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歴史に関するkageyomiのブックマーク (24)

  • 61年前の伊勢湾台風が激変させた日本の食料事情(JBpress) - Yahoo!ニュース

    (作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎) 猛烈な勢力の台風10号が九州を襲った。これだけ強烈な台風は、5098人の犠牲者を出した1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」以来とされる。 その伊勢湾台風をきっかけに、米国が日料安全保障を大きく変えてしまったことを、どれだけの日人が知っているだろうか。 いや、知っておくにはいい機会でもあるので、あらためて振り返っておく。 ■ 生きた豚を空輸する前代未聞の国家プロジェクト その年は、台風の当たり年で、伊勢湾台風の前にも大型の台風が上陸している。 それで甚大な被害を受けたのが、山梨県だった。台風7号の直撃に伊勢湾台風(15号)が追い打ちをかけた。同県ではこれを「昭和34年災」と呼んで語り継がれる。 そこに支援の手を差し伸べたのが、米国のアイオワ州だった。同州と山梨県はそれまでに戦後初めての姉妹都市関係を結んでいる。 アイオワ州はコーンベルト地帯と

    61年前の伊勢湾台風が激変させた日本の食料事情(JBpress) - Yahoo!ニュース
  • https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/798347.pdf

  • 戦後左翼にとって乞食は処理すべき対象であった: 反米嫌日戦線「狼」(反共有理)

    The Timers - FM Tokyo by 桴瑰㨯⽷睷⹶慬牡猭灬慧攮湥琯扲楣欭浵獣汥(12/07) 『実録・連合赤軍』 若松監督が岡公三にDVDを見せていた! by 投資一族のブログ(10/20) 【衆議院議員・保坂展人】「愛国心」と「自己責任」の歯車が噛み合うときが怖い by 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲版(01/09) マスゴミは連赤事件をどう伝えたか by 【2ch】ニュース速報嫌儲版(10/15) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by 逝きし世の面影(11/09) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by 逝きし世の面影(10/13) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by JCJ機関紙部ブログ(10/05) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「

  • エピソード - 時論公論

    アメリカ大統領選挙で再選を目指すバイデン大統領と政権奪還を目指すトランプ前大統領を取り巻く情勢はこの3週間激しく動きました。最新情報を元に戦いの行方を考えます。

    エピソード - 時論公論
  • ジェネレーション・ウォー

    2013年に制作されたドイツのTVドラマだが、そのクオリティは完全に映画水準。 『バンド・オブ・ブラザーズ』『ザ・パシフィック』に続く系譜と銘打たれてはいるものの、ドイツ人の視点である上、兵士以外の従軍看護師や弾圧されるユダヤ人など、銃後の人間像も十分に描かれているため、同様の作品を期待すると外す可能性はある。 1941年の6月から45年5月までの4年間を、歩兵として出征する兄弟、従軍看護師となった少女、歌手を目指す少女、ユダヤ人であることに誇りを持つ仕立屋の若者の、5人の幼なじみの視点から独ソ戦と戦時中のベルリンが描かれている。90分×3話で4時間半という長さだが、5人分の視点から4年が描かれるため、むしろ展開が早く感じられる。やや「盛り過ぎ」の観はあるものの、見終わってみれば見事なバランスとも思われるので、その辺は岡喜八の『沖縄決戦』みたいな感じかもしれない。 『ジェネレーション・ウ

    ジェネレーション・ウォー
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    kageyomi 2015/01/06
    "その意味では、1945年におけるソ連軍の暴虐ぶりも描写されており、誰に対しても全く容赦の無い地獄絵図が再現されている。"
  • {本]『神皇正統記』 - Arisanのノート

    神皇正統記 (岩波文庫) 作者: 岩佐正出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1975/11/17メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (21件) を見る『神皇正統記』は、何度も内容の一部を書き換えられたり、改竄・重修されてきたらしい。 岩波文庫版の校注を行った岩佐正の解説によると、興味深いことに、南北朝時代にこのが世に出た当初、南朝方の人々ばかりではなく、こののイデオロギーとは敵対するはずの北朝方に属する東国の武士たちの間でも、この書物は広く読み伝えられたのだという。そこで、迫害を恐れたのか、足利幕府の支配体制に適合するように、北朝方の読者たちによってその内容に「加筆削除変更」が繰り返し行われるということがあった。 これが、古い時代における「修正」である。 だが、最も重大で無残な修正が行われたのは、幕末から明治以後にかけてだったようだ。それは、この時代

    {本]『神皇正統記』 - Arisanのノート
  • 【『深・裏・斜』読み】世界最大150万人、ブラジルの日系社会 移民史問い直す試み続く+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

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    kageyomi 2014/06/16
    ”醍醐麻沙夫氏(79)は昨年、外山さんの原稿を無断で没にし、自説を述べた自らの原稿に差し替えて出版した。負け組の流れをくむ醍醐氏は取材に対し「外山さんの原稿は、移民史の定説と合わないため没にした」”
  • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) 本気でそう信じているから南ベトナムも韓国も酷いことになった

