はてなキーワード: 幸せとは
結婚してもたいして幸せにはならない 最初の3年くらいは楽しかった
高いメシ食ってもたいして幸せにならない いうてそんな美味いものないし飽きる
ただの愚痴が読まれる消費につながる気分はどうや?最悪やろ。わいも消費していくで。
旦那以外の許容先も見つけた方がいいで。
人は自己肯定感とともに生きていくんやけど、自分の子供はそれを高めるんや。子供からの無限の承認がいつしか親のアイデンティティになる。つまり、増田の友達は子供からの承認で今を生きているんやな。
増田は旦那の承認がほぼ全てや。なぜなら、増田のアイデンティティはいつからかトラウマと旦那で形成されているからや。『不妊で癌の旦那を持つ私』を承認してくれる人物には心を開くんやけど、それ以外はストレスになっている構図やな。なかなかおらんでそんな人。全て許容してくれるんは旦那と家族くらいやろ。
ただな、自分の親っちゅーのは、幼少期の拠り所にはなるんやが、どうも人ってのは、自立すると親から100の承認があっても生きられんようになっとるらしい。社会からの承認が必要になってくるんやな。
増田は今、危険なんや。旦那と幸せに生きるのは最高なんやが、このまま旦那が死ぬと『不妊で死んだ旦那がいる私』がアイデンティティになる危険性を孕んでいるんや。すると、より人を拒絶するようになるんやが、そんな増田を承認してくれた旦那はそこにいない。
そんな状況を作らないように、社会的に繋がることができる友人を作るか繋ぎ止めとく努力はしたほうがええぞ。趣味も自己肯定感を高めるな。旦那の死が増田の精神的な死になるのは旦那も望んでないやろ。旦那が明日安心して逝けるように楽しみを見つけとけ。って勝手に殺すなーー!!まあそういうことや。最高なのはトラウマの許容や。許容の先にしか自由はないんやで。
雨の音を聞きながら、今日もまたこのコミュニティのことを考えている。
50代の資産家であるAさんが立ち上げたこのコミュニティは、当初、私にとって心地よい居場所だった。Aさんは誰に対しても分け隔てなく接し、その人望の厚さは本物だ。今でも彼のことは心から尊敬している。
それは、このコミュニティが徐々に「高級な社交場」のような様相を呈し始めているからだ。女性メンバーへの送迎、食事の支払い、過度な気遣い。表面的には「思いやり」という美名で片付けられるこれらの行為に、私は違和感を覚える。
ある日、ふと気づいた。これは、野良猫に餌を与え続けることと同じではないだろうか。確かに、その場では猫は喜ぶ。でも、それは猫から狩りの本能を奪い、自立する機会を失わせてしまう。私たちは、本当の意味で相手のことを考えているのだろうか。
特に気になるのは、女性メンバーたちの間で「Aさんは送り迎えしてくれる」「Bさんは食事を奢ってくれる」といった会話が増えていること。まるで暗黙の人気ランキングが形成されているかのようだ。私には愛する妻がいる。このような表面的な競争に参加する意味も理由もない。
私が求めているのは、誰もが対等に、自立した個人として尊重し合える関係性だ。短期的な快楽や便益よりも、長期的な幸せにつながる関係性を築きたい。しかし、このような考えは、即席の幸福を求める人々からは、どこか煙たがられているようだ。
昨日のイベントでも、ある女性メンバーが「ここは女性に優しいから好き」と話していた。その言葉に、私は深い憂いを感じた。「優しさ」の本質とは何なのか。人を依存させることが、本当の優しさと言えるのだろうか。
近いうちに、オーナーのAさんと率直に話をしてみようと思う。彼の善意は疑う余地もない。だからこそ、この状況について、私の感じている違和感を丁寧に説明したい。このコミュニティが、誰もが真の意味で成長できる場所になることを願って。
そして何より、私自身の価値観は曲げたくない。家族を大切にし、誰に対しても平等に接する。それが私の選んだ道だから。
雨はまだ続いている。この雨のように、私の心のもやもやもしばらく晴れそうにない。でも、それでいい。この違和感こそが、私たちの成長につながるサインなのかもしれない。
熊谷氏は産経新聞に「夫婦別姓な子ども達が幸福かどうかを調べろ」と提言したみてぇだけどよ。
まさにそれだ。
自己申告での幸福・不幸なんて、なんの意味もないデータなのさ。
客観的幸福度、例えば平均ドーパミン分泌量とかを科学的に調査すべきだよ。
選択的夫婦別姓の家庭に育った子供が、どれだけ実際に期待溢れる人生を生きれてるか、科学的エヴィデンスがある比較じゃないと説得力がねぇ。
弱者男性だって、世間の人間が皆んな弱者になっちまえば、自分を不幸だなんて言わなくなるだろーさ。
自分らでメイクとかのセルフケアや心の傷の舐め合いしてれば、ってなるか?
弱者男性の自己申告の不幸は放置でいい、ってなるか? ならんだろうが。
万人が納得できる客観的幸福の物差しの上で、検証可能な比較をすべきなんだよ。
・・・いや、もちろん、幸せを他人と比較されるのが怖い気持ちは分かるよ。
怖いよな?
最悪自分に「自分は幸福だ」って言い聞かせてるだけの嘘がバレるからな?
