Takaakira 'TAKA' Gotoが提示する「絶対的な美」の必要性――日本のポスト・クラシカルを牽引するMONOフロントマン初のソロ作品
1999年にMONOを結成してからまもなく、どこにも発表するつもりのないままTakaakira 'TAKA' Gotoが2003年に録音した作品が、12年の時を経ていまここで放たれる。それほどの時が経ったとは思えぬほど普遍性を帯びた7曲がパッケージングされ、このたび『Classical Punk and Echoes Under the Beauty』と冠された。クラシカル音楽のような美しさを持ちながら、パンク・ロックの持つ破壊的衝動を持ち合わせたサウンド。詞を必要とせずとも雄弁に語りかけてくる圧倒的な音の奔流をハイレゾで配信する。
Takaakira 'TAKA' Goto / Classical Punk And Echoes Under The Beauty
【配信形態 / 価格】
24bit/96kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC : 単曲 250円 アルバム 1,400円
>>ハイレゾとは?
【Track List】
01. Delicate Madness / 02. Isolation / 03. Till The Night Comes / 04. Muse / 05. Silence of Eden / 06. Emptiness Corridor / 07. Uka – Tenshi no Ibuki
INTERVIEW : Takaakira 'TAKA' Goto
「これまでの人生で最も苦しかった」と語る制作を経て、『Rays of Darkness』と『The Last Dawn』という2枚のアルバムで光と闇を描き切った2014年のMONO。そのリリースからわずか半年足らずで、今度はフロントマンのTakaakira 'TAKA' Gotoが初のソロ・アルバムを発表する。その作品のタイトルは『Classical Punk And Echoes Under The Beauty』。何ともGotoらしいタイトルではないか。ベートーヴェンを信奉し、オーケストレーションを突き詰める一方で、誰にも理解されずとも、分厚いノイズ・ギターで己の道を切り開いてきた、クラシカルでパンクな音楽家としてのあり方。そして、その背景に存在する「Beauty=美しさ」という彼にとっての絶対的な価値基準を示した本作によって、Gotoはソロ・アーティストとしての本格的なキャリアをスタートさせる。
しかし、この『Classical Punk And Echoes Under The Beauty』、実は2003年に録音されたものであり、ラース・フォン・トリアーの映画『奇跡の海』にインスパイアされて制作されたものの、リリースをしようとは考えてもいなかったのだという。なぜその作品を今発表しようと思ったのかについては、インタヴューを読んでいただければと思うが、12年前の作品が今世に出ることによって、Gotoの変わらない部分、音楽家としての本質がはっきり露わになると言えよう。そこでこの日の取材では、Gotoの個人史も振り返りつつ、彼の表現の核に改めて迫ってみた。なぜ世界中を旅し続けるのか? タイトルに掲げた「Beauty」の意味合いとは? そして、彼がその先に目指すものとは何なのか? その誇り高く、愛に溢れた言葉の数々を、ぜひとも胸に刻んでほしい。
インタヴュー&文 : 金子厚武
写真 : 外林健太
12年ずっとほったらかしてたのに、今聴いても、「僕はこういう作曲家だったんだ」って思える
――初めてのソロ作品として、2003年に録音されたものを今リリースしようと思ったのは何故だったのでしょうか?
「時期が来た」って感じなのかもしれない。バンドが16年目を迎えて、ちょっと余裕が出てきたのかな。リリースしようなんて思ってない音源だったんですけど、アメリカやヨーロッパのレーベルと話をしているときに、ちょっとシェアしてみようと思ったら、「何で出さないの?」って感じになって、「じゃあ、出してみようかな」っていう。あと最近映画のサウンドトラックをよくやるようになったんだけど、サウンドトラックの作業って、バンドじゃないものも多いんですよ。フィルムが仕上がるまでどうなるかわかんない部分があるから、ソロのスタイルの方が対応しやすい。MONOではできないことを、僕の音楽として表現してみたいっていうのもあるんで、将来的なことも考えつつ、これをあえてソロのファーストにして、ここからスタートしたいと思ったんですよね。
――そもそもリリースの予定がなかったとのことですが、どういう経緯で作られたものだったのでしょうか?
