よく経済誌などには「働かないおじさん」なる概念が登場しますが、実態はどれほどのものでしょう。一口に「働かない」と言っても「会社から働きを認められない」場合と、「意味のある仕事をしていない」場合があります。往々にして「働かないおじさん」を追い出したつもりの組織は低迷を続けるのを鑑みるに、「会社から働きを認められない」おじさんとは、その実は現場を下支えしている必要な人材であり、逆に「働いている」と会社や上長から評価されている人ほど余計なアピールばかりで組織の足を引っ張る存在なのではないかという気がしないでもありません。
一方で反対に「働かないおばさん」もいると思うわけです。日本の会社には偉い女性が少ないですので、その分だけ女性が批判の矢面に晒されることも少ないと言えますが、無能さや有害さにおいて男性も女性も差はありません。男性が支配していた領域に女性が台頭しても、あるいは女性が担ってきた分野に男性が進出しても、それだけで何かが良くなるはずもないのです。男女に差はありません。迷惑な人、組織の害にしかならない人は男も女も関係なく存在します。
日本では家事労働における女性側への依存度が極めて高いことが知られています。しかるに「財布のひもを握っているのは妻」という世帯が多かったりもするわけです。一般に男尊女卑の国では家計も夫が一方的に管理することが多いようですが、我が国は概ね女性の地位が低いようでいて、どこか一部で逆転するアンバランスなところがあるように見えます。会社ではどうでしょう? 管理職に秘める女性の比率は、これまた際立って低い日本ですけれど、意外に偉そうにしている女性も多いのではないでしょうか?
社会(会社)では結構な高い地位を得ている男性でも、「家のことは奥さんに任せっきり」で家の中では何もできない人もいると思います。それと同じことは、企業組織の中でも言えそうです。つまり、管理職は専らおじさん達が占有しているけれども、社内ルール的な管理はおばさん達に任せっきりになっている、そんな部署も多いのではないでしょうか。「上司」は圧倒的多数が男性である一方で社内ルールの運用は女性の聖域になっていたりして、「会社では偉いのに家では妻にどやされる親父」よろしく、「社内ルールの間違いをヒラのおばさんに叱られる上の職位の人」は結構いると思います。
近年の新卒採用は女性にも男性のような働き方を求めるようになりましたが、20世紀以前の採用や現在でも中途採用ともなりますと「男は営業、女性は事務」みたいな明確な性別による役割分担があるわけです。出世コースは男性の方なのですけれど、しかし組織が大きくなるほど事務方なしでは回らなくなるところもありまして、女性の地位が低いかに見える会社でも女性の担当している事務フローの重要性は必ずしも低くありません。そして「事務は女性」で固められていれば必然的に、社内ルールを理解しているのは女性ばかりみたいな組織ができあがってしまうと言えます。
そうなると、「家事は全く分からないおじさん」と「家の中では夫には強い主婦」よろしく、「職位では上にいるけれども社内ルールには疎いおじさん」と「ヒラでも社内ルールは理解しているおばさん」という、しばしば力関係の入れ替わる不思議な構図ができあがったりします。 ……で、家事は妻に任せっきりの夫が家のことを把握できないように、社内ルールはおばさん達に任せっきりの男性上司は女性陣の仕事の中身を理解できていなかったりするわけです。その結果として事務職がブラックボックス化してしまう、おばさん達が働いていても働いていなくても、上司はそれを判断できなくなったりもするのです。
事務職への評価は低いです。それは女性の仕事と、軽視されてきました。その結果として、事務(社内ルール)の運用を把握できない男性上司と、ブラックボックスの中でロクに仕事もせずダラダラと残業代を受け取り、気が向いたら男性社員の社内ルールの誤りをなじり、陰口を肴に汚らしくお菓子をむさぼる、そんな「働かないおばさん」を作っているのではないでしょうか。しかし部署で社内ルールを熟知しているのは「働かないおばさん」だけ――そうなると切除不可能な部位に転移したがん細胞と同じです。組織で権限のある人は、がん細胞を肥大化させたのは何が原因だったのかを考えてみる必要があると思います。