京セラ創業者の稲盛和夫氏が2022年8月、90歳でその生涯を閉じた。自ら確立した経営哲学を惜しむことなく発信し続け、多数の経営者の「師」となってきた。その稲盛氏は逝去の直前まで、自身が確立した「経営12カ条」を解説する書籍の発行準備を進めていた。経営12カ条は「どうすれば会社経営がうまくいくのか」の要諦を平易な言葉でまとめたものだ。京セラやKDDIの経営だけでなく、日本航空の再建でも力を発揮した。稲盛氏が「原理原則を守りさえすれば、会社や事業は必ずうまくいく」と残した12カ条。本連載では、それぞれの条文に込められた意味を一つずつ、本人の言葉で解説していく。

(写真=PIXTA)
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 なぜ、この事業を行うのか。あるいは、なぜ、この会社が存在するのか。さまざまなケースがあると思いますが、まずは自分が行う事業の「目的」や「意義」を明確にすることが必要です。

 なかには、「金儲けをしたいから事業を始めた」という人もいるでしょう。「家族を養わなければならないからだ」という人もいるかもしれません。それでも結構ですが、それだけでは、多くの従業員を糾合(きゅうごう)するのは難しいはずです。

 やはり、事業の目的や意義は、なるべく次元の高いものであるべきです。言葉を換えると、公明正大な目的でなければならないはずです。

 従業員に懸命に働いてもらおうとするなら、そこには「大義名分」がなければなりません。「自分はこの崇高な目的のために働くのだ」という大義名分がなければ、人間というものは心から一生懸命にはなれないのです。

若い従業員たちの反乱

 私は京セラをつくったとき、「事業の目的とは何か」という問題に遭遇しました。当時の私はまだ経営のあるべき姿を知らず、京セラという会社を「自分が持つファインセラミックスの技術を生かして製品開発をし、それを世に問う場である」と位置づけていました。

 当時は、技術力よりも学歴や学閥などが尊ばれ、実力を正しく評価してもらえない風潮があり、私は最初に勤めた会社で大きな失望感を味わっていました。

 そのため、新しくつくる会社では、誰に遠慮することなく自分のファインセラミック技術を世に問うことを目的としていたわけです。ひとりの技術者あるいは研究者として、磨き上げた自分の技術をようやく遺憾なく発揮する場ができたと私はたいへん喜んでいました。

 しかし、その喜びもつかの間、創業3年目に、若い従業員たちの反乱に遭遇したのです。

 会社設立2年目に、高校を出た10名ほどの新入社員を採用したのですが、その彼らが1年あまり働いてくれ、ようやく仕事も覚えたかなと思いはじめたころ、私のところへ連判状のような書状を持って団交を申し入れてきたのです。そこには、「将来にわたって昇給は最低いくらにすること」「ボーナスはいくら出すこと」といった、自分たちの待遇保証を求める要求事項が連ねられていました。

 私は彼らを採用する面接試験のときに「どんなことをしてあげられるか、わからないが、一生懸命頑張って立派な企業にしたいと強く思っている。そういう企業に賭けて一緒に働いてみる気はないか」と話し、彼らはそれを承知のうえで入社しました。にもかかわらず、入社1年早々で要求書を突きつけ、「将来を保証してもらわなければ、われわれは会社を辞めたい」と言ってきたのです。

 できたばかりの会社で人材に余裕がなく、入社後すぐに現場に配属し、ようやく戦力として活躍しはじめてくれた者たちだっただけに、本当のところ、辞められてしまえば困ります。しかし私は、「彼らが要求に固執するようなら、やむを得ない。創業の時点に戻ってやり直せばいい」と腹をくくり、「要求は受けられない」と答えました。

 会社を始めてまだ3年です。私自身、会社の前途に対して確信らしいものは何も持っていません。「とにかく必死に努力をしていけば何とかなるだろう」という程度でしか、会社の将来を描くことができませんでした。ですから、彼らを当面引きとめるために、できる自信も見込みもないことを保証するのは嘘をつくことになる。私には到底できないことでした。

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