経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

成長政策の系譜

2010年01月18日 | 経済
 今日の「核心」では、論説委員長の平田育夫さんが池田勇人の所得倍増計画に触れていたので、成長政策とは何なのかについて、少し言及したくなった。過去をどう評価するかは、現在に関わる問題でもある。

 「所得倍増」の意義は、政治が積極的な目標を掲げたことにある。学界などの物価高に対する懸念を押し切り、高成長を目指したことが結果的に日本経済を飛躍させた。むろん、物価も上がったのだが、代わりに日本の宿痾と言われた農村の潜在的失業者を一掃するという大きな成果も挙げた。これが国民の支持を得ることにもなったのである。

 なお、インフラの投資については、これを怠らなかったことは評価できるものの、経済に重きを占めるのは、オイルショック後の中度成長の時代になってからである。また、中小企業政策は、成長促進も然ることながら、再分配や政治面で評価すべきものであろう。

 他方、池田勇人の政策で見逃してならないのは、資本や貿易の自由化への対応で、大企業をも叱咤したことである。保護を求めがちな経済界に対して、明確なビジョンを掲げて対応させたことが国際競争力を強化することになった。

 池田勇人の経済政策を一言でいうと、積極財政と自由化になる。平田さんの論は、財政再建と規制緩和・法人減税の組み合わせになると思うので、成功を収めた過去の政策とは、符合する部分と、しない部分の両方があるということになろうか。

 さて、デフレギャップのある今、必要なのは積極財政である。議論すべきは、どこまで成長率が回復したら、どんな増税策を採るかを決めておくことだ。規制緩和については、業界ごとに事情が異なる。新エネの供給増大、コメ価格の低下、医療費の増嵩など、緩和したときの対応策のビジョンが必要だ。

 また、世代間の不公平論については、まったく的外れなので、これは筆者の「小論」を見ていただきたい。問題は、世代間にはなく、少子化にある。少子化の度合いが世代で違うため、世代間の問題に見えるだけのことである。

 池田勇人と今の政治で異なるのは、経済より財政を優先したり、自由化へのビジョンがぼやけていたりと、問題の本質を捉え切れてないことにある。今の常識を超えなければ、展望は開けない。ちなみに、池田勇人の政策や下村治の理論は、当時、異端のものであったことは言い添えておこう。

(今日の日経)
 第一生命・希望の部署で1週~1ヵ月。経済教室・税の表示法・大竹文雄。トヨタHV倍増100万台。核心・日航はあすの日本・平田育夫。
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隠れた「成長」分野

2010年01月17日 | 社会保障
 成長産業といえば、太陽光発電、電気自動車などの環境関連やITなどが思い浮かぶが、確実に成長が見込めるものとして、葬祭や遺産処理などの「死亡関連産業」がある。今年、120万人ほどの死亡者数は、2025年には150万人を超えてさらに増え続けると予測されている。

 葬祭といえば、映画「おくりびと」が話題になったが、死亡者数の増加によって、死は身近なものになり、考えさせられる対象として大きくなってきている。映画のヒットは、それを示すものと受け取れるし、普通の人々の死にゆく様子を描いた書籍も増えてきている。量的な増加は、社会を質的にも変えてゆくだろう。

 現在の平均寿命である85歳の人は、1925年生まれ、大正時代の終わりである。終戦は二十歳のとき、東京オリンピックが開催され、日本が貧しさから脱したときには、既に40歳になっていた。それ以降の世代と比べれば、若くして苦労も多く、豊かさも十分ではなかった最後の世代だ。

 一方、今後20年で、送られる時期を迎える団塊の世代は、20歳年下になる。前世代の多くが農業に従事したのと違い、高度成長の中で会社員として過ごした世代である。むろん、格段に豊かとなり、バブルの時代は40代後半、日本が最も輝いていた時代だ。

 個人差は大きいが、高齢者は貧しいというイメージも変わってこよう。資産を持つ世代であり、受け継ぐ子世代の数も少ないため、相続は個人レベルでも大きな問題になるし、マクロ的にも相続税が大きく伸びることになる。現在の大量発行の国債は、こうして戻ってくることになる。

