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はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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日本フェミ業界が必死になってやっている、ウィメンズ・アクション・ネットワークのサイトの、音楽に関するリレー・エッセイと思われるコーナーに「黒人音楽と白人ミュージシャン、女性ベーシストCarol Kaye」という記事があった。著者は堀あきこさんという方で、調べたところ『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』という本を出したばかりの人のようだ。 その中で、次のような記述がある。 黒人による黒人のための音楽が、白人層をも巻き込んで、世界に名をとどろかせるビッグ企業に成長。有名なシンガーの影となり、素晴らしい演奏でレーベルを支えた黒人バンド…… それが、これまでのモータウンとThe Funk Brothersをめぐる定説だった。 しかし、女性ベーシストCarol Kayeは、モータウンの演奏はThe Funk Brothersだけでなく、彼女のプレイが数多く含まれていたと告発。 モー
小熊英二『1968年・上』出ましたね。昨日本屋言ったら平積みされてたので、収入が減ってどんどん貯金が突き崩されてく日々が続いているにもかかわらず、思わず衝動買いしてしまいました。税込みでしめて7,140円。あちゃー、買ってから後悔しきりですが、まあ衝動で風俗行ってしまったものと思って諦めナと、まわりから変な仕方で慰められてます。そか、お盛んな世の男性たちは自らの浪費を正当化するためにそんな慰め方をしてたのかw それはさておき、添付されたパンフの「著者のことば」*1を読んだら、ちょっと疑念というか懸念が湧いてきてしまいました。というわけで、以下それについて少し。まあ、あくまで本文を読む前の、こちらの一方的な懸念なので、読了後は(しかしそれはいったいいつのことになるんだ?)まったく的はずれになるという可能性大ですが。 まず、気になるところ全文引用。 ……著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種
一昨年の都知事選のとき、ゲイリブたちが「石原知事は二丁目をつぶそうとしている」というネガティブ・キャンペーンを張り、 「二丁目を守る会」なるものをつくって、石原知事の対立候補である浅野某を一団となって応援したことは記憶に新しいところです。 その後、この「石原都知事が二丁目をつぶそうとしている」という話は、一般ホモに「石原知事はホモの敵である」との印象を与えて、 対立候補である浅野某に投票させるためにゲイリブが仕組んだまったく根拠のないデマであることが判明し、 選挙後、批判に晒されたゲイリブたちは、「二丁目を守る会」を解散し、二度とこの言葉を口にしなくなります。 ところが「マチダタイムス」なるブログを書いているマチダさんというリブ系のブロガーの方は、いまだに石原知事が二丁目をつぶそうとしていると信じているらしく、 「石原は本気で2丁目をつぶそうとしている」 とブログに書いています。 http
2009年07月12日 ブサンとソウル、政治とアートを往復紀行 2009年6月26日夕方、博多から高速船で三時間にてブサン港着。フェリー乗り場最寄りの駅から地下鉄で30分、チャンサン駅に到着。巨大なアパートメントビルディング群に睨まれながらしばらく迷ったあげく、人に道を聞いたら日本語ができる人だった。彼の親切な案内で、松本哉交流会が開催されているブックカフェ「4月(サーウォル)」に到着(「4月」というのは、1960年4月のことだと思われる)。狭いけれどもなかなか小粋な感じのブックカフェで、「進歩新党」という弱小左翼政党の支持者などの知り合い同士が集まる飲み屋的サロンとして機能している様子。なんでも松本哉氏の『貧乏人の逆襲』は速攻で韓国語に翻訳されて、人気マンガ家のイラストをあしらった装丁で6千部刷られているという。質疑応答など終了後、店の外にテーブルと椅子を並べて飲み会開始。韓国語が喋れな
在日沖縄人という言い方は、ピンとくるだろうか。私が自分のことを沖縄県出身の日本人ではなく、日本に住む「オキナワン」だと思うようになったのは、つい最近だ。 とは言っても、別に無政府主義者でも独立論者でもない。沖縄島から九州に移り住んだごく普通の会社員。ただオキナワンは大和民族とは違う、歴史的背景や生活文化、社会を取り巻く「共同幻想」が違うということに気づいただけだ。一人のウチナーンチュ(沖縄人)の視点からヤマトンチュ(本土の人)に異議申し立てをしたい。 ▽・・▽・・▽ 話の前に、やや乱暴かもしれないが、歴史をちょっと説明しておく。昔、琉球という小さな国があった。独自の政治・文化圏を持っていたが、明治時代に「日本国」という近代国家ができる時に吸収された。「琉球人」と呼ばれ、アイヌや朝鮮人とともに「二等国民」扱いだった。戦前の徹底した皇民化教育の強化の中で「日本人」という意識を強め、沖縄戦でもお
承前*1 速水健朗「「ヤンキー論」に必ずつきまとうナンシーの影を追っ払え!」 http://www.cyzo.com/2009/06/post_2173.html http://www.cyzo.com/2009/06/post_2189.html 先ず「ヤンキー」言説隆盛の背景; オタク文化が必要以上に持ち上げられていた一方で、見過ごされてきたのは国内で圧倒的な支持を受けながら、ドメスティック市場でしか通用しないものとして軽視されてきたコンテンツである。 実際、国内のコンテンツ市場を見てみると、ヒットしているドラマ、映画、小説、音楽は、明らかにヤンキー層をターゲットにした作品である。こうした状況を見るとヤンキーコンテンツがマスであり、オタクコンテンツはそのオルタナティブでしかないというのがよくわかる。 しかし、肝心の「ヤンキー」の定義自体が曖昧なまま; 故ナンシー関は、ヤンキー的なものが
