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blogとWebに関するTZKのブックマーク (11)

  • たぶん、これからいろんなところから野球賭博の続報は出るので - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    いまのタイミングでどうのこうの論ずるのは相応しくないかもなあと思っていたら、ここで木曽崇さんが記事をぶち込んでおられました。お疲れ様でございます。 野球賭博問題:「巨人に制裁金1000万」の大アマ裁決 http://blogos.com/article/143914/ もちろん、状況的に動きはまだまだあるため、NPBとしても当面の処置としてこの内容にしたのでしょうが、採決が甘いといわれるとそうなのだろうなと感じます。比較として、角界やJリーグの話も出ておりますし、NPBとしても現在のところ確定している事実としてみた場合の裁決であって、コミッショナーの熊崎勝彦さんも元検事の意地にかけても何かしようとするんじゃないかと思います。 ついでに、朝日新聞も何か言ってます。まあ、そう言いたくなるのも理解できます。 野球賭博、調査の限界露呈 コミッショナー「全容まだ」 http://www.asahi.

    たぶん、これからいろんなところから野球賭博の続報は出るので - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • ブログ盗用の現場が熱い(怖い)!盗用されて、さらに二次盗用されて、挙句オリジナルは検索ヒットせずボロボロ…( ノД`)・・・

    ブログ盗用の現場が熱い(怖い)!盗用されて、さらに二次盗用されて、挙句オリジナルは検索ヒットせずボロボロ…( ノД`)・・・
  • 卑劣だけど面白いブログウォッチの方法

    脱サラブログとかFX日記とか、そういう勘違いした頭の悪そうな人のブログをRSSに登録して読むのが面白い。最初は意気高揚と大量の文章を書き殴るのだが、そのうち単調な生活に愚痴をこぼしたり みるみる減っていく口座の残高を愚痴るようになっていく。そして消える。面白いようにワンパターンなのが笑える。 会社組織という上げ底をなくした自分には何もないと気づくまでだいたい半年ぐらい必要なようだ。最初の高揚は組織の呪縛から逃れられた解放感に過ぎず、その心地よさは長持ちしない。せいぜい2ヶ月程度。あとは目論見が違うことが次々に露見している事実から目をそらせて、次の希望こそ望だと思いたがる。 もっとも希望のネタが尽きる前に、お金がなくなってしまうのだけれどもw

    卑劣だけど面白いブログウォッチの方法
  • 捏造しキチガイ呼ばわりし誹謗中傷を行い逃げた挙げ句、俺は攻撃されたと言う24時間残念営業

    24時間残念営業の人には、キチガイと言われた事がある。 そのやり口があまりにも下劣だったのでよく覚えている。 24時間残念営業の何某は、僕が書いたブログのエントリーを取り上げて、「インターネットでは多くの人がこれを書いた奴はキチガイだと言っている」と書いたのだが、そんな発言はどこにも存在していなかった。件のエントリーを指して僕を気違いと呼んだのは24時間残念営業の人、ただ1人だけである。 たとえば誰かが、僕の事をキチガイと言うならば、それは全然構わない。そう思うのならそう言えばいい。そう書きたいなら書けばいい。好きにすればいい。インターネットとはそういうものだ。僕の事を気違いだと思う人が居ても、なんらおかしな事ではない。思った、書いた、というのなら誰でも勝手にやればいい。自由である。しかし24時間残念営業がやった事は、思った、書いた、というのとはまったく違う、別の話である。 「キチガイと言

  • アマチュアであること - 24時間残念営業

    2013-03-03 アマチュアであること 最近「公共性」という点で批判されてたんだけども、実は俺、この「公共性を自覚せよ」という意見がまったくの荒唐無稽だとは思わなかった。少なくとも、しばらくは考え込んだ。考えた結果を文章にしてみた。 たとえば俺と意見が対立する人がいたとして、俺のほうが一般的に説得力があると思われる意見を言っていたとする。となると、俺の文章にはPVという点でそこそこの影響力がある以上、相手の意見は圧殺されることになる。つまり、俺の意見が発端となって、個人の意見が「殺される」。条件として対等ではない。俺の意識としては対等であっても、相手にとってはそうではない可能性が高い。 ならば、俺のほうにちょっとくらい気づかいはあってもいいのではないか。そう考えられないこともない。実際問題、バイトに接するときなんかは、対等であろうとしても、俺の側に「オーナー」というかたちで権力が存在す

    TZK
    TZK 2013/03/07
  • 個人ゲーム攻略サイトをまとめwikiが駆逐したように、ソーシャルメディアが個人ブログを駆逐しつつあるのだろうか? — ネットの海の漂流者

    個人ゲーム攻略サイトをまとめwikiが駆逐したように、ソーシャルメディアが個人ブログを駆逐しつつあるのだろうか? 2012年9月9日

  • 芸能人でもないのにブログを書いてるんですか?

