今もっともマイブームな漫画家の一人が吉富昭仁先生です。 「EAT-MAN」や「RAY」の作者と言うとご存知の方はかなり多いでしょうね。 その中でも個人的に最も心ひかれていたのが「BLUE DROP」という作品集。 過去の恐怖が具現化したものを、少女を使って浄化するというSF作品。百合要素も満載ですが、とにかく特殊な少女哲学に彩られている内容の濃さと、空間の魔術師吉富先生の腕がうなる狂った背景が、自分の心をわしづかみにしました。 参考・「BLUE DROP」に見る、特別化されゆく「少女」の姿 ●…は!?● はて、その「BLUE DROP」の続きが出るってんだから大喜びでチャンピオンREDを開きましたとも。ええ。それが「BLUE DROP〜天使の僕ら〜」。…ん?なんだろうこの丸めの題名は。ハードなSFじゃなかったけ。生と死を見つめ、人間のイメージの回帰などを深く描いた作品じゃなかったっけ。百合
●マンガの少女は芸術の域に向かっていると思うのヨ。● 澁澤龍彦「少女コレクション序説」を愛読し、進化の究極形態が少女だということを「エコール」で勉強して育ったたまごまごです。こんにちわ。 最近自分の中身が「百合星人ナオコサン」状態だなあと感じることがあります。というのは別に幼女好きというわけではなく、物語・マンガに出てくる少女イメージがあまりに美化されていて、記号化された少女に芸術を感じるようになってきたからです。 ああ、まって、石を投げないで。 というのもあまりオオゲサな話ではないと思ってるんですってばよ。いやほんと。 今の一部のアニメ・マンガ文化はある意味少女像を一つのシンボルにして育っているんじゃないかなと思うんですヨ。宮崎アニメの少女は言うまでもなく、「ネギま」などのような作品に至っては各種少女のエッセンスを濃縮することで、男でも女でもない「少女」が一つの性として完成しているんじゃ
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