素朴で穏やかな能登人を表現する言葉がある。
「能登はやさしや土までも」
能登の人たちは優しい。踏む土まで優しく感じてしまうという意味だ。そんな石川県能登半島を、2024年1月1日午後4時すぎ、最大震度7の大きな揺れが襲った。死者460人を超えた能登半島地震。あれから1年がたつが、復旧・復興は道半ばだ。そんな中、工場被災などの苦難を乗り越え、前を向いて立ち上がる人もいる。優しく、そして、たくましく。そんな能登の人々や企業の取り組みを追う。
1、2回目は、カニカマを世に送り出した企業として知られる、練り製品大手のスギヨ(石川県七尾市)の杉野哲也社長だ。戦後食品3大発明の一つとされているカニカマは、スギヨが1972年に開発、販売を開始した。スギヨは「ビタミンちくわ」「ロイヤルカリブ」などの商品を提供している石川県を代表する企業の一つであり、能登半島地震で大きな被害を受けた。被災から約半年で完全復旧を果たした杉野社長の決断に迫った。(文中敬称略)
24年1月1日夕方、七尾市の自宅にいたスギヨ社長の杉野哲也は、これまで経験したことがないような大きな揺れに、思わず身をかがめた。そして、何とか身の安全を確保してふと我に返った瞬間、自身が経営する会社の状況が心配でたまらなくなった。大津波警報が鳴る中、杉野は会社の状況を確認するために、後先を考えず携帯電話を持って車に飛び乗った。
スギヨの本社がある七尾市は、能登半島中央部東側の七尾湾に面する。七尾湾は古くから天然の良港として知られ、七尾市は水産業が盛んだ。スギヨは明治時代に海産物の練り製品製造を開始し、1962年に杉与商店として株式会社化。71年に現社名に変わった。
爆発的なヒットとなった「カニカマ」は72年にスギヨが開発した。本物のカニと同様の味と風味を追求したカニカマは、以来ロングセラー商品として日本国内はもちろん、海外でも人気となっている。
スギヨはカニカマなどを製造する工場を、石川県内に関連企業を含めて3工場を持つ。1月1日は年に一度の会社休業日であり、工場の生産ラインもストップする日だった。だが翌2日には、工場を稼働させる必要がある。杉野は工場の状況をこの目で確かめたかったのだ。
しかし、地震による市内の被災状況は想像以上だった。橋が寸断されるなどして地震発生当日、どうしても本社にたどり着くことができなかった。杉野は津波の被害などを避けるため高台に上がり、余震が続く中、車内に待機して不安な一夜を過ごした。
車内では杉野の手元の携帯電話が次々と鳴り、「今のところ従業員は皆無事」という連絡を受けた。ほっとする一方、やはり会社や工場の状況が心配でたまらなかった。
【初割・2カ月無料】お申し込みで…
- 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
- 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
- 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題