目次 ●ネットの誹謗中傷揚げ足取り炎上で苦しむ人と喜ぶ人 ●宇宙が熱平衡へ向かうように、人類社会は偉さの平衡(=平等)へと向かう ●ネットの誹謗中傷揚げ足取り炎上の3つの格差是正機能 ●この社会にエリートはいらない ●なぜエリートがいなくても、社会が機能するのか? ●経済体制の革命では「偉さ格差」は是正できないということは、歴史が証明している ●人類史上唯一Webだけが、共産革命という劇薬によってもなしえなかった根本的な「平等革命」を引き起こす ●会社は社員を馬車馬のように働かせるために、「偉さ格差」を利用する ●権力者は、人々の「生活基盤を人質」にすることで、人々を支配する ●Webが人質を解放することで、人類史的な進化が引き起こされる ●Web革命によって斃される運命にあった梅田氏が、Web文明の旗振り役をやったという歴史の皮肉 ●梅田氏が「残念」と斬り捨てた日本のWebの生態系こそが
フランツ・ファノンのいう「反省なき文化強制 imposition culturelle irréfléchie (unreflected imposition of a culture)」(参照)という問題意識は、まさに制度分析の話ではないだろうか。 そう読むのでなければ、「他者の文化を尊重しましょう」みたいな、文化相対主義的なナショナリズムになってしまう。 日本の「当事者主義」は、ほとんど全てが文化ナショナリズムでしかない。たいていの左翼は、「相手側の右翼」を肯定するだけの差別主義者だ。――私自身が、そういうものに加担してきてしまった。 マイノリティ自身が、「反省なき文化強制」を行なっていないか。 「マイノリティの文化」を絶対化することは、「反省なき強制」になる。 たとえば引きこもる人は、家族に「反省なき文化強制」をしている。 必要なのは、相対主義的・博物学的な並立や温存ではなく、制度分
日曜日えってーとぅ、家(やー)かい帰(けー)てぃ草刈しちゃんばーえっしが、3月なってぃ温くくなてぃ、黒木(くるち)ぬん若芽ぬ出じてぃ、ツツジぬ鉢ぬんゆー咲ちゅんばーえっさ。 リュウキュウセッコクぬん白花(しるぱな)咲かちゅん。 毎日(めーなち)花(ぱな)眺みてぃ暮らさりば、あんち良いくとぅやねんばーえっしが、人の世(チューぬゆー)やあんちんならん、ちゃっさーあんまさてぃん、さ . . . 本文を読む M:18日や年の夜(とぅしぬゆるー)えってーとぅ、カヌーふじぅわーてぃからやーかいけーてぃブログ更新しち、うりからナチジンぬやーかいけーてぃ、祖先(うやぱーぷーじー)にうぐゎんうさぎたんばーえっさ。 S:けーりがちなー(竹と松)だきとぅまちぬゆだちっち、門前(じょーぬめー)んかい飾りんしちやー。 M:今年一年(くとぅしいちねん)海かい行じてぃ、ぱじみてぃカヌーんふじゃんばーえっしが、だーんやま
《社会参加臨床》を考えるなら、ここらへんの原理論をやらない人は、ご自分の思い込みや党派性に巻き込んでいるだけです。 うかつに臨床を語れば、ベタな医療目線に終わってしまう。 ある議論事業には、コミュニティ形成機能がある*1。 議論事業の措定が、実存を安定させ、コミュニティをつくる。 議論事業の枠内にいるかぎり、その前提部分は見えてきにくい。 「感染」を説く宮台真司と、嗜癖的な没頭を推奨する斎藤環は、処方箋として同じ話をしている*2。 ご自分を「成功した側」に置き、「対象は何でもよいから、魅惑されなさい」。 ここでは、《入門》という苦痛に満ちた境界線がモチーフにならず、「成功した入門後」*3は分析されない。 コミュニティについても実存についても、反復される「内側からの制作過程」*4が主題にならない。 「結果的に成功した状態」が範例として示され、「あんなふうになればいい」とのみ推奨される。 これ
どうも、しおです。 ちょっとこのブログの歴史的な話から始まるけど、3人の外国人が日本語でブログを書こうとすると、どうしてはてなダイアリーにしたの?っていう、聞かれた質問ってわけじゃないけど、聞きたい人もいるかなー、と最近思った。 で、実はね、はてなにするってことは僕の考えだったよ。最初にこのグループブログを一緒にやろうって考えていた時に、どのようなブログを書けばいい、という点についてはよく迷っていた。つまり、どのブログサービスを使えばいい、ということ。 そこで、今回のエントリーのタイトルにも書いたように、「はてなダイアリー」に決めた。それは私の考えだったので、どうしてはてなにしたか、ということについて説明したいと思います。 実はよく考えると、「ブログサービスを決める」ことは、技術的な話はともかく、「コミュニティを選択する」ことと近いとも言えるでしょう。つまり、例えばはてなダイアリーにすると
↓を見て欲しい。そして、署名を。 http://www.aozora.gr.jp/shomei/ 私は各々の出来事が、有限な量の「空間時間」を占めており、「空間時間」の同じ領域を全体的にでなく部分的に占めている他の無数の出来事と重なり合っていると考える。 私の哲学の発展 (みすずライブラリー) 作者: バートランドラッセル,Bertrand Russell,野田又夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1997/09メディア: 単行本 クリック: 2回この商品を含むブログ (4件) を見るp19 Mais il y a d'autre part le futur et le passe de l'evenement pris en lui-meme, qui esquive tout present, parce qu'il est libre des limitations d'un
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