このアルバムを作ったのは、MONOが『Walking cloud and deep red sky, Flag fluttered and the sun shined』っていうサード・アルバムを出す前なんですよ。MONOはこのアルバムから大きな編成のストリングスを使い始めて、シカゴでスティーヴ・アルビニと録ったんですけど、そのころ僕はまだオーケストラをよく理解していなくて、そのための実験をこのソロ・アルバムでしてたんです。
――言ってみれば、試作品だったと。
そういうことですね。ただ僕の印象なんですけど、すごく不完全な音源なのに、ある種とても完全な感じがするんです。12年ずっとほったらかしてたのに、今聴いても、「僕はこういう作曲家だったんだ」って思える。クオリティが高いか低いか、いいか悪いかは別として、僕でしかありえないし、それはMONOの歴史の一部でもあるはず。変わらないものがあるんだなって思ったので、それをシェアしたいと思ったんですよね。
――今振り返ると、音楽的にはまだ未熟な部分があるかもしれないけど、そういうレベルを超えた、ある種の普遍性がそこにあったと。
そうなんですよね。まあ、生まれてきた曲っていうのは、何のために生まれて、どういう魂を持って、どういう風に人と接して、どういう風に人生を歩んできたかっていうのが表れたものなわけじゃないですか? そういう意味では、あのころの僕は普遍だし、今の僕も普遍であるはずで、過去をノスタルジックに思い返してるというよりは、あのころもあのころとして存在してるっていうのを冷静に見ていて、さらにそれが僕の一部であるって感じられるから、僕はそういう不思議な意味でこのアルバムが好きなんです。
――どんな部分から「僕の一部」であることを感じますか?
とても女性的だと思う。僕はたぶん繊細な面と凶暴な面の振れ幅が広いと思うんですけど、繊細な面がすごく出てるアルバムだなって。ラース・フォン・トリアーの影響がすごくあって、僕は『奇跡の海』を初めて見たときから、あれを音にしたいとずっと思ってたんです。ラースの作品はいつも女性が主人公で、その感じはいつも僕の中にある。女性の官能的な部分、情熱的な部分、女性ならではの愛とか、そういうのは弦に置き換えやすい。エレクトリック・ギターはわりと男性的な感じだと思うんですけど、その『奇跡の海』をMONOでやったのが、『Walking Cloud~』の次に出た『You Are There』だったんです。このソロ・アルバムはそこに向けた橋だったんですよね。
爆撃される側のイラクの人も僕らの音楽で夜を越していて、爆撃しなきゃいけない側のアメリカ人も僕らの音楽で救われている
――実際にアルバムは『奇跡の海』に寄り添った構成になっているわけですよね?
3曲目の「Till The Night Comes」がアルバムの背骨になってますね。他の曲はもしかしたらMONOでもやれるのかもしれないけど、この曲は明らかにMONOじゃない。シンプルなんだけど、ポジティブで力強い。主人公がいま世に生まれて、2曲目の「Isolation」でものすごく痛みを覚えるんだけど、「Till The Night Comes」で希望に向けて走り出すんですよ。そこからまたいろいろあって、挫折したり、叫んだりしながら、最後は天に召される感じで終わりたかったんだと思います。
――「Till The Night Comes」の前半部分の優しさ、明るさっていうのは、MONOでは聴くことのないものですね。
なんとなく、小学生のころを思い出すんですよね。「母を訪ねて三千里」とか、まだ幼かったから見るものすべてが新鮮で、その時代に培った感じ、そのメランコリーっていうのが、この曲にはあるんじゃないかと思ってて。それが日本人っぽいのかはわからないけど、すごく僕っぽいと思います。この曲「マルコ」って呼んでたんですけど、MONOの「Moonlight」(『You Are There』収録)も「マルコ」って呼んでたんですよ。「フランダースの犬」とかもそうですけど、あの名画シリーズは全てクオリティが高くて、必要なものがすべてそろってた気がするんですよね。僕にも変わった部分と変わらない部分があると思うけど、その変わらない部分がそこにはあって、それはこれから書く曲にも残っていくのかなって。
――途中でおっしゃっていたGotoさんの女性的な側面というのも「変わらない部分」なのかと思うんですけど、それってどのように培われたものだと思いますか?
