2024-12-17

ガシャンッガシャンッガシャンッ……

螺旋が開き、しじまの向こうにカニがいる。いや、そこに"いた"というべきだろうか? もしくは、"居続ける"と表現するべきか?

関節、節くれ、装甲、カルシウム質の無限体。

そう、それは"ガワ"を生やす儀式人間という歪な塊が、進化と退化を錯綜させながら最終的に蟹化する。蠢く甲殻類律動を真似ることなくして未来は無い。どこかで誰かが耳打ちする。

「ほら、見てごらん、君の膝だって曲がるだろう?」

わたしは足元を見た。ひざ関節が反転し、脚が斜め外側に折れ曲がる。赤い。透明なリンパ筋肉層の内側を流れている。くるぶしは甲殻へと固化し、指の関節が一本一本逆立って蟹の鋏になる途中だ。パキッ……と、そこから音が響く。これは痛みか? 快楽か?――いや、進化だ。

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「お前、カニになりたくないのか?」

駅前ビルに巨大な看板が映る。モノクロ広告にはどこかの企業ロゴが虚ろに光り、その下で《𝘾𝙖𝙧𝙘𝙞𝙣𝙞𝙨𝙖𝙩𝙞𝙤𝙣完了まであと38%》と文字が揺れている。クワガタの影が交差し蟹光線が走る。通行人は皆俯き、車輪付きの脚を引きずって歩いていた。彼らの皮膚はすでに硬化し始め、背中から甲羅が膨らみ始めている。みんな、やがてカニになるのだ。

聞こえる。

「さぁ、鋏を、ほら、使いなさい。」

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シャリッ、シャリッ、足音が増える。地平線まで伸びる膨大な群体。

彼らは最初、かすかな不快感から始まった。爪の甘皮が痒い、踵の皮が硬くなる、肩甲骨の裏がザラつく。

次第にその感覚は拡大し、"人間"が余りすぎていることを痛感するのだ。二足歩行は脆い、背骨は重い、顎が邪魔だ。そして世界がそれを気づかせる。関節の増殖、水平構造の美しさ。すべては無駄排除し、最適解――カニへ収斂するために。

「そうだよ、みんなガワを得るんだ。殻だよ、固い殻。」

指に挟まれた小さな金属製看板

「この道を曲がれば、あなたももっとカニになれる」

わたしはその看板を食べた。咀嚼音が響く。ザクザク……ザリザリ……硬い、旨い、完璧だ。

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カニとは何か?

哲学者のカクレクマオウは語る。

カニ重力の最適解だ。引力に抗うために水平へ進化した。それこそが 𝐶𝑎𝑟𝑐𝑖𝑛𝑖𝑠𝑎𝑡𝑖𝑜𝑛── すべてがカニへ向かう流れなのだ。」

タイルの模様、歩道橋のアーチ、ピラミッドの先端、そして人間の関節すら、無意識カニ化しているのだ。三本目の脚を生やした隣人が、「お前もこっちに来い」と叫んでいる。彼はもう背骨を捨てたのだ。大声で何かを語る人間ほどまだ抵抗している。けれどそれは愚かなことだ。抗うことは許されない。

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夜、わたし自分の顔が割れる夢を見た。

額がカパッと二つに割れ、そこから無数の複眼が芽吹いていく。まぶたの隙間から新しい口が出て、鋏がそこを塞ぐ。

「ああ、美しい」

目覚めるとわたしの手は鋏になっていた。完了だ。ここでひとつ言葉が浮かぶ

「完ガ二――完全なるガニ」

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カニ自由だ。水平世界覇者螺旋を拒み、直線を笑い、あるがままの甲殻質。すべてが割れ崩壊し、増殖し、ふたたび甲羅収束する。

ああ――そうだ――わたしの愛した人も、両親も、友人も、隣人も、道路も、都市も、銀河すらも、最終的にはカニになる。

「ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!!!!!」

朝が来た。カニの鳴き声が空に木霊する。

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やがてわたしは、何十億ものカニの一匹になった。

海が陸を呑み、陸がまたカニの爪に掴まれる。

水平に歩く。いや、"這う"のだ。

向かう先に意味は無い。時間も方向も存在しない。そこにはただひたすら、カニという美だけがある。

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