり日本における自衛隊とは教え導くもの、謂わば教師であり聖職者なのでしょう。このような社会における「徴兵」という制度が意味するのは、軍人(サムライ?)の心を教える新たな義務教育の誕生であって、それは戦闘要員の確保ではなく、もっと別の思惑を以て導入されるものなのです。

 そこで「保守」の名の下、保守本流路線に背を向けて「真性保守」路線を突き進む自民党のプランはどう見るべきでしょうか? 表だって「徴兵」を掲げるつもりはなさそうですが、その一方で改憲草案には兵役義務も視野に含まれているようです。徴兵で烏合の衆を集めても自衛隊の「戦力」が増すかどうかは疑わしいところですが、国民に兵役の「義務」を課すことで、国民に軍人的な精神を身につけさせたい、国家統合のプロセスの一環として兵役を組み込みたい、軍隊に国民や若者を「しつけ」して欲しい――軍事の合理性ではなく、あくまでイデオロギー的な側面からの徴兵を夢見ている人は、現に議席を有している人の中にも少なからず存在しています。


パソナ、新卒200人雇用し就農支援(読売新聞)

 人材派遣大手のパソナグループは7日、大学・短大を卒業後3年以内の若者200人を雇用し、農家としての独立を促す事業を今年4月から始めることを明らかにした。

 民間企業による就農支援では最大規模となる。農業就業人口の減少が続く中で、農業に興味を持つ若者に就職先を提供し、農業の活性化にもつなげたい考えだ。

 淡路島(兵庫県淡路市)の農場(約10ヘクタール)で、地元の若手農家らが、野菜の栽培や加工、販売のノウハウなどを教える。雇用期間(1~2年間)中は月給約10万円を支給し、寮も用意する。近く東京、大阪で説明会を開く。雇用期間中は、ビジネスマナーなども教え、社会人としての適応力を高めてもらう。希望者には、雇用期間終了後、新たな働き先となる大規模農家の紹介なども行う予定だ。

 さて日本には「徴兵」と並んで「徴農」の思想があります。就職できない若者や職にあぶれた失業者などを農業に送り込めと言い放つ手合いには事欠きません。そうでなくとも農業で働く人が増えて欲しいと思っている人は少なくないはずです。こうした「国民の声」に応えて実践に踏み切った一例が、今回のパソナと言うべきでしょうか。そしてこれは徴兵の場合と同様に、日本では合理性よりもイデオロギーが先行することを端的に示しているようにも思われます。

 例えば先進国であると同時に農業大国でもある国としてフランスやアメリカ、オーストラリアなどが挙げられますが、いずれの国も第一次産業で働く人の割合は日本よりも少ないのです。農業生産を増やすと同時に、農業従事者を減らしてきた、それが農業先進国の姿と言えます。農家を増やすのではなく、農業の高度化に対応できる農家を絞り込む、農業大国はそうやって今に至るわけです。しかるに日本は、いつまで経っても農家を保護するのが農業を保護するのかすら決められないでいます。挙げ句の果てには就職できずに行き場のない人間を集め、薄給で農場に送り込もうというプランが出てくる始末、経済全体がそうであるように、農業分野でも日本はガラパゴス化の度合いを深めるばかり、相変わらず目指している未来が違うようです。

 農業生産の効率を考えるなら、若返りはともかく農業従事者の「数」は減らすべき、より集約化を進めるべきなのに対し、他に就職先がないから仕方なく農業をやる――そういう人を農場に送り込もうとする昨今の風潮はまさしく時代に逆行する代物です。しかし日本では合理性よりもイデオロギーが大事なのでしょう。日本には外国人研修生という国家ぐるみの人身売買システムがあり、農業分野でも積極的に活用されているわけですが、「農業を教える」という名目で月給10万円で人を働かせようという企ては、その延長線上にあるものと言えます。効率よりも、人を薄給で働かせる枠組みの継続をこそ、日本は追い求めてきたのではないでしょうか。