 むろん、多く人が死亡時期を迎えるということは、終末期の医療などの費用も増すことになる。これをどう負担するかという問題もある。長期介護の人から突然死する人まで、平均すると、死亡までに9か月間は床に着くことになる。この時期をどう過ごすかは、送られる人、送る人双方の立場で、すべての人の問題である。

(今日の日経)
 韓国製パネル輸入販売・3~4割安。今を読み解く・温かい看取り・木村彰。読書・ワークライフバランス・山口一男。
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戦略の考え方

2010年01月16日 | 社会保障
 第二次大戦のドイツの知将ロンメル将軍は、変幻自在の作戦ぶりから「砂漠の狐」と呼ばれた。対する英軍のモンゴメリー将軍は「愚将」である。しかし、勝ったのは、正攻法で押し切った英軍だった。効率は悪くても、勝てばよいのである。

 日本人の悪い癖は、戦略がないと嘆くだけだということである。嘆くぐらいなら、こういう戦略があると見せてほしいものだ。単に「うまい手があればなあ」という願望を言っているに過ぎないことが多い。

 戦略を作ることは、周辺を見回し、先行きをイメージしなければならないから、かなり労力がいる。しかも、そうして作ったところで、実行に移れば、戦略は、相手に容易に読まれ、対策も取られる。それでも有効なものでないと意味がない。

 実は、相手に読まれても有効な戦略とは、皆で利益を分かち合えるなど、誰もが協調したくなるようなものになる。つまり、戦略と言うよりも、「誠実に対応する」、「邪悪になるな」などの真摯な心構えで臨むこととに似てくるのである。

 稀に、相手も読めないような知的価値のある戦略もないわけではない。誰もが「それは不可能だ」と思うことをクリアしたり、思わぬ方向からのアプローチだったりする革新性のあるものだ。しかし、戦略に限らず、そのような革新的なものが容易に作れないことは明らかであろう。しかも、そういう革新的なものは、周囲にもなかなか理解されない。

 結局、「戦略がない」と偉そうなことをいう人は、戦略とはどういうものかよく分かっていないのである。更に悪いのは、戦略のつもりで、硬直的な計画を作ってしまうことだ。失敗続きの財政再建計画はその典型であろう。不況には財政出動、好況には増税という「場当たり的」な対応がまだマシである。

 筆者は、「小論」で戦略的な社会保障を提案しているが、革新的であることが難点である。理解してもらうためには、一定量の説明を聞いてもらわないといけない。常識を破るものだけに、そこに行き着いてもらうのに手間がかかるのだ。まあ、社会保障には関心がなくても、戦略には革新性が伴うことを知る上で、ちょっと読んでいただければと思う。

(今日の日経)
 標準獲得の人材育成塾・フェリカ、中国・三流モノ作り二流開発一流ルール。外国人株買い5年ぶり水準。定額給付金・消費支出増6300億円。予算繰越し容易に。中国外貨準備23%増。大機小機・売り手から買い手へ・剣が峰。
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少子化対策の数値目標

2010年01月14日 | 社会保障
 日本の命運もこれで尽きたか。厚労省の保育所定員を1割増とする方針の記事を見ての感想である。日本の政治には、ビジョンも戦略もないことを痛感させられる。追加財源3000億円は、役所にとっては「奮発」もしれないが、「今より少しでも良くすればよい」と満足してしまうことこそ、日本人の最大の欠点である。

 では、少子化について持つべきビジョンとは何か? それは、出生率1.75への回復である。これは、若者の子供を持ちたいという希望をすべてかなえた場合に実現する数値である。若者の切実な希望をかなえることを政治のビジョンとしなくてどうするのか。出生率の回復には経済合理性があり、社会的意義もあることは、ここで繰り返すまでもない。

 厚生省の方針は、5年で1割増員だから、年間では2%の増になる。これでは経済成長率の見通しと大して変わりないではないか。経済に占める保育予算の割合は変わらないということになる。しかも、団塊ジュニア世代の女性は既に30代後半である。5年間でこれでは、チャンスは捨てると宣言するのと同じではないか。

 現在、子供の出生数は100万人程度である。出生率を1.75に回復させるためには、25万人は増やす必要がある。厚生省の方針では、0~3歳未満の定員を5~7%伸ばして100万人に増やすというが、年齢当たりでは33万人。そうすれば増員数は8万人程度ではないか。

