はてなキーワード: 彼女とは
あと女もぶん殴っている。
九州が男尊女卑とか言う割に幸福度が高いのは、男尊女卑が正しいからだろ。お前らが間違っているということに気づかないんだからカルトだよ。
九州出身だけど、あれだけ男尊女卑なのに女性の幸福度が高いのはこれに通じるところがあると思う。
たまに地元に帰って友達と話すとドン引きエピソードがどんどん出てくるけど、本人たちはそれが当たり前の世界にいるから何とも思っていない。
@umikasumi01
Metooより前、私が10代の時に年上のフェミニストの方が「DVされ離婚した」と話してた。私が「フェミニストの方がよくDVされるのはなんでですか?」と聞いたら、「フェミニストじゃないとDVされてると気づかないから」と返された。
性加害のニュースが増えたけど、これまで表に出なかっただけなんだよね
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そもそもまともにコミュニケーションがとれないドクズが被害者ぶるな。
その代わり読書が好きで、歴史や哲学の書を読み漁ることについては何時間でもできる人だった。
そんな父に数年前から新しい彼女ができたという話を聞き、ついに先日会うことになった。
お相手は相当なバリキャリで、定年を迎えるまでは執行役員もやっている、そんなすごい女性だった。
次のどこが良かったのかと聞くと、金融の世界でやってきた自分にとって、自分にはない知識(歴史や哲学)があるところに惹かれたとのこと。
話を聞いていて、結局恋愛や結婚というのは、お相手が何を大事にしているか、それが魅力的に感じられるのが大事なんだなということがよくわかった。
素敵な女性に出会えた父によかったねと思う一方、なんで何十年も過ごした母親のことをお前は幸せにできなかったんだという気持ちもある。
イきそうと言葉にも出してた。
中出しをさせようとしてきたあの女。
あれは本当にヤバかった。
ゾッとする。
においは幸せになれていいよね。よくわかるw
…まだそんな気持ちじゃないんだと思い「本当にごめん、大丈夫」とあやまると、彼女は「なぜ途中でやめちゃうの」と怒りだした。彼は、彼女の真意がわからず、混乱したと言っていました。
私は性産業に従事しているので、最近の数年で劇的に改善してると感じるのだが、平成頃までは明確にこうした傾向があった。
数年前の対談より引用する。
https://shosetsu-maru.com/rensai/tobirawoaketara-018
伊藤 駐在員として日本に来ている外国人の友だちから聞いた話で、ちょっと驚いたことがあるんです。彼は、これまで四人の日本人女性とお付き合いをしたことがあるそうです。そのうちの三人は、最初に夜をともにした日に性行為を行おうとしたら「NO」と断られた。まだそんな気持ちじゃないんだと思い「本当にごめん、大丈夫」とあやまると、彼女は「なぜ途中でやめちゃうの」と怒りだした。彼は、彼女の真意がわからず、混乱したと言っていました。
対談では、男性についても「性行為における女性の『NO』は『YES』だと翻訳する装置が組み込まれているのかも」と、NOをYESと察することの問題点が指摘されている。
女性がYesという意味でNoを使って、女性のNoを男が勝手にYesと解釈する日本の性習慣が、性的同意のズレを生んでいたと思うが、このことについてはあまり議論されていない。
なぜ女性たちは性行為において、Yesの意味でNoを使っていたのだろう?
男性が求めるからだろうか、それとも何らかの内面的な理由で自発的にNoと言いたがるのだろうか。ニワトリが先か卵が先か、のような問題なのか?