だがお気持ちを乗り越えなきゃ、幸福を議論のテーブルに載せられなきゃ、納得いく結論は得られない。
「納得」は全てに優先するぜッ!!——ジャイロ・ツェペリ
長い
嫁とは20歳で出会い、27歳で結婚した。大学生だった彼女が、地方配属になった自分を追いかけて同棲生活を選んでくれた。知らない土地で二人だけ。頼れるのはお互いだけで、全てが輝いて見えた5年間。旅行に出かけ、些細なことでも笑い合った日々。彼女となら一生楽しく生きていけると思った。
でも、大阪への転勤が人生を狂わせた。成績は落ち込み、地方時代の輝きが失われた自分。そんなとき出会った職場の事務員。彼女との会話が新鮮で刺激的で、楽しくてたまらなかった。最初はただの遊び。けれど気づけば体も心も彼女にのめり込んでいた。
嫁を裏切る感覚はなかった。むしろ、不倫相手と過ごすことで壊れた自分を取り戻しているような錯覚に陥っていた。嫁には「同期と飲みに行く」と嘘をつき、仕事終わりに彼女と会い、週末を共に過ごした。嫁といた頃には気にもしなかった服や音楽まで変わり、自分自身も別の誰かになっていった。
半年後の夜中、嫁の泣き声で目が覚めた。震える手に携帯を握りしめた彼女の姿。全てを察した瞬間、謝るしかなかった。けれど心の奥底では、「どうすれば不倫相手と関係を続けられるか」を考えていた。
「関係を切る」と言い、目の前でLINEを消した。でも嘘だった。やめられなかった。いや、やめるつもりなんて最初からなかった。嫁に嘘を重ね、不倫を続けた。そして12月、再びバレた。
今、別居している。1か月の期限つき。嫁は再構築を望んでいると言う。でも、自分の中で彼女は「一番の親友」のような存在になってしまった。恋愛感情は薄れ、10年という歳月が二人の新鮮さを奪った。
不倫相手のことが本当に好きだと思う。けれど、それが禁断の関係だからこそ燃え上がっているだけかもしれないと分かっている自分もいる。
嫁に申し訳ない。謝りたい。けれど、どんな言葉も彼女を救えない。10年間寄り添い、自分の全てを捧げてくれた嫁を傷つけすぎた。
嫁と離婚し、不倫相手と一緒になる未来に幸せが待っているのか。それとも嫁とやり直すべきなのか。答えが見つからない。どちらも捨てられず、ずるずると時間だけが過ぎていく。
ここの住人さんたちなら聞きすぎてなんの珍しさもない
ただのよくある社内不倫バレです。
・30歳子供なし
・嫁28歳
嫁とは20歳の時にバイト先で出会い、27歳まで付き合って結婚した。
二人とも京都出身
社会人になるときに地方配属を言い渡されて、嫁はまだ大学2年生だったので
嫁は就職するときに地方での就職を選んでくれてしらない地方で22歳から同棲生活が始まった。
お金もそこそこ自由にできるようになって、遊び相手も自分たちしかいないから
ずーっと二人で旅行したりちょっといいお店にご飯食べに行ったりしてあそんでいた。
もともと結婚願望はなかったけど、こんな地方までついてきてくれてこの人となら一生楽しく生きていけるかもって
思って27歳の時に結婚した。
とはいえ子供が出来たわけではないし、少し広い家に引っ越したくらいで大きな生活の変化はなかった。
その地方にはに何のゆかりもなかったので二人で喜んで地元に近い大阪へ転勤した。
そこからがよくなった。
会社での成績が全く振るわなくなってしまって、地方にいたころは全国TOP10常連の営業マン
だったが、大阪に来てからは下から数えたほうが早いダメ営業になってしまった。
でも職場はたのしかった。久々に年の近い同僚と仕事終わりに飲みにいったり麻雀したり
今まで地方でずっと嫁と二人で遊んで満足していたのが、それでは満足できなくなってしまっていた。
ただ楽しかった。
嫁を裏切っている感覚はなく、大阪に来てダメになってしまった営業の自分の自尊心と性欲を満たすために
最初はただ一時の遊びのつもりだった、でも次第に体だけの関係ではなくなり、嫁に同期と遊びに行くと嘘をついて
仕事終わりに飲みに行ったり土日に遊びに行ったりすることが増えた。
土日に今まで嫁と遊びに行っていたのがすべて不倫相手との遊びに変わった。
今思うと気づかれないはずがなかった。
自分ではうまくやっていたつもりだったが、嫁を半年近く放置して、LINEのやり取りも
最初は家にいるときには連絡しないのようなルールを作っていたが1か月もせずに形骸化していた。
夜中に嫁が泣いている声がして起きたらその手に携帯が握られていた。
すべてを悟った。
嫁には離婚しようって言われた。
その瞬間に泣いて謝っている自分がいた。
泣いて謝るべきだからそうしただけだったように思う。
職場が不倫相手と同じなので会社に行かないでほしいといわれた。
でも会社は休めなかった。
嫁には不倫相手と関係を切るといって目の前でLINEをけした。
でもやめられなかった。
というかやめる気がなかった。
そのままずるずる嫁にはうそをついて
でも二人とも離婚できないでいる。
今は1か月という期限を決めて別居している。
10年もいたら嫁にすこし飽きてしまった。嫁との会話で今から新しいものが出てくることはない。
不倫しているから好きなのかもしれないとどこかではわかっている。
嫁に本当に謝りたいけれど傷つけすぎてしまった。
そこそこ稼ぎのある仕事を辞めて嫁と生きていく自信がない。
嫁はなんか一番の親友ってかんじて恋愛感情ではなくなってしまった。
30歳にもなって子供がいないのがよくなかったのかな
子供がいてもどうせ同じことしていたから子供がいなくて幸いなのかな
嫁と離婚して不倫相手と一緒になって幸せになれる未来あるのかな
どこまで行っても自分本位
嫁がかわいそうだから早く分かれたほうがいい
わかっているけど別れを切り出せない。
嫁も再構築を望んでいる。
きえたい
これは厄介だと思う。
「親と姓が違うのは嫌?と聞かれたらいい」 選択的夫婦別姓巡る千葉・熊谷知事と一問一答 - 産経ニュース
色々思いつくけど、手に入れるまでの過程を想像すると萎えてしまい現状維持になってしまう
本当に手に入れたいものは今まで思いついた物の中にあったのだろうけど、捨てる事に慣れすぎて多分捨ててしまったのだろう…
貧乏くさくゴミ箱を漁ってて、やっぱり捨てるべきじゃないと拾ってきては部屋に置いておく
そんな感覚を覚える
中学校時代、俺はクラスの中でも地味なほうだった。人付き合いが苦手で、いつも教室の隅に座っているような生徒だった。授業中も目立たないし、給食のときに誰かと話すこともほとんどなかった。そんな俺に目をつけた数人の連中が、段々と俺をからかいはじめたのが最初だった。はじめは「お前、なんか暗いよな」くらいの軽い言葉だったはずだ。しかしそれが積み重なるうちに、笑いを混ぜながらの小突きや悪口、さらには物がなくなるといった嫌がらせへとエスカレートしていった。担任は頼りなく、いじめの事実に気づいていたとしても、「仲良くしなさい」としか言わなかった。親には心配をかけたくなかったし、自分で解決できると思って黙りこんでいた結果、俺の心はどんどん萎縮していった。
当時のクラスには、いじめを主導する奴が数人いた。リーダー格の男は腕力だけでなく口も達者で、彼の取り巻きがいつも笑いながら俺を嘲る。俺にちょっかいを出すたびに、クラスの周りは見て見ぬふりで、まるでそれが当然のように受け入れられていた。俺が思い切って「やめてくれ」と言おうものなら、翌日には靴が隠されたり、教科書に落書きをされたりと、逆に仕返しのようないじめが増える。まるでネズミを追いつめて楽しむ猫のように、彼らは俺が困惑している姿を面白がっていた。自然と俺は誰にも心を開けなくなっていったし、自分自身の存在価値すら疑うようになっていった。
