ようつべからの転載です。自然と笑えてきますw
もっぱらAmazonでしか本を買わない人を大きな書店に連れて行ったら衝撃を受けていた、という話(創作? 実話? どっちでもいいけど)を読んだ。 ブックマークコメントも読んだ。 一覧性が高いとかレコメンデーションがない、といったことが、べつだんリアル書店の強み/弱みとは思えない。それAmazonから逆算して反対の性質を挙げてるだけだろ。 わたしが書店に行っておどろくのは、私が買わない本が、私が欲求しているものとはべつに、あらかじめ「もの」の形をとってそこに「ある」ということだ。いうなれば、それらは他人の欲求である。 Amazonから、じぶんの興味やblogのレコメンドを辿って、本のレコードが抽出され、「買う」ボタンを押して、本という実体が自宅に届けられて、自分の部屋の本棚にそれが並ぶ、というシーケンスの中には、他人の欲求が入る余地がない。 あるいは、わたしが触れ、そのとき買わない本を、このあ
カウンターだけのガストとかマクドナルドとか、負け組の(言い換えるならば俺のための)エサの配給所に、それ相応のにおいがしてきたなーと最近感じます。夢がない。殺伐なんてもんじゃない。清潔とか不潔とかじゃない。ただ虚しいのです。 昔から競馬場近くの立ち食い蕎麦とか、いつ殴り合いが始まってもおかしくない牛丼屋とか、やさぐれた雰囲気の飲食店っていうのはありましたけど、そういうとこにはロマンがあったような気がします。でも最近のああいうのには、ないんですよね。ただ貧乏くささばっかり感じちゃう。外光を取り入れて明るくするなどの工夫が、むしろエサの配給所から希望を奪っているように思えます。安っぽいテーブルの表面を見つめていると心がやばいことになる。まだ暗がりがあれば精神を逃がせるんですけども、明るいと現実に直面してしまいます。リアルで苦しいのです。幻想って食い物の調味料として重要じゃよね。 しかたないので、
誤解を恐れずに言うと、はてなスター*1は、「初めて使うユーザーに必ず失敗を経験させる」設計になっている。僕も昨日、大勢に違わず、意図しないところに最初の星をつけてしまって狼狽した。もっとも、はてなの例によって、これは意識的ではない「天然」の結果なのだろう。 しかしこのエントリの目的は、そのような設計を責めることではなく、むしろこの設計が、「細かい失敗や間違いをキャンセルできないと途端にストレスが溜まる」という、日本人にありがちな人格OSの脆弱性をピンポイントで浮かび上がらせたのが面白い、と主張することである。 たかが星の二つや三つを消去できない、ただそれだけのことで、自分を含めてこんなに多くの人が耐え難い恥ずかしさやもどかしさを感じて悶えるという事態を目の前にして、憤りよりも先に、これは例えて言えばはまちちゃんがやるような類の手際の良いハックなのではないか、それはそれですごい、という感動を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く