ドレミが読めなくてもロックはできるし、NYでオーケストラを持てる――世界を渡るMONO、光と闇を描いた2作品同時リリース
前作『For My Parents』のリリース後、作品をともにつくりあげたオーケストラとの約40カ国、150本以上のワールド・ツアーを行い、日本ではMONOとしても初の試みとなるTVドラマの劇伴(WOWOW連続ドラマ「かなたの子」)を手掛けるなど、国内外で評価が高まるなか、MONOが新たな作品を届けてくれた。驚くべきことに、これまでMONOの音楽に比重を増していたオーケストラの起用を止め、15年の歳月を経てさらに強靭なサウンドを獲得した4人のメンバーでのサウンドスケープへ原点回帰し、「光」と「闇」を描いた2作品。
MONOの中心人物Takaakira "Taka" Gotoに2年ぶりにOTOTOYに登場いただき、4人に回帰した理由、そして表現するに容易くない「光」と「闇」をどういった過程で描くに至ったのかを訊いた。ぜひTakaのあたたかで重みのあるひとつひとつの言葉とともに、この作品を味わってほしい。
MONO / Rays of Darkness
【配信価格】(各税込)
ALAC/ FLAC / WAV(16bit/44.1kHz)、mp3 : 単曲 257円 アルバム 1,028円
【Track List】
01. Recoil / 02. Surrender / 03. The Hand That Holds The Truth / 04. The Last Rays
MONO / The Last Dawn
【配信価格】(各税込)
ALAC/ FLAC / WAV(16bit/44.1kHz)、mp3 : 単曲 257円 アルバム 1,234円
【Track List】
01. The Land Between Tides / Glory / 02. Kanata / 03. Cyclone / 04. Elysian Castles / 05. Where We Begin / 06. The Last Dawn
INTERVIEW : Takaakira "TAKA" Goto (MONO)
僕が日本で1番尊敬するミュージシャンのひとりが、MONOのTakaakira "TAKA" Goto。彼らは、音楽を各国に届けながら、一人一人に挨拶をして回る。何年も何年も… そして、言葉は、経験によって重みを増していく。「楽譜がよめなくたって、オーケストラを持てる」 毎回楽しみにしているMONOのインタビューで、今回一番響いた言葉だ。あまりにもでかかった。MONOが、ワールド・ツアーで世界を熱狂させている事実をもっと多くの人に知ってもらいたいと強く願う。最大のリスペクトを込めて!
インタヴュー&文 : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?))
写真 : 外林健太
必要悪が希望を生み成功を生んだっていうコントラスト
――前作『For My Parents』、前々作『Hymn To The Immortal Wind』とオーケストラを取り入れたサウンドを作られていましたが、今作は雰囲気がまた変わりましたね。
うん。『Hymn To The Immortal Wind』でオーケストラ・ショウをやって、次に何をやりたいかと考えたときに、ストリングスを使った道にいくのか、別の道にいくのかはそんなに悩まなかったんです。『Hymn To The Immortal Wind』で初めて自分達の楽曲にオーケストラを使って、『For My Parents』でさらに大歓喜を作ってみてもいいんじゃないかと思って。そこまでやらないと、MONOがどういうことをやってきたバンドなのかが中途半端になるんじゃないかなと思ったんです。それで一層大所帯のオーケストレーションを使った大歓喜を表して。でも、アジア諸国、ヨーロッパとツアーをまわって、アメリカへ行ったときに、何かが決定的に欠けていると思っちゃって。
――それは何だったのでしょうか。
アメリカってロックの土壌じゃないですか。ヨーロッパは歴史があって、クラシックな部分も評価が高くて。アメリカも評価はよかったんだけど、何となく自分の中で気骨のなさというか、ビート感がないから、思い切り壮大で叙情的でエモーショナルなんだけど、背骨のない大きな恐竜みたいな不思議な感覚がして。7週間ツアーをやって、動員自体は2万人くらいあったんだけど、胸に穴があくような衝動が必要だなってその時に思ったんですよね。次のアルバムは同じことをしちゃいけないなと。
――そこからすぐに今作の制作に取りかかったのでしょうか。
いや、実際にアメリカ・ツアーが終わって帰ったら曲が書けなくて。衝動や怒り、壁が崩れるくらいのノイズを出したいとか、そういうコンセプトやヴィジョンはあったんだけど、実際に曲を書くとユニークさ、オリジナリティに欠けるなと。大所帯から4ピースに戻したから、広がりがすごくむずかしくて。今までになかった音を作るべきだという意識はあるんだけど、実際に音にならないままツアーがまた始まって。すごく憂鬱でね。ツアーが終わったらどうしたらいいんだろうって気ばかり焦っちゃって。日常の生活が憂鬱なものになっちゃって、スタジオのドアを閉めても、旅に出ても何も浮かばない。
