はてなキーワード: 生きるとは
主人のために仕事する
お家のために仕事する
食べるために仕事する
自分のために仕事する
地位のために仕事する
他国のために仕事する
地域のために仕事する
死後のために仕事する
闘争のために仕事する
安定のために仕事する
生活のために仕事する
世間のために仕事する
自由のために仕事する
権利のために仕事する
理想のために仕事する
技術のために仕事する
虚構のために仕事する
遺産のために仕事する
知識のために仕事する
子孫のために仕事する
忘れるために仕事する
働きたくないでござる
俺なんか、もう妻子にとってお荷物じゃないかと思う。
はははwまさに鬱病www
俺も2年前はこんなだったなー。
今では「不良債権?いいじゃん!どこまで負債が積み上がるかな?ふはははw」とか開き直っちゃって、てきとーに生きてるぜ。他人に迷惑かけまくりだw。
でも、こんな風に開き直ったら動けるようになって、失敗も多いけど成功も出来るようになってきた。
でだ、増田は鬱病っぽいけど、なんで子供作ったの?バカ?鬱病の時は大事な決断しちゃダメって医者に言われなかった?
今日から一年半ぶりの仕事の予定だったのだけど、今月初めに辞令を貰ってからずっと鬱で、薬飲んでないのと同じ感じになって、寝てばかりで何も手につかず、昨日から吐き気が止まらずさっき休みの電話を入れてしまったorz。
なんか、子どもは生後1ヶ月も経つのに泣くしぐずるし可愛くない。子どももそれを感じ取っているのではないかと言う懸念がある。
そんな状態なら増田に書くなと言われそうだが、はけ口ここしかないもんな
。
も子どもが出来たからには、食わせなきゃならないし、周囲からのプレッシャーもある。まあ、常識的に考えて当たり前だ。自分からのプレッシャーが一番大きいのかも。
俺なんか、もう妻子にとってお荷物じゃないかと思う。
増田で愚痴ったとき「お前うつ病じゃない」的に言われたけど、もう6年も医者にかかっている医者達の診断は間違っていたのか。弁当翁に言われた「薬の量が問題」みたいなこと言われた。
飲んでる薬は
飲みすぎ?長年飲みすぎて頭の中変わってしまったのだろうか。
これに類するものをもう6年間。SSRIとかSNRIとか第一選択薬にするってどうよ。パキシル飲み続けてたんだけど、あれ、薬価高いし、まあとりあえず的な処方でいいの?
最初の医者は、3ヶ月で必ず治りますと言ったのだが、ずっと続いてるんだけど何故?
苦しいなあ。
ああ、召喚呪文使いたいけど、使い方がわからない。
思うに彼は性格的弱者だ。彼自身は学歴的強者であることで自我を崩壊から保っているが、実際のところかわいそうなマイノリティである。かわいそうなことにそれは中島義道のいうような(身障者などの)世間で認められている公認のマイノリティではない。
大学内では高等な話題で誰とでも話せるような感じを行間から読ませるような文章になっているが、彼が無意識に彼がいうところのくだらない話しかしない人間を排除しているだけで、大学内においても実は彼はマイノリティなのではないだろうか。社会ではくだらないことで盛り上がることのできる人間が大多数であり、彼はその現実から身を守るために学歴における強者であることを使っているのではないか。
彼も酔ってしまって、またある程度努力すればくだらない話題にもついていけるだろう。ある程度楽しめるかもしれない。でもその楽しんでる自我の1枚をめくると、もうそこには「なんでこんなくだらないことで楽しんでるふりをしているんだろう」という一つ上の視点から俯瞰している自我がある。
また初めはただの性格的弱者だったのが、社会で弱者としての経験を重ね、自らに(彼の場合は学歴という)要塞をつくることで人格的にも弱者になってしまっている。(これがポジティブな生きるためのエネルギー、生産的エネルギーになることもあるが)
