無料通行時代
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その後、インターネットなどで会員を募る。 2001年、公団側からの回答がないため無料通行に切り替える旨の文言を「宣言書」に追記。無料通行による抗議に切り替える。しかし上記の首都高理事長の警告書については触れていない。 ただし、元はといえば、500円通行運動を始めた当初、首都高速道路公団(当時)の課長(同)に「30年たったら無料になりますよ。それが5年後の1993年に来ます」と言われたのが伏線であった。当時の道路整備特別措置法では、高速道路は建設から30年で建設費を償還し、無料開放されることになっており、首都高速道路では1993年(正しくは1992年)に最初の無料化路線が現れるはずだったのである。しかし、現実に無料化されることはなく、償還期限を法改正で40年に延長しただけだった。また、料金のプール制を導入し、個別の路線ではなく、接続するすべての路線をまとめて償還する方式に変えられた(一般の高速道路は、1972年に政令でプール制になっていた)。このような行政側の場当たり的な対応が、フリーウェイクラブの活動に一定の正当性を与え、支持者を得た理由であった。 当時、首都高速道路の料金が700円となったことや、道路公団民営化の議論の迷走があったほか、民主党のマニフェストに「高速道路無料化」が盛り込まれたこともあり、何度かマスコミの取材対象となった。 ほとんどの会員は宣言書を、有料道路制度および道路公団の経営怠慢に対しての抗議としてではなく、単に高速道路を無料で通行できるパスとして扱った。高速道路だけでなく道路運送法に基づく民営の有料道路で無料通行する会員や、無料通行して暴走行為をしたと自慢する会員も発生する。その一方で、過去に債務不存在確認訴訟の棄却判決や強制徴収が行われたことは全く説明しなかった。田中けんに対する彦根簡易裁判所の判決では、「(高速料金を払いたくないという)経済的動機から興味を持つ者の利欲心につけ込み、不正通行に駆り立てた」と批判をしており、宣言書は単に高速道路を無料で通行できるパスとして扱われてきたという判断をしている。 2002年、当初1,000円であった終身会費を10,000円に値上げする。2006年、ステッカー代を併せて15,000円と事実上の再値上げをする。 会費の使い道が不透明で、私的に流用しているのではないかとの指摘があった。これに対し、事務諸費用や弁護士費用に充てる、としていたが、弁護士に相談した記録を会から報告した事はない。また、副会長名での回答によれば「任意団体である以上、一般に財務内容の詳細を説明する義務はない」と言う。 会費は強制徴収を受けた会員への補填ではないとの幹部の説明が同会公式ページの掲示板に掲載された。 2002年当時、車種格下げ要求による不当な通行料値下げや、暴走族による料金所の強行突破が頻発し、扇千景国土交通大臣(当時)が強制徴収も辞さずとの態度を明らかにする。 同年10月、無料通行を繰り返してきた会員の預金口座への強制徴収が実行された。会としての対応は、幹部が会員の預金口座のあった信用金庫に説明を求めただけであり、その後の経過は、報道および会からの報告はない。 2003年、会員2名が強制徴収を受けた事に対し、行政不服審査法に基づく審査請求を行うが棄却される。その後、強制徴収の取消を求める行政訴訟を東京地方裁判所に起こしている。その後の経過は、報道および会からの報告はない。 この間、数十件に及ぶ強制徴収が執行。中には、法人に対して執行された例もあり、未納通行料金とその割増金を併せて約1,000万円もの強制徴収となった事例もある。これは会社ぐるみでフリーウェイクラブに入会し、無料通行を繰り返した事によるものである。 強制徴収は、会員が他人名義の自動車を運転した場合、自動車の名義人に納入通知が送られトラブルがあったこと、預金口座とその預金額を把握するための手間がかかった。 (旧)道路整備特別措置法では違法行為だが、罰則がなかったため警察官は逮捕できなかった。このためフリーウェイクラブは「民事不介入の原則があるから、警察は介入できない。料金は支払わなくても心配ない。」と主張した。また、刑法上は、有料道路を利用した利益は財物でないため利益窃盗になり、原則不可罰という説もある。 「詐欺罪#成立要件と特徴」および「詐欺罪#ケースの考察」も参照
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