――スランプに陥っていたんですね。
今まではアルバムを作るときにストーリーを書いて、それをチャプター分けして音を作っていたんですけど、今回はそのストーリー自体が浮かばなくて。表現したいものがないわけじゃないんだけど、何をやりたいのかわからない。だから混沌としたものは混沌としたまま残してやろう、そのまま放り出してやれっていう開き直りもあったんだけど、なかなか音にすることができなくて。
――そこからどう進んでいったのでしょうか。
ちょうどそのころにサントラの話をいただいて。脚本があって、ストーリーがあって、登場人物がいて。僕そういうの好きなんですよ。それで一旦MONOのことは忘れて、ストーリーにあった曲を書こうと。それまで夜型生活をしていたんですけど、朝方に切り替えて朝5時とか6時に起きるようにして。そしたらすごく楽しくて、それが薬のように効いてきて、すごい開放感を得ることができて。その過程をまとめたものが『The Last Dawn』になったんです。『The Last Dawn』を書き終えて、それまでに描いていたダークな曲を聴き直したら、これはこれでいいんだなって思えるようになって『Rays of Darkness』ができたんです。
――じゃあ、復活できた一番のきっかけはサントラの制作ですか?
あとは、そのときにたまたま読んだ本ですね。幼い頃から有望視されていたスポーツマンの話で、学校を卒業してプロになるくらいだったんだけど、ある日アクシデントで一生スポーツができない体になってしまって。それまでその道のことしか考えていなかったから、怪我をした翌日から真っ暗闇に落ちるんですよ。自分の人生とか運命を呪って、その人は自殺も考えて。けど数年後に「怪我をしないための体の作り方」っていう本を出すんですよ。それはスポーツの世界ではすごく有名な本だって話を読んだときに、この人は怪我をしたときには全く未来が見えなかったのに、怪我をしたことでこういう道が開けた。必要悪が希望を生み成功を生んだっていうコントラストは、そのときにはわからないけど、その両面があってこそ人間だなと思って。だったら闇に落ちたときの感覚も書き残していきたいと思ったし、逆にポジティブなものはポジティブに描いてもいいんじゃないかなって、その両局面を徹底的に描いてやろうと思ったんです。
それでも俺は乗り越えたよっていうことを、通って来た人間だからこそ言えるのかなと思って
――なるほど。『Rays of Darkness』の表現の根幹にある「闇」は、具体的にどんなイメージなのでしょうか。
日本に帰ってきてテレビをつけると、知らないタレントが出てたり、近所に新しいビルが出来ていたり、すごいスピード感なんですよね。鬱病も流行っていて、実際に僕の友人とかも鬱病になっちゃって。そこらへんを歩いている人にしたって、夢が叶わなくて挫折した人、会社に居場所がない人、諦めようとしている人がいて。誰もが抱えている闇があると思うんです。それが表に出るかどうかが紙一重なだけで、早すぎる時代のスピードに追いついていけない人が必ずいて。僕なんかは15年前はどこにも居場所がなくて、居場所を求めて世界へ行って、なんとか今やっていけているけど、気持ちはわかるというか。そういう人たちに届けたいのであれば、その闇をちゃんと描いて、同じ目線になって、それでも俺は乗り越えたよっていうことを、通って来た人間だからこそ言えるのかなと思っていて。そういうのも描ききらないと綺麗事になってしまうから。
――ダークサイドを自分で体感したし、受け入れたと。
そうですね。闇を描くのであれば、闇の中に身を置かないと。それは思っていたほど簡単なことじゃなくて、僕自身崩壊しそうになりながらでしたけど。でも書き終えた後によく聴くのはダークサイドなんですよね。「FUCK YOU!」っていうのは僕の中では「負けるもんか!」ってことなので、「FUCK YOU!」はロックの大前提であり背骨なんだなって思います。だから前のアメリカ・ツアーで得られなかったその感覚、ロックやパンクの根源にあるその「絶対に負けねえ!」っていう衝動を今回は残したいと思ったんです。
――「The Last Dawn」はその反対、「光」ですよね。
ボロを纏った状態で、友達も理解者もいない、夢も希望もない状態で夜の砂漠を歩いているシーンから始まるんです。そのなかで自分がやってきたことを見つめ直して、ここが自分のスタートの場所だって、夜明けを迎えるまでのひとつのストーリーになっていて、自分が再生していった記録を残した感じです。闇から這い上がるまでの過程ですね。「kanata」は「かなたの子」っていうドラマの主題歌で書いたんですけど、取り返しのつかない過ちに対してほんのかすかな希望をもったドラマで、その脚本を読んだときに胸にドーンと穴があいて、音が鳴ったんです。その後2〜3週間「かなたの子」の世界で生きていて。その時期も重かったんですけどちゃんと描ききれて、いい体験でしたね。少しずつ僕自身も光を迎える感じで。
――そのモードは、MONO自体に流れていたものですか?