 つまり、25万人増やさなければならないのに対し、8万人増に過ぎないことになる。これで十分と言えるのであろうか。少子化の最大のネックは、保育所が足りず、託児するにもカネがないことである。少子化対策の勝負どころでこれでは、解消の希望を持つことは、とてもできない。追加財源3000億円が必要というなら、3倍増にすれば良い。子ども手当の大きさを考えれば、1兆円など大した額ではなかろう。

 せめて、次年度の子ども手当増額の対象は絞り込み、0~3歳未満をターゲットにすべきだ。そうすれば、若い母親も高い保育料・託児料を負担できることになる。そうなれば、保育士不足も解消でき、パート保育士の悲惨な待遇も大きく改善できるはずだ。

 こんな財源の集中投入の戦略は、狂気の沙汰と思われるかもしない。しかし、それは、今、絶対に必要なことなのだ。坂本龍馬の「尊王開国」も狂気だった。大切なのは、日本の存続のために、是が非でも達成しなければならないビジョンは何かということだ。

(今日の日経)
 第一生命株式会社化現金交付額1兆円。チェンナイ日産ルノー工場。工作機械12月の海外受注倍増。経済教室・VBとの触発で共創を。
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健康保険の負担の基礎理論

2010年01月12日 | 社会保障
 「後期高齢者」という言葉が批判されたとき、なぜ悪いのか、すぐには分からなかった。この言葉は、制度のために行政が作ったのではなく、人口学などで確立した用語であり、価値中立的なものだった。専門家ゆえの感覚の鈍さ、国民感情への想いの至らなさを、痛感させられた。

 その「後期高齢者」医療保険制度の見直しが進められている。現行制度は悪評紛々だが、疾病確率が大きく高まる75歳以上を別立てにするというのは、保険設計としては、理にかなうものである。一方、病気がちで所得も低い75歳以上の高齢者を別立てとすれば、他世代から本当に助けてもらえるのかという不安も沸く。筆者は、言葉への批判の背景には、こうした不安があると考えている。

 現行制度の負担は、国と地方が5割、現役世代が4割、本人保険料が1割というものである。それでは、どのような負担が理想的なのだろうか。これは、筆者が小論で示しているような年金負担の基礎理論が役立つことになる。

 まず、少子化がない場合は、医療や介護が充実され、いかに保険料が増えようとも、現役時代の負担は、高齢期になってから必ず還ってくるので、「損」することはない。世代間の損得は在り得ず、一人の人が生涯で使うお金を、現役時代と高齢期にどう配分するかという問題に過ぎなくなる。ここは概念として極めて重要だ。

 しかし、日本は激しい少子化の下にある。団塊ジュニア世代については、その子世代が6割しかいないことになるため、4割を支えるだけのお金を団塊ジュニア世代が積立金の形で用意しておかなければ、世代間の不公平が発生することになる。この4割は、最悪でも税で負担することにしないと、保険制度自体が成り立たなくなる。

 他方、団塊の世代は、その親世代が少なかったために負担は小さかった。少子化を起こさなかったので、負担以上の給付を受ける「権利」はあるとは言え、自分たちの子である団塊ジュニア世代のために、「権利」をフルに使わないで、お金を残して置くべきではないかという考え方も成り立つ。

 いかがだろうか、ちょっと難しかっただろうか。一つ要点を挙げると、年金と違い、医療・介護保険は積立金をほとんど持っていないために、少子化の影響を強く受け、世代間の不公平を除くのは極めて困難だということである。そこは「損」もやむなしと腹を括るか、本気で少子化対策をするかということになる。「損」の大きさよりも、少子化対策の負担が小さいことは言うまでもない。

(今日の日経)
 65歳以上国保に加入、現役世代と別勘定。負担調整困難も、企業や世代間の利害交錯。日本風力開発、英に技術供与。経済教室・山口光恒。
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新成人に贈る

2010年01月11日 | 社会保障
 大昔のことである。筆者が新人だった頃、係長に「これはどうやったらいいんですか?」と尋ねたところ、「ヒトに聞いて仕事をするな」と言われた。要するに、自分で調べ、自分で考えなければ、身に付かないということだ。スピードとマニュアル時代の今では、考えられないことだろう。当時の筆者だって、「仕事を指示するのが上役の役目じゃないか」と思ったりしたものだ。