論理的に考えるとNoの意味がNo以外にあり得るというのはまさに混乱でしかないので不合理なのだが、日本の古い奇妙な性習慣が一体全体どこからやってきたのかが分からないまま時代がアップデートされていく不気味さがある。
くらいかな。幸あれかし
顔もめちゃくちゃかっこいいのだが、とにかくすっごいいい匂いがするのだ。
普段はメガネで髭も剃ってない、みたいなタイプなので香水とかじゃないだろうし、イケメンって匂いまでいい匂いなんだと思って本気でビビっている。
なんかそばにいるとそわそわしちゃうレベルでいい匂いなのだ。自分の中の女を目覚めさせられる感じで、我ながらキモすぎて頭を抱えたくなる。
職場の人間をそういう目でみるなんてどうしようもないだろ、と思うのだが、ほんとにいい匂いすぎてときめきに抗うことができない。
これでかっこいいだけの無臭、とか、むしろ汗臭くて近寄りたくない、みたいな人だったらどれほど良かっただろうな〜と思う。神様イケメンに属性盛りすぎでしょうよ。
その先輩にはもちろん彼女がいるし、私のような冴えないブス女はお呼びじゃないので何も始まらないのだが、そばにいるといい匂いがするので無駄にときめいてしまい、悔しい。
世界で1番無駄なときめきである。こんな女にときめかれても害悪に近い。
その先輩の匂いから逃れたくてマッチングアプリをしたり婚活パーティーやら合コンやらに行きまくったけどどんなにハイスペでイケメンな人でも先輩と同じ匂いはしないので全然胸がトゥンクとならず、くっそ〜〜と思っている。こんなに嗅覚に人生邪魔される日がくると思わなかった。
このままだと匂いに負けて土下座して一度でいいから抱いてくださいとか言い出す日が来そうでマジで自分に怯えている。
セクハラで訴えられそう。
顔もめちゃくちゃかっこいいのだが、とにかくすっごいいい匂いがするのだ。
普段はメガネで髭も剃ってない、みたいなタイプなので香水とかじゃないだろうし、イケメンって匂いまでいい匂いなんだと思って本気でビビっている。
なんかそばにいるとそわそわしちゃうレベルでいい匂いなのだ。自分の中の女を目覚めさせられる感じで、我ながらキモすぎて頭を抱えたくなる。
職場の人間をそういう目でみるなんてどうしようもないだろ、と思うのだが、ほんとにいい匂いすぎてときめきに抗うことができない。
これでかっこいいだけの無臭、とか、むしろ汗臭くて近寄りたくない、みたいな人だったらどれほど良かっただろうな〜と思う。神様イケメンに属性盛りすぎでしょうよ。
その先輩にはもちろん彼女がいるし、私のような冴えないブス女はお呼びじゃないので何も始まらないのだが、そばにいるといい匂いがするので無駄にときめいてしまい、悔しい。
世界で1番無駄なときめきである。こんな女にときめかれても害悪に近い。
その先輩の匂いから逃れたくてマッチングアプリをしたり婚活パーティーやら合コンやらに行きまくったけどどんなにハイスペでイケメンな人でも先輩と同じ匂いはしないので全然胸がトゥンクとならず、くっそ〜〜と思っている。こんなに嗅覚に人生邪魔される日がくると思わなかった。
このままだと匂いに負けて土下座して一度でいいから抱いてくださいとか言い出す日が来そうでマジで自分に怯えている。
セクハラで訴えられそう。
俺も数年前の12月28日にオキニ(と思っていた)嬢にNGされたわ。
店外でデートもしていたのに、なんで??みたいになった。
2023年6月、20代女性X子さんと中居の間で深刻な性的トラブルが勃発。
心身ともに大きなダメージを負った彼女は、仕事を辞めざるを得なくなった。
「今でも許せない」。X子さんは小誌にそう漏らした
別にその点に対して憎悪なんてものは抱いていないし、むしろ素直に「おめでとう!」と感じるタイプではある。
問題は、そこで何故か「自分に対する嫌悪感」が生まれてしまったことである。
私は生まれてこのかた恋愛なんてしたことが無い。自分には知りえない世界の話であり、エロ本など半ばファンタジーのようなものである気さえしている。
何故か?自分のことを好きになれないからだ。自分の嫌悪している点なぞいくらでも湧いてくる。
そのため私は常に人間以下の存在として振るまい、人間様を怒らせないように、人間様が気分を害されないようにと生きてきた。書いていて情けなくなってくるが事実だ。
一旦、ここは前提となる自己嫌悪である。ではなぜ友人に彼女が出来たことで新たに自分に対する嫌悪感が生じたのだろうか?