やがて卒業が近づくにつれ、俺は一刻も早くこの閉塞感から逃れたくて必死だった。卒業式が終われば、あの嫌な連中とも離れられる—そんな期待だけを胸に、なんとか中学校をやり過ごした。実際、卒業式後は別々の高校に進学する者が多かったから、顔を合わせる機会も激減するだろうと思っていた。事実、高校時代は比較的平穏だったし、いじめられた過去を知る人もいなかった。そのおかげで、俺は少しずつだが自分を取り戻していった。大学に入り、バイトやサークルで新しい友人もでき、自分の性格やコミュニケーションスキルに少しずつ自信を持ち始めることができた。
しかし、いじめられた経験と、そのとき感じた屈辱感や絶望感は、俺の中でずっとくすぶり続けていた。相手に殴られたり、物を盗まれたりしたことだけじゃない。人前で見下されたり、笑いものにされたり、そうした積み重ねが俺の心の奥に深い傷を残していた。自分では「もう過去のことだ、気にしないでおこう」と思い込もうとしていても、まるで傷口が塞がりきらないように、ふとした瞬間に思い出しては苛立ちや悲しみが込み上げてきた。どれだけ新しい環境に適応しても、中学時代の痛みが完全に消えることはなかった。
大学卒業後、俺は一般企業に就職した。最初は社会人としての生活に慣れることで精一杯で、毎日が忙しく過ぎていった。朝から夜遅くまで働き、休みの日は部屋でぐったりと休息を取る。そんな日々を過ごすうちに、いつの間にか社会人としての自分にも少しずつ余裕が生まれてきた。仕事も軌道に乗りはじめ、後輩を指導したり、業務の責任を任されたりするようになった。そうやって自己肯定感が高まるにつれ、ふと昔のいじめのことを思い出しては「なぜあのとき抵抗できなかったのか」と自分を責める気持ちも強くなっていった。
あるとき、会社の同僚との飲み会で、同級生たちの近況を耳にする機会があった。偶然にも、俺を散々いじめていた連中の一人が、最近地元に戻ってきているらしいという噂を聞いた。内心どきりとしたが、同時に「あいつは今どうしているんだろう?」という好奇心が湧いた。どうしても情報を確かめたくなった俺は、SNSを使ってその元同級生のアカウントを探してみた。すると、その元同級生は思った以上に積極的に近況を発信しており、自分の仕事やプライベートについても投稿していた。結婚して子どもがいるようで、表面上はごく普通の家庭を築いているように見えた。
その投稿を見た瞬間、俺は胸の奥に眠っていた怒りが再び目を覚ましたのを感じた。あいつが自分の家族との写真で幸せそうに笑っている様子を見ると、「あいつがあんな穏やかな表情をしているなんて」という気持ちがどうしても拭えなかった。頭では「昔のことだし、もういい」と理解しているつもりでも、心がまるでそれを許さない。あのとき俺が味わった恐怖と屈辱は、今でも癒やされてはいない。ならば、ここで何もせずに生きていくのか、それとも俺が受けた傷の重さを少しでも感じさせてやるべきか。悩んだ末、俺は「やるなら今しかない」と決意した。俺がどれほど苦しんだか、やつらに思い知らせたいという思いが抑えきれなくなっていたのだ。
まずは情報収集から始めた。SNS上には、ほかの元同級生が繋がっているアカウントもあった。そこには、かつて俺をいじめていた連中の近況があちこちで書き込まれており、転職したとか、離婚したとか、さまざまな情報が手に入った。中には、経済的に苦しんでいるのか、愚痴ばかり書き込んでいる者もいた。昔の輝きが嘘のように見える連中の姿は、正直言って俺の心を微妙に揺さぶった。やつらもやつらなりに苦しんだり悩んだりしているのだろうと想像すると、「俺だけが不幸だったわけじゃないのかもしれない」と、一瞬だけ同情に似た感情が芽生えそうになった。しかし、思い出すのは結局、あの頃の仕打ちだ。たとえ彼らが悩みを抱えていようとも、俺が受けた傷は決して消えない。だからこそ、俺は「あいつらに自分の痛みを思い知らせたい」という気持ちを優先することにした。
復讐といっても、俺は直接的な暴力で仕返しをしようとは考えていなかった。あのときの自分のように誰かを傷つけるのは、本来の俺の性分ではないし、そんな手段をとったところでスッキリするとは思えなかった。俺が目指すのは、あくまで「彼らに味わわせたい」の一心だった。だから、SNSや職場、噂話など、彼らの周辺にある情報網を巧みに使って、彼らの信用や評判をほんの少しずつ揺さぶるように動いた。具体的には、彼らの投稿に対して匿名で皮肉めいたコメントを投げかけてみたり、共通の知人に「あいつ、中学の頃は相当ひどいことをやっていたらしいよ」とさりげなく伝えてみたり。直接言及せずとも、周りの人間が少しずつ「あいつって、実はヤバい過去があるんじゃないか」と思うように仕向けたのだ。
最初は大した反応はなかった。しかし、時折SNSを覗くたびに、妙に彼らが弁解めいた投稿をするようになったり、以前よりもフォロワーが減っていたりするのが分かった。さらに、共通の知人のアカウントでは、「あの人って、中学時代ひどかったらしいよ」というコメントがぽつぽつと見られるようになった。俺はそれを読んで、密かに満足感を覚えた。「まだまだ足りないな」と思う反面、彼らの平穏な日常に小さな亀裂が走るのを感じるたび、昔の自分が少しずつ救われていくような感覚を得た。そして、いじめを主導していたリーダー格だった男にも同じような手を使った。やはり奴も気づきはじめたのか、SNSの投稿回数が減り、アカウントを鍵付きに変えるなど、防衛的になっていった。まるで自分の弱味を隠すかのように身を潜めている姿が、俺には心地よかった。
しかし、そんな小さな仕返しをしているうちに、俺自身も不思議な変化を感じるようになった。たしかに、彼らが困ったり焦ったりしている様子をうかがうと、最初は勝ち誇ったような気持ちになった。だが時間が経つにつれ、その快感は薄れ、代わりに「何やってるんだ俺は」というむなしさが心の中で広がっていく。まるで空虚な穴を埋めるために、相手を傷つける材料を探しているようにしか思えなくなったのだ。中学校時代にいじめられていたころの自分とは違うはずなのに、やっていることの本質は「人を陥れる」行為でしかないのではないか、と悩むようになった。
そんな葛藤の中、ついにリーダー格だった男と対面する機会が訪れた。地元で行われた同窓会に、運命のように彼も顔を出していたのだ。久しぶりに見る彼の顔は、あの頃の生意気さが薄れ、やや疲れたような表情をしていた。それでも、当時の記憶がよみがえると、俺の中には強い怒りが再燃した。しかし、不思議と昔のように固まってしまうことはなかった。むしろ、「ここで何を言ってやろうか」と冷静に考えられる自分がいた。
同窓会の席で、彼は俺の存在に気づいたようだが、一瞬目をそらした。そしておずおずと近づいてくると、「久しぶり…元気だったか?」と声をかけてきた。その態度は昔のように高圧的ではなかった。周囲には昔のいじめを知る人間もいる。俺は、ごく普通に返事をした。「まあ、それなりに。お前はどうだ?」彼は困ったように笑い、結婚と子どもの話を少しだけした。その話を聞いて、俺はずっと胸にわだかまっていた不満や怒りをどうやってぶつければいいのか分からなくなってきた。一方で「あいつを困らせたい」という衝動は強く残っている。そんな揺れる心のまま、俺は彼に向かって「中学のとき、いろいろやってくれたよな」と言った。