なんでこんな憶測ばっかりの文章を書いたかというと、彼が僕に似ていたからだ。最近高校の友達との飲みに言って同じことを感じた。そして悪いことに、その場で一番学歴が高いのが僕であった。うっかり彼と同じように学歴のせいにしてしまいそうだったが、これは性格のせいである。これからマイノリティとして生きる道を探さなくてはいけない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080401-00000183-mai-bus_all
景気が悪くなってきた。俺たちが大学に入った頃と状況が似てきた。
悪いが、楽しくて仕方がない。
ロスジェネの一員として、「戦争を望む」などと思ったことは一度もないし、あれは、論壇向けのアピールに過ぎないと思っていた。あんなのを喜ぶのは左翼的知識人界隈だけで、どうせ著者だけが注目されて終わるだろうと思っていた。
そのとおりになった。
丸山だかなんだかをぶん殴れるかどうだかはどうでもよかった。俺たちの後から来た連中が、さも自分たちの力であるかのように大手の企業の内定をどんどんとりまくり、俺たちよりも社会的なステータスを上げていったこと、そうして、俺たちは前にいたバブルの連中と後ろのプチ・バブルの連中に挟まれ、社会的な厄介モノとしてまなざされつつあったことにムカついていた。
以前もここ(http://d.hatena.ne.jp/dot_hack/20080315)で、ロスジェネの嘆きは感情論としては少しも理解されず、社会的問題として淡々と処理されていくほかない、と書かれていた。
ロスジェネの下の世代にそうしたジレンマがないとは思わないが、相対的に恵まれた環境に生きる人々が増えることで、「社会への恨み」に駆動された批判活動ではなく、それらと切り離された社会貢献が可能になるのではないか。もっと言うなら「別にいいじゃん虚偽意識でも」ってな具合だろうか。ロスジェネにとっては「踏み石」にされた形だが、時代のトレンドはそちらに向かうのだと思う。おそらくロスジェネが気にしなければいけないのは、正社員になりたがる連中をどうやって「こちら側」にオルグするかではなく、自分たちと同じ関心を持ちながら、自分たち以上にポジティブで幸福な連中に対して「お前らはボクの気持ちを分かってない!」以外にかける言葉があるかどうかを考えることなのだ。それがどれだけ、惨めな気持ちを呼び起こすのだとしても。
さて、景気が悪化してしまえば、こうした前提はすべて無に帰す。この数年の連中がたまたま運がよかっただけなのだ、ということになる。俺たちの感情の咆哮は、二個後ろの世代の咆哮と呼応して、連中にも届くことだろう。
俺たちは、決して、やすやすと「踏み石」になどされはしない。
景気が悪くなってきた。
悪いが、楽しくて仕方がないのだ。
さっきの増田だけどね。
職が無い人たちも、親に頼ったり、派遣労働などで生きていけるうちは
(セーフティネットがあるうちは)犯罪などを起こしたりはしないだろう。
でもいつまでも続くとは限らないし、体力や親の財力が尽きた順に、
生きるすべを失っていくわけだよね。
それは短絡的に言えば「犯罪」に繋がっていきそうだし、
そうじゃなくても、社会不安は生じていくよね。
それは生産性の低下、競争力の低下に繋がっていく恐れがあるのではないの?
そしてそれは、特権層にとっても望ましい状況じゃないよね。
あと、他の増田に対するレスで書いたけど、「淘汰」と「不必要認定」は別物だよね。
それは欺瞞ではない。もちろん、恋愛などでは「そのときの、そのひとの」評価がすべてだから、
>「怖いから助け合いが必要」というのは内心から論じたことにならないの?
