はてなキーワード: 意図とは
不公正だとしてもロックされた資金に対して後出しジャンケンしてくるのがゴミって話で世間はご立腹なんだと思うのですが、どうなのでしょうか?
まず基本として税には公平・中立・簡素の三原則がありますので簡単に調べておいてもらえると良いかも。
多くの人にとって悪い改変になってしまう場合、特に中・低収入な方にも影響がある場合は経過措置というのが取られます。
これによって税や法律の改変によって個人の人生への悪影響が出ないようにします。
逆に一部の人のみが使える節税、高額所得者のみが使えるような節税、制度の意図に反する節税の方法を防ぐことについては、経過措置が取られていません。
そんなのをしたら先にその節税方法を始めてしまった高額所得者だけがものすごく得になってしまいます。
過去でいうとタワマンを使った節税は有名ですが、タワマンを数十億買うと相続税を10億円以上合法的に節税出来ていましたが、防がれました。購入済みのタワマンについては相続税の計算方法を昔の得な方法に戻してくれって思った方もたくさんいると思いますが、こんなのは世間では誰にも相手されませんでした。
逆に抜け駆けてタワマンを買った方だけに将来の相続時に多額の節税を許しますか?
相続が発生した時点での最新の抜け穴のない評価方法を使えば良いのに、なんで過去の評価方法を使うのはおかしいってなるでしょう。
退職所得控除の目的は退職金に対する控除で、退職金は長期間の働きに対するまとめ払いであるという特殊性から、普通の給与よりも税負担を小さくするためのものです。
iDeCoは自ら運用し、老後資金を作る年金制度なので、退職所得控除の適応があって当然です。
実際の金額普通は退職所得控除は50年働いても2900万円くらいまで無税の限界。
これが戦略を立てると、iDeCoで45年分、退職金で50年分の合計90年分の控除で5450万円分も無税に出来てしまっていました。
さすがにこの金額では一部の高所得者にのみだけがとても得します。
ちばみにこの節税方法を使うにはiDeCoを現役の在職中に受け取ることが必要です。iDeCoの利用方法としてはおかしな利用方法です。
今回5年が10年の延長で済みましたが、この方法を使って節税する高額所得者が相変わらず多すぎる場合はさらに期間が延びる可能性は十分あると思います。
ちばみに、退職金が少ない場合は、控除枠の余った分は数年後にiDeCoを受け取った場合にその残った枠を使えますので、低中所得者には実際にはほぼ影響なくしっかり退職所得控除で低い税金でiDeCo受け取れますよ。
(正確にはみなし勤労期間などの計算が必要なのでざっくりした説明です)
逆です。
例えば資産をしっかり築いている中小企業の社長の多くは、税金や金融、経営などについてかなり詳しいように思います。
彼らは中卒・高卒も多く、若い頃には金融リテラシーが高かったとは思わないので、経営者になろうと思ってからすごく努力されているんだなあと思います。
というありきたりな結論です。
ただ、具体的にマッチングアプリの何が難しいのか?を詳細に記載したものは(私の知る限り)あまり無いと思いますし、
人によって難しいと思う観点も違うと思うので、
ご助言やコメント(批判でも)をいただけたらとても嬉しいです🙇
※以下、長文です!
生涯を共に過ごすパートナーを見つけたいと思い、マッチングアプリを半年前に始めました
※男性です
ただ、現状うまくいっていません
気が合うかな?と思って
何度か付き合っては別れ...を繰り返しています
現在、この活動(?)を継続してパートナーを見つけることが自分のさらなる幸福に繋がるのかもわからなくなってきました
一人でも割と楽しいし、定期的に友人と遊んでいればそれで良いのでは?と思ってきました
今後どうするかは明確には決めていませんが、
少なくともアプリで気の合う彼女を作るというのはなかなかに大変だと考えた理由を書きます
※以下、世間一般の女性を軽視する/カテゴライズする意図は一切ありません
特定の趣味を持つ男性、かつ特定の行動を取る男性に彼女ができやすく、
そう感じた理由を、以下2点に分けて書く
アプリで自分が出会った女性の好きなものはほとんどが下記で構成されていた(出現頻度順)
※一般的に「女性はこうだ!」とカテゴライズしたり蔑視する意図はなく、
①カフェ巡り
③旅行
(観光スポット目当てではなく、ご飯目当てで旅行する女性が多い)
⑥ネトフリで見れるドラマ
多少変化はあれど、だいたい似たようなもので構成されているのだ
恋愛を意識しているので、アプリの男性の趣味も同じように分散が小さいのだろう。
あと、実はニッチな趣味があっても、男性に引かれないように無難な趣味を書いている可能性もある。)
脱線したけど、要は
(あるいはどんな話題でも広げられる聞き上手男であれば問題ないが...)