いや、作曲に関しては僕の仕事なので、僕個人の話ですね。本来はメンバーが励ましてくれたりするんだけど、今回は僕がそこでコミュニケーションをとれないくらいだったので。違ったインスピレーションを持って前に進むときなんだなっていうのはわかっていたものの、「これ本当に出口あるの?」って思いながらトンネルのなかを歩いている感じでしたね。
――TAKAさんが闇から這い上がり終えた、解放されたのを実感したのはいつごろだったのでしょうか。
今作をすべて書き終えたときですね。『For My Parents』を出して、今回の2枚を出したらすごく自由になりました。今回で8〜9枚目になるんですけど、1枚目から合わせていったらそれ自体がシンフォニーになるんじゃないかなって。MONOをいくつまでやるかはわからないけど、毎回その時々の人生を描いてきているので、最終的には全部のアルバムをあわせたときにひとつのシンフォニーになるんじゃないかな。
――僕は大体アルバムの完成後にお会いするので、いつも解放されている感じがしていますけど、それ以外のときは本当に苦しんでいるんでしょうね。
(笑)。本当に、やらなきゃいけないことがあるのにインスピレーションが湧かない、描きたいものがないっていうのが怖かったですね。でも終わったら楽になった。今作を書き終えてからもずんずん書き続けていますし。
日本だと何が欠けているのかわからないけど、素のままだと愛し合えない…
――『For My Parents』のときは明確なメッセージがありましたけど、今回は具体的に何かありますか?
ないですね。誰にでもある闇を描いているので。コインの表裏というか。人間ってネガティブな面とポジティブな面しかないんですよ。きちんと正して真ん中にいられればいいんだけど、ひとつ悪いことがあると連鎖していく。被害妄想とかも含めて負の連鎖がはじまる。逆にひとついいことがあると「いけるんじゃないか」って調子こくので、肯定的になれる。『The Last Dawn』は曲が始まって終わるまでの階段をポジティブに登っていくように作って、逆に『Rays of Darkness』ではひとつずつ階段を下りていくようなものを作りたかったんですよね。
――『Rays of Darkness』にはenvyのテツ・フカガワさんが参加されていますね。
テツ君とはずっとリスペクトし合っていて、この曲を書いたときにテツ君の声が聴こえて、譜割りもみえていたので、彼とコラボしたいと思ったんです。曲ができたタイミングで「コンセプトやリクエストは何もないので全てお任せします」って彼に渡したんですけど、あがってきたものを聴いたら、自分がイメージしていた通りのもので。シンガーを入れて、スクリームでやるっていうこともMONOとしてはチャレンジだったんだけど、一番わかりやすく「負けるか!」ってことを提示できた瞬間かなと思いますね。
――「これでもか!」ってくらい、ダイナミクスがありますよね。先日僕が主催するフェス(BOROFESTA)にenvyに出てもらったんですけど、決定的に他のバンドと違うなと思ったんです。それはMONOもそうで、鳴る音が違う。
僕は小さいころからの夢で、一生音楽家でいたい、願わくば世界中の人とシェアしたいって外に飛び出して、世界中を飛び回って出会ったのがenvyやBorisであって。そういう人とは冒険家としての話や経験の共有ができるんですよね。何の保証もない道なき道を歩くことって人を強くするし、人間としての視野が開ける。それは財産になるけれども、同時に手に入れるためのリスクもあって、それだけの覚悟が必要なわけじゃないですか。どちらを選ぶかは人次第ですけど、その強さが音に出ると思うんですよね。だから何が違うかっていったら覚悟なのかな。15年くらい活動してきて、年齢も30、40代になって、その歴史や経験が音に出るんだと思います。ちょうど一昨日アジア・ツアー(中国・台湾・香港・ベトナム・シンガポール)から帰ってきたんですけど、手応えも感じるし、動員も伸びているし、何より本当に自由になりましたね。誰かに意見されても褒められても全く自分は変わらない。自分のやりたいことをずっと夢中になって掘りさげられていて幸せですよ。
――夢中になれる反面、ショウを繰り返していることで飽きることはないですか?
