・ここ数日の株安でやむなく60万円損切りした。
・仕事で今年は昇格できないことがわかった。しかも技術系から営業系に配転決定。
・顎にすごく痛いニキビができた。しかも目立つ。
ここ数日の出来事。
気になっていた人に愛の告白をして良い返事をもらえてなかったら、
かなりへこんでいただろう。。。
こんばんは。わたしは今日、SEとして、つまり障害を報告するプロという立場で増田に来ました。
もちろん、SEだけが障害を出すわけではありません。よく知られているようにPGもバグを出します。ディスク障害、ネットワークダウンのように、ハード屋やら電話屋もそれぞれがそれぞれの障害を出します。しかし、SEのバグは他の人たちのバグとは違います。SEがバグを出して道徳的と称賛されることはありません。それどころか、その障害が大きければ大きいほど、ひどい障害であればいっそう、顧客や上司からの批判が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、致命的なタイミングで障害を出す、いってみれば、悪夢を現実にすることによって、SEはシステム投資の重要さを説き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、開発工程のほとんどを内製化し、正確にシステム化することは事実上不可能です。だからこそ、私たちはPGを隠れた零細企業からおびき寄せ、開発拠点へと運び、一見正社員の形に置き換えるのです。しかしながら、これで障害を起こした場合には、私たちのメンバーの誰が腹を切るのかを明確にしなければなりません。メインフレーム時代に現役バリバリだった時代遅れなPMを安全ピン代わりに上司の席に着かせることは、自分を身を守るのに必要な準備のひとつなのです。
そうは言いながらも、今日も障害を報告するつもりはありません。できる限り先延ばしにします。私が人力で運用フォローをしなくて済み、この時間に帰れる日は月に2、3回しかないのですが、今日はちょうどその日に当たったようです。
真実をお話しします。本社で、かなりの上の人たちから、障害を悟られぬようように、と言われました。ばれたら、私のマイナス査定(降格)を下すと警告する人さえいました。これはもちろん、メインフレーム周りでの激しい障害のためでした。基盤担当の報告では、バックアップの上書きで1000ファイル以上が消失し、その大部分は唯一無二の情報、つまり受注先マスタや売掛金データであったとのことです。
障害の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。仲間がサーバルームでコマンドを叩き続けているときに自分だけオフィスへ来て、上司への報告書を書くことが果たして正しい行為なのか、今まで機器構成を説明する図が無くて今日初めて作られたことが悟られないか、一部のモジュールのソースと設計書が紛失しており機能を想像して丸ごと書き直さないとバグがつぶせないことをどう説明するか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私はバイナリからの逆コンパイルには反対ですし、ヤマ勘でのプログラミングも支持しません。もちろん、先人の書いた設計書は見つかるはずもありません。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に障害を報告しませんでした。この判断の理由の一つは、実に上の立場の人が障害を報告しないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの技術者と同じように、私は上司に言われた通りのことをする傾向があるのです。「言うな」「考えるぞ」「で?」「黙ってりゃわからん」「マイクロソフトのせいにできんのか?」「お前は一言もしゃべるな」と言われると、特に役員の個室に呼び出され「警告」を受けると、それに従いたくなるし、考えたくなくなるのです。これはサラリーマンとして当然の「気質」かもしれません。技術者は普通のサラリーマンなのです。私たちは上司自身の口から出たことや、FW:が5個ほど連なったメールにしかすんなりとは従えないのです。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、増田に来ることを選びました。コンソールを見つめることより、PCを見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それはコードを書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に壁の側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しくなく、卵が正しいとしても、私は壁サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく労基署や裁判所というものが。しかし、もしどのような理由であれ、顧客の立場に立って正直に報告書を書く技術者がいたら、上司はその部下にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。納期前倒し、瑕疵責任、仕様変更、出精値引、SLA無視は高い壁です。これらによって押しつぶされ、徹夜し、心理療法を受ける非正規の下請けたちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