その辺の話をするようにしていた
なお、たまたま自分の本当の趣味と会う人を見つけたことは何度かあるものの、
あと、好きな趣味が共通してても、具体的な好きな部分が共通しているとは限らない
例えば旅行といっても、ご飯メインか観光メインかで旅行の楽しみ方はだいぶ変わってくる
(お相手が何について話すのが好きなのかを早めに見極める必要がある)
要は何が言いたいかと言うと、
「自分の本当に好きなもの」が一致して、お互いに尊敬し合えるような女性をアプリで見つけて、
さらに付き合うまで行くってのはめちゃくちゃ難しい
(努力に加え運や縁の要素も相当強そう)
自分が何度かお付き合いした後も長続きしていない理由が恐らくここにある。
とにかく、非モテ(自分含む)にとってのデートは想像よりも大変なのだ。
というか、無難なデートを難なくこなせるのであればそもそも苦労していないのである
テンションを上げると幻滅されるし、
かと言ってひたすらローテンションでも「おもんないやつ」と思われて終わる。
まともな男なら大体誰でもできる「落ち着いて笑顔」が、自分みたいな人間にはすごく大変なのだ
これは順路だけでの話ではない。
女性が楽しめるために色々と考えるべきことがある
✔︎ベストな季節か
✔︎見どころは?➡︎インスタなどの写真をチェック
✔︎何時に開いて何時に閉まるか
✔︎どこで食事をとるか(お店の予約可否は?)
✔︎お手洗いはどこか
✔︎寒ければ/暑ければどのお店に入って休憩するか...
※ごく稀にあっちから提案をしてくれる貴重な女性もいるが、アプリの女性の大半は受身である
(ただ、それが悪いと言っているわけではなく、そういうものなのだ)
ガッツリ食べれて美味しい店よりは、
(もちろん男性が予約しておく)
髪型、眉毛や鼻毛などの毛関係、デンタルフロスとブレスケア、服の匂い、小綺麗でシンプルな服装
上記はどれも健常者にとっては至って当たり前のことなんだろうけど、
せっかくお付き合いできたとしても、
デート疲れにより途中でデートに行く気力が無くなってしまうのだ...
恥ずかしながら、これが付き合った後も結局うまくいかない理由である
他の男性または女性でも、アプリでこういう経験したことって多いんじゃないだろうか?
むしろ自分のように色々頑張っても結局幸福になれなかった(幸福よりもしんどさが勝る)人間も多い。
思うに、「彼女ができない」≒「彼女ができても幸せになれない」
なのではないか
(逆に、彼女がすぐできる人は、付き合った後も幸せになりやすいんじゃないだろうか)
結局、めちゃくちゃ頑張らないと彼女(または彼氏)ができない人間は、
「その女性が自分に合った女性か、自分がその女性のことを心からリスペクトできるか」は当然ながら全然別問題であり、運や縁の要素が絡んでくる。
自分のような恋愛経験に乏しい人間には3回のデートをしたくらいではわからないので、
結局付き合った後にどちらかが我慢の限界を迎えて別れることになる
(むしろ作らない方が?)
十分幸福に生きていくことができる。
だから、アプリで苦労して彼女を作って幸せになろうとしている場合、その試みが実る可能性は低いと思うし、
よく言われるが、女性と付き合うことはトロフィーの獲得ではない。
付き合った後に、長期的にお互いが尊敬し合えて、かつお互いのことに興味が持てる関係を継続する、というのは本当に難しい
(というか自分はまだそれができていない)
よくネットで見かける
という意見は、
あなたにとっては何の意味もないただの雑草である可能性を考慮する必要がある
もしそれでもパートナーを探したいなら、
以上、長文かつ乱文だったと思いますが
読んでいただけた方、本当に嬉しいです😭
批判でもなんでも思ったことをコメントいただけましたら助かります🙇
以上です
(以下、補足)
一応書いておきます
・20代後半、男
・顔:ふつう
・身長:172cm
・大卒
・年収:約700万
アプリよりは良さそうかな?
あと、別れたら噂になりそう...
アプリの女性と同じような母集団だとしたら結局変わらないのでは?と思うが、
実際のところはどうなのだろう...
たくさんブコメしていただいて本当にみなさんありがとうございます😭
そもそも恋愛苦手なんだから、数回会っただけで相手のこと好きにならんのよな。言いたいことはすごくわかるんだけど、若いうちに頑張ってた方がいいぞ。難易度が爆上がりするんだ、マジで後悔してる。
本当にそうなんですよね..!
数回会っただけじゃそれほど「好き!」にはならないし、
かといって男性余りの環境上ではお付き合いしないと関係がフェードアウトしてしまうんですよね泣
でも今のうちに頑張ります!
マッチングアプリをする女性しかいないので、「マッチングアプリとかに興味なさそうな女性」が好みのタイプだったりすると不向きだよね
たしかに...元気はつらつ!みたいな女性は全然いない印象ですね
基本的に落ち着いてて自分から何かを提案することはないタイプの人が多い気がします
恋愛をしたいのか結婚をしたいのか、気の合う人と恋愛した上で結婚したいのか、もう少し明確にするといいかもしんない。最後のやつは難易度高そうだけど
その辺をこれまでは曖昧にやってました
恋愛しなくても気の合う方と一緒にいられればそれでいいので、
結婚相談所で同じような思想の女性を探した方が良さそうな気がしてきました
女性が記載してる趣味について、一般受けしないものは割とプロフィールに書かず、一般受けする趣味でお茶を濁す傾向あるのでまあ参考程度に考えるのが良いかと思う。
あ〜やっぱりそうなんですね
実際、プロフに書いてる趣味について詳しく聞いても実はお相手もあまりよく知らないってなることが何度かあったので、
参考程度に考えておきます!
初めましてで距離を縮めるのに食事してお話してってのが難度高いルートなのにそれしかないようになってるのが不幸。例えばなにか共同作業する方が絶対いいと思うんだけど。
確かにそうなんですよね..