ルーティーンなので飽きるときもありますけど、世界各国にすごくたくさん友達がいるんですよね。こうやって飯田君みたいに何年かに一回会って、食事しながらここ何年かのお互いの話をする時間っていうのがすごく愛おしくて。世界中にそういう友達がいて、地球規模で2〜3年に1回会えて、子供が生まれていたり、結婚していたり、仕事が変わっていたりと、お互いに成長していることを確認できるのは素敵だなって思いますね。それはツアーの醍醐味ですよね。
――世界情勢はどうですか。MONOがデビューしたころはアジアとかも回れなかったじゃないですか。
ベトナムでは政府主導の歌詞チェックがあったりします。だからなかなかインポートしづらいところなんですけど、僕らはインストなので。今回、中国ツアーで上海や北京以外の街にも行ったんですけど、そこはリアルな中国なんですよね。現地のインタヴューでも政府の問題に答えなきゃいけないような質問が用意されていたり、香港ではデモの真っ最中だったりして。いろんなことがあるんだけど、ファンの前で演奏して話をすると、これが本当の外交じゃないかなと思いますね。だって戦争が起きても彼らとは殺し合えない。もっと言えば他にも仲間がいて、僕は友人にそういうことはできない。ツアーのときも「何があっても僕らは友情があるから殺し合ったりできないし、この出会いに感謝している。また次に来たときに会おう」って言って別れるので。そういうのが音楽の力なのかなと思いますね。音楽を通じてお互いに愛し合えることが。
――そうなんですよね。
僕にとっては日本が一番難しいですけどね。
――どういうことですか?
音楽家としてどうやって自分のアートを理解してもらえるかってところでは時間がかかっていて。どの国も口コミで広がっていっているので、何かを仕掛けたこともないし。日本だと何が欠けているのかわからないけど、素のままだと愛し合えない… 今日音楽の話しようと思ってきたのに全然音楽の話してないな(笑)。
「だけど弾けば感じるから、感じてくれ」って抱きしめて
――(笑)。でも毎回取材させてもらって、TAKAさんのインタヴューって宝だなと思っているんです。世界を旅してきた人の言葉ってすごく重みがあるから。
嬉しいですね。じゃあひとつカミングアウトしちゃおうかな。僕、実は譜面が読めないんですよ。コードも基本的なものはわかるけど音楽の教養が全くなくて。
――そうなんですか!
僕、音楽を聴くと全部バラバラに聴こえるんですね。低い音から高い音まで順番に引き出しに入れる感じで、コンピューターを通して聴こえる音を書いていくんです。NYのオーケストラとやったときはそこからオーケストラ用に振り分けていって。それでいざオーケストラ・ショウをやりましょうってなったときに「これはまずいな」となったんです。
――何がまずかったんですか?
なめられたんですよね。「この日本人に何ができるのか」って、挨拶もしてくれない。皆本当にエリートなんですよ。指揮者に関して言えば音楽大学の教授とかで。僕らもオーケストラとやるのなんて初めてだし、結構プレッシャーがあって。
――どうコミュニケーションを取っていったんですか?
革ジャンを着たまま駆け寄って「nice to meet you! 最初に言っておくけど俺譜面読めないから一切質問しないでくれ!」って伝えて(笑)。
――えええ(笑)!
「だけど弾けば感じるから、感じてくれ」って抱きしめて。それでやってみたら、1曲目が終わった瞬間にお客さんが歓喜していて、ふとオーケストラの皆をみたら彼らが一番盛り上がってるんですよ。弓をもったまま(笑)。で、ショウが終わったあとバックステージで全員とハグして。音楽がすべてを超えた瞬間ですよね。
――素晴らしいエピソードですね。
ロンドンでもオーストラリアでも、まず指揮者のところにいって「質問しないでくれ!」って常に言ってるんですよ。これ、恥ずかしいから言ったことなかったけど、ドレミが読めなくてもロックはできるし、NYでオーケストラを持てるってことを証明したほうがいいと思ったんですよね。若いときは頭でっかちになりがちだと思うんだけど、自分の人生の脚本は自分で書けばいい。何でもできると思う。僕みたいな教養のない田舎者でもこれだけ夢を叶えられるっていうのを身を以て証明しているので。
――最終的にオーケストラの譜面はどうするんですか?
打ち込んでいったものをMacからプリントアウトします。プリントアウトは自分でするんですけど、それを僕は読めない。
――自分は読めないものを弾かせるんですよね?