すると彼は、明らかに動揺した。周りに人がいることを気にしてなのか、それとも本当に悪かったと思っているのか、声を落として「すまなかった。あの頃は、みんなで騒いでるうちにどんどんエスカレートしてたんだ。俺もガキだった。今になって考えると、本当にひどいことをしたと思ってる」と言った。その言葉がどこまで本心なのかは分からない。ただ、これまで一度も聞いたことのなかった謝罪の言葉だった。そう聞いて、俺は何を思ったのか、怒りよりもむしろ虚しさが募った。ずっと恨みを抱え、復讐を考え、少なからず実行までしたのに、それを相手がぽろりと謝るだけで俺の中で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われたのだ。
結局、俺は深く追及することはしなかった。ただ、「お前たちのせいで、俺はずっと苦しかったんだ」とだけ言い残して、その場をあとにした。その後の二次会にも行かず、まっすぐ家に帰った道すがら、俺の頭の中はごちゃ混ぜだった。いじめを受けていた過去を思い出すと、あの苦しみは紛れもなく本物だし、今もまだ完全には癒えてはいない。しかし、彼らを陥れることで得られた瞬間的な快感は、むしろ俺自身の心をも蝕んでいたように思う。そして、謝罪らしきものを聞いたいま、俺はようやく「これでいいのかもしれない」と感じはじめていた。俺の人生は、あいつらに復讐するためだけにあるわけじゃない。いじめの傷は深く、簡単には消えない。でも、それを抱えながらも前に進むしかないのだ。
家に帰って、自室の布団の上に倒れ込んだとき、不思議と涙が出てきた。悔しさなのか、安堵なのか、整理のつかない感情がないまぜになって、声を押し殺して泣いた。中学校時代から引きずっていた怒り、恐怖、屈辱、そしてちっぽけな勝利感。いろいろな感情が渦巻く中、俺は「もう終わりにしよう」と思った。完全に許すことはできなくても、あの頃の自分を取り戻すためには、これ以上自分を憎しみに縛りつけてはいけないと感じたからだ。あの連中に小細工するのもやめることにした。SNSで彼らのアカウントをこっそり覗くことも控えよう。自分の心が軽くなるのなら、そのほうがいい。
こうして俺の復讐劇は幕を下ろした。仕返しは成功したと言えなくもないが、その代償として俺の心はささくれ立ち、結局は徒労感に苛まれた。正直、いじめを受けた過去を完全に清算する手段なんて存在しないのかもしれない。それでも、俺はこれからも生きていかなきゃならない。中学校時代のいじめは、俺にとっては消せない傷だ。だが、だからこそ、俺はその傷を抱えつつ、自分の人生をより良くしていきたいと思う。復讐によって得られるものは決して多くはない。それよりも、前に進むための糧にするほうが、遥かに大切なのだと今は思う。
もちろん、彼らが本当に反省しているのかは分からない。謝罪の言葉がただの社交辞令だったかもしれないし、もしかすると、これから先もあいつらは同じようなことを繰り返すのかもしれない。けれど、それはもう俺には関係のないことだ。俺にとって大事なのは、自分自身がどう生きるかだ。そのためには、過去に受けた仕打ちをどう消化し、これから先の人生に活かすのかが重要になってくる。復讐はひとまず終わったが、この先もふとしたときにあのときの感情が湧き上がってくることはあるだろう。そのたびに、俺は中学時代の自分やいじめていた奴らを思い出しては葛藤するだろう。しかし、それでも前を向く。いじめの被害者だった自分を否定せず、受け入れたうえで、自分が幸せになる道を探し続ける。それこそが、過去から自由になるために最善の方法なのかもしれない。
今、この文章を読んでいる人に伝えたいのは、復讐の成否ではなく、心の在り方だ。俺が選んだ方法や結果が正解だとは思わない。けれど、いじめられていた過去を抱えながら社会人になり、自分なりのけじめをつけた末に学んだのは、「過去に縛られて自分を見失わないこと」の大切さだ。生きていくうえで傷つくことは避けられない。いじめは決して許されるものではないし、その傷は長く人を苦しめる。だが、それでも、自分を置き去りにしないでほしい。どんな形であれ、傷と向き合い、折り合いをつけていくことで、ほんの少しずつでも心に変化が訪れるはずだ。俺の仕返しが「成功」なのか「失敗」なのかは分からない。ただ、一つ言えるのは、俺はあのとき前を見つめるために、一歩踏み出す勇気を持てたということ。そして、いまはそれを「間違いではなかった」と思えるようになっているということだ。
私も男性側の不妊で子供が望めない立場だからすごく気持ちがわかる。
今現在も、二人だけの幸せな生活と、夫以外の子どもを持つ道と、どちらを選べばいいのか、どう夫と話してけばいいのか迷ってる最中だから増田とは少し状況違うかもだけど。
私は自分の親にも不妊治療や夫の不妊こと自体言ってないから、帰省するタイミングで子どもは,って聞かれるたびに発狂しそうになる。誰も悪くないのに、たまってく気持ちわかる。
私は夫の家族や周りが何も言ってこないのは幸せな方なんだろうな。
私は男性不妊がわかってから、夫を攻められないという気持ちでうつになった。
クリニックの先生とかカウンセリングの先生にも言われたんだけど、二人でしっかり悲しむ作業をした方が,後々のストレスに繋がらないといわれたよ。
責めるんじゃなく、あなたの子どもが欲しかったな、といって旦那さんと悲しみを共有するのは必要かもしれないよ。
応援してる。
都心のタワマンを見ると、この国には富裕層がこんなに多く存在するんだと実感する
ここに住んでいる人と俺との差を考えても答えは出ないけど
多分運だと思う
例えば学生時代にノースフェイスのダウンを新品で買える奴とは生まれた時から違うゲームを生きてるとか
そう言う簡単な事も見ないフリをして頑張って生きてて幸せだったと思う
本物のいい夫上位1割は家事育児仕事ガッツリやってるのに「いやいやうちは奥さんが頑張ってくれてるから…」みたいなこと言うし嫁は幸せそうで子供も懐きまくってる(万が一別居なんかしようもんなら日々泣き喚く)よな
30代半ば技術職サラリーマン、人生初めてモテたくなってきた。昔から変な女が好きで、幸いなことに変な女も私を好いてくれる傾向にあったので、理系の大学に通っていたにも関わらず昔から交際相手は途切れたことがない。若干ブサメンながらもそれなりに幸せな人生を送り、美大を出たかなり変な女と結婚してめちゃくちゃ幸せな生活を送っている。
院まで出てマトモな会社で働いているのだが、いわゆる普通の仕事ができる女と出会う。優秀で人当たりも良く、こういう人と話すのは楽しいことにようやく気づいた。中高大と男子校のような環境で過ごしてきたが、話のできる女の存在にようやく気づいた。こういう女と仲良くなれたら楽しかっただろうな、と少しばかり思った。とはいえ予測不能な女と一緒に過ごすのは楽しいし、子供が生まれても巣立っても死ぬまでニコニコして暮らせそうだ。ただ、一度モテモテを経験してから死にたかった。モテモテに憧れる。
書いてある内容から、あなたがおそらく至らなかったであろう点を2つ挙げます
①“→確かに口論になった際に「わがまま」「幼稚」「未熟」「頭がおかしい」などと言った。”
人格を否定するこの手の言葉は人間関係に強烈な影響を及ぼします。言うべきでなかったと思います。
奥様も相応の悪口を言ったのでしょうが、相手に怒りのコントロールを求めるのに自分はコントロールしなくていいとい姿勢も、フェアネスに欠けるものです。あなたが同じ土俵に乗ってしまっては奥様も聞く耳を持たなくなります。
②奥様への各種指摘について
できていないことに対する指摘というのは往々にしてストレスが溜まるものであり、奥様が精神を病むのは特に不思議ではないように思えます。
以下は憶測を交えてあなたが至らなかったかもしれない点を書きます。
①あなたは指摘するばかりで、問題解決を奥様に丸投げしていたのではないですか?
