多摩川の流域には、上流から下流に至るまで39ヵ所の渡(わた)しがつくられました。渡しは川の両岸を結ぶ交通路であり、流域の人々にとっては、人や物資等の運搬、耕作場への移動など重要な役割を果しました。稲城市域には、4ヵ所に渡船場(とせんば)がつくられました。上流から是政(これまさ)の渡し、常久河原(つねひさがわら)の渡し、押立の渡し、矢野口の渡しの4ヵ所です。稲城と調布・府中を結ぶこれらの渡しの成立年代は、今のところ明らかではありませんが、おそらく中世末から近世にかけてつくられたものと思われます。特に是政・押立は、江戸時代中期の『調布玉川惣画図(ちょうふたまがわそうがず)』にも記載されており、古くから設置された渡し場でした。また矢野口の渡しは、多摩川原橋開通後は、下菅(しもすげ)の渡しと統合し、菅の渡しと名称を変え昭和48年まで続けられました。是政、押立、矢野口の3ヵ所は常設の渡しであり、常久