 また、「良い仕事をするには才覚がいるが、早くするのは努力でできる」と言われたものだ。むろん、「おまえに才覚など無いのだから、さっさとこなせ」という意味だ。「言われたことは着実にやれ。それができるだけでも優秀」というのもあった。辛くて情けない新人時代であったが、今はそんなぶっきら棒な係長に感謝している。

 今日は成人式だ。不況の今は、若者が仕事にありつくだけで大変である。彼らにとって、新人時代の苦労は、羨ましいものにさえ見える。自分を鍛えてくれる職場を得られるのは、恵まれたことなのだ。この経済情況を何とかしてあげたい。これは正直な気持ちである。

 今日の日経社説は、「若者の意欲と力を引き出そう」と言うが、政策的アイデアには乏しい。新卒一括採用の見直しや高校大学の実践的教育の充実くらいで救われるのか。「核心」では、子ども手当は半額で様子を見てはと言うが、大規模な保育の充実は待っていられない。若い女性が意欲と力を発揮するために、どれほど熱望しているのか分からないのだろうか。

 正規・非正規の問題もそうである。正社員への壁を崩すには、一定所得を超えるといきなり重く課される社会保険料の改革は不可欠である。低率から始まり、徐々に保険料率が高まるようにしなければならない。経済構造の改革が供給力の強化を目指すものだとすれば、こうした施策こそが正当なものであろう。

 社会保障を改革し、若者の仕事や子育てを助けられるようにすることが、日本の最大の課題である。こうした再配分の制度も整えなければ、社会起業家も育ってこない。それが盛んなイギリスは、日本より遥かに大きな政府なのだ。

 日経は、社会の木鐸であろう。企業を強くしたり、財政赤字に目配りしたりすることを掲げるのも良いが、それ以上に、若者の意欲と力を引き出す具体的な施策について、危機感のある真剣な議論を求めたい。それは若者への贈り物にもなるはずである。

(今日の日経)
 復活の10年・伊藤元重。地方自治法を抜本改正。求職者支援・家賃融資1年で1万件。核心・マニュフェストを仕分けよ・土谷英夫。インドネシア底堅く成長。イラン国外搬送期限を無視。非正規・正社員の壁崩す時。経済教室・25%削減の旗を降ろすな・蟹江憲史。ネアンデルタール人の貝殻ビーズ。
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輸出主導から依存へ

2010年01月10日 | 経済
 今日の日経読書欄の「今を読み解く」は東大の植田先生だ。経済評論本を概観し、興味深い点として、「公共政策の役割を認める一方、…市場等を善と捉えている」と指摘している。植田先生も言うように、これが通常の経済学の立場なのだが、そこに立っていなかったことが日本経済の不幸であった。

 日本は、かつて「輸出主導」の経済と言われた。輸出を起点に高い成長を果たしてきたからだ。ただ、実感として輸出が重要なことは分かっていても、統計をみれば、輸出はGDPの1割たらずであり、なぜ、これが大きな成功に結びついたかが、経済学では「謎」であった。 

 その答えは、設備投資は、需要に導かれるものであり、外需→設備投資→内需→更なる設備投資というように循環するからである。この経路は常識的ではあるが、金利に従属しない「不合理」な行動となるため、学問的には理解が難しかったものである。不合理になるのは、このコラムで指摘してきたように、人間には時間制約があり、リスクがあると不合理な行動を採らざるを得ないことによる。

 小泉政権下の竹中路線による経済政策は、「小さい政府を追求すれば、市場機能が働いて、経済は上手くいく」という単純な思想だったと思う。それは、「上手くいかないのは、市場機能が働いてないからだ」という主張にもなる。そのような需要管理を無視し、低金利にすべてを頼る政策は、米国バブルの輸出需要の発生という幸運がなければ、早期に破綻していただろう。

 この間、日本経済の「構造改革」は進んだ。輸出のGDP比が異様に高まっていったのである。2002年の10%程度から、ピーク時には17%近くまで伸び、設備投資を上回るほどになった。まさに「輸出依存」経済の出現である。内需への波及が乏しい中、輸出と輸出関連の設備投資ばかりが伸びるという、かつて見られなかったパターンであった。