その答えは、たった1つだけの他人の体験を聞いて、先に述べた、自分が20年ちょっと生きて形成した自分に対する価値観をいとも容易く忘れ、恋愛に対するあこがれ的な感情を抱いてしまったためである。
「ああ、なんて私は薄っぺらい人間なんだろう」と。そう感じてしまった。
彼女を作った友人はそれ相応の覚悟をし、自分を磨き上げ、そして掴んだものなのだろう。そんな努力をしてすらいない私が、自分の好きなことだけに目を向けて、嫌いな部分は見なかったことにして生きてきた私が、自分を好きになれない私が同じような感情を抱いていい筈がない。
書いていて情けなくなるな。本当に酷い文章。だからこそ匿名はてなに投げている訳だが。
他者と自分の人生を比較することなぞあまりにも無意義であることは理解している。
問題は「自分が他人からの影響を受けやすい」という点である。他者の趣味趣向、他者の人生、他者の行動になぞらえたような行動をとるし、自分の思想が変化していく。
今この文章を書いている自分は何者なのだろうか?と不安になる。自分の意志で何かを志し、自分の意志で何かを為しえたことなんてあるんだろうか。そもそも先に語った「自分が好きになれない~;;」なんて話も他者の継ぎ接ぎじゃないか?
人生を振り返ると「自分の足跡」なんてものは無く、他者のものを切り貼りして形成された歪な足跡が残っている気がしてならない。
まあ、それが自認人間以下の末路なのだろうか。かなしい。1000文字程度の文章に自分の感じている嫌悪がまとめられてしまっている事実も嫌だな。あ~やだやだ
Xでまことしやかに囁かされている「高齢になって趣味も無いから性に傾倒してる」ってやつ、嘘だから。
俺の両親は離婚したが親父は今でも女遊びしてる。
独り飲みも行くし、オフ会も行く。
そして今の彼女も抱いてる。
高齢趣味があるからといって性から離れると思ってる奴、本当に頭悪いのバレてるぞ。
ちなみに親父は今50ぐらい。アクティブな奴は怖いぞー
とかウキウキしてる連中を見ると笑けてくるな。
給与所得者のレベルの給料で、自営業者なので労働法に守られずに働いてる。
31日と1日も仕事したいけど、そこは家庭の都合で流石に無理。
仕事が膨大過ぎて年末年始に仕事しても間に合わなさそうなんだよなぁ。
こんなブラックの中のブラックだけど体はピンピンしてるのが凄い。
あー、流石にしんどい。
これで彼女とか居たらなぁ。
死に方も悩ましいよ。
「紅茶はいかが?」とあなたが尋ねたとき、もし「やだー」などと拒否されたとしても。
「苦しいのがいいんちゃう」「苦しいって言われた方が紅茶を淹れる側は興奮するからな」「苦しいのがイイってなるまで紅茶飲めよお前」
・・・と丸め込んで、飲ませた後に「なんか泣けてきたわ」と嘆いていたとしても。
友人に紅茶を無理矢理飲まされたことを伝えようとした様子が全くないならば、同意の上で紅茶を飲んだ疑いを払拭できないのです、・・・という判断が、どれほど完全に馬鹿げてるかが理解できましたか?
さきほど相手は「やだー」と言いましたが、終始拒絶してる人は紅茶を飲みたがっていません。
飲みたいと言って飲み始めず、最後まで一度も求めてない人は、紅茶をまったく欲しがってません。
相手が「やだ」「だめ」と否定したら、ただちに淹れるのをやめてください。少しも要りません。
ただ、やめてください。
無理やり相手の喉に流し込んだりしないこと。
それに対して憤ったり迷惑をかけたりもしないこと。
それも……とびっきりかわいくて
とびっきり素直で
とびっきり愛らしくて
とびっきりの淋しがりや。
しかも、そのうえ……
彼女達はみんなみんな、とびっきり!
