にしすがも創造舎(東京・豊島区)にしつらえられた円形舞台。そしてこれをとりまく360°の観客席。もうなくなってしまった青山円形劇場を思い出す。この円形の三等分したところに空間現代メンバー3人(ギター、ベース、ドラムス)がポジショニングをとる。 ロシア革命期の詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの戯曲『ミステリヤ・ブッフ』(1918年作)を、地点×空間現代がフェスティバル/トーキョーで上演中である。作品が書かれた前年の1917年にロシア革命が起きている。そもそもマヤコフスキーが上演されること自体が珍しい。そして珍しついでに、三浦基率いる地点はやりたい放題である。居心地の悪い分節で切断された言葉が散りぢりとなり、蒸し返され、言ったそばから忘却され無化される。聖書の一節が現れては沈潜する。空間現代の完成度高い音の塊が芝居全体をコンダクトし、ナンセンス・コメディとして異化する。マヤコフスキーのブレヒト
生理学の教科書には、難しいことは書いてあるが、一見当たり前かもしれないことは書いてない。ここでは、教科書を隅から隅まで読めば当たり前と思えることを、簡単に説明したい。しかしそのすべてが正確であるかは不明である。
金子山 写真EXPO 『喰寝 くっちゃね』Shop 2024/12/12 2024/12/11 2024/12/10 2024/12/09 2024/12/08 2024/12/07 2024/12/06 1 / 742ページ@1ページ2345...102030...»最も古い投稿 >
『殊能将之読書日記』が発売されて5カ月近く、版元のアナウンスでは少なくとも一度は重版されたそうだから、第二弾の可能性はありうるでしょう。 以前にも書いたように、この本は旧公式サイトの「reading」という原書を読んだ感想ページだけをまとめたものなので、邦訳書に関するリアルタイムの記述(そちらは「memo」に書かれていた)は、まるまる省かれている。ところが、それらはもちろんこの「reading」の内容とも大きく通底するのだから、この本だけでは全容が見えない。 そのことに関連して、いくつかの記述を紹介してみたいと思います。 ※ 「reading」の記述が当時未訳だったポール・アルテの日本への紹介に大きく影響したであろうことは疑いないが、その評価にはややわかりにくいところがある。私も数冊読んで「ああ、ポール・アルテね」くらいの感じだったのだけど、『読書日記』を読み返してみると、そのわかりづらさ
twitterになにか言おうとして、書いてやめる 投稿しちゃったけど、無駄なコメントだったと思って消す ブログに何か書こうとしてやめておく ここでの記事も、木曜日に公開されては次に言うことなんかなんにもなくて あれこれ思いついては「言う程でもない」って消しちゃうわけ。 制作では「なにが言いたいのか」「なにがしたいのか」コンセプトが重要だとされているんだけど 主張は1,2年前からなくなっちゃった。 どこからどこまでをコンセプトとするかはアレだけど もうね、美しくて、おいしかったら、なんでもいい。 そうそう、そういう意味で民芸がとてもイイって思っていてね、あの、匿名性とか、テキトーさとか、 それでいて、生活がふくよかで豊かなこととか。 われわれはすぐにイイ、悪いとか言うけど、「イイ」はだいたい「琴線に触れるわー」という感じかな。 なんでもかんでも「カワイイ」とか言っちゃうみたいだよね。 民芸の
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