    「降伏四周年・マ元帥声明」が昭和24年の朝日新聞に載っている。 「中共との貿易は空論に近い」と言っていたりするが、その内容は大したものではない。松笠元帥は単なる共産主義批判に終始している。だが、当時から日は大陸の相当の部分を支配している新中国(建国前だけどね)との貿易を強く要望していた。 実際に、新中国との交易の必要性は首相クラスからも主張されていた。勢いもなく押される一方の国府とだけ交易では、いずれは大陸から閉めだされることは明らかである。後に首相となる吉田首相は、気か、米国への言い訳かはともかく「新中国を倒すため、交易で自由主義の毒を植えろ」と主張していた。さらに鳩山首相以降となると、新中国との共存を前提とした交易を求めるようになっている。 マッカーサーにしても、国の政治情勢から、日の要望に釘をさしたものだろう。国での赤狩りがあるので、新中国との関係を改善することは許せないと

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    kageyomi 2014/05/17
    吉田茂のwikiを見ると、吉田夫人がカトリックの信者で吉田本人もカトリックに好意的と書いてある。マッカーサーが吉田を首相に据えたのも、「キリスト教の進出」と関係があるのかもね。
  • 【関西新刊案内】季刊誌『大阪春秋』 学童集団疎開70年特集号 編集長・福山琢磨さん、寄稿者・上田博章さん 美化してはいけない 戦時下で命守る法案 (1/2ページ) - MSN産経west

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    kageyomi 2014/05/16
    "法案を持って上司である陸軍大臣、東條氏に決裁を仰ぎに行くが、「家族主義の美徳に反する」と強く反対される。"へえ
  • 東京新聞:「わだつみ」に別の遺書 恩師編集、今の形に:社会(TOKYO Web)

    新たに見つかった遺書の末尾には、「処刑半時間前擱筆す」とあった。刑場に連れ出される直前までつづったことが分かる 戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが紙の調べで分かった。「わだつみ」ではすべて獄中で愛読した哲学書の余白に書かれたものとされていたが、実際は二つの遺書を合わせて編集してあり、辞世の歌も今回見つかった遺書にあった。

    東京新聞:「わだつみ」に別の遺書 恩師編集、今の形に:社会(TOKYO Web)
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    kageyomi 2014/05/06
    http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2014/04/post_0142.html有田芳生のブログに遺書の全文が載っていた。
  • 有田芳生の『酔醒漫録』: 木村久夫遺書全文を公開する

    木村久夫遺書全文 【遺書は田辺元『哲学通論』昭和八年版の欄外に鉛筆で書き込まれていた。カタカナ部分は平仮名で表記する。明らかに誤記と思われるものもあるが、獄にある息遣いと感情の発露によるものゆえにそのまま記録した。遺書とはそうした精神の混乱もふくめて極限にある人間の源的発露であると判断するからである。】 (扉)死の数日前偶然に此の書を手に入れた。死ぬ迄にもう一度之を読んで死に赴こうと考えた。四年前私の書斎で一読した時の事を思い出し乍ら。コンクリートの寝台の上で遥かな古郷、我が来し方を想ひ乍ら、死の影を浴び乍ら、数日後には断頭台の露と消ゆる身ではあるが、私の熱情は矢張り学の途にあった事を最後にもう一度想ひ出すのである。 (1ページ)鉛筆の傍線は私が引いたものである。 父 木村久 住所 大阪府吹田市大字佐井寺四〇二九番地 此の書に向っていると何処からともなく湧き出づる楽しさがある。明日は

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    kageyomi 2014/05/06
    ”全世界の怒りも無理はない。世界全人の気晴らしの一つとして今私は死んで行くのである。”
  • ■ - jun-jun1965の日記

    大宅壮一ノンフィクション賞が、今年から雑誌部門を設けた。だが実は初期のこの賞は、雑誌記事も対象にしていたのだ。それどころか応募原稿も対象だった。候補作は以下に掲げてある。 http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kenkyu/furok_OOYAaward.htm だが結局単行しか受賞せず、1980年からは候補の段階で単行だけになった。ところで1972年の候補作に、平岡梓の「倅・三島由紀夫」が入っている。 三島は、死ぬ前に、楯の会一周年記念式典でのあいさつを川端康成に頼んで断られ、恨んでいた。さして三島から愛されてもいないのに親ばかだった梓は、やはり川端を恨み、三島の葬儀で委員長を川端に頼むことに反対し続けた。村松剛らの説得で何とか川端がやったのだが、「倅・三島由紀夫」を『諸君!』に載せて、川端が葬儀の時ラジオを足元に置いていた、あれは外で騒乱が起き

    ■ - jun-jun1965の日記
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    kageyomi 2014/04/25
    ”川端は、もはや自分はこの程度の扱いしか受けないのかと絶望した。川端が自殺したのは、その六日後である”
  • 『永遠の0』という『失敗の本質』 - 「サルの論理」と「カニの信用」