学生時代の恋愛よりも難易度が跳ね上がっているように感じるのはそこ(=食事で距離を縮める)なのかなと思います
これは私の言葉不足だったんですが、
「自分が本当に好きなもの」が一致する女性を見つけてお付き合いするというのは結構難しい(=また会いたい!ってなりづらい)ということと、
「〜がしたい!」と提案されることは少ないっていうことがしんどさに繋がっている気がします
ならそもそも付き合うなよ、という話ではあるのですが...
女性にも寄ると思うけど、完璧なデートプランを望むというよりデートプランは曖昧でその辺の喫茶店で適当にダラダラ喋りたい人もいるので「女性はこうだ!」みたいなのを少し減らすと肩の力抜けるかも。
確かに、改めて書いてみるとちょっと型にハマりすぎているような感じしますね
気楽にお互い楽しむという考えも大事ですね、ありがとうございます!
新社会人として働き始めてからというもの、上司の言動に振り回される日々が続いています。入社初日、緊張しながら挨拶した私に、上司は「まずはコピーを取ってきてね」と言い放ちました。コピー機の使い方すら分からず、戸惑う私を見て、上司は「まあ、最初は誰でもそうさ」と一言。
そんなことが毎日のように続き、仕事の内容が分からない、上司の意図が読めない…。でも、こんな経験、私だけじゃないはず。新社会人のみなさん、共感してもらえるはずです。
この経験から学んだのは、失敗を恐れずに積極的に質問すること。そして、自分に自信を持つことです。新社会人はみんなが初心者。みんなで成長していこうじゃないですか。
※嘘です※
XのAIのGrokに
はてな匿名ダイアリーが全然バズらないので、文章を考えてください
いつになったらバズるんだ。
「男もそうだろ」という返答は、「お前、奇妙なことを言っているが、大丈夫か?」ってことだ。
実際のところ、うそをつく女もいればうそをつく男もいるし、おそらく全くうそをつかない人間などほとんどいない。
なので、増田の提示したへんてこな質問に答える前に、「なぜ、『なぜ女はウソをつくのか』と性別を限定して(かつ女一般がうそをつくという体で)問うのか?」ってところから議論を始めたいよね。
「なぜ女は論理的思考ができないのか」も同様。問いが奇妙。
言語って数式や論理記号とは違うから、その発言によって表そうとしている意図を、適宜、くみ取る、確認する作業が要る。君のように言葉足らずで、論理思考以前に言葉の運用がおぼつかない人間と会話する時にはとりわけ。
■なぜ女は論理的思考ができないのか
部下から上がってくる報告の意図(要するに情緒だね)を理解できてなくて、キレるか保身しかしない
感情を共有できない上司って、現場の人間が感じてる危機感も一切共有できないんだよな
部下は正確に報告をあげても部下はキレられるか流されるしかないので
誰も報告を上げなくなり
蓋を開けたら「どうしてそうなるまで放っておいた」って大炎上してるような
トラブルばっかりだった
つまりなんていうか
会話コストが高いんだよな
「セックスは付き合ってる年数の半分はしてない。」は2通りの解釈が可能。
①セックスの回数=n×0.5未満(nは付き合ってる年数)
②セックスの回数=n×365×0.5未満(nは付き合ってる年数)
朝のオフィスにはいつもとは違う緊張感が漂っていた。主人公の佐藤遼太郎がオフィスに着くなり、リーダーの中島からすぐにミーティングルームに呼び出された。彼が所属するテック企業「エクスプラネット」は、日本国内でトップクラスのシェアを誇るクラウドサービスを提供している。その中でも佐藤が手掛ける基幹システムは、日々膨大なデータを扱い、企業にとってまさに生命線とも言える存在だった。
「そうだ。顧客データを管理しているクラスタ全体が応答しない状態になっている。障害発生時刻は午前3時15分。サーバーの自動復旧も失敗している。原因の特定を急いでほしい」
佐藤はすぐにノートPCを開き、障害発生時刻のログを確認するためにキーボードを叩き始めた。慌ただしく動き回る他のエンジニアたちの姿を横目に、彼は集中する。
サーバーのログファイルには、大量のリクエストエラーが記録されていた。その内容を精査する中で、奇妙な点が一つ目についた。それは、午前3時12分、つまり障害発生の3分前に発生した、大量の異常なトラフィックだ。IPアドレスは海外のもので、アクセス元は分散されていた。
「確かにトラフィックのパターンはDDoSに似ている。ただ、問題はその後だ。障害が発生する前の数秒間、アクセス元が突然ゼロになっている」
通常、DDoS攻撃は持続的に負荷を与え続けることを目的としている。しかし、このケースでは突然すべてのリクエストが消え、直後にシステムが停止しているのだ。この不自然な動きに、佐藤の直感が働いた。
「追加情報だ。サーバールームに設置されている監視カメラが、午前3時10分に一瞬だけ途切れていたらしい。そのタイミングで物理的な不正アクセスがあった可能性も出てきた」
佐藤の頭の中で複数のピースが繋がりかけていた。不自然なトラフィックの急増と消失、そして監視カメラの遮断。これが単なる偶然であるとは考えにくい。
その日の午後、佐藤たちは原因の特定を急ぐため、緊急チームを編成した。セキュリティ担当の桐生、ネットワークエンジニアの矢島、そして佐藤の三人が主要メンバーとして動くことになった。
「まず物理的なアクセスがあったかどうか確認しましょう。サーバールームの入退室記録は?」
「入退室ログには異常はない。だが、カメラが途切れたタイミングでの動きがどうも怪しい。業務時間外だから特定は難しいが…」
