日常的にヤベー奴、ちょくちょく乗ってくるだろ?新幹線だって一緒だよ。
安全対策を求めるとかお門違いも良い所で、まずお前がボサっとしてんなと。
平和ボケしてて警戒心が足りないんじゃねえか?
30歳を目前にして、去年初めて彼女が出来た。共学育ちで高校なんて女子のが多いくらいだったのに告白することにもされることにも無縁で卒業してしまったため、もう自分には一生恋人はできないものだと諦めていた。合コンや街コンに何度か参加したが、あれはコミュ力か顔か、どちらかが秀でていないと厳しい。
彼女は2つ年下の同僚。俺なんかと付き合ってるのに、なんと可愛い。彼女が転職してきた時から同期の間でちょっといいよなーって話してたから恋は盲目的なアレでもない。盲目でも全然いいけど
会社のイベントを一緒に主催することになり、それから驚くほどトントン拍子に事は進んだ。飲み行って映画行ってっていわゆるデート。デートHow to死ぬほど読んだ。彼女は自分は明らかに釣り合ってないしからかわれてるのかとか、職場の皆がドッキリしかけてるのかとか頭をよぎったけど、職場の皆は「童貞引っ掛けてきてよwww」みたいなノリをドン引く人たちだとわかっていたので雑念を払うことができた。これ地味に重要だったと思う
彼女ができるまで自分は、ネットで女叩きこそしてなかった(書き込みはしない)けどそういうスレッドをわざわざ見に行くことがあった。別に女にトラウマがあるわけでもないが、なんだか見ると安心したのだ。女ってマジでくだらない存在で、議論も話し合いもできない。その上がめつく男を利用し金を絞りとることしか考えてない。だからそんな女たちに好かれなくても俺は大丈夫的なそういうやつ。自分にとって女性はすっぱい葡萄そのものだったってことだ
でも当たり前だけどそんなことなかった。 女、超人間。頭がおかしいと思うだろうけど、自分は本当に衝撃を受けた。なんていうか、理解はしてたけど信じてなくて、え、それって本当だったんだ!的な
彼女、ていうか女性全般全然普通に話あえるしそんなに見返りとか気にしてない(まあ男と同じくらいにはしてるか)。
確かに金と時間はかかるけど、相手も金と時間をかけてくれる(これは彼女が同じくらい稼いでるのが大きいかも)。
嬉しい日に変えてくれた。彼女の誕生日とか記念日とか、周りを見てるとめんどくさそーと思ってたけど、喜んでる姿ってすごい可愛くて嬉しくなるもんなんですね
うんうん、わかってるわかってる、親善試合の結果なんてどーでもいいんだよね。
まぁ日本が負けたら飯がうまい皆さんはW杯のボロ負け祈願の百度参りでもしていてください。
スポーツカテすらないインドアはてなーのみなさんが日本を叩けるからという理由で普段見向きもしないサッカーを
いくつもホッテントリさせてるのクッッソみっともないですからwwwwwwwwwww
フゥー気持ちいいー!
ひりひり痛む。
・熊本支援方言プロジェクト|福岡女学院大学・福岡女学院大学短期大学部
もちろん、わたしにとっては血の繋がった親戚の子どもだ。いくつになってもかわいいと思う。生まれた時から知っているし、近所に住んでいることもあってずっと成長を見てきた。いとこ家族は愛情を注いで育ててきて、本当に純粋でいい子だ。
ただ、彼は話せないし、こだわりも強い。ひとりでは外出させられないのだが、たまに勝手に家を出て保護されることもある。
彼ももう20歳になる。背丈は高くないが、力もあるし体格もいい。髭も生やして立派な男性だ。
わたしは身近にいるから多少は理解がある、とは思っていても、いとこの子ども以外で似たような男性がひとりで近寄ってきたら怖いと思うかもしれない。周りに見ている人がいなかったら、その場を避けるかもしれない。
本当に理解をしていれば、恐怖を感じないのだろうか。その恐怖は平等な社会ではあってはならないものなのだろうか。
小学校のとき、クラスのとある女子が支援学級の男子に、もちろん何の悪気もなく突然体を触られて思わず悲鳴をあげて手を払ったことがあった。先生はその女子に注意をした。
その女子は間違っていたのか…?
保護されたと聞くと、今でもたびたび思い出す。
うんうん解ってるよw
俺の中だけじゃない。袴田事件調べればなんで、なんで袴田がでっちあげられたのか、真犯人が誰かなんて誰でもわかる。だから、死刑囚の立場なのに収監しないで放置するっておかしな選択を司法がするんだよ。
随分スポーツ寄りになってしまったが今の僕なら以下を挙げるだろうか。スラムダンクのkindleはよ!はよ!
もちろん他にも好きな漫画は一杯あるんだけど、昨年BLUE GIANTを知って5巻以降の展開は
ここ数年でもなかなかだと思っていたの、1巻の時点でそのワクワクさを軽々超えてく
2000年頃より、うつ病ブーム、双極性障害ブーム、発達障害ブームという流れをメンタル業界は歩んできたわけだが、次は何が「啓蒙」されるのだろうか。
マインドフルネスとかデイケアとかスピリチュアルだとか、精神医学はいよいよ変な方向に向かっている気がする。
マインドフルネスなんて、100年も前に森田正馬が提唱していた概念そのものだろうに。
グレーゾーンな人々を最も的確に表していたのは神経衰弱や神経症という言葉だろう。
DSMから神経症が消え、何でもかんでも「○○障害」となったのにはどうしても製薬会社の陰謀を感じてしまう。
私の周りで、せっせと真面目に精神科に通って良くなった人は一人もいない。本当に薬が必要なのは統合失調症と古典的なうつ病と躁鬱病(今で言う双極I型障害)だけであろう。
鬱っぽくて色々な薬を試したがどれも効かなかったという場合は、性格の問題だと考えざるを得ない。根性論を主張したいわけではないが。
ダラダラ合う薬を探すのではなく、一定のラインで薬物療法に見切りをつけるべきだと思う。
お前の中では確定事項なんだろうな、あくまでもお前の中だけで
被害者長女じゃなくてもわかるわ