タフのコトが大好きなんです……
大学生になったら世界が変わる。これ、誰もが一度は夢見る話だと思う。俺もその一人だった。東北の某公立進学校から上京して、偏差値だけで評価されてきた18年間を脱ぎ捨てて、自由な大学生活を送るんだと決意していた。そしてその結果、この一年で俺の生活がどうなったかと言えば…ヤリサーで週末ごとにパーティー三昧という有様だ。
あ、誤解しないでほしいんだけど、ヤリサーって言ってもいきなり怪しい会場に連れ込まれるようなものじゃない。最初は普通のインカレサークルに見えたんだよ。まあ、飲み会多めでちょっと派手な雰囲気ではあったけど。名前はここでは伏せるけど、某私立大学と提携してるアート系サークルって触れ込みだった。俺も最初は、趣味が合いそうだなと思って参加したんだよね。
でも、何回か顔を出すうちに分かる。普通の飲み会と何かが違う。最初は先輩がやたら親切すぎるのが気になった。「お前、もっとリラックスしろよ」とか言いながらやたらとグラスを空けさせる。で、酔っ払ってくると、やたら体が近い。女の先輩だけじゃなくて、男の先輩もだ。
最初の"その場"に連れて行かれたのは、夏休み明けの飲み会のあとだった。終電を逃したとか言って、みんなでどこかのマンションに行くことになった。まあ、家飲みの延長だと思ったんだけど、ドアを開けた瞬間に空気が変わった。薄暗い部屋に音楽が流れてて、妙に甘ったるい香りがする。で、奥のほうに目をやると、何組かがソファで絡み合ってる。
「え、これって…?」って思ったときにはもう遅かった。先輩たちは楽しそうに酒を注いでくれて、「大丈夫、緊張しなくていいから」なんて言いながら、俺の背中を押す。それで気づいたんだ。ああ、これが乱交サークルってやつなんだって。
正直、最初はびびった。でも、酒が入ると不思議なもんで、だんだんどうでもよくなってくる。先輩たちが「これ、普通のことだから」と言ってくると、本当にそうなのかもと思えてくる。そして気がついたら、自分もその場の流れに乗ってた。
そこからはもう、毎週末がパーティーだった。たとえば、ハロウィンの時期なんかすごかったよ。みんなコスプレしてきて、最初は普通に騒いでるんだけど、夜が深まると次第に雰囲気が変わっていく。女の子たちの格好がそもそも際どいし、酔いが回ると「ちょっとだけ触ってみる?」とか冗談半分に言いながら近づいてくる。そしてそのまま…という感じだ。
ついこの前あったクリスマス会も忘れられない。プレゼント交換会だとか言いながら、渡されるのは謎のコンドームセットとか、怪しいグッズだったりする。冗談だろと思いつつも、結局それがちゃんと役に立つあたりがこのサークルのすごいところだ。
夏休みは合宿という名目で旅行にも行った。海辺のコテージを借りて、昼はバーベキュー、夜は…お察しの通りだ。最初は多少の罪悪感みたいなものもあったけど、不思議なもので、何度か経験すると感覚が麻痺してくる。「これも大学生活の一環なんだ」と思い込むようになる。
もちろん、これにはメリットもある。まず、女の子との距離感が確実に縮まる。いや、縮まりすぎるくらいだ。普通に合コンとか行っても、どこかで「あのサークルのノリ」を期待してしまう自分がいる。そして、同級生や他のサークルの奴らが「最近彼女できないんだよね」とか言ってるのを聞くと、内心ちょっと優越感すら覚える。
ただ、デメリットもでかい。まず、まともな恋愛ができなくなる。相手に求めるものがどうしても肉体的なものに偏りがちだし、逆に普通のデートが退屈に思えてしまう。そして、一番怖いのはバレたときのリスクだ。実際、今年の春にある先輩が流出事件を起こして問題になった。匿名掲示板に写真が出回って、大学側が動くかどうかギリギリのところだった。幸い、俺はその場にはいなかったけど、正直冷や汗をかいた。
とはいえ、このサークルを辞めるつもりは今のところない。やっぱり、刺激的すぎるんだよ。大学生活なんて4年間しかないし、やりたいことやっておこうって気持ちが勝つ。それに、もうすぐ新入生が入ってくる。新しい顔ぶれを見るのはやっぱり楽しいし、「次はどんな子が来るんだろう」ってワクワクする。
もちろん、これを読んで「最低だな」と思う人もいるだろう。だけど、俺にとってはこれがリアルな大学生活なんだ。清く正しく生きるのもいいけど、こういう生き方も一つの選択肢だと思う。少なくとも、俺は後悔してないし、この一年を振り返ってみても「楽しかった」と胸を張って言える。
次の一年も、このサークルと共に過ごすつもりだ。新入生たちがどんな風にこの世界に馴染んでいくのか、今から楽しみで仕方ない。
政府は試験管ベイビーとして美少女ちゃんを作り、彼女のクローンを量産すると弱者男性のもとに配ることにした。
こうして弱者男性のもとには美少女ちゃんが訪れ、弱者男性は美少女ちゃんと平和な家庭を築き、無敵の人による犯罪率も低下。
