刑務所スレスレの底辺達と3年ほど仕事してたんでこの手の輩はよく知ってるんだけど、彼らはそもそも議論とか興味無いんだと思う
なんというか彼らを自分たちと同じホモサピエンスとしてカテゴライズしてるとどうやっても彼らの行動や言動に合理的な答えが出ないんだけど、
合う、合わないが激しい作品。絶対おもしろいと思って読むと「えっ?」となる可能性あり。
この中では一番間口が広い作品だと思う。ネットミームの元ネタもわんさかあってコスパいい作品。
出産してから育休を経て復職したここ2年弱の間で、自分の中で「やさしさ」の幅がめちゃくちゃ広がったと感じているので気持ちを書き留めたい。
出産してやさしさについてまず思ったのが、「私ってこんなやさしさ持ってたんだ・・・?」ということだった。
世の中に溢れ、今まで何度も耳にした「無償の愛」という言葉の意味が少し分かったような気がした。
正直出産するまで子供がそれほど得意ではなかった私だが、本当に娘がかわいくて愛おしくて、娘に対して湧き出てくるやさしさは本当に止められないものだった。
出産するまで私のやさしさゲージがマックス100だとしたら、娘の登場によって軽く10,000,000くらいにはなった気がしている。
測量することは困難だけれども、私が28年間生きてきて発した(?)やさしさの何倍もの量が、かる~くこの2年弱で発せられたのは間違いない。
殺伐とした会社を出てお迎えで保育園に足を踏み入れるたびに、世の中にこんなやさしい場所があるんだとほっこりする毎日である。
一人では絶対に気付かなかった、感じられなかったやさしさである。
私がここに書いたことなんて、世の中の母親たちはみんな当たり前のように感じてきたことなのかもしれないけれど、私にとってはとても新鮮で忘れたくないなと思うことでした。
出産してからは大変な、本当に大変なこともたくさんあるけれど、多くのやさしさに気付くようになったことで、私の人生は総合的に見て楽しくなったと思う。
ユダヤ人は人じゃないのでセーフ
はてなをまずやめるべき
作曲も出来て凄い
インターネット男女論オバさんの鼻息荒いお言葉やお気持ちを目にする度にずっと違和感を覚えてたんだけど、最近これじゃないかと一つの理由に思い至った。
大体のオジサンは他のオジサンのことが嫌い。このことを世の女性は実は分かってないんじゃないか。
赤の他人のオッサンが何してようが知ったこっちゃないし、基本的に関わりたくない。
仕事やらで已むを得ない場合を除いてオッサンの相手なんてしたくない。
だから、キモカネオジがフェミにヘイトスピーチ食らっててもどうでもいいし、
オジサン構文の使い手が風俗嬢に罵倒されてても知らん。女性専用車両に入りたいオジサンがセクハラ扱いされても知らん。
なんか一部のインターネット男女論から「同じオジサン同士責任取れ、諌めろ」的な主張を感じることがあるけど、そもそも同じくくりに入れて欲しくないのよ。
AIが進化していくと、今まで「有能」「才能」だったものが変わっていくかもしれないよね。
論理的思考、文章制作、外国語能力、運転、絵画、音楽、プログラム…もしかしたら、コミュニケーションですら。
そうなると「人間にしか出来ないこと」に価値が出るという話だが、
もっというと今「無能」とされてるものが「AIにない価値」になるのかもしれない。
やたらヒューマンエラー起こすドジはむしろ貴重だったり、常人と「違う」感性や特性が金になったりするようになるかもしれない。
特異な遺伝子を持ってる事がその時代には「障害」じゃなくて「才能」になるかもしれない。
能力主義みたいなものが強くて、会社じゃ仕事ができる奴がデケエ顔してる今の世の中。それ、要は努力出来るかどうかすら生まれや運なのに、自分の手柄だと思って無能を見下してる奴と俺みたいな無能の地位が、ちょっと変わるといいなとこっそり思ってる
これあながち間違ってないところが辛いところ
•主人公パーティーは過酷な戦闘でストレスマッハで、そのストレスをパーティーメンバーとのセックスで解消している。
•勇者パーティーの悲惨さを書いているが「魔王倒したし帰るわ」では無い。
でもテイストはだいぶ似てた気がする。