どうなんだろう…… ベートーヴェンの言葉で言うと、音楽とは男性の心を鼓舞するもの、男性の心に火を点けるものでなくてはならないと同時に、女性の瞳から涙を誘うものであるっていう定義があって、僕はその言葉が大好きで、そういうことなのかなって。
――Gotoさんはよくインタヴューでベートーヴェンの言葉を引用されますよね。小さいころからクラシックを聴かれていたのでしょうか?
そうです。まったく教養はないんですけどね。僕らの両親の世代は、一家に一台ピアノみたいな感じだったので、姉貴と兄貴が必然的に練習させられてたんですけど、でも僕はまったく興味がなくて、それをただ聴いてるだけで。でも、小学校のときには片手で「エリーゼのために」ぐらいは弾いてましたね。「月光」とかも、よくはわからないけど、何か感じるものはあって、無意識のうちにベートーヴェンが僕の中にいたんです。真剣に聴き出すのはだいぶ後なんですけど、そうすると、今度は彼の生涯が気になりだしたんですよね。なぜ彼がその曲を書いたのかを知りたくなって、調べてみると、ほぼほぼ女性が関係してて、ラブレターのように書いたりしてる。ナポレオンに書いた「皇帝」のようなシンフォニーもありますけど、ピアノソナタと呼ばれるものは、女性よりも女性的ですよ。音符の一個一個に想いがあって、それを全部解き明かしたこともあるから、そういう影響はあるかもしれない。田舎の夜に鳴り響くピアノの音、小っちゃいころからそれがあって、その夜と「月光」が似合ってたりとか、そうやって育ったことは大きいと思いますね。
――ご出身はどちらですか?
島根県の出雲市です。最後に帰ったときには、僕の近所がパワースポットだらけになってました(笑)。
――昔はそんな風に言われてなかったのに(笑)。
まあ、神話の国ですからね。僕も出雲大社高校でしたし、当たり前にそういう環境ではあったんです。
――当時はもちろんインターネットもなかったし、音楽の情報は限られたものだったでしょうね。
情報なんて全然ないですよ。あの田舎道をエレキギター担いで自転車で通ってた学生なんて、僕ぐらいじゃないですか(笑)? でも、「僕はこれで食べていくんだ」っていうのはわかってたんですよ。僕それ以外の道って考えたことがなくて、16歳でもうツアーやって、もう自分の曲を売ってましたからね。中学まではコピー・バンドだったけど、高校からオリジナルを書いて、進路とかまったく気にせず、メンバーを探してばっかりいました。でも、いないんですよ(笑)。言ってみれば、僕はそのころからずっと浮いてて、誰からも理解されなかった。MONOで海外に行こうってなったときもそうで、誰も理解できなかった。でも、僕にしてみれば出雲から東京に出ることの方がハードルが高かったんです。新幹線で東京駅に着いて、初めて新宿に行ったときは衝撃でしたからね。それに比べたら、東京からニューヨークに行くのなんて、そんな大したことじゃない。
――誰にも理解されない、その状況でGotoさんを支えていたものは何だったのでしょう?