だが、現実はそう甘くなかった。
「あ…ねぇ、ねぇ、見て見て! あの人…ほら」
すると後ろ指をさされ、クスクスと笑われる。
何故なら例の美少女ちゃんを連れて歩く=弱者男性という認識はもはや誰もが知るところであり、彼女を連れて歩くことはすなわち自分が弱者男性であることの証明のようなものであった。
それに気づいた弱者男性たちは途端に美少女ちゃんに対する目の色を変え、彼女を蔑み、そして捨てていった。
町には捨て犬ならぬ捨て美少女ちゃん達で溢れはじめ、既に一部では社会問題化しようとしていた。
彼女たちは住む場所を無くし、頼る相手も居らず、たいていの美少女ちゃんは成す術もなく野垂れ死んでいった…
政府は自らの政策の失敗、それを認めようとはせず美少女ちゃん達の行く末を静観していた。
彼女は段ボールの中で膝を抱えて座り、何も見ず、誰も恨むわけでもなく、ただ寒さに体を震わせていた。
雪の降る日だった。
ああ。きっとこのまま私は……
そんなときだった。
「大丈夫?」
雪が止んだ。
顔を上げると、頭の上には傘があった。
そして目の前には一人の男の人が。
男はゆっくり、優しく微笑みかけた。
「……あなたは?」
「僕? 僕の名は——」
増田だよ。
「増田…さん」
雪の降る寒い夜。
それが二人の出会いだった。
「メリークリスマス」
以前いた職場の元先輩。
フェイスブックの投稿にいいねしたらメッセージがきて飲みに行くことになった。
のっけからいきなり「最近流行ってるね~、不倫」って切り出してきてセカンドパートナー、既婚者マチアプ、托卵ドラマの話題に。
会計したタイミングで勇気を出して手を握って「もうちょっと一緒にいません?」って言ったら「うん」。
その後も一週間に一回のペースで会ってる。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の最終回において、ラウダ・ニールが地球に移住し「ペトラのそばにいたいんだ」と発言、さらに公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティング(Queer-Baiting)であると激怒する事態が発生しました。
最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファンは制作側の行為を「クィア・ベイティング」であると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます。
この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別なものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブックの記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーションの重要性を示唆する出来事となりました。
カップリングを中心にアニメを視聴すること自体は、個人の楽しみ方として自由である。しかし、それが行き過ぎると、作品本来の魅力を見失ったり、他のファンとのトラブルに発展したりするなど、様々な問題が生じる可能性がある。
水星の魔女の同人界隈における混乱は、カップリングを中心にアニメを視聴することの危険性を示す好例である。
カップリングに過度に執着すると、作品本来のテーマやストーリーが見えなくなってしまうことがある。
例えば水星の魔女では、「企業間の争い」「戦争の悲劇」「親子間の葛藤」といったテーマが描かれている。しかし一部のファンはカップリングのみに関心を持ち、これらのテーマを理解しようとしなかった。結果として作品全体の評価がカップリングの成否によって左右される事態となり、本来のテーマやストーリーが軽視されることとなった。
一部のファンは自分の好みのカップリングを成立させるために、公式設定や解釈を無視したり、歪曲したりすることがある。
水星の魔女では、公式がスレミオ(スレッタ×ミオリネ)を最終的なカップリングとして提示したにもかかわらず、グエスレ(グエル×スレッタ)やエラスレ(エラン×スレッタ)やラウグエ(ラウダ×グエル)など、公式設定とは異なるカップリングを支持するファンも存在した。彼女らは公式設定を無視し、自分の解釈に基づいた二次創作活動を行い、監督や脚本家への誹謗中傷を投稿する者や、企業ホームページからカップリングの非成立についての苦情のお問い合わせを送るものまで現れた。
カップリングに対する過剰な執着は、時に過激な言動や迷惑行為に発展する。
水星の魔女では、公式カップリングであるスレミオの結婚を公式に認めさせるために、株主総会で要求を行うファンが現出した。また、グエスレの同人誌即売会に殺害予告が送られる事件も発生した。