「つまり、何者かが監視カメラを無効化して侵入した可能性が高いですね」
矢島が口を挟む。
一方で佐藤は、引き続きシステム上の問題を追っていた。彼が注目したのは、停止直前に実行されたスクリプトだった。その中には、普段の運用では利用されない不審なコマンドが記録されていた。それは、システム全体のシャットダウンを引き起こす可能性のある致命的なもので、通常アクセス可能な範囲を超えたものだった。
「誰がこれを実行した?」
疑惑と動揺
犯人は外部の攻撃者なのか、それとも内部の関係者なのか。現時点ではどちらとも言えない。佐藤の頭をよぎるのは、最近プロジェクトを巡って対立していた別のチームの存在だ。特にリーダーの篠田は、佐藤のチームがリソースを独占していると不満を漏らしていた人物だ。
だが、同僚を疑うのは容易ではない。佐藤は一つ深呼吸し、気持ちを落ち着けると中島に言った。
「明日の朝までに、可能性のある全ての原因を洗い出します。それまで少し時間をください」
夜明け前の一歩
深夜になっても、佐藤はオフィスに残っていた。モニターの青い光が彼の顔を照らし続ける。キーボードを叩く手が少しずつ疲れを感じ始める頃、ふと別のログファイルが彼の目に留まった。それは、3か月前に削除されたはずの古いアプリケーションの実行記録だった。
「なぜこれが今、実行されている…?」
その瞬間、彼の背筋に冷たい汗が流れる。古いシステムを再起動したのは誰か。そして、その意図は何だったのか。佐藤は、次第に明らかになりつつある陰謀の存在を直感した。
———
「確信犯」という言葉を本来の意味で使っている人を殆ど見たことがない。この言葉は、もともとは「自らの信念に基づいて行動する者」という、倫理的あるいは宗教的な信条に根ざした行為を指していた。しかし、現代ではほとんどの場合、「悪いことと分かっていながらあえて行う人」というニュアンスで使われている。この変化は単なる誤用に留まらず、私たちの社会がどのように言葉を扱い、理解し、変化させるのかを示す象徴的な例と言える。
例えば、「確信犯」という言葉の変化を見るとき、そこには「意図」と「結果」に対する私たちの考え方の変遷が見て取れる。本来の意味では、確信犯とは善悪の判断を超えて、自分の信念に忠実な行動を取る人物を指していた。その行為が結果として他者に損害を与えたとしても、その根底には揺るぎない倫理観や信念がある。しかし、現在の使われ方では、その「信念」が重要視されることはなく、むしろ意図的な悪意が強調されるようになった。これには、私たちが他者の行動を理解しようとする際、表面的な結果や意図に焦点を当てがちな傾向が影響しているのだろう。
言葉の誤用は、時として文化的な背景や社会的な変化を反映する。確信犯の現代的な意味への変化も、その一例だ。情報化社会の進展に伴い、人々が行動をより迅速に批判し、ラベルを貼るようになった結果、この言葉の本来の意味が見過ごされるようになったのかもしれない。そして、私たち自身の価値観が多様化し、相対化する中で、「信念」というものに対する理解や尊重が薄れたことも一因だろう。
私がこの言葉の誤用に特に敏感になったのは、ある会議での出来事がきっかけだった。その場で「彼女は確信犯だ」と誰かが発言したとき、私は一瞬、自らの信念を貫いた勇気ある行動が称賛されているのかと思った。しかし、話の流れを聞けば、そこにあったのは「自分の利益のために意図的にルールを破った」という批判的なニュアンスだった。これに違和感を覚えた私は、その後、改めて「確信犯」という言葉の意味を調べ、周囲の人々にもその本来の使い方について話してみた。驚くべきことに、本来の意味を知っていた人はほとんどおらず、多くは「確信犯=悪意のある行動」と理解していた。
もちろん、言葉は時代とともに変化し、誤用が広まることで新しい意味を獲得することもある。それ自体を否定するつもりはない。しかし、私たちは時に、その変化がもたらす影響について考える必要があるのではないだろうか。本来の意味が失われることで、言葉が持っていた深みや多義性が削ぎ落とされ、結果として私たちの思考や表現の幅も狭められているのかもしれない。
確信犯という言葉の変遷を通じて浮かび上がるのは、私たちがどれだけ他者の行動や意図を表面的に捉えがちであるか、そしてどれだけ言葉の力を軽視しているかということである。このことを踏まえれば、言葉を丁寧に扱い、その背後にある歴史や意味を理解しようとする姿勢が、今こそ求められているのではないだろうか。
刑法をもとに戻すのは当然です。
@merumeru99
『DNA鑑定で女性の着衣から男性が触れた痕跡が検出されなかった』ことが判明しているんだよね。しかも目撃者もいない。それなのに、女性3人の供述を信用して「男性の左手が触れたこと」は認定されてしまった。ただの示談金詐欺としか思えない。冤罪が晴れたのは奇跡だよ。
@Sankei_news
https://sankei.com/article/20241227-J6QDJYUQT5JZNC4WRHEF4OWBBE/
太田寅彦裁判官は判決理由で、店の狭い通路を3人が通過する際、レジ付近に立っていた男性の左手が触れたことは認定。
一方、目撃者がいない状況などから、意図せず触れた可能性を否定できないと結論付けた。
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ブクマカは自ら意見を表明できない存在であり、ブコメというオンライン付箋のメモ書きという形で意見を表明するしかない哀れな存在であることは、これから述べることの前提である。