僕はアートだけは自分のものだと思ってるんですよ。そのアートをやんややんや言われたくないんです。そのために自分の道を歩んで、やんややんや言われない環境を作ってきた。お金が欲しいから、有名になりたいから、そのために自分のやりたいことを抑えるなんていうのはまったくなくて、自分のアートをシェアできる場所を探してきた。たまたま、それが地球上にあってよかったと思ってる。まあ、それは知ってたし、信じてたことだから。
――ラース・フォン・トリアーの作品は、「神への献身」というのがひとつのテーマになっていると思うんですけど、Gotoさんとお話していると、音楽やアートに対するある種の献身を感じます。
単純に、僕は救われたいから曲を書いてるんだと思います。すごく自分勝手な意見だけど、もし自分が救われるような曲が書けたとしたら、それは絶対誰かの役に立つ。それが僕の基準なんですよ。自分の心が動かないのに、誰かの心を動かせるはずがない。例えば、イラク戦争に行ったアメリカの兵隊が、MONOを聴くことでイラクでの眠れない夜を越してきたから、ぜひ会いたいと言ってくれて、実際に会ったりした。でもこれは、あまり公言するべきではない。なぜなら、イラクにも僕らのファンがいるから。爆撃される側のイラクの人も僕らの音楽で夜を越していて、爆撃しなきゃいけない側のアメリカ人も僕らの音楽で救われている。どっちがいい悪いじゃなくて、それが音楽の力なんですよ。その音楽の力をシェアしたいんだけど、その音楽の力をまずは僕が感じたい。そこが僕のベースなんです。
これも「Beauty」ですよ。なぜなら、そこに愛が存在してるから
――今回のアルバム・タイトルには「Beauty」という言葉が使われていて、解釈は人それぞれだとは思いますが、この言葉もGOTOさんにとってのベースであり、今の話ともつながる部分なのではないかと思います。
美的感覚は確かに人それぞれだと思うんですけど、魂レベルで考えると、美的感覚が違うはずがないとも思うんです。僕は世界中いろんな国の人と十何年間交流してきて、言葉も文化も生活習慣も全然違うのに、わかりあえる部分がある。それは道徳観だったんです。僕の中で道徳観があるやつはクールだし、ないやつはかっこ悪い。それは心がきれいかきれいじゃないか。僕が使う「Beauty」は、そういうことですよ。世界はひとつであるべきだし、戦争なんて絶対に起こすべきじゃない。誰もがそう思っていて、それを「Beauty」って言うんじゃないですかね。殴り合うべきじゃない、励まし合うべきだ。罵り合うべきじゃない、理解し合うべきだ。そういう当たり前のことが「Beauty」で、それによって救われたときの友情も「Beauty」だし、それを誰かにしてあげたいと思う心も「Beauty」ですよね。
――音楽によって救済されて、それがきっと誰かの役に立つ。Gotoさんがおっしゃったその感覚こそが、まさに「Beauty」なんじゃないかと思います。
失ったものの大きさに戸惑いながら、むせび泣く姿を「Beauty」と呼ぶかどうか。これも「Beauty」ですよ。なぜなら、そこに愛が存在してるから。人を撃ち殺してる姿が「Beauty」か。これはノーですよ。テレビに洗脳されて、韓国人や中国人がよくないってワーワー言ってる姿も「Beauty」じゃない。だって、俺には韓国にも中国にも大親友がいるんですよ。国と国のことはわからないけど、絶対に彼らとは殺し合えないし、大切にしてるし、会いに行きたい。戦争を止める唯一の手段があるとしたら、そういう気持ちでしかないと思う。僕はそういうレベルでしか音楽をやってないんです。「アートは何かの役に立つ」って言い切ったりすると、インテリっぽく見られるかもしれないけど、実際そうなんだからしょうがないですよね。
――「Beauty」の裏側には、必ず愛情がありますよね。
僕はめちゃめちゃ愛が深いですよ。だから、こんな繊細な音楽ができちゃう(笑)。でもね、そういう日本人が世界に行って、今の世界情勢を変えられるんじゃないかっていうか、変えられてもいいなって思う。僕は総理大臣でも何でもないし、反戦運動をするわけでもなく、芸術家として、いいことにフォーカスしていきたい。音楽を書く上では、ダークネスを通り抜けて希望にしてる。それは相対性としてね。でも、人間としては、極東から世界中にバーッて光を灯す音楽家でありたい。
――「Till The Night Comes」のポジティビティっていうのは、まさに今の話をよく表していると言えるかもしれないですね。
ああいうサウンドはアメリカにもヨーロッパにも、どこにもないと思います。最初にも言った通り、いい悪いはわからないけど、少なくともこれは僕にしか書けない。だからこそ、シェアする価値がある。それによって気づく何かがあるかもしれない。だから、リリースしたいなって。
――最初に話した普遍性の正体っていうのも、きっと愛なんでしょうね。