書き方があいまいであったが、セーフティネットから内心を論じるのは難しいということ。
内心に踏み込むのは話の方向性としておかしいのではないかという事が言えればよかった。
「生活崩壊の恐怖」という内心から相互扶助にいたる動機を説明してもいいし、
「+身内だけでも助かれば」という内心を加えても説明はできる。
ただひたすらに全力を出し尽くせばいい。
一切合切躊躇せず容赦せず情けを捨ててあらん限りの手札を使い切る。そこに感情の入り込む余地はない。だから、楽。
おれが苦手とするのはままならない状況。
右往左往してにっちもさっちもいかなくて役に立たず打ちのめされて心砕かれる。おれの精神は意外と脆くて、攻めてるぶんにはいいが、受けに回ると、すぐに罅割れてしまう。
ひどくアンバランス。
常に攻め続けていないと、生きていけない。
いまの仕事の、どこかに、なにか、攻め得る領域を見出さないと。
そうしないと耐えきれない。いつか限界を迎えてしまう。すでに、おれの精神は、罅が入って、このままだと、どうにかなってしまう、そう遠くない未来。
あるいは、逃げるか。おれには向いていないと判断して、見限って、逃げてしまうか。
問題は、いまのおれの精神状態では、まともな判断を下せないということだ。
かといって、周囲の判断を待っていれば、それは致命的な状況に陥ってから、ようやく判断が下されるということで、ひどく迷惑をかけてしまうことになる。
どうすればいい。
とりあえず。
とりあえず、生き続けよう。
その先延ばしが、いつまで続くかわからないけど。それしか、ない。
もっと傲慢に生きることができればいいのに、と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080327165138
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
とっくに学問的には否定されてる社会ダーウィニズムを信じている馬鹿がいつまでも淘汰されないのはなんでなんだろうね。
その、進化論的文脈でいう「劣っている」とか「優れている」は「繁殖」という一面に着目しての評価だから、あんたの言ってる「繁殖力の優れた個体は(繁殖力に)優れている」ってのは単なるトートロジーなの。そんなことぐらいちょっと考えればわかるだろ。
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
って書いたのは俺だけどさ、こういう議論の際に
「ただし○○という動物の場合は違う」だとかそう言った例外を書かなくちゃならんのかな。
一般論としていったまでだったんだけども。とは言え、誤解を招いたとしたなら誤ります。
ついでだから聞いてみたいんだけども、
ミーアキャットなんかの場合は種の習性としてそういった役割分担が行われているわけだけども
「社会生活を営む」という共通点のみでヒトにも同じ事が言えるの?
ヒト社会の役割分担って何?現在、日本で恋愛からドロップアウトしてる人達はどういう役割を負っているの?
「研究のために時間を使いたい」とかそう言う人はいいと思うのね。っていうかそう言う人は(一般人から観てかどうかは別として)魅力あるし。
でも恋愛至上主義批判してる人のほとんどはそうじゃないよね。逃げ道見つけて逃げ込んでるだけじゃないの?
それとも、自分が知らないだけで何か重要な「役割」があるのかな?
ハチやアリはそもそも繁殖形態がまったく異なるし、ミーアキャットのような形態も非常に珍しいのだが、人間もそちらに分類されるという根拠は?
これは、まず、全生物をひとくくりで考えてた人(おれがトラバ打った人)↓に聞いてくれ。
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
おれは、これに対して、ひとくくりで考えられるわけないじゃん、
例外なんていくらでもあるよって意味で、まず、ハチやミーアキャットの例を出しただけだから。
でも書き方がうまくなかったかもしれない。すまない。
一応、質問に直接応えておくと、人間もハチもミーアキャットも社会生活を営む点で共通する。
社会生活を営むということは、群れ全体として生き残って、その中の誰かしらが遺伝子を残すように、
群れの中のそれぞれの個体が違った役目を果たすということだ。
役目ごとに有能さの尺度は変わる。
違う役目を持った個体間で同じ尺度を使って、個体の有能さを測るのはナンセンスだ。
なんというかおれの歪みっぷりの根底には徹底した自分嫌いがあって、じゃあ、それをどうすれば直せるのか、考えてみた。思考のドツボにハマるとどーにもこーにも危うげになってしまうものだから、なんとかしなければ、と。
でも、考えてみたら、そんなのとっくに分かっているのだった。おれにはなにもない。なにも成し遂げちゃいない。ただ、ただ無為に生きているだけ。そんな自分が嫌いなのだ。
