(場所は、ヨーロッパ調の雰囲気があるスタジオ。 ふたりはカメラの前。 対談の前にまずはスチール撮影を、という場面です) カメラ マン あと数枚で終わりますので、 よろしくお願いします。 糸井 ぼく、これ、ジャケットのボタンを はずさないほうがよかった? 宮沢 どうかしら(笑)。 カメラ マン あ、はずしたままでOKです。 Tシャツの白がきれいなので。 糸井 そう? じゃあ、このままにします。 どーんと(お腹をたたく)撮ってください。 一同 (笑) カメラ マン では、つづけまーす。 おふたりは自然にお話をしていただいて。 糸井 あの、まあ、なんだろうね‥‥ とりあえずこうして 笑いながらお会いできてるんだけど、 ご愁傷さまでした。 宮沢 お心遣いを、ありがとうございます。 ※この対談が行われた日の一週間ほど前、 宮沢りえさんのお母様が亡くなられました。 糸井 たいへんだったよなぁ。 芝居の
いとい・しげさと 1948年、群馬県生まれ。コピーライターとして数々の名コピーを生み出し、作詞、小説、ゲームソフト制作なども手がけた。1998年にサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。さまざまなコンテンツを発表している 2001年に刊行された糸井重里さんの「インターネット的」(PHP研究所)が文庫で復刊した。情報技術としてのインターネットよりも大事なのは、生き方が「インターネット的であること」だ。そう説いた同書は、主宰するサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営を通じて、糸井さんが体感的に学んだことが体系的に語られている。今でこそ「その後のインターネット論を先取りしていた」と評価されるが、当時は「売れなかった」という。糸井さんの議論はなぜ広がらなかったのか。インターネット的に生きるとはどういうことなのか。そもそも、インターネットって何なのか? 技術論は一切抜きにしたインターネット論を2回にわけてお
『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)という奇妙なタイトルの本が2011年12月に出版されました。グレイトフル・デッドとは1960年代にサンフランシスコで誕生したヒッピーカルチャーを象徴するバンドで、日本では「知る人ぞ知る」存在ですが、ビートルズやローリング・ストーンズと同じくらいの歴史があり、アメリカではなお人気を誇っています。 この翻訳書のキモは、インターネットによって実現される「フリーミアム」や「シェア」といった最新のビジネスモデルを、実はグレイトフル・デッドが40年前から実践していた、というところ。しかしその方法論からは、マーケティングだけでなく「生き方や震災の復興についても学べるところがある」と、監修と解説を手がけた糸井重里さんは語ります。 インタビューから、1998年に糸井さんがスタートさせた「ほぼ日刊イトイ新聞」と、グレイトフル・デッドの間に、意外な共通
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