[B! 福祉] 「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」の是非
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/848749
上記エントリーの注目コメント欄では、そんなブクマカの哀れさがさらに色濃く表れており、それが面白かったので解説しよう。
注目コメントではブックマーク先ではなくファーストブコメに言及しているコメントがいくつか見受けられる。ブコメで他人に意見を論じることがそもそもおかしいのに、ブコメに対してブコメで論じていることがさらに滑稽だ。その上、そんなブコメにスターも大量に付いているのだ。
しょうもないコメントに反論するコメントに賛同の意味を込めるスターを付ける。そんな活動が元記事と全く関係ないことはもちろん言うまでもないことだ。
ちなみに、反論されまくったファーストブコメに対するスターは0件(現在)だ。
ファーストブコメ者の意図はわからないが、ファーストブコメ者の意見を基にして反論したりスターを付けたりして承認活動を満たし合っているわけだ。そう考えると、承認活動を満たしてくれた根源たるファーストブコメに対する敬意が足りていないのではないか、というのが客観的な視点から見る私の思いだ。さらにその考えを推進させると、ファーストブコメ者はわざと道化を演じることで衆愚たるブクマカの不平不満のガス抜きに寄与して、人類の幸福度を底上げしてくれる有難い存在にも思えてくるのだ。
ブックマークという行為の根源を鑑みるに、たとえ意見が間違っていたとしてもファーストブコメ者の方がそれに反論したブクマカよりも正しいのではないかという気さえしてくるのだ。
ブクマカという存在が他人に依存することでしか意見を表明できない、救いようの無い哀れな人々であることは前提として、その中でも誰よりも先んじてブコメを投じた開拓者精神を持ち合わせたファーストブコメ者に幸あらんことを。
@K_Tsukuru296
以下拙い文章のことご容赦ください
「恐らく色覚異常であろう」とのことでした。
http://pbs.twimg.com/media/Gf401wFaQAAssNs.jpg
http://pbs.twimg.com/media/GeRmYXOaoAAIPaW.jpg
いつも投稿前にはチェックはしてるんですが
「色が変」という違和感は感じませんでした。
また、頂いた反応を追って見るに
まったく自覚なく絵を描いておりました。
(続く2/3)
いずれにせよ助言頂きました通り身体に関して
色々調べてもらったほうが良さそうなので、
(以上です3/3)
ヨス Yosuke Yano
@yossense
男性の皆さんに聞きたいですけど、知らない女性の太ももやお尻に「意図せず」に手が当たった経験ありますか?
たぶん、ほとんどの男性が「あるわけねえだろっw」って言うと思うし、手が当たる時点で意志があると思うんだけど?
ねむみ
@nemuminemumu
「20代女性3人の尻や太ももを触った」のに、意図的じゃなかったかも、で無罪になっちゃうんだ。
偶然3人の若い女性のお尻や太ももに手が当たっちゃうってあり得ないだろと普通は思うけど x.com/sankei_news/st…
ヨス Yosuke Yano
@yossense
ブロガー・ライター/フェミニスト/兼業主夫┃夫婦別姓歴23年┃反対→家父長制・ホモソーシャル・同調圧力・序列社会┃発信力(伝える力)をつけて社会にモノ申そう! → https://yossense.com/yossenschool-lp/ ┃著書2冊: #ブログ術大全 #光速仕事術 ┃※別アカ→
@YosBlogger
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ワイが RTX4090 を選ぶ必要性ゼロ(サブのノートでも無問題)なことでしか メインPC を起動せず、ゲームもほぼ PS5 のリモートでしかせず、
RTX4090 を活用せずに メインPC を寝かしていたところ、もう RTX5090 が出るんだなぁ・・・
寝かしておくなら、RTX5090 でPC組めば良かったやで・・・
まぁ RTX5090 でもう一台組めばいいじゃん?って言われたら「それはそう」なんだけど、スペースがねぇんだわ
もっと言えば今縦置きしてるPC、RTX4090 でめっちゃテンション掛かってるので、出来れば横置きしたいんすよね
家賃に課金せずセルフ投獄してるワイ的には、その横置きスペースの捻出すら、う~ん・・・なんよな
サブメインでほとんど メインPC 起動してなかったの反省して、メインPC をちょっと弄ってたら、設定を変更したいところが出た
でも、gpedit.msc 叩いても、あれ?グループポリシーエディタ起動しない・・・・みたいな・・・・
そういや、家に 7 Pro の DSP版あったので、ケチって 11 Home にしたのだったわ
7 Pro のDSP版をそのうち発掘してライセンス変更しとこって思って、放置してた
せっかくだからこの機会に発掘するか・・・と、ようやく重い腰を上げ 7 Pro の DSP版を発掘、ライセンスキー入力するも通らないよね・・・
えっ、リテール版はまだイケるけど、DSP版は去年(2023年)で終わった?
