経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

健康保険の負担の基礎理論

2010年01月12日 | 社会保障
 「後期高齢者」という言葉が批判されたとき、なぜ悪いのか、すぐには分からなかった。この言葉は、制度のために行政が作ったのではなく、人口学などで確立した用語であり、価値中立的なものだった。専門家ゆえの感覚の鈍さ、国民感情への想いの至らなさを、痛感させられた。

 その「後期高齢者」医療保険制度の見直しが進められている。現行制度は悪評紛々だが、疾病確率が大きく高まる75歳以上を別立てにするというのは、保険設計としては、理にかなうものである。一方、病気がちで所得も低い75歳以上の高齢者を別立てとすれば、他世代から本当に助けてもらえるのかという不安も沸く。筆者は、言葉への批判の背景には、こうした不安があると考えている。

 現行制度の負担は、国と地方が5割、現役世代が4割、本人保険料が1割というものである。それでは、どのような負担が理想的なのだろうか。これは、筆者が小論で示しているような年金負担の基礎理論が役立つことになる。

 まず、少子化がない場合は、医療や介護が充実され、いかに保険料が増えようとも、現役時代の負担は、高齢期になってから必ず還ってくるので、「損」することはない。世代間の損得は在り得ず、一人の人が生涯で使うお金を、現役時代と高齢期にどう配分するかという問題に過ぎなくなる。ここは概念として極めて重要だ。

 しかし、日本は激しい少子化の下にある。団塊ジュニア世代については、その子世代が6割しかいないことになるため、4割を支えるだけのお金を団塊ジュニア世代が積立金の形で用意しておかなければ、世代間の不公平が発生することになる。この4割は、最悪でも税で負担することにしないと、保険制度自体が成り立たなくなる。

 他方、団塊の世代は、その親世代が少なかったために負担は小さかった。少子化を起こさなかったので、負担以上の給付を受ける「権利」はあるとは言え、自分たちの子である団塊ジュニア世代のために、「権利」をフルに使わないで、お金を残して置くべきではないかという考え方も成り立つ。

 いかがだろうか、ちょっと難しかっただろうか。一つ要点を挙げると、年金と違い、医療・介護保険は積立金をほとんど持っていないために、少子化の影響を強く受け、世代間の不公平を除くのは極めて困難だということである。そこは「損」もやむなしと腹を括るか、本気で少子化対策をするかということになる。「損」の大きさよりも、少子化対策の負担が小さいことは言うまでもない。

(今日の日経)
 65歳以上国保に加入、現役世代と別勘定。負担調整困難も、企業や世代間の利害交錯。日本風力開発、英に技術供与。経済教室・山口光恒。

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