 先日の経済教室で竹中平蔵元大臣は、「2%強の成長の7割を内需で達成した」と強調するが、筆者には、世界経済の成長を大きく下回ったことや、8割から9割を占める内需が7割で止まったことは問題ではないかと思える。

 竹中元大臣は、リーマンショック後の財政出動をボピュリズムと批判し、経済リテラシーの向上を訴えるが、それは「小さい政府」思想の普及なのか。他方、植田先生は、市場対反市場主義、改革対反改革の不幸な構図とする。その点、筆者は、規制緩和と金融政策の万能論から、公共政策重視のプラグマティクな政策への修正とみる。

(今日の日経)
 基地交付金の使途拡大。日銀国債買い余力縮む。海外次第の日本経済・植田和男。世界の工場米国の行方。読書・伊藤博文(講談社)、地球温暖化戦争。
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議論を先に進めよう

2010年01月09日 | 社会保障
 大阪大の大竹文雄先生は、現在の経済論壇を代表する若手の経済学者だ。オピニオンリーダーというだけでなく、研究業績への学会内の評価も高い。それだけに、一歩先の議論が聞きたいところである。

 政治レベルでは、「消費税を議論するかしないか」という議論に止まっているが、だからといって、論壇が「課題である」と指摘する程度に止まる理由はないだろう。高齢化に伴う社会保障給付の増大を考えれば、それが避けられないのは明らかであり、問題は、いつ、どのようなタイミングで行うかである。

 諸外国と異なって日本が増税できなかったのは、政治がだらしないとか、国民の意識が低いとかではなく、物価安定やデフレが長く続き、消費税を上げにくい経済状態にあったからである。もし、日本がインフレ基調にあれば、経済的にも妥当だし、政治的にも目立つことはないので、増税は容易だったに違いない。

 消費税増税の重要性を指摘する大竹先生も、まさか、今のデフレ状態で実施せよとは、おっしゃらないだろう。それでは、どういう状態ならするべきなのか。筆者が提案するように、「消費者物価上昇率が3%台になろうとする情況になったら、1%引き上げる」といった議論が必要に思う。

 また、大竹先生は低所得者へ再分配する税制改革を支持されているが、このあたりは、筆者の認識も同じである。ならば、低所得者にとって税以上に重くなっている社会保障のセーフティネット改善の構想も聞きたいところだ。

 例えば、保険料の一部を国庫が肩代わりすることで、未納未加入の問題を改善することができるし、保険料を一部でも払うなら、国庫がマッチアップするとなれば、労働インセンティブも高まるはずだ。教育訓練も労働意欲が前提である。

 労働規制の緩和は、不況のこの時期では労働者の交渉力を弱めてしまい、良くても「貧者間での再分配」に終るだろう。むしろ、不況の今は、セーフティネットを充実する好機であり、議論の力点もそちらにほしい。雇用の流動性の向上も必要だが、それは労働需給が逼迫しているときに効果を発揮する。

 セーフティーネット強化の具体策については、「小論」で説明しているので、ここでは繰り返さない。ただ、年金改革を行えば、そこから若い時の生活保障の給付を行うことが、負担増なしに可能になることだけは言っておこう。

(今日の日経)
 春秋・座敷わらし。ニッポン復活の10年・大竹文雄。三井住友FG収益の比重海外に移す。一致指数11月上昇、投資財出荷など。子ども手当税滞納世帯に払わず。給付金調査発表延期。EU炭素税義務付け検討。パッテン・日中、中印の資源調整が問題。コメ補償、需給調整機能に不安の声。中央環状山手トンネル3月に開通総工費6000億円。
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中国と1971年の日本

2010年01月08日 | 経済
 鉄鋼の設備がだぶつき、為替上昇による輸出不振をカバーするため、金融緩和で対抗して公共事業にアクセルを踏む。やがて、バブルが膨らみ、インフレが進むことになる。これは、中国のことではない。1971年の日本経済のことである。そのとき、高度成長が終るとは、誰も思っていなかった。

 この10年の世界経済の主役は中国だった。かつての日本の高度成長に勝るとも劣らない成長ぶりで、ゼロ成長に停滞した日本に追いつき、GNP世界第二位の地位を射程に収めた。ただ、このトレンドをどこまでも伸ばせるものだろうか。そろそろ屈曲のシナリオも想定しておく時期になっている。