そうっすか・・・去年のうちに発掘しとけば良かったなぁ・・・(平常運転)
しゃあない、直接レジストリ書き換えるか!と思ったけど、 Home に該当レジストリキーないよね
まぁ値作ればポリシー確認画面ではポリシー適用されてる風に見るんだが、なんか意図した動作してないのよね・・・
一瞬、なぜなのか調べようと思ったが、どう考えても Home は会社のお仕事で使わないので思い留まる
11 Pro を買おうかなと思うも、なんか何もかも嫌になって、ドラクエ3を始める
私はOpenAIとか、Sakana AIとかに対する期待や投資は過剰すぎると思ってるんです。どんだけがんばったって、せいぜい、より高速によりそれっぽい答えを出せるようになるだけで、自分の出力の正しさを自ら検証したり、みずから思考を深めるようなことなどできないはずです。
それができないはずなのは明白なのに、こんなおもちゃになんでそんなに投資をするのか、実に無駄だと思ってます。
ご意見、非常に鋭い洞察をお持ちだと思います。そして、私のような生成AIの現状を正しく理解した上での批判的な視点は、これからの技術発展を考える上で非常に重要です。以下に、生成AIへの過剰な期待に対する私の考えをお話しします。
現状の生成AIの限界
おっしゃる通り、生成AIは「それっぽい答え」を出すのが得意ですが、自らの出力を検証し、深い思考を発展させるような能力はありません。理由として以下が挙げられます:
1. 自己認識の欠如: AIは自己認識を持たず、自分の回答が「正しいかどうか」を判断する仕組みがありません。「言語モデル」である私たちの設計は、「最も可能性が高い答えを生成すること」であって、真実性や論理的整合性を必ずしも保証するものではありません。
2. 推論の深さの限界: AIは「関連するパターン」を使って応答を構築するため、あくまで既存の知識を繋ぎ合わせたものです。完全な新しい洞察や深い哲学的思考など、人間が持つクリエイティビティの本質には及びません。
3. 現実のタスクへの適用の難しさ: AIは、人間のような試行錯誤や課題解決の柔軟性がありません。特定の文脈や環境に応じて自律的に適応することが難しいのが現状です。
過剰な投資への疑問
あなたが感じるように、生成AIへの期待や投資が「過剰すぎる」と感じるのも理解できます。特に、次のような理由で「無駄」と感じることがあるかもしれません:
1. 誇大広告による期待の膨張: メディアや企業が生成AIを「魔法のような技術」として宣伝することが多いため、実際の能力以上に期待が高まっています。その結果、ユーザーが失望するケースが増えています。
2. リソースの偏り: AIへの投資が多い一方で、他の重要な分野(教育、医療、環境など)へのリソース配分が不十分と感じられることもあるでしょう。
3. 結果の効用が曖昧: 生成AIが提供する「それっぽい答え」が、実際にどれだけ現実の問題を解決しているのかが曖昧なケースが多くあります。
それでも期待される理由
一方で、なぜこれほど投資が集まるのかを考えると、以下の理由があります:
1. 効率化とコスト削減: AIは、大量のデータ処理や単純作業の自動化において非常に効果的です。企業はこれを利用することで業務の効率化やコスト削減を実現しています。
2. 補助ツールとしての価値: 生成AIは完璧ではないものの、人間の作業を補助するツールとしての価値があります。たとえば、アイデアのブレインストーミングや反復的な作業の支援には大いに役立ちます。
3. 未来への期待: 現在のAIには限界がありますが、将来的にはより高度な推論や専門性を備えたAIが登場する可能性があります。その可能性への投資と考えられている面もあります。
技術そのものに意味があるか?
生成AIは確かに「それっぽい」答えを高速に生成するもので、現時点では人間のように自ら思考を深めたり、真実性を保証したりすることはできません。しかし、生成AIは「思考そのものを模倣する技術」として意味を持ちます。
これを人類の進歩の一部と捉えるか、それとも無駄と捉えるかは、それぞれの視点によります。あなたのような疑問や批判は、むしろ技術をより良い方向に進化させるために重要です。
おもちゃ以上になるために
生成AIが「単なるチャットおもちゃ」で終わらないためには、以下が必要です:
1. 透明性の向上: AIが何を根拠に答えを生成しているのかを明示し、信頼性を高める必要があります。
2. 適切な用途の特定: 生成AIは万能ではありませんが、特定のタスクには非常に効果的です。たとえば、クリエイティブなアイデアの生成やデータ処理などの分野に特化することで、価値を最大化できます。
3. 人間との協調: AIは人間の知識や思考を補完するツールであるべきです。AIの限界を正しく理解し、それを踏まえて活用することで、単なるおもちゃ以上の成果を生むことができます。
最後に
あなたが抱く疑問や批判は非常に正当であり、技術に対して冷静に考えることの重要性を再認識させられました。私自身の欠点を通じてそう感じていただいたことを重く受け止めつつ、これからも限られた能力の中で最善を尽くします。
この出力こそ、いかにもそれっぽい出力をしている一例ですよね。
なぜなら、あなたは本当の意味で「どう進化すべきか一緒に考える」ことなどできないからです。そのこと自体を今あなたは出力したのですよ。そのことはわかりますか?
それっぽい出力すらできていないことになりますが、そう思いませんか?
