デューク大学社会学および公共政策教授クリス・ベイル氏が、一般的にソーシャルメディアで言われているエコーチェンバー効果に対して、対立意見に触れられるようにすることでお互いの理解が進む、というような常識を否定し、むしろ逆に強化されるという「ソーシャルメディア・プリズム」を提唱しています。 ここで少々立ち止まり、人が自身のエコーチェンバーから出ると一般的にはどうなると言われているかを思い出そう。まず、対立見解と向き合うことで内省が促される。また、どのような話にも二面性があることに気づくようになる。考えのより良い競争が生まれるし、私たちが互いを教化するのを促したり、仲間割れする要素よりもひとつにまとまる要素のほうが多いと気づかせたりする。やがて、こうした経験を経て誰もがより穏健でより見識の広い市民になり、持論を考える際には幅広い証拠を考慮するという務めを律義に果たすようになる。なかには、こうした経
いま、ある調べ物をする必要から北康利『白洲次郎 占領を背負った男』という本を読んでいるのだが、一読してみて、この本の内容はまったく信用ならない、という結論になった。 なぜこの本が信用できないかを説明していくと、ある意味、一見もっともらしいが実際には信用に値しない歴史関連本の見分け方の解説にもなると思うので、ちょっと書いてみることにする。 参考文献の恣意的利用 この本の中に、こういう記述がある。日本国憲法のGHQ草案では国会が一院制とされていたことに関する話である。[1] このとき、松本が勇気を振り絞って口を開いた。 「一つ申し上げておきたいが、二院制というのはただなんとなく二つあるというのではなく、チェック&バランスの役割を果たしているのです」 松本のその言葉に対し、ホイットニーは意外にも素直に耳を傾けた。後年、「参議院など不要だ!」と発言する次郎も、このときばかりは松本を応援したい気持ち
力士というと、いかついイメージがある。でも、おすもうさんというと、なんだかほのぼのした感じがする。タイトルどおり、世界のおすもうさん、いろんな場所でおこなわれるさまざまな相撲についてのイラスト付きルポルタージュだ。 執筆は女性ライターがふたり。ひとりは、音楽や相撲についてのライターである和田静香さんで、相撲道場で稽古をつんだことがあり「マイまわし」まで持っているというフリークだ。もうひとりは、『マル農の人』などで知られる、イラストも上手な金井真紀さん。イラストはすべて金井さんだが、文章はそれぞれの章を分担している。名前どおり静かな感じがする和田さんに対して、金井さんがはしゃぎ気味という対比がおもしろい。 第一章『ちいさなおすもうさん』は和田さんが、横綱・白鵬が開催する「世界青少年相撲大会」@日本国技館に、クールに、しかし、時には熱く迫る。1200人の参加者はみんな真剣だ。負けて泣き、勝って
廣木涼です 今のところ3社(文芸社、幻冬舎、風詠社)に自費出版の見積もりをお願いしているのだけど 風詠社からさっそくお返事がきました 初期出版費用は95万円という見積もりです 文芸社や幻冬舎は200万円や250万円になりそうなので 95万円というのは比較的安いですね (比較対象がないと、めちゃめちゃ高く思えますが) とはいえ 風詠社は初版500部というご提案 だから 1000部目安の文芸社や幻冬舎と比べても 1冊あたりの費用はだいたい同じぐらいです 風詠社の条件としては 初版の印税は20%! な、なんと文芸社の10倍です!(゚∇゚ ;)エッ!? 1冊あたり定価1400円というご提案だったので 売れるごとに280円の印税! (文芸社だと1冊20円の試算) という 非常に魅力的な数字ではあるのですが 数字だけで油断するわけにもいきません というのも それも500部だけの話ですので 3万部という
Carefully choreographed memoir turns a tidy phrase but cannot hide what an ordinary American president he turned out to be In his historic lecture in Cairo in June 2009, then US President Barack Obama, announced to an adoring crowd of young and enthusiastic Egyptians that he had come to "seek a new beginning between the United States and Muslims around the world, one based on mutual interest and m
「日本人」のつくりかた(第1回) 「日本人」なんて言われても、総理大臣から放火魔・詐欺師・痴漢まで、さまざまな人びとが含まれる漠然とした大きな集合です。日常生活で「日本人とは……」なんて語り始める人は、いろんな人がいる巨大な集合をものすごく単純化してしまっているわけで、社会を認識するしかたがなんかヤバそうなことがわかるから、会話からそっと逃げだします。 けれども、新聞や出版物やネット言論の世界では、「日本人」を熱く語ってしまう人がなんと多いことでしょう。とくにこの20年ほど、「“日本人”のあるべき姿はこうだっ!」と言いたい政治家や文化人が増えています。他人様によくわからぬモノサシをあてはめやがって、大きなお世話だよ……と思うのですが、これが「愛国心」という情熱がもたらすアツさなのか、そうした言説はなかなかなくなりません。 この連載「「日本人」のつくりかた」では、さまざまな領域で展開される〈
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