なぜ指摘されるような事象が起こるのか、なぜ奥様がその状態を修正できないのか、奥様と一緒に考え、解決を図ろうとしましたか?
怒る、料理をしないなどの原因を特定し、それを取り除くアクションを取りましたか?
怒り方が教育に悪い理由、料理をしなければいけない理由、目的を共有していますか?それをクリアすることで何がどう良くなるのか、奥様はわかっていますか?というか、あなたがわかっていますか?平易な言葉で納得しやすいように説明できますか?していますか?
努力を認めていることを伝え、褒め、おだてるようなアクションを取りましたか?
奥様の求める思いやりのかたちを確認し、それを実行しようとしていますか?
上記のような解決を図っていないのであれば、それはあなたの至らない点なので努力したほうが良いです。
上記の問題は奥様の問題で、自身で解決を図るべきという考えもあるかもしれません。
加えて、奥様とあなたどちらが悪いかでいえば、奥様に半分以上非があるように見受けられます。奥様の能力が不足していそうにも思います。でも、今そんなことを明らかにしても意味はありません。
問題に自覚のあるあなたが、奥様と張り合うように『これって私が悪いの?』という阿呆な問いを立てているのが事態を一層悪くしています。
あなたの目標は「円満な家庭運営」「娘さんの健全な成長」あたりですよね?(違ってたらすみません、もし違うのなら離婚などを検討されたほうが簡単でよろしいかと)
そのためには奥様の悪行への恨みつらみをぐっとこらえて、一緒に幸せな家庭を築くためにはどうしたらいいかという視点で物事にあたられたほうがよいのではないでしょうか。
ブラックながらもなんだかんだやれていたが、経営者が変わり、輪をかけてブラックになった
いつパワハラの火の粉が飛んできてもおかしくないという雰囲気だし、斜陽産業なので業績を求められてもどうしようもない
俺はどうしても面接を突破できないのだ。今の会社は、スポーツ紙に載ってた中途採用の募集に新卒カードを切って入ったものであって、まともに面接を勝ち抜いたわけではない
ぶっちゃけ、地方駅弁でもこういう会社からすれば国立大の新卒がやってきた!となり、俺の人となりとか志望動機なんかはジャッジされることなく就職できたわけだ。つまり面接での成功体験がない
なので、今更転職しようにも、ただでさえ面接に通らないのに年齢も重ねているので、無理。つまり詰んでいるわけ
で、なぜこうにも追い詰められているかというと、親が悪いんだよね
俺は喘息もちで、体を鍛えろということで無理やり柔道をさせられてて、辞めさせてももらえず、そこの体育会的な指導で性格がねじ曲がった。理不尽に怒られたり怒鳴られたりすることをたぶん人よりも怖がってたし、故にそもそも就職したくなかった。だから志望動機が思い浮かばない。
漏斗胸で、体力もなく運動神経もない。そもそも社会である程度の地位にいる人はまず、性格とか頭の良さとか以前にそれらの土壌として体がタフだ。俺はそうじゃない。運動が嫌いだし、今更体力づくりなんてしたくない。運動が好きな個体であればせっせと運動してただろうね
3月生まれで4月生まれと比べると明らかなディスアドバンテージを背負わされた。生まれるのが一週間遅ければ東北大くらいには行けただろう
弟が実際に発達障害なんだが、その腐った遺伝子の影響は俺にも表れていて、精神科に行ったとき、失念したが何らかのコミュニケーションの値が一般の人より高かった。ニュアンスで言うなら、発達障害のボーダーが80くらいで一般の人が20が平均のところ、俺は60とか
俺は学生時代からちょっと変わった奴と言われていて、結局それは医学的に正しかったわけだ。障碍者みたいな滑舌でしゃべる変な奴なんて面接に通るわけないよね。最初から、もしくは公務員でも、ホワイトに入れてたら人生こうはなってなかったかもしれないけどね
親ガチャというが、これは言葉としてはちょっとおかしいので、俺ら世代でネットに転がってたスヌーピーの名言(笑)の「配られたカードで勝負するしかないのさ」を元に話を続けるが
カード配るのは親なんだよね。俺はこれらのクソカードを親に押し付けられたわけ。「実力も運のうち」ってハーバード大の教授も言ってるわけだが、実際に俺はそういう意味ではまったく運がなかったね
こういうのを他責思考とかって言ってくる奴いると思うんだけど、逆。矢印を自分に向けて、向け続けて、結局自分を突き抜けて親にまで向かったって話。遺伝子レベルでの、究極の自己否定だから、これ。
俺は別に虐待されたわけじゃない。まあ今のポリコレ社会からしたら怪しい部分は少々あったが、両親は俺に愛情を注いでたと思う。彼らは彼らなりにベストを尽くしたと、赦そうとした時もあった。けど、結局人生の苦境に立たされると、配られたカードがクソという事実に向き合わないといけないわけ
子育ては結果だから。仕事も試験も試合も、結局は過程がどうあれ結果がすべて。子育てもそう。そして、それをジャッジするのは子自身なんだよね。
「僕は両親から虐待されてたけど東大入れましたあ~親ガチャなんてありません~」とか言ってる若者いたけど、親はお前を東大に行かせるためにあえて虐待してたんだよ?って話。これをどう否定するの?このケースは過程に愛がなかっただけ。結果がすべてだから。虐待してくれてありがとうって言えや
精神が幼稚だとか、努力してないとか、意志が弱いとか、人生の選択を誤ったとか。これらって全部俺のお脳が発するものであって、お脳が悪いんだったら結果として出力されるものも悪いものになるに決まってるだろ。で、ハッタショ気味の俺のお脳の良し悪しは結局俺の親が配ったものなんだよね
で、俺は親のせいで人生苦しいことだらけな訳。「結局悪いのは親じゃん」って理解したのは大学生で就活に失敗しまくってた時。その時に、死のうかなって思って、包丁持って腹に充てて30分くらい突っ立ってたことあるんだよね。
あれから約20年、死ななくてよかった幸せな人生だったかって言うと、NOなんだわ。もちろんいいこともあったが、苦しいことの方が圧倒的に多かったなって思うね
俺は産まれてきたくなかったし、死にたい。そもそも俺を出生させた時点で親はクソなんだわ。産むならせめてまともなカード配れや。これは今から産む奴にも言うけど、まともなカード配れないんなら産むな
とはいえ死ぬのは怖いんだよね。生物なんだし生存本能があるんだから仕方ないね。なので「じゃあ死ねよ」で話は終わりませーん簡単に使える安楽死施設あるんなら話別だけどね。首吊り失敗してもう二度と自殺企図できない体になったらどうするの?お前が養ってくれるの?