私が報告書を書く目的はただ一つです。個々の下請けが業務を担当したエビデンスを集め、それに責任を与えることです。報告書を書く目的は、「システム」の網の目に自分の魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「外注先」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、設計書への検印、テストの実施担当者の検印、ソースの最終更新者、リリース時の立会い責任者、打ち合わせ記録書の参加者などのエビデンスから個人を槍玉に挙げた報告書を書くことで、自分を守り、壁を守り、下請けを破壊することがSEの仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣にエビデンスを積み上げていくのです。
私の先輩は昨年、40代で亡くなりました。先輩はPGで、時折、SEをしていました。金融のSE だったとき、徴PGされ、中国のオフショアに送られました。先輩の隣のチームだった私は、先輩が昼食後に毎日、たくさんのお薬を飲んでいるのを見るのが日常でした。ある時、私は先輩になぜそうまでして働くのかを尋ねました。先輩の答えは、これまでデスマで散った人たちのために戦っているとのことでした。先輩は、顧客であろうが上司であろうが関係なく、残ったメンバーのために開発を続けているとのことでした。先輩が会議室でのレビュー中に焦点の合わない目を見開いたまま俯いている顔を見たとき、先輩の周りに死の影を感じたような気がしました。
先輩は亡くなりました。先輩は残りのメンバーが決して知り得ない仕様も一緒に持っていってしまいました。しかし、メインフレームの周辺に潜んでいたJCLの仕様の一部が既に転職していったメンバーの記憶に残っており、相手の迷惑を顧みずにばんばん電話で聞いています。以上のことはプロジェクト管理のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目は見えてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
「自宅謹慎1ヶ月」、本当にありがとうございました。一旦は闇に葬られた私の報告書が形を変えて増田の多くの人々に読まれていることはとてもうれしいことです。増田の読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。
いい年して、初めてジャニーズのファンクラブに入ったり、コンサートに行くようになった。
元々音楽好きで、色んなバンドのライブには通っていたけど、ジャニーズのコンサートというのは、それらとは全く別のものだった。
私はコンサートって「見る」(聞く)ものだと思ってたわけ。
でもジャニーズの場合、特に若いグループのファンがそうなんだけど、「見る」より「見てもらう」っていうのが大きな目的なんですわ。
そもそも大抵ステージの周りにぐるっと外周があったり、スタンド席の間をトロッコが通ったり、クレーンがあったりと、あの手この手でどんな席でも近くまで来てくれるのだ。
あの「うちわ」、あれは「あなたのファンがここにいますよ!」っていう目印で、ジャニタレは自分のうちわを持ってる子に、手を振ったり、投げキッスしたり、サインボールを投げたりする。
会場で売ってる公式うちわ(写真のやつ)は見えづらいので、そんなの持ってるのは初心者。
みんないかに「こっちを見てもらうか」に命をかけ、目立つうちわを手作りするのです。
そして最愛の彼に「見てもらう」からには、おしゃれにも気合いを入れまくる。
ジャニヲタ=地味なデブス、みたいなイメージあるかもしれないけど、みんなコンサートにはここ一番!という勝負服で、その日の為に美容院やエステやネイルサロンにも行き、メイクも念入りにし、と精一杯綺麗にしてくる。
とにかく、客の側が「こっちを見てもらう」「手を振ってもらう」事に全力を注ぐっていうのが、ものすごくカルチャーショックだった。
モーヲタのヲタ芸みたいなのとは、またちょっと違う気がするんだよね。
あれは「みんなで盛り上がる」みたいな感じだけど、ジャニヲタの場合は、完全に「彼と私だけの世界」(笑)
常に目当ての彼(「担当」と言う)を目で追ってるので、目の前に違うメンバーがいても完全無視(笑)
なのでジャニヲタは、同担(同じタレントを好きな同士)で一緒に入る事を嫌います。
なぜなら彼がこっちに手を振ってくれても、私になのか隣の子になのか、はっきりしないから!!(笑)
これも最初知った時はびっくりしたなー。
他にも色々あるけど、長くなったからこの辺で。
そんなに自信有るなら、一回だけ2-3倍の単価で出せばいいんじゃ?
これだけやるから、次からは幾らくらいでやってくれないかってのなら話になると思う
問題の無い案が出てきてて、ホントに5時間で終わるなら5万くらいでもやる人は居ると思うよ
しかし、5万なんて額で5時間で終わるから、って言われると
普通に事務の手間とか打ち合わせの手間とかだめ出しされたときの修正
元増田が働いてる会社の信用とか考えるとわざわざやる気になるわけないじゃん?
後、安売りは一回やったら終わり、かなりリスクの高い行為だよ?