そう(笑)。日本でN響の方達とやった時もそれを伝えて。でもそのときおもしろかったのは、リハのときにたまたま横にいらっしゃったチェロ奏者の方の中間部の弾き方がちょっと強いなと思ったときに、演奏をとめて「すみません、そういうことじゃないんです。ここは立って騒ぐようなシーンじゃなくて、何かが起こる予兆を感じてただ座っているシーンで、その人がギャーギャー動いていないんです。これから起こることを予期しているシーンなんです」って言ったら、「ごめんなさい、ちょっと意味が…」って(笑)。
――そうですね(笑)。
でもそこでN響のバンマスの方が音楽用語にして伝えると、僕のイメージと一致して弾かれるんですよね。僕はその用語を知らないのだけど。その後チェロ奏者の方が「こんな風に音楽を感じたのは初めてです。とても感動しました」と仰っていて。それがすごくおもしろいなって、音楽の世界は無限だなって思いましたね。
――いや、すごい話ですね。
不完全な人間が夢を見られるんですよね。感覚ひとつでも、いわば音楽教養的に完全な人間であるオーケストラの方と対等にいられる。「こうあるべきだ」っていう概念が足かせになるので、ある種の勇気と信じる力があれば進めるんだよ、自分次第だよって思いますね。それが日本人にないものだし、自分の活動を通して伝えられればと思いますね。
過去作品
【特集ページ】
>>『For My Parents』ハイレゾ配信&インタヴュー
>>『HOLY GROUND: NYC LIVE WITH THE WORDLESS MUSIC ORCHESTRA』ハイレゾ配信&インタヴュー
>>『Hymn To The Immortal Wind』配信&インタヴュー
LIVE INFORMATION
日本公演
2015年1月10日(土)@仙台LIVE HOUSE enn 2nd
2015年1月11日(日)@代官山UNIT
2015年1月17日(土)@梅田Shangri-La
2015年1月18日(日)@名古屋CLUB UPSET
PROFILE
MONO
1999年結成。当時日本で自分達の音楽を鳴らせる場所と機会に限界を感じたバンドは、その活路と演奏出来る機会を海外に求め、2000年にNYヘと渡る。言葉の壁もあり、NYでの活動も苦闘の連続。しかしそこを活動の場所と決めたバンドは、楽器を売り払い、ガソリン代を捻出しながらもライヴ活動を継続する。その強靭で、しかも無限のサウンドスケープを見せる演奏は注目を集め、徐々にライヴ規模を拡大。その後は毎年150本にも及ぶツアーを行うようになる。
2004年にはUS有力インディペンデント・レーベルTemporary Residentsと契約。その後も歩みを緩めることなく、北中米、ヨーロッパ、アジア、と精力的にツアー及び、フェスティバルに出演、揺るぎないファン・ベースを獲得する。ネットやSNSでのインスタントなBUZZではなく、ライヴとその評判の口コミで世界規模での人気を獲得。日本では数少ないバンドのひとつとなった。 2009年の結成10周年を機に、それまで企画を温めてきたオーケストラとのライヴを敢行。25名に及ぶWORDLESS MUSIC ORCHESTRAを編成し、はじめての海外公演の地、NYCで公演を行った。その模様は『Holy Ground: NYC Live with The Wordless Music Orchestra』として2010年にCD / LP / DVDとしてワールドワイド・リリース。世界中で話題となり、LONDON、東京、そしてメルボルンでの公演を行い、大成功を収めた。
2012年にはWordless Music Orchestraと共にスタジオへ入り、『For My Parents』をレコーディング。バンドとオーケストラとの創造性の高まりはより強度にそして高度になり、そこに広がる豊潤な音世界は唯一無二のMONOワールドとなった。その『For My Parents』にともなうワールド・ツアーでは、実に40カ国以上、150本以上に及び、成功を収め、その人気と評価はさらに高まった。
オーケストラとのツアーの成功、日本ではMONOとしてはじめてWOWOWで放送されたTVシリーズ「かなたの子」の音楽を全面的に制作するなど、世界各地でMONOの評価が高まる機運のなか、バンドはこの新作の制作にとりかかる。そこで出した答えは、MONOの音楽に比重を増していたオーケストラの起用をせず、15年の歳月を経てさらに強靭なサウンドを獲得した4人のメンバーでのサウンドスケープへの原点回帰。MONOの音楽の本質を徹底的に見極めた作品へとフォーカスされることとなった。
そして、15年の歳月を経て、さらにその表現の深度と強度を極限まで高めたMONOが自分達のサウンドを見つめ直し、自身の最長不倒を更新し新たな出発を告げる作品を携えて帰って来た。「Rays of Darkness」と「The Last Dawn」。MONOの持つ音楽の振幅、深度、強度、すべてにおいてソリッドに鋭利に研ぎ澄まされた2枚を2014年11月5日に同時リリースする。