というわけで、八方塞がりな訳だが、今の会社に居続けるのももう限界がきたなという感じなので、すべてをかけて転職しようかなと思ってる。デイトレード等も当然だめだったしな
とはいえ、失敗する可能性の方が大。だから、この転職が失敗に終わったら、苦しみに満ちた俺の人生を「親に返す」しかないかなって思ってるね
そのぐらいの覚悟をもって転職活動をしないといけないんだろうなって思ってるね
今日も言われた。
うるせーうるせー。
どいつもこいつもうるせーよ。
お前らみんな知ってるだろ。私の旦那は数年前に抗がん剤治療したばっかなの。子どもつくれねーの。「また検査してみたら?」じゃねーのよ。数年前に検査したばっかりなんよ。なんならまだ通院してんのよ。
今元気だからあんまり意識しないかもしれないけど、大変な治療だったんよ。
結婚間近でいよいよ妊娠が自分事になって、ちょうど結婚時期が近い私に話を振るのはわかるよ。私だって前向きに答えたいさ。
子育て話ができる友達が欲しくて私に「不妊治療しないのか」と聞いてくる気持ちもわかるよ。私だってあんたとしたいさ。
生まれたばかりの我が子があまりにもかわいくて、もう生まれる前に戻れないんだよね。その幸せをぜひ体験して欲しいと思うのもわかるよ。それはそれはこの上ない幸福だろうさ。
結婚したんだから次は子供のこと考えるでしょって思う人間がいるのもわかるよ。大きなお世話だけど。
気持ちはわかるさ。悪気なんかなくて、むしろポジティブなのもわかるさ。
みんな知らねーだろ。私たちが「もし私たちに子どもができたら」なんて子どもの名前を空想して遊んだりしてたことも、旦那がどれだけ辛い治療に耐えたかも、私が何度「やったー!ダメなはずなのに妊娠した!」って喜ぶ夢を見ては最低の気持ちになって目覚めたか、全部知らねーだろ。
不妊治療すれば可能性あるってもんでもないのよ。いやもちろん可能性はあるんだけど、こっちはどれだけ癌患者向けのサイトを調べてると思ってるの。
それいちいち言いたくないじゃん。治療を始める前のこと言ってももう仕方ないじゃん。
そもそも私じゃなくて彼のプライベートな情報だし、こっちは嘘つくのも真実を言うのも、それを何度もやるのもしんどいわけよ。
もう数年経ったと思ってるんでしょみんな。まだ数年なのよ。まだ数年。
あの頃、もしかしたら死んじゃうかもしれない。死んじゃやだって毎日一人で泣いてたの。治療終わって、生きてくれてて嬉しいの。
私だって、そりゃ自由に選べるなら子どものいる人生が欲しいさ。みんな付き合い長いんだからわかるだろ。
わかるから聞いてくるんだよな。そうだよな。わかってるさ。
私の親は全くそんなこと聞いてこない。私の親は私の幸せだけを願ってくれてるから、私が幸せならそれで十分なのだ。孫が見られるかどうかより、私が幸せかどうかだ。なんてありがたいことだろう。
彼と生きたら今より幸せだと思ったから。他の人と子どもを産む人生も楽しいだろうけど、私はこの人を選ばなかったことを多分ずっと後悔すると思ったから。
幸せってこーゆー感情でしょ。この人と結婚して本当に幸せなの。子どもがいたらもっと幸せかもしれないけど、今十分幸せなの。
私は、この人と一緒にいられる期間が仮にずいぶん短かったとしてもいい。
子どもがいたらとかそんなの全部乗り越えたつもりで一緒にいる。
でも、「つもり」だから何度も聞かれると、ふとした拍子にコップに水が溜まって揺さぶられる。
わかってくれよ。そう何度も聞いてくれるなよ。何人もに同じように答えてるんだから。
「元気になってよかったね」
本当にそうなのよ。
私、彼のこと大好きなの。私、彼との子供を産みたいって本当に心から思ったの。
早くしないと私の子宮では赤ちゃん上手につくれなくなってくるよね。
わかってるよ。でも、旦那が好きなんだよ。それだけなんよ。それだけを大事にして、1日でも長く一緒にいたくて今を選んでんだよ。
だからそう何度も何度も聞いてこないで。答えは変わらない。
できねーの。つくれねーの。養子制度とかは君らよりは調べてるよ。
でも、私もきっと誰かのことを同じように無意識に傷つけてるだろうから、お互い様ってことでひとつ。
これからも「できねーのよ」って何食わぬ顔で返し続けるわ。
たまにこんな風に爆発させながらな!!たまにならいーよな!人間だもん!
旦那、愛してるぜ!
