【短期集中連載 Bimiの美学 vol.2】Bimiはなぜエキセントリックなパフォーマンスを行い続けるのか?
俳優・廣野凌大によるアーティストプロジェクト、Bimi。彼のことを深く知るべくスタートした短期集中連載「Bimiの美学」第2回は、「ライヴ」にフォーカスしてインタヴューを実施。はじめて舞台に立ったときのことから遡り、Bimiはなぜエキセントリックなライヴを行い続けるのか、その秘密を探りました。さらには1月24日にリリースされる新曲「博徒街道」の話も!2024年もまだまだ攻め続けるBimiの活動から、目が離せない!
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INTERVIEW : Bimi
先日開催されたワンマンライヴでは頭にマイクをぶつけたり、はじめてのステージでは体中墨だらけにしたりと、なかなか刺激的なパフォーマンスを行ってきたというBimi。なぜこんなことを行うのか。どうしてもそこが気になった僕は、思い切って質問をぶつけてみた。すると、彼のエキセントリックな行動には、確かな信念と、ライヴに来てくれるファンに向けた想いを感じた。とにかく、Bimiの考えはおもしろい。彼はこれから、もっと我々を驚かせてくれそうな気がする。
インタヴュー&文 : 西田健
そのときからパフォーマンス力は別格でしたよ
──2023年12月24日にワンマンライブ〈Bimi Live Galley #01 -moi-〉が開催されましたね。ご自身としてはどんなライヴだったんでしょうか。
Bimi : Bimiらしさを失わずにむしろ増幅させてくれるなら、メジャーになる意味があるのかなと思っていたんです。実際かなり好きなようにやらせてもらいました。メジャー一発目のライヴとして、良いスタートになったなと思いますね。
──手応えはありましたか?
Bimi : ありましたね。Bimiとして活動してきて2年くらいになるんですけど、最初のライヴと比べてお客さんの盛り上がりも変わりました。こっちとしても歌っていて気持ちいいですね。
──具体的な変化はありますか?
Bimi : とにかく踊ってくれている人が多いのが嬉しいですね。日常でしないような動きを解放してくれるので、こちらとしてもテンションが上がります。アーティスト冥利に尽きますね。
──前回のインタヴューでも「踊らせたい」みたいなことはおっしゃっていましたよね。
Bimi : 音楽は、どこまでいってもその人の人生のアクセントでしかないから、必ずしも「自分の音楽で人の人生を変えてやる」みたいなことは思わないんです。だから踊ってくれるくらいでちょうどいいです。感情が揺れている人やそのときを楽しんでいる人を見ると嬉しいですよ。ライヴのときはテンションが上がって、自分で頭にマイクをぶつけてしまいましたけど……。
──あのパフォーマンスはテンションが上がってしまったからなんですね(笑)。
Bimi : テンションが上がってしまったのと、身近にそういう昭和のバイオレンスなエンタメがなくなってきちゃったから、やってみようかなと(笑)。時代に逆行しますけど好きなことをしたいので。頭から血を出そうと思ったんですけど、そこまで綺麗に血が出ることもなく……ただ痛かっただけでした(笑)。
──(笑)。新曲の反応はどうでしたか?
Bimi : 「ミツ蜂」とかよかったですね。でもメジャー初シングルの「babel」を披露しなかったから、みんな「babel歌わないんかい」と思っていたと思うんですよ。そこもまあ、Bimiらしさがあったのでよかったのかなと。
──「babel」をセットリストに入れなかったのは、なぜですか。
Bimi : 節目のライヴでしかしないようにしようと思っていたんですよ。人生を歌っている曲なので、毎回セトリに入れると軽くなっちゃうなと思って。でもファンの人も柔軟に受け入れてくれたので、これからもファンとタッグを組んで頑張っていきたいです。
──Bimiとして活動する前、はじめてのステージに立ったときは覚えていますか?
Bimi : はじめて、となると幼稚園のお遊戯会じゃないですかね。目立ちたがりな子だったんで、隣の子が振り付けを間違えると「違うよ」って言っちゃっていました。あとは、親によさこいを踊らせられて、路上でパフォーマンスさせられていましたね。そこからモテたい気持ちがあって、小6でギターをはじめて、中学1年生くらいでバレーボール部の壮行会かなんかで、バンドを組んで初めてライヴしたんですよ。当時はパワーコードだけの簡単な曲をやっていました。
──中学からバンドをやっていたんですね。
Bimi : 自由度が高い地元だったので、なんでもできてバンドをしました。高校になると、地元の中学の人たちが集まるので、高校では先輩のバンドに入ったり、茨城のライヴハウスに立たせてもらったりしましたね。自分に酔っているわけじゃないですけど、そのときからパフォーマンス力は別格でしたよ(笑)。モテたしお客さんもいっぱい呼べたりもしたので、手応えはあったんですけど、上京しようと思っていたタイミングでみんな就職しやがって(笑)。モテたくてはじめた音楽なのに、いつの間にか音楽に取り憑かれていて、自分だけ成仏できませんでしたね。いつか音楽できたらいいなと思いつつ、最初は俳優でオーディションを受けて芸能活動をはじめた感じです。
──中高時代のバンドではどういう曲を披露していたんですか?
Bimi : ロックでしたね。主にコピーでしたけど、オリジナルも作っていました。でも恥ずかしくて、披露することはなかったですね。
──当時から作曲もしていたんですね。
Bimi : 何もわからないまま、ネットでコード進行を調べて、そこにキーを当てはめていました。でも今じゃ本当に恥ずかしくて聴けないです。
──歌詞はどんなことを書いていたんですか?
Bimi : マキシマム ザ ホルモンが好きだったので、歌詞もそれっぽい感じで書いていました。ラウド・ロックっぽく歌っていました。
──当時からミクスチャー的なものが好きだったんですね。
Bimi : そうですね。小学校からずっとラップを聴いていたし、ロックも好きでした。インディーズ時代にフィーチャリングで一緒に曲を作った、ラッパーのMammonは高校の同級生なんですけど、中学からずっと趣味合うやつで。でも当時は2人ともすかしていたんで、あえて階段で飯を食っていたんですね。そのときに、自分はバンドが好きだったのでリンキン・パークを勧めたり、あっちはヒップホップが好きだったので教えてもらったりしていました。当時はフリースタイルも流行り出していて、「R-指定のUMB 2013やばいよ」とか教えてくれましたね。ふたりとも他のクラスメイトからしたら、イタいやつでしたけど、ずっと音楽交流をしていました。
──はじめてのライヴハウスに立ったときは、どういう感じでした?
Bimi : 対バンのイベントだったんですけど、変な芋くさいジャージ着て、UFOキャッチャーでとった美少女フィギュアの首を咥えながらライヴしていました。
──当時からエキセントリックだったんですね(笑)。
Bimi : まあお客さんは引いていましたよ(笑)。でもコピーだったので、知っている曲が始まれば大丈夫でしたね。文化祭でも他校から観にくるくらい人気があって、モッシュもおこっていましたよ。
──自分の音楽に対する自信がでてきたのはいつ頃ですか?
Bimi : むしろ音楽はじめたての方がいけると思っていましたね。いまの方が考えるようになったので。怖いもの知らずだったんですよ。みんな盛り上がっているのをみて、いけるなと思っていました。自分へのナルシシズムは当時からありました。