だったらとっとと成し遂げりゃいーじゃん、って話だが、では、なにを。そして、それは、なんのために。
己を肯定するには他者が必要なのだろうか。だれかのために生きることができれなければ、おれは自分を好きになることはできないのだろうか。
まあ、自分を好きなるとかどうでもよくて、だれかのために生きてみたいなあ、ってのは常々考えていることで。
その思考の根底には、やはり自分が嫌いだから、この命、自分のためではなく他人のために使いたいっつーぐっちゃぐちゃにねじまがった思想があって。
どっちにしろおれには他人が必要なのか、と考えると、それはなんだか間違っている気がする。なにかが間違っている。
おれは。
違う。
もっと別の生き方。
思考を形成するために、なにかが足りない。パズルのピース。キーワード。
それとも、おれは恐れているのだろうか。
確かに恐れてはいる。
他者を求めても、他者に否定されたら、おれはどうやって生きればいい。
一人では生きていけない弱さが、おれは恐ろしくて、だから一人でも生きられる方法を求めて、ぐるぐると思考のドツボにハマっているのだろうか。
分からない。
いずれにせよ、答えは出さねばなるまい。その答えが、いかに残酷でも。容赦なくおれの生きる術を奪い去っても。それでもきっとおれは意気消沈しながら新しい生き方を求めて、足掻き、藻搔き、そして、いつの日か。あるいは答えなんて見つからず。死ぬときまで。おれは。ああ。
こいつは救いがたい病だ。
ブラック・ジャックでも治せやしない、不治の病。
どちくしょうめ恋愛と性欲は別物だって確信したわだって鬱のときは性欲はあったが恋愛欲求はなかったものなそれがどうだ鬱が快方に向かってからというものおれは心の弱さまで獲得してしまったちくしょうちくしょうちくしょうこんちくしょうこんなもんいらないおれに孤独を愛し孤高に生きることのできる強さを与え給えーっ!
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追記。
「社会からの承認欲求」も「恋愛欲求」も大して変わらないと思う。
社会ってのは具体的になにを指しているのか。数字か。給与明細を見れば満足するのか。そんなはずがない。金か。違うだろう。貧乏だって、そりゃあ極貧は勘弁願いたいが、ちょっと遊ぶ金さえあれば事足りるだろう。
なにかの仕事に対して、だれかに認められる、そういうのを求めているのではないのか。やり甲斐を求めているのではないか。
やり甲斐には相手が必要だ。顧客の満足を得るのがやり甲斐なら、意中のひとのために働くのもやり甲斐だ。家に帰ったら「おつかれさま」と言ってくれる女房のいる家庭ってのはひとつの理想だ。
その「やり甲斐」をだれに対して感じるか、それだけが「社会からの承認欲求を求めるタイプ」と「恋愛を求めるタイプ」の違いじゃないのかなあ。
だれかのために生きてみたい。それはだれもが共通しているのでは。いちいち社会がなんたらとか言葉遊びしなくても、感情に従えば、一人では楽しくない、だから、というふうに、すっきするのでは。
やり甲斐のあることが生き甲斐で、最大の顧客は意中のひとで、そのひとのために生きてみたい、けど、どんな答えが返ってくるか分からないから告白できなくて、だって振られたら、また生き方を模索しなくちゃいけないわけで、それはとても恐ろしくて、でも、だからといっていつまでもこの状態というのも苦しいし、どうすればいいのかわからなくて、いや、告白すりゃいーじゃんってのはわかっているけど、そのひととの関係が終わってしまうのが怖くて、んでもって、こんなことで悩んでいる自分が嫌で嫌でしょうがなくて、思考のドツボにハマって、あうあうあー。
なにを書きたいのかわからなくなってきた、だって自分でも整理できないもん、こんなところに書き込んでいる時点で非モテだと察していただきたい! 女の子と話したり遊んだりしていても、だからってモテだとは限らないんだよ! リア充とは限らないんだよ! ままならないんだよ! いっぱいいっぱいなんだよ! うわーん!
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
自分自身の繁殖を犠牲にして自分の属する集団に貢献するミーアキャットだとか、
交配しない個体もいなければ、ミーアキャットの一集団全体の生存が危ぶまれるし、
働きアリとして育てられて働くメスがいなければ、雄アリや女王アリは生きていけない。
生殖する個体だけが「優秀」だとするのは、思い込み。
生殖する個体が優秀だといいたければ、
生殖する個体は、生殖活動をするためには「優秀」だ、とは言えるかもしれない。
しかし、それは、たいして意味のない主張だ。
社会生活を営む生物である人間においても、同様のことが言える。