 「雇用期間中は、ビジネスマナーなども教え、社会人としての適応力を高めてもらう」などとも伝えられていますけれど、ただでさえ就職できなかった人が1~2年間の就農体験によって一般的な企業から離れてしまえば、それこそ他業界での就職はなおさら困難になるはずです。独立開業できる土地や資金を持っている人ならいざ知らず、10万円から寮費を差し引かれるであろう薄給では貯金することすらままならないだけに、この「就農支援」を受けた後は受ける前よりも格段に、苦しい立場に追い込まれていることでしょう。そうなるとパソナの紹介する「大規模農家」の小作人にでもなるしかなくなってしまうのかも知れません。薄給の労働者を大量動員することで「農業の活性化」などと考えるのは、それこそ植民地時代の発想でもあり現代では著しく効率の悪いもののはずですが、そういう方向に突き進んでいるのが日本の今であるように思われます。

 

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生存報告

2011-03-12 23:30:51 | 編集雑記・小ネタ

 取りあえず、生還しました。秘蔵のエロDVDコレクション希少な絶版本が床にぶちまけられて損傷多数、それなりに被害大です。本棚の上にブックエンドを置いて、そこに本を並べるのは流石に問題があったようです。他にも見た感じダメージはないのですが、パソコンラックが妙にぐらつくようになりました。取りあえずネジを締め直してみましたけれど、まるで効果無し。キーボードを叩くだけでラック全体がぐらつくので、かなり気持ち悪いです。

 地震発生時は都内の職場にいたため、揺れは大したことがありませんでした。日頃から無理な書類や備品の置き方をしている人は上からモノが降ってくる状態でしたけれど、ちゃんと整頓している人は特に被害無し。別に何かに掴まらなければ立っていられないという風でもなく(山手線の方がよっぽど揺れます)、まぁちょっと大きい地震だったぐらいに思っていたわけです。

 その後、会社の外に出て全員の安否確認となりました。震源地が東北と聞かされ「関東ではこの程度だけれど、東北の方は大変だろうな」ぐらいに考えていると、いつもの宅配便の業者が荷物を届けにやってきました。それから小雨が降り出して、傘を持ってきていなかったので困ったなと、その時点では天候の方がよほど心配だったくらいです。

 その後の惨状は皆様ご存じの通り、会社周辺の飲食店や小売店は概ね通常通りの営業を続けている中、電車は完全にストップ、JRは全く運転を再開させる気配を見せず、帰宅する手段を失ってしまいました。そう言えば以前に台風があったときも、私鉄各線が運転を再開したにも関わらずJRだけは断固として運転休止を続けていたことがあったなと思いつつ、取りあえず水とコンビニで食料を調達、とても家まで歩いて帰れる距離ではありませんでしたので、しばらく職場で状況を窺うことにしたわけです。

 その後は九州の顧客から普通に問い合わせがあったり、都内の業者が普通に注文書を流してきて担当営業を呆れさせたりと色々ありました。職場のPCはネットに繋がらず、メールも閲覧できなければ会社の専用システムも使えない、電車の運行状況を確認することもできずテレビとラジオが貴重な情報源、無為に時間だけが流れていきます。結局、同方向の社員を組にして営業車で帰ろうと言うことになりました。

 しかるに渋滞続きで絶望的に車は動かず、自宅にたどり着くまでに12時間ほど掛かりました。まぁ歩くよりは速かったと思います。元より体力がないのに睡眠不足、マトモな飯も食えず、それ以前に実は自動車が苦手で乗り物酔い、吐きそうになりながらも12時間を絶えた結果として、すっかり具合が悪くなってしまいました。まだなんだか、目眩がします。地震による直接の被害より、地震に伴う交通機関の麻痺による間接的なダメージの方が大きかったです。

 震災にかこつけて差別を煽り、関東大震災時の朝鮮人虐殺の再来を夢見ている人も少なからずいるようで、何だかなぁと思ったり、まだ何もしていないのに早くも土曜日が終わろうとしていることにウンザリしたりしながら、取りあえずは復帰、破損した書籍やディスクはある程度諦めざるを得ないですが、体調はまぁ明日には回復するだろうといった感じです。金曜日に書くつもりで暖めていたネタもありますので、明日からは平常運転に戻れそうです。

 

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