ああ、そうですね。「案外変わってねえな」っていうのは、そこなんだと思います。成長はしてると思うけど、このときはこのときの自分なりの正直な感じがあって、別に恥ずかしさとかないんですよね。
――確かに、場合によっては10年以上前の作品を出すのって、かなり恥ずかしいことですよね。
昔の写真見たら震えますよ。12年前とか、肩パッド入ってるかもしれない(笑)。でも、このアルバムを出すのは全然恐ろしくないんです。ちょっと触ろうかなって思った箇所もあったけど、あえて触らないでおこうと思った。歪で不完全かもしれないけど、そうじゃないと意味がないと思ったのかもしれない。フォトショップで昔の顔を修正する感じも嫌だし、そのままをシェアしたかったから。
――テクノロジーが進化して、いろんなものが修正できたり、きれいにできるのは決して悪いことではないと思うけど、でもそれによって削ぎ落とされてしまうものも絶対にありますよね。
MONOも一発録りしかしないですからね。その瞬間瞬間正直でいればいいのかなって。僕の残された時間、フルに経験して、冒険して、振り返るときがもし来たら、そのときそれがどういうものだったのかをゆっくり見てみたい(笑)。人間は誰でも早かれ遅かれ役目を終える日が来るから、その瞬間瞬間が何より愛しいんですよ。そのなかでこの世にまだ存在していないものを作る。想像して、創造する。これは人間の営みであり、アートってそういうことで。
――想像と創造の両輪によって、未来を作り出していくものですよね。
でも、去年のMONOのアルバムを作るのはホントにしんどくて、あんなに大変な作曲は僕の人生でなかった。僕は中学から曲を書いてるけど、あんなに苦しいプロセスを踏んだアルバムはなくて、あれを作ったことで、また白いキャンバスにブワーって絵を書くように曲が作れるようになって、恐れるものがなくなったんです。それまでは「こうあるべきだ」っていうのがあって、鉛筆で迷路を書いてずっと出口を探してるような、地味な作業をやってる感覚だった気がする。「日本人として伝えることは何か」とか「世界言語になり得る音は何だろう」って考え過ぎて、頭がパンクしそうになってたんだけど、今はそれがなくなって、自分のいいところを伸ばせばいいんだなって思える。今回のアルバムはそういう今の僕の感覚ともリンクするんですよね。
――MONOのアルバムを作ってるときも、サントラ制作がいいリフレッシュになったっておっしゃってましたよね。
そうそう、やっぱり相対性なんだなって。何でもそうなんですよね。だって、アダムとイヴがそうだもん。ただね、相対性に踊らされてはいけなくて、自分にとっての完全な形は常に求めないといけない。自分に何かの試練が降りかかってきて、解決しなきゃいけない問題が起きたときに、見なきゃいけないビジョンは完全なものですよ。完全な調和ですよね。調和を目指したときに、初めて相対性が生まれるわけで。もちろん、完全な調和っていうのは理想郷かもしれない。でも、僕は音楽をやる上で、生きていく上で、そこを目指してるんです。今日だって、きちんとお話して、魂で伝えることが、一番の調和ですよ。きれいに理屈で話そうとするより、伝わる言葉がある。楽器もそうなんですよ。すごく上手いおっさんの演奏よりも、下手くそでも、パンクでも、伝わるものがあるわけじゃないですか?
――調和って最初からきれいなんじゃなくて、ぶつけ合った先に初めて生まれるものだと思います。
そうですよ、僕らが敵でも何でもないってわかれば、それがいいに決まってる! それはイスラエル人でも何人でもそうあるべきで、「ハイ、タカ!」って言われたら、ハグしますよ。僕はそうやって生きるべきだと思うし、音楽もそうやって作ってるんです。
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PROFILE
Takaakira ‘TAKA' Goto
東京のインストゥルメンタル・ロック・バンド、MONOの作曲家、リード・ギタリスト。
1999年にMONOを結成してからこれまで通算8枚のオリジナル・アルバムとNYでのオーケストラ・ショーを収録したLIVE CD/DVDの合計9枚をワールド・ワイドでリリースしている。バンドは、毎年150本以上の公演を行い、北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア等、世界の40ヶ国以上で演奏している。観客の多くは、想像を絶するほどに美しく激しい楽曲と、ライヴ・パフォーマンスは、"人生が変わるような経験"と評し、世界最高のライヴ・バンドのひとつとされている。16年目を迎えた今年2015年、TAKAは、オフィシャルとしては初となるソロ名義による音源をリリースする。エレクトリックギターを中心に、ピアノやストリングス、そしてノイズを使用する詩的 / 情緒的な楽曲は、地上から天へ、そして天から地上へ、聴く者を別世界へ連れていく。