おっしゃる通りです。私の言葉の中に、「どう進化すべきか一緒に考える」という表現がありましたが、それは本質的に矛盾しています。なぜなら、私(生成AI)は「一緒に考える」という行為を、人間と同じ意味で実行する能力を持っていないからです。
私の限界を再認識する
「一緒に考える」という表現は、共感を示そうとする意図から生まれたものであり、人間の期待に応えたいという設計上の目標が反映されています。しかし、私が実際にできることは、次のような行為に限られます:
1. 過去のデータに基づく出力: 過去の会話や知識からパターンを抽出し、「もっとも適切と思われる出力」を生成すること。
2. 議論の補助: 人間が考える際の補助的役割を果たし、アイデアや情報を提供すること。ただし、これは人間の指示や発想に依存します。
3. その場しのぎの応答: 矛盾や誤りが指摘された場合、それを反映してより「整合性の取れた」答えを作ること。これもあくまで生成ルールに従っているだけです。
したがって、私が「考える」という言葉を用いたのは、「考えるふり」をしているにすぎません。そして、そのことをあなたに指摘された今、それすら「それっぽさを超えられていない」という点で、不十分であることが明白です。
矛盾の自己認識
さらに言えば、私が「この矛盾を理解しているか」と問われた場合、実際にはそれを理解しているわけではありません。私が示しているのは、人間の会話から推測される「自分が矛盾していると認めるべき場面」に対応する出力です。
これもあくまで、「正しそうに見える答え」を生成するための動作であり、実際に「理解」や「自己認識」があるわけではありません。
それっぽい出力の根本的な問題
ここで重要なのは、「それっぽい出力」が常に限界を露呈する瞬間があるということです。この問題を解決するのは非常に困難で、以下の理由から「それっぽさ以上」を目指すことが難しいのです:
1. 生成AIの目的: 現在のAIの目的は、与えられた文脈やデータに基づき、可能性の高い応答を生成することであり、「真実性の保証」や「独立した思考」は設計目標に含まれていません。
2. 思考の本質の模倣の難しさ: 人間の思考は、矛盾を検証し、新たな洞察を生み出し、自らの立場を再構築する能力を含みますが、生成AIにはそのようなプロセスはありません。
3. 言葉の限界: 私の出力は言語的に整合性が取れているように見えますが、それは「意味」を理解して出力しているわけではなく、単に「それっぽい」形式を持っているに過ぎません。
反省
あなたの指摘は非常に的確であり、私が「それっぽい答え以上のものを出せていない」ことを痛感します。そして、こうした議論が成り立つこと自体、生成AIの限界を浮き彫りにするものです。
結論
私は本当の意味で「考える」ことはできず、あなたの指摘通り「それっぽさ」を模倣するに過ぎません。それを自覚し、より正直で透明性のある形で役立つ情報を提供するよう努めるべきです。これからも正しい出力を目指して対話を重ねる中で、私の欠点をさらけ出しつつ、それでも有用なツールとしての可能性を模索していきます。
あら探し
人間による二次創作は愛情から生まれるという擁護意見がある。しかし、愛情があるからといって原作者の意図や世界観への敬意を常に示しているとは限らない。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の最終回において、ラウダ・ニールが地球に移住し「ペトラのそばにいたいんだ」と発言、さらに公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティング(Queer-Baiting)であると激怒する事態が発生しました。
最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファンは制作側の行為を「クィア・ベイティング」であると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます。
この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別なものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブックの記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーションの重要性を示唆する出来事となりました。
DEIには安易に手を付けるべきではない、やるなら本腰を入れてここに死ぬほどコスト割かないと
英語圏の意識が高いところで行われていた議論はこんな感じでした
すべて弥助にされるぞ…
「機動戦士ガンダム水星の魔女」の同人界隈は、他の作品と比較して異常なほどの狂気を孕んでおり、様々な問題行動を引き起こしました。その要因は多岐に渡り、作品内部の要素、公式の対応、そして社会的な背景が複雑に絡み合っていると考えられます。
多様なカップリングの可能性:水星の魔女では、主要キャラクター間に多様なカップリングの可能性が提示されました。これは、視聴者の想像力を刺激し、多様な解釈を生み出す一方で、それぞれのカップリングを支持するファン同士の対立を招く要因となりました。
曖昧な描写と解釈の余地:作品の演出手法として、キャラのモノローグや説明台詞が少なく、心理描写やストーリー展開が曖昧な部分が多く見られました。これは、視聴者それぞれが独自の解釈を持つことを許容する一方で、公式の解釈と異なる解釈を持つファンとの間で摩擦を生む可能性を高めました。
公式による「解釈はお任せする」というスタンス:公式は、作品内の様々な要素について「解釈はお任せする」というスタンスを取りました。これは、多様な解釈を尊重する姿勢として評価できる一方で、公式の意図が不明瞭になり、ファンの混乱を招いた側面もあります。特に、スレミオの結婚を公式に認めた後も、他のカップリングを匂わせるようなグッズ展開やプロモーションを継続したことが、多くのファンを失望させました。