さらに、声優に対してスレミオを支持する発言を強要したり、キャラクターに対する不満を声優に対する誹謗中傷リプライとしてぶつけたり、生配信でスレッタ役とミオリネ役の声優に対して演じた役柄と同様に同性婚するよう求めるコメントを送るファンまで現れた。これらの行為は、作品や関係者に対する重大な迷惑行為であり、決して許されるものではない。
異なるカップリングを支持するファン同士が対立し、誹謗中傷や作品批判に発展することがある。
水星の魔女では、スレミオ支持派とグエスレ支持派の間で激しい対立が起こった。スレミオ支持派は、グエスレ支持派を「公式設定を無視する迷惑な存在」「同性愛差別者」と非難し、グエスレ支持派は、スレミオ支持派を「百合厨」「LGBT活動家」と罵倒した。
これらの問題は、水星の魔女に限ったことではない。 カップリングを過度に重視することで、作品や関係者、そして他のファンに迷惑をかける可能性があることを認識し、節度を持った行動を心がける必要がある。
性加害は本当に許してはならない、これには心から全面的に賛同する。するのだけど、加害者たちの対極の存在は評価されないことにいつも辟易する。
私はそういった性犯罪者の対極にいるという自負がある。脳が意思と関係なく顔が可愛いかどうかをジャッジするのすら不愉快なので実在女性の顔をコミュニケーション上必要ないときに見ないようにしており、それでも人並み(以上?)に性欲はあるため、現実世界に紐付く人格が「ない」二次元ものしかオカズにしない(VTuberもNG)という生活様式を、私は第二次性徴以降頑なに守っている。まだ30にもなっていないため、こういう「戒律」を守るにあたって、日々自らの性欲と戦わなければならない。しかし、性加害者への社会的制裁が日増しに強力になる中で、私のような生活様式の男性の評価が日増しに上がっていくなんてことはない。
辟易とはするが、しかし、この理不尽さには、「母なる進化を呪う」と吐き捨てる以外にできることがない。
一応、自分を「友人として」信頼してくれる同世代の女性はそれなりの数いる。私は発達障害者ではあるが、健常者エミュレータ(原義)の性能は、運良く生得的に高い言語性IQのおかげで、自分でいうのもなんだが、良い。だからそういった友人の関係性「まで」ならなれる。しかしながら、私もアセクシュアルではないため人を好きになることがある。おそらく平均よりかなり長いであろう内面の葛藤を経てから一歩踏み出すと、いつも、いつも、「誰か」が自分より先にその人の「良い人」になっているのを周辺人物から知る。その後やることは決まって数ヶ月かけて恋愛感情をバラバラに解体し、ただの友人に戻るための努力をすることだ。そしてこれは悲しいことにいつもうまくいく。その人たちに会うと湧き起こっていた甘酸っぱい感情を殺すのはとても寂しいが、間違いを犯すことはないのだと安心する。ただ、よく考えると仮に「良い人」がいなかったとしても、無害だと思っていた男から言い寄られるときの「ぬいぐるみペニス現象」が発生する可能性は高かっただろう。私の運が悪いおかげで彼女たちに不快な思いをさせずに済んだだろうか?
男性の性欲の暴力性について深く逡巡し、性加害を犯す愚者にほんの少しでも近づくことを良しとしない異性愛者男性は、報われない。そして、どこまでの侵襲性なら暴力性ではないか、というバランスを取り続けなければならない、定型発達者にも難しいゲームは、発達障害者にとっては難易度調整をミスってる上に一度も死ねない死にゲー(矛盾)としか言いようがない。そんなゲームにはうんざりだが、本能を萌えというドラッグでHackして誤魔化せるのは何歳までなのだろうか。萌えキャラはいつか病床に就くであろう私を世話してはくれない。かといって現実の女性を責めることもできない。「生理的にムリ」なものを論理でひっくり返すのは極めて困難だろう。きっとそれは性加害を撲滅するよりも難しい。
「理性は情念の奴隷」、それが私も含めた人間の本性というものだろう。
しかし希望はある。シンギュラリティ(技術的特異点)だ。ChatGPTの登場以降の世界を見ればわかるように、AIの進化はみんなが思っていたよりずっと速い。科学技術の発展を前例のない速さで推し進める汎用人工知能の登場は、もしかしたら2020年代中になるかもしれない。AIと愛や絆を結べる日、人類がAIと融合して「情念の奴隷」から脱却する日は思ったより近いのかもしれない。いま、生成AIの倫理には多くの疑義があるかもしれないが、後10年しないうちに、この地獄にもシンギュラリティによる「千年王国」が到来すると信仰しないと、もはや発狂せずに生きていくのも難しい。それしか縋れるものがない。だから私は恋愛市場での不利を承知で博士課程に進学し、自分を慰めてくれている作品を生み出す萌え系イラストレーターたちから十把一絡げにされて白い目で見られているであろうAIの研究に人生を擲っている。
そう信じて。