 日本の高度成長の記憶は、40年経って、ずいぶんと薄れている。その末期に素材産業が設備過剰に悩んでいたことは記憶のかなたであろう。一般に、高度成長はオイルショックによって終焉したとされるが、経済統計を見ると、1971年が高成長・高投資のピークであったことが分かる。1972年のドルショックの時点で、高度成長は変質し始めていた。

 1ドル360円の固定レート時代が終り、外需に頼れなくなってくると、需要不足を感じるようになって、金融緩和や公共事業に乗り出し、成長を維持しようとした。しかし、その代償として過剰流動性が生まれ、オイルショックで火がついてしまうのである。

 そういう背伸びをした経済政策を、今の中国には感じてしまう。高度成長を維持するのではなく、中度成長でいかに経済と政治の安定を得るかという課題設定も必要ではないか。2009年も成長率8%以上という「保八」を達成したとされるが、電力消費量は5.9%増にとどまる。ずいぶんエネルギー効率が良くなったものだ。アクセルを踏んで、この程度の結果というのには無理を感じる。

 オイルショック以降、日本の政治は変動期を迎え、党内での派閥抗争が熾烈を極めることになる。それでも政権を失わなかったのは、社会保障が整備され、その保険料積立金を地方の公共事業に回すという、政権支持の装置を持っていたからである。経済が屈曲すれば、政治もまた揺れるというのは、中国も同様であろう。政権は、どう維持されるのであろうか。

(今日の日経)
 管財務相為替水準に言及。海外ファンド数年後の金利急騰で巨額利益の取引。中国物価上昇圧力一段と、過剰流動性膨らむ。経済教室・構造変化映す原油乱高下。
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原敬と小沢一郎

2010年01月07日 | 経済
 民主党の小沢一郎幹事長は、尊敬する政治家として原敬を挙げると聞く。原敬は、日本憲政史上における巨人であり、同郷の岩手県出身でもあるから、それも、むべからざるところであろう。この原敬は、日本以上に、海外の歴史家の評価が高いというのが不思議なところである。

 こうした評価になるのは、原敬があくまでもリアリストであり、優れた戦略眼を持っていたということから来るようだ。日本人は、空虚でも理想を高唱するタイプの指導者が好きなようであり、戦略的な功績への評価も苦手なようである。

 他方、外国人に、原敬が幅広く支持された政党を組織し、漸進主義で権力を手中にして、平和裡に「軍事革命政権」(藩閥政権のこと)から政党政治に移行したことを話すと、畏敬の念を持たれるし、米国の時代をいち早く理解し、軍部を抑えて国際協調路線(ワシントン体制)を推進した手腕も高く評価される。

 逆に、日本人にとっては、政党政治の確立に一定の評価を与えつつも、リアリスト的見地から普選にブレーキをかけたりしたことが、民主化を理解していなかったということで、気に入られないらしい。

 むろん、筆者の原敬への評価は高い。発展途上国を見ていると、開発を掲げて国民的支持を獲得し、政党を育て上げて民主化を実現し、国際協調に合理性を見出すという、リアリストの政治家が切望されるからだ。

 ところで、原敬は、普選によって政治が大衆化することによって、カネがかかるようになり、政治腐敗の問題が起こる危険性も理解していたようである。原敬は、極めてクリーンな政治家としても良く知られているが、これは単に性分というより、自らを守るためでもあったろう。

 当時は、官僚が支配する検察権力は強力であり、政党が収賄などの嫌疑で足元をすくわれるおそれがあった。実際、原敬より後では、そのようなことが起こっている。原敬は、検察の有力者を政友会の政治家として取り込むことにまで心を砕いたりしている。

 このところ、小沢氏のカネにまつわる嫌疑が取りざたされている。小沢氏も政治改革から政権交代という政治史に残る業績を挙げたが、いまだ郷土の英雄には及ばざるところと言うべきであろう。

(今日の日経)
 黒田東彦・輸出で日本経済を伸ばすのは限界。中国、2009年電力消費量5.9%増にとどまる。人民元10%切り下げを・中国社会科学院。プリウス電池供給体制整う、PHV300万円以下。経済教室・竹中平蔵。
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