    先に書いておくと 「芸能人」という表現については思うところもあるんだけど 「一般に『芸能人』と呼ばれている人」と毎回書くのもめんどくさいので 以下では便宜上「芸能人」と表すことにします。 こういうことを言うからまためんどくさい奴だと思われる。 さて、テレビ番組で面白いことを言っていたので。 会場に来ているお客さんに話を聞くコーナーだったかで 指名された女性が「ブログ書いてます」と言ったら 司会の人が「ブログ書いてるんですか!芸能人でもないのに!」と応えた。 「芸能人でもないのに」というのは特別な含みのある言い方じゃなくて 純粋に驚いただけという感じ。 これはおもしろい。 この人にとってブログというのは「芸能人が書くもの」になっている。 個人的な感覚では逆に、 もともとはあまり芸能人の人がやるようなもんじゃないと思ってた。 ブログなんかやらなくても既に表現の場を持ってるんだから。 言いたいこ

    芸能人でもないのにブログを書いてるんですか?
    TZK
    TZK 2010/02/23
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  • 批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange

    阿呆は何時も彼以外の人々を悉く阿呆と考えている。 芥川竜之助 毎日、ネットで大量に文章を発表していると、自分の書いた内容に対し、様々な意見を受け取る。 ときには元の文章の数倍、数十倍という分量になることすらある。賞賛や賛同を示すものもあるが、異論、反論なども少なくない。 まあ、少なくないのはぼくの不徳のいたすところかもしれないが、とにかく賛成意見ばかりではないことはたしかだ。 そのなかには渋々受け入れざるを得ない的確な批判もある。反対に、誹謗中傷としかいいようがない代物もある。 しかし、それはぼくがかってに批判と思い、誹謗と感じているだけのことであって、「批判」と「誹謗中傷」を明確に分かつことはなかなかむずかしい。 そこで、今日はぼくが考える「公正な批判」の特徴について書いておくことにした。裏返せば「根拠なき誹謗中傷」の特徴でもある。ネットで誰かに批判されたときなどに役立ててくれたらうれし

    批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange
  • MetLog:インターネットはいつから狭くなった?

    いつからインターネットはこんなに狭くなったんだろう? 深く考えないで捨てるように書く - 中くらいの声でしゃべる そこで思ったのだが、中くらいの声でしゃべりたい、というニーズに対して、ネットは何を提供できるだろう。 中くらいの声で喋りたいというニーズがあるんだそうだ。声? 深く考えないで捨てるように書く - ネガティブコメントってこんな感じ? 街を歩いていて、別に普通に友達となんか話しながら歩いていたら、突然遠くから知らない人がつかつかと近づいてきて「お前、ひどい奴だな。人格を疑うね」とか一言浴びせられて、またその人はさっさと去ってしまった。 ああなるほど、インターネットを路上だと喩えているのか。カナかな団首領さんの説明が分かりやすい。端的。 カナかな団首領の自転車置き場 - パブリック空間とプライベート空間 レストランや居酒屋のテーブル席。個室ではないので、壁や扉はありませんが、各テーブ

    TZK
    TZK 2007/10/12
  • 【レジュメ】朝カル「ブログ論」(2): たけくまメモ

    ◆ブログによる生活 ●インターネットの奇妙な世界 ▲個人の声がマスとなる可能性と問題点 →紙メディアは、制作・流通に金がかかる一方、ネットははじめから「流通込み」であるから、究極の個人メディアになりうる。 →ただし編集的センスがなければ、独善的表現に陥る危険も。 →また、個人メディアにおける言論・表現の責任は、すべて自分個人がとらなければならない。じつは、出版の隠れたメリットのひとつが、この責任の分散にある(執筆責任と編集責任の分離による、個人リスクの低減)。 →したがって、個人メディア運営者は、自己表現(発言)のリスクを十分に認識する必要がある。 ▲ソーシャル・ネットワークについて →インターネット普及以前は、パソコン通信が主流であったが、これは会員限定のサロンのようなもの。 →パソコン通信は、発言者が特定される規模である限り、内輪感覚の気安さがあった。こうした特徴は現在のソーシャル・ネ

    TZK
    TZK 2006/06/02
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