ただのモラハラ夫じゃん。全部お前が悪い。
→妻には、娘の前で怒らない、娘に対して怒らない、時短の分料理をすることをお願いしているのだが、できていないので指摘をしていた。
最悪のムーブだ。娘に怒らなかったからって、娘が怒らない子に育つなんて、「トマトを食べさせたら赤い子に育つ」ぐらい短略的で愚かな思考だぞ。子育ては「何をやろうが子供のDNAの通りにしか育たない」ことを前提とすべし。それが真実だし、下手に逆らっても自分や他人(妻や娘)を不幸にするだけ
→確かに口論になった際に「わがまま」「幼稚」「未熟」「頭がおかしい」などと言った。
→妻は口論になったときに、妻が 9割悪くても私も1割悪いところあると主張するが、私が、私に悪い点はなく改善する点がないから、改善する点がある側が改善するのが当たり前と言ったところ、寄り添ってくれない、思いやりがないと言われた。
もう一度言う、お前が悪い。お前がすべてを我慢し、受け入れるしか道はない。なぜならお前が男だからだ。男が幸せになろうとするな。女子供が幸せならそれで十分なんだよ
こんな奴もいるんだよという性の話をさせてくれ。10年前の自分に読ませたいと思って書いたら長くなってしまった。
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俺は30歳男で独身。
俺の恋愛対象は女性である。大学の同級生にガチ恋して付き合ったり、出張先でお世話になった女性に一目惚れしたりしている。そして幸せなことに今もかわいい彼女がいる。遠距離だが幸せにやりとりしているし、信頼して色々なことを相談しているし、会うたびに楽しくデートもしている。大好き。今の彼女と結婚したい。なんなら子供もできたらいいな。
しかし、とても厄介な事実がある。俺の性的対象はたぶん、男なのだ。
正直自分ではあまり認めたくないのだが、街中ですれ違う短髪筋肉質な男性にはついつい目を向けてしまうし、普通に銭湯に行っていいガタイの男がいたら見つめてしまう。男子高校出身だったということが関係しているのかもしれないが、なぜかそんなことになってしまった。嗚呼。
中学生の時は普通の男女もののAVを見て抜いていた。が、主に見ているのは男優の体とちんぽだということに気づいたのは高校くらいの時だった。最初は躊躇していたが、次第にゲイビデオを見て抜くことも増えていった。18を超えた頃に興味と性欲から発展場に行ってみたが、男の体とちんぽに欲情する自分を再確認してしまい、以来ときどき通っている(怖いのでバニラまでしかしたことはないが。バニラの意味が分からないやつはググれ)。そういう場で出会ったゲイの友人とは匿名のまま仲良くなり、定期的に会って抜きあったりもしている。ゲイ向けマッチングアプリも使っている。でもそこに恋愛感情は一切ない。付き合おうと思ったことはない。
そして無論、このセクシャリティをリアルの知り合い(彼女含む)にカミングアウトしたことはない。発展場で会った匿名の男から「お前それはゲイだよ、認めて男と付き合ってしまったほうが楽だよ」と言われても、「俺はノンケ寄りのバイだから…」と言葉を濁していた。
実際面白いことに、身近な友人や仕事仲間など日常生活で知り合う男性には全く欲情しないのである。実生活で俺にゲイだとカムアウトしてくる友人は数人いたが、彼らにもカミングアウトはしたくないし、彼らを好きになることもなかった。おそらく、自分がホモであることを認めるのが怖く、家族や実生活の知り合いにバレるのも怖く、理性のリミッターが強くかかっているのだと思う。良い身体だな〜タイプだな〜と思うリアル友人♂はいるが、その彼とどうこうなりたいとは思わない。
だから俺は、ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態だった。この歪んだ性的指向に俺はずっと悩み続けていた。
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さて、賢明な読者諸君であればお気づきだと思うが、俺には、とても困る場面がある。
彼女は18歳の時から数えて今まで5人ほどいたが、俺から手を出したことはなかった。
仲間内では女に困っていないヤリチンキャラを作っていたものだから、付き合った彼女にしてみたら意外でもあったろう。あるいは童貞だと思われたかもしれないが、確かに挿入したことない童貞だったのは間違いない。ちんぽはしっかりしゃぶってきたのにな!
無論、年頃の男女のこと、一緒に寝て向こうから迫られることも多々あった。俺もやったるぞ!!という気持ちで頑張ろうとするのだが、しかし興奮しない。否、興奮しないだけならまだ良い。勃たないのだ。
人並みに女性の身体を愛撫し、指を入れてみる。でもあんまり興奮しない。俺のちんぽは基本的に無反応なのだ。彼女に触ってもらったり舐めてもらったりしても反応はない。汚い男にしゃぶられてきた自分の経験を思い出すと、その罪悪感もあり、余計勃たなくなる。
勃たないちんこに用は無い。俺は自分がインポであると装い、抱きしめながら寝るしかなかった。
(ちなみに風俗もピンサロも行ったことはあるが、勃たない。女体に対する嫌悪感が増すばかりだった。)
俺が手を出さなかったことも理由だっただろう、過去の彼女はかくして俺の元を去っていった。俺はすまんなと思いつつどうしようもできなかった。
好きな彼女に興奮せず、一方で世の中から隠れて男と抜きあう俺がいる。こんな状況にモヤりつつ、悩むので大事な時に余計勃たないという悪循環に陥り、どうすることもできないまま時間が経っていた。そして30歳になったのである。
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さて。今の彼女と付き合って1年ほどになる。セックス以外は全て順調な交際である。
この年末、彼女と数泊の温泉旅行に行った。初めてのお泊まりである。
最初の夜に、彼女を抱きしめながら寝たが、勃たないことがやはり怖く、興奮もしなかったので手を出さなかった。すると次の夜、シクシクと泣かれた。言葉に出してはくれなかったが、温泉にまで来て一緒に寝ておいて、ちんぽも挿れてくれないとやはり悲しくなるのだろう。俺もそのくらいの想像力はある。
さすがに好きな彼女に泣かれたら俺も悲しい。頑張ってみるかと奮い立ち、服を脱いでみる。
でもやっぱりちんこが勃たない。緊張して・・・と言いつつ、心から情けなくなり、不貞寝した。愛する彼女はどこまでも優しく、俺の頭を撫でてくれていた。
翌朝目覚めた俺は、自分の下半身が朝勃ちしているのを感じた。ただの生理現象で勃っていただけだが、今だと思った。半分寝ている彼女を急いで愛撫し、愛撫中に萎えかけたちんぽを急いで突っ込んでみる。ちなみにこれは自慢だが、俺は亀頭が大きめなので(多数のちんぽを見て比較してきたのでよく分かる)、ぶっちゃけ割と挿入しにくい。半分柔らかくなっていたちんこの先っぽを、どうにかこうにか押し込めた。中は暖かかった。
動いていると身体的快感もあり、しっかり勃起してきた。俺はとても安心した。そして大きいと言われて興奮した。俺のは他の男より大きいんだぞと言いかけたが、なんで知っているか聞かれると困るので言わなかった。
女性に対して腰を振る自分を、AV男優に重ね合わせて興奮し、そしてMAX勃起になった。奥まで挿入して突いている時、ふと変わる彼女の表情が最高に可愛く、吐息がとてもエロかった。その時初めて、女性に性的興奮を覚えた。愛する彼女とのセックスは本当に最高なんだな。セクシャリティどうこうじゃないわ。最高に可愛いわ。本当に。最高すぎた。結婚したい。ずっと挿入していたい(童貞感)
