僕はブックリストが怖い。
はてな民とか、あとは読書系サークルに近寄るとぶつけられるアレだ。
僕はアレが怖くてしょうがない。
ひとこと「本読みます」と言ったが最後、彼らは口々にお勧めの作品を提示する。
それらはしばしばリストの形をとり、数冊単位、時には10冊、100冊なんて単位をとることもある。
作品を羅列するひとは、とても楽しそうだ。かなりの熱意をもって、矢継ぎ早に「これ面白いよ」「これも読んでおかないと」と勧めてくれる。
僕にはそれが苦しい。
僕はリストをメモに書き留めながら、心の中では昔行った祖母の家での記憶を再生している。
祖母は遠方から僕たち孫がくるといたく喜んで、次々に食べ物を出してくれた。山のようなおやつ、晩ごはん前の前菜に茹でたとうもろこしを挟んでたくさんの揚げ物、ごはん、ごはん。
僕たちは祖母の熱意に押されて断れず、苦しいくらいにごはんを食べたものだった。
あの時の感じと、ブックリストをぶつけられる感じは似ている。
勧める側と勧められる側の非対称性とか。勧める側の、与えよう、啓蒙しようという感じが僕は何となく苦手だ。
彼らは勧める相手を対等に扱わない。
教化しようとしている。
自分はそんなことない、上から目線で押し付けたりしていないという人もいるだろう。
そういう人も、ちょっと思い返してみてほしい。
あなたは、自分がリストを作る時にかけたのと同程度、相手がそのお勧めトークや作品じたいをどう受け取ったか、それを感知することに知的エネルギーをかけているか?
相手は困惑したり、あなたが勧めた本を今まで読んでいなかったことを恥じ入っている様子はないだろうか?
そもそも相手は積み上げられるリストにうんざりしている様子はなかったか?
僕に本を勧めてくれた人の多くは、リストを作るのが好きな人は多かったが、感想をじっくり聞いてくれる人は少なかった。
たいがいの人は、僕が読んだことを確認したら、そそくさと次の本を勧めにかかった。
僕がまるでスタンプカードのように、リストに則って粛々と作品を勧めてきた。
ある種の人々は、仮想読者(非オタの彼女、サークルの新規会員など)に勧めるためのブックリストを作ることを無上の楽しみとしているように見える。
そこで仮定されるのは、たいがいが新参者、異邦人など、「自分より立場が弱い者」だ。「上司に勧める10の○○」だの、「婚約者の父に勧める10の○○」だのはあまり見かけない。
(存在しなくはないかもしれないが、全体を見た時の割合としては例外といって差し支えないだろう)。
ブックリスト作りはブックリスト作りで、読書をめぐる楽しみの一つなのかもしれない。
しかし、それを実際に受け取るのは生きた人間なのだ。あなたの頭の中にしかいない、啓蒙を待つひとではない。
せっかく熱意を持って勧めるのなら、同じくらいの熱意を持って勧めた相手の感想にも耳を傾けてほしい。
こんないいものを知らないのかという無知を矯正してやるために「薦める」。 そのくせ、ご希望どおりそれを消費して、めちゃくちゃおもしろかった!的な感想を言っても、かなり冷め...
よくいままで生き延びてこられたな、としか申し上げられません。 ここをどこだとお考えです? いったいあなたは今まで‥…いえ、すいません。 言っておきますが。 リスト...
勧めてもらえるだけいいんじゃないの? ある程度経験を積んだ人間なら、他人に勧めたものに「たいして面白くなかったよ」という感想を貰いまくっておすすめ自体やらなくなる お前は...
繊細チンピラ
あなたの感想は、すでに以前のあなたと同じ人に聞いているから。
格闘ゲームで似たような事が起きる。