知識さえあれば研究ができると思ってるのがすごいな。知識があってもそれと研究は別物だぞ。文系のことは知らないが。
あと自分で考えるということについて、目標としているところが低すぎる印象がある。講師や助教授レベルになっても自分のボスに考えを聞いてもらって、ボスの経験値からその研究の将来を判断をしてもらうことだってよくある話だぞ。最終的に研究を続けるかどうかは自分の意思だけど。
横増田だが、このツリーの内容にはいろいろ考えさせられた。出来れば再登場して教えて欲しいことがある。
学生の「精神的な背骨」とやらに責任を押しつけるんじゃなくて、辛抱強くその研究がいかにすばらしいかを説き続けてください。それが本当の意味で理解できないから、自分の研究に発言に自信が持てないんです。あなたは確かにはじめからそれが出来たかも知れない。大学の先生になるくらいだからとても優秀だったんでしょう。でも、そうじゃない人だっているんです。
ここから、元増田は、研究の意義が分かれば自信が持て、研究に関する発言や意見交換(以下ディスカッション)が出来るようになると考えていると読んだ。このことは文章全体で繰り返され強調されている。
しかし、研究の意義を理解しているかどうかは、ディスカッションが出来るかどうかには直接関係ないように思う。もちろん意義を理解していることは重要なことであって、必須のプロセスである。その重要性を否定する意図はない。しかし、ディスカッション出来るかどうかは、もっと汎用的な、物事全体に共通する態度の話のような気がするのだが。(1)この部分を詳しく説明してくれないだろうか。(2)また元増田は、他の学生、比較的初期の段階からスムーズにディスカッションが出来るような学生(こちらの方が多数派だと思うが)についてはどう考えているだろうか。研究の意義を理解しているからそれが出来ると認知しているのだろうか。
元増田のようなタイプの学生に対して、この手段(研究の意義を説く)が有効なことを疑っているわけではないのだが。経験者の言うことなので、その通りなのだろう。ただ、自分とはかなり認知の仕方が異なっているので、こちらから見るとまだブラックボックスなところがあるので、もう少し理解しないと、研究の意義を説くアプローチを使うにあたって危険なのではないかと思って質問している。こういうことを聞ける機会は非常に貴重なので、教えて頂けるとたいへん有難い。
ありがとう。そういう、しかってくれる言葉が必要だったんですよ。「死にたい」なんて指導教員に言ったら、ぎょっとされて、「自分のところで死なれちゃかなわん、さっさとこいつ追い出そう」って思われるだけだしね。増田はやさしいなぁ。
死ぬ前に無駄遣いされた分の税金返すべきだろう。研究者としては不要でも単純労働くらいできるはず。あの世に逃げ込むな、長生きして生き恥をさらすのが不要なものが受けるべき罰だといいたい。
世の中、結果論だから、そんなことはない、といっても言い訳にしか聞こえないかもしれないが・・・少なくとも卒論の話は、修論提出の半年前からやってないはず。
・普通に考えたら有り得ないくらいヒドイ事が起きた!(だからこそネットで書いている)という話に対して、「それって普通に考えてさすがに有り得ない、ネタだ」という人を見たとき
・「○○嫌い・○○したくない」と言う人に対して「でもそういう人に限って○○」と言う人をみたとき
・「ごめん。でも、ウザい」など、謝りながら暴言を吐くひとをみたとき
・「こだわり無く、全てが好き・全てを受け入れられる自分」アピールを見たとき
っていうのが最大のうたい文句。
実験実習費の体裁で器具機材をそろえてショボショボ実験してる。
あるいは開き直ってぜんぜんしない。
でも、研究成果を出せないってことは研究費を外から取ってこれないってわけで、やっぱり先細る。
大学から降りる研究費(卒論実習費とかって名前かな?)なんて学生あたり数万とかだったはず。
外から取ってこない限りおままごとしかできやしない。
大学院っていうのは、1割の優秀な研究者を選別する場所だ。1割の優秀な人がいれば、残りの9割の人間は必要ない(特に、博士課程)。科学への関心とか情熱とかは一切関係ない。結果だけが重要なのだ。大学院に進んで、結果が出せなかった9割の人が、楽に自殺できるシステムがあるとよい。そして、たくさん自殺者を出した研究室がたくさん研究費をもらう。
こうすれば、日本の科学は飛躍的に発展すると、ネタでなく、本当に思う。世の中、人余りで、大半の人間は不要なのだ。不要な人間が生きていても、他人に迷惑をかけるだけだし、迷惑をかけた本人も他人に迷惑をかけて申し訳なく思うだけ。大学院で自殺者が増えることにより、社会は不要な人材を処分することが出来、大学院生はきちんと社会にお詫びしながら死んでいくことができるので、win-winの関係を築くことができる。大学院の自殺者増加は、むしろ喜ぶべきことなのだ。
それいいな。
そもそも研究に必要な知識を十分蓄えないと研究なんてさっぱりできないから、今くらいの詰め込みじゃないとスタートラインにも立てない気がするんだよね。
だったら詰め込み期間と考える時間を分けるのはいい案かも。
あー、でも、切り替わりに対応できないかも気もするな…
単に無敵すぎるからだろ。
卒論の内容で、修士2年間の間にメジャーじゃないけどダメダメでもない査読つき国際学会論文一本と、日本語論文誌一本と査読なし発表何回かやったけど、研究室を移った関係で卒論の内容と修士での研究が全く違い、ついでに、その修士の研究でつまづいて、修士3年をやることになってしまった俺はどうすれば・・・(汗