次の夜は、なんと、普通に勃った。俺は彼女に興奮していた。涙が出るほど嬉しかった。なんのことはない、女性に興奮しない、ちんぽが勃たないというのは、自分で思い込んでただけだったのだ。かくして俺は童貞を捨てることができた。
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その経験をしてめっちゃ安心したのだろう。そこでなんか性欲のリミッターが外れた。彼女との旅行から帰ってきた俺は、いてもたってもいられず、なぜかまず9monstersを開いていた。増田にいる人はよくご存知だろう、ゲイ向けマッチングアプリである。
俺はホモではない()ので絶対に顔は出さないと決めている。というか万が一でも流出したら彼女にバレてしまう。それは困るので、俺は自分の体の写真と性器の写真を登録している。亀頭が大きい俺のちんぽは人気である。ゲイ向けアプリ、こういうところは即物的で大変に使いやすい。
「秘密厳守」と書いているアカウントを見つけた。深夜に声をかけたその男からすぐに返信があり、やり取りを始めて30分後、俺は彼の家で全裸になり、ちんぽをしゃぶられ快感に喘いでいた。俺のちんこは嘘みたいにビンビンだった。
彼も自分のことをバイだと言っていた。なぜバイだと思うのか聞くと、彼はあっけらかんと言った。「男の方が好きだけど、やっぱ結婚したいし」。そうか〜そうだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。そんなもんか。意外に俺と同じようなやつ多いじゃん。女ともできるのか聞くと、まあ勃つからね、と言われた。そうだよな。俺もそうなれたよ。ありがとう。
でもしゃぶられている際に気づいたことがある。こいつのフェラ、うますぎる。なんでこんなにうまいんだよ。聞くと、彼は「最近は男としかやってないから上手くなった。女の子とのセックス忘れたわ〜」と言っていた。なんだこいつ、ホモじゃないか。なお俺はホモではない。
ということで、俺は結構深刻に悩んでたけど、同じ境遇の人は割と少なくないっぽい。ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態とか思ってたけど、まあ彼女とも普通にセックスできるようになったし、全然悩むことなかったよ。むしろ普通のノンケと違って、俺は、みんなが知らない世界(=男のちんこ)が見えていると思うと少し誇らしい。秘密結社に所属しているみたいなドキドキ感もあるしね。
増田妻の存在を1mmも認めていないから精神ぶっ壊れそうになってるんやで。
情緒が安定していて料理をしっかりこなす妻は増田が作り上げた理想の妻や。増田はその理想妻しか見ていないんや。増田妻という存在は、減点方式で採点された虚像であって、増田妻は存在を否定されながら生きているんや。
人は自分が承認されないと生きていけんのやぞ。増田の子供と一緒や。何かできたら褒めるやろ?存在を認めてあげるやろ?増田子供の『ある部分』を褒めるやろ?もし、増田が子供に対しても『ない部分』しか見ていないのなら、それは精神的DVやで。
増田はな、できる夫やない。ただの自己中心的なやつや。自己中はな、他人の価値観を許容せず、自分の評価軸で生きているやつが自己中なんや。増田は多角的な視野があって自己中ではない、と勘違いしているかもしれんが、視野が広いやつは他人を許容する優しさがあるんや。
増田は、深海探査用の小型潜水艇の窓越しに、暗闇の中に浮かぶ光の粒を眺めていた。
「34歳で独身。将来…俺はどうなるんだろうな」
心にぽっかりと穴が空いているような孤独感に苛まれる毎日。そんな彼が今回訪れたのは、深海レストラン「ディープテーブル」。
「深海で料理を味わう…なんだか不思議な気分だが、それがいいんだよな」
潜水艇がゆっくりと光り輝く球形の建物に接続される。そこは、深海4000メートルの世界にぽつんと浮かぶ不思議な空間だった。
球体の建物に入ると、内部は落ち着いた木のインテリアと青白い照明に包まれ、窓の外には暗闇の中で光る深海生物がちらちらと泳いでいる。店内には無言で動くロボットのスタッフが数体。彼らが給仕を担う姿には、静かな哀愁が漂っている。
「いらっしゃいませ。本日は山の幸をご堪能ください」
冷たい機械音の案内を聞きながら、増田はメニューに目を走らせた。信州から取り寄せた食材を中心にした山の幸の数々が並んでいる。
「ふむ…深海で味わう山の幸か。これは興味深いな」
増田はあれこれ考えた末、気になる料理を次々とオーダーした。ロボットが無言で配膳する様子に一抹の寂しさを感じつつも、目の前には豪華な山の幸の料理が並ぶ。
香り高い信州そばに、カリカリの山菜天ぷらが乗り、つゆと絡んで最高の一品に仕上がっている。
舞茸、しめじ、エリンギが香ばしく焼き上げられ、塩でシンプルに味付けされている。
柔らかくジューシーな鹿肉に、信州産のハーブを使った特製ソースがかかり、絶妙な風味だ。
「うん…香りが食欲をそそるな」
山椒のピリッとした香りが特徴的なご飯は、ふっくらと炊かれ、鶏肉の旨味が染み渡っている。
パリッと揚げられた春巻きの中に、チーズの濃厚さと野沢菜の塩気が絶妙にマッチ。
もちもちの生地に甘辛いくるみ味噌が詰められた一品は、懐かしさを感じさせる味だ。
フレッシュなリンゴと胡桃、特製ドレッシングが絶妙なバランスを生み出している。
ぷるぷるのわらび餅に、濃厚な信州黒蜜がたっぷりとかかり、舌の上でとろける甘さ。
増田は次々と料理を平らげていった。しかし、途中でふと気づく。
「うーん…そばと炊き込みご飯で主食がダブってしまったということか」
すでに腹八分を超えていたが、目の前の料理が残っている。箸を止めるわけにはいかない。だが、最後のデザートを前にして、ついに満腹感が頂点に達した。
深海の暗闇を背景に、増田はゆったりとした時間の中でふと考える。
「こんなに美味しいものを食べても、将来への不安は消えないな…いや、そうじゃない。この瞬間だけでも幸せを感じられれば、それでいいんだ」
外には光を放つクラゲや小さな魚たちが漂い、静かな世界が広がっていた。
食事を終え、深海のレストランを後にした増田は、再び潜水艇に乗り込んだ。外の窓には暗闇の中、ぽつんと光るレストランが遠ざかっていく。
「これだけ贅沢な料理を食べても、やっぱり心の穴は埋まらないんだな…」
「34歳年収700万、貯金は3000万しかない。これからの人生どうなるんだろう。老後は? いつか仕事がなくなったら? それ以前に…この孤独はどうする?」
暗い海の中で、潜水艇のモーター音が響くだけだ。レストランの機械的なロボット店員たちが脳裏に浮かぶ。
「あのロボットたちも、孤独だったのかもしれないな…機械にだって感情があれば俺と同じように寂しいと思うのかな…」
誰とも言葉を交わさず、ひたすら料理と向き合う自分の姿が、どこか無機質で哀れに思えた。
「結局、何を食べても、何を持っていても、この孤独は変わらないんだよな。こんな気持ちで俺はどうやって生きていけばいいんだろう…」
地上への帰路、深海の闇が増田の心に重なるようだった。静寂が深まる中、増田はぼそりと呟いた。
「弱者男性の俺がこのまま孤独で人生終わるなんて、笑えないよな…」
目を閉じても消えない不安と寂しさ。それでも、潜水艇は黙々と地上へと進む。いつもの生活に戻るために。
「今日の飯も美味かったけど、誰かと分け合えたらもっと良かったんだろうな…俺には、それがないんだ」
潜水艇が地上に到着すると、増田は一人、冷たい夜風を浴びながら深呼吸した。
「孤独な俺に、今日みたいな贅沢は分不相応だったのかもな。でも、またどこかで、こんなひとときを楽しめる日が来るといいな…」