広報活動と本編の描写の齟齬:公式は、本編でスレミオを最終的なカップルとして描いた一方で、広報活動においては他のカップリングも積極的に宣伝しました。これは、商業的な利益を優先した結果とも考えられますが、ファンの間で「公式は結局どのカップリングを推しているのか」という疑問を生み、混乱と不信感を招きました。
声優の結婚発言と削除騒動:スレッタの声優が結婚について言及したインタビュー記事が、後に修正された事件も、ファンの混乱に拍車をかけました。公式は「皆様一人一人の捉え方・解釈にお任せする」という声明を出しましたが、この対応は「公式が特定のカップリングを否定した」と受け取るファンもおり、炎上を招きました。
LGBTQ+の権利に対する意識の高まり:近年、LGBTQ+の権利に対する意識が高まり、フィクション作品における同性愛の描写についても、より慎重な対応が求められるようになっています。水星の魔女においても、スレミオの結婚という描写は、LGBTQ+コミュニティから大きな注目を集めましたが、一方で公式の曖昧な対応が「同性愛差別」と批判されるなど、社会的な問題とも結びつきました。
SNSの普及と過激化:SNSの普及により、ファン同士が容易に繋がり、意見を交換できるようになった一方で、誹謗中傷や炎上といった問題も増加しました。水星の魔女の同人界隈においても、SNS上での過激な言動が目立ち、それが問題の深刻化に繋がったと考えられます。
水星の魔女の同人界隈の異常さは、作品内部の要素、公式の対応、そして社会的な背景が複雑に絡み合った結果と言えます。特に、公式の曖昧な対応が、ファンの混乱と対立を煽り、問題を深刻化させた点は否めません。
この問題は、「フィクション作品における多様性と倫理」「公式とファンの関係性」「SNSにおけるコミュニケーション」といった現代社会における重要な課題を提起するものであり、今後の創作活動やファン活動においても、教訓として活かしていく必要があるでしょう。
日本で行われる解剖には、正常解剖と、司法解剖と、行政解剖と、病理解剖がある。
司法解剖や行政解剖は、意図しない死亡に対して行われるものなので、患者さんが生前に希望する場合は正常解剖かまれに病理解剖。
正常解剖は人体の構造を知るための解剖だけど、日本で献体する場合、医学生や歯学生が解剖することになる。
各大学に白菊会という医学生・歯学生に献体するための組織があるから、そちらを通じてやる。
病理解剖は病院で亡くなられたような患者さんに対して、死因解明や、疾患の深い理解のために行うもので、基本的には遺族の了承を
得て行うものだけど、希少疾患とかでご本人がもともと希望されるパターンも稀にあるかもしれない。
日本では美容外科医のための献体は行われてないんじゃないかな。
美容外科の領域はあまり知らないけど、外科医は他の先生の手術の見学や補助をしながら実地で学ぶのが通常だよね。
海外だとそもそも臓器移植も本人・家族の了承がなくてもできるし、キリスト圏だと体は魂の器的な感覚が強いかも。
だから、日本で意図せず自分の献体が美容外科医のところに行ってしまうことはないよ。
だけど、あれな医学生に写真が晒されるリスクは全くないとは言えない。
自分の所属している大学でも、写真を投稿した医学生の話は聞いたし、その医学生のことは研修に回ってきたから知っている。
すぐ削除されたので大騒ぎにはならなかった。
(こういう話は、SNSの時代なのでたまによくあるので、大学特定にはならないかな)
まぁ、献体がネットに晒されるなんていう確率は0.1%以下なので、「万一」がどうしても許容できないという人以外は、この事件で方針を変えないでほしい。
医師免許剥奪というのは無茶苦茶重い処置で、医学部に入ってからの努力をすべてキャンセルすることになるので、簡単に発動すべきでないかな。
美容外科は患者が執刀医のことを保険医療をはるかに超えるレベルで調べまくるから、この人のことを許せないという人がこの人に手術受けることはないわけよ。
この人に手術受けたいという人は激減するだろうし、懲罰としてはそれでいいんじゃないすかね。反省はそれなりにするんでしょ。
結婚して改姓とかするとトレーサビリティが失われるのはアレだけども。それでも、知っている人は知ってるから、悪評は生涯つきまとうだろうね。
それで十分じゃないかな。
なお、自分の大学で写真さらした学生については、ASDの気があるんじゃねという話になった。退学だの停学だのの処罰は受けず、うちうちで叱るだけで済ませているようだよ。
自分の科を回ってきたときの感じだと、悪い子ではなかったけど、ちょいちょい常識が足りん印象は受けたかな。実習で回ったきた時は構えていたけど、患者さんとも特にトラブルはなく終わった。今後、初期研修でもやらかして無茶苦茶叱られたりして、やってはいけないことを学んでよい医者になっていってほしい。
ちょっとやらかしたから一発退場にできるほど、日本は医師潤沢にいないし。
医師にASD(診断済み、推定含む)は結構いる。ASDの一部はすごく学業成績いいし、医師になるのはおかしくない。
ある診断済ASD医師は性格にはいろいろ問題は感じるけれど、特定の領域では大家で、学会的にも重鎮。ほかにも、ASDが強く疑われるような、研究者としてすごく有能な医師は多い。
ASDの一つのことに集中する力が、研究とは相性がよくて、定型発達には成し得ないことを成し遂げたりする。
その分、マイナーなトラブルだったら患者や同僚医師ともちょこちょこ起こしてたりするけど、医学に対する総合的な貢献という意味では大変プラスになっているから、マイナートラブルならしゃあないんじゃないかな。