    アメリカにヒロシマを!」 これがビン=ラディンのスローガンの一つだったという。 この世界を震撼させたテロリストの親玉については、あまりに情報が錯綜しすぎていて確かな所はわからない。しかし彼は、太平洋戦争について良く研究していたのではないだろうか。 そして、おそらく、彼だけが「特攻隊」の質に気づき、それを実行に移すことが゙できたのだ。 それは、「特攻隊こそが純粋なテロリズムである」ということだ。 歴史上、自爆攻撃もしくは過剰な自己犠牲のもとに戦った例は多い。その中で日の特攻隊がKAMIKAZEの名で持ち出されたのは、そこに明確な「恐怖への欲望」が見出せたからだ。それは、戦いにおける勝ち負けなど関係無しに、ただ相手に恐怖terrorを与えることのみを目的とした、理解しがたい狂気だった。 だいたい特攻隊そのものが、戦術的に非効率的で効果も大して期待できない、ということは、戦時中の大営です

    『永遠の0』という『失敗の本質』 - 「サルの論理」と「カニの信用」
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    kageyomi 2014/04/25
    ”ビン=ラディンはおそらくそのことに気づいていたのではないだろうか。自爆テロは勝利を目的としたものではなく、相手に(アメリカに)理解しがたい恐怖を与えることを目指したものだ。”ふーむ
  • 台湾沖航空戦 - Wikipedia

    台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中、フィリピンのレイテ島への上陸作戦の布石として、台湾から沖縄にかけての日軍航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊に対し、日軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日軍は大戦果と誤認した。 マリアナ沖海戦に勝利を収め、日の絶対国防圏を突破したアメリカ軍の次なる目標はフィリピンであった。緒戦で日軍に奪われた領土フィリピンを奪還する意味もあったが、何よりそこを押さえれば、日の仏印、マレー、蘭印などからの資源運搬ルートを断ち切ることができるからである。対する日軍は迎撃準備を進め、これを捷号作戦と名づけた。日側の主力として期待されたのは第二航空艦隊、中でも第六基地航空部隊のT攻撃部隊であった。こちらが陸上基地である利点を生かし、敵(機動部隊)が活動しにくい夜間

    台湾沖航空戦 - Wikipedia
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    kageyomi 2014/04/20
    ” 「(一)我方の収めたる戦果綜合次の如し」 轟撃沈 航空母艦11隻 戦艦2隻 巡洋艦3隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦1隻 撃破 航空母艦8隻 戦艦2隻 巡洋艦4隻 巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13隻 撃墜 112機”勝ったな
  • 日本軍作戦参謀「バンザイ突撃で突っ込め!分かる?突っ込めって言ってんだよ!!」←無能だろ… 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲板

    06/ 08 16:13 【お知らせ】 11/ 15 11:30 金持ちのクソガキ19歳ボンボン「朝からガヤルド運転はホンマに腰が痛いwwwwww」 11/ 15 11:02 【GOTY】今年のゲーム・オブ・ザ・イヤーの候補がこの5つらしい 11/ 15 10:04 自民と希望の議員が「南京事件は無かった」講演会実施へ 11/ 15 10:01 中国で「すごいぞ中国」「すごいぞわが国」という自国ヨイショが流行 11/ 15 09:48 ジャスラック「ソシャゲはイベント周回ごとに金払え!」開発「え?同じ人が何度もプレイするだけですよ?」ジャス「曲が流れる回数分払えや!」 11/ 15 08:59 【速報】7-9月のGDP 年率+1.4% 11/ 15 08:37 【神iPhone】1人で外出中に倒れた男性 iPhoneの電源ボタンを連打し一命を取り留める 泥スマホなら完全に死んでいた 1

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    kageyomi 2014/04/17
    関ヶ原での島津の退き口は後世に悪影響を与えたと個人的には思っている。
  • [書評]ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし): 極東ブログ

    アンパンマンの作者としても有名なやなせたかしだが、このブログでも一度取り上げたことがある。「[書評]93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法(やなせたかし)」(参照)である。表題にあるようにこのは93歳の長寿法である。やなせさん、100歳まで生きるんだろうなと思っていた。が、94歳で亡くなった。それでも天寿と言ってもよいのではないか。 年齢を見ると大変なお年のように思うが、生年で見ると、1919年(大正8年)。コラムニストの山夏彦が1915年生まれだからそれより4年は年上。山七平は1921年生まれで、やなせより3年、年下。同じく漫画家の水木しげるは1922年生まれなので、山七平に近い。 彼らはそのあたりの年代。実際に大人として戦争を体験した世代である。山夏彦は従軍していないが、山七平はフィリピンで九死に一生を得ている。水木は左腕を失なった。 他、思い出すのは北京

    [書評]ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし): 極東ブログ
  • A級戦犯合祀は自らやめるべきである(7月20日改) | Blog | nozomu.net - 吉田望事務所 -

    2006年7月20日の日経済新聞のスクープにより、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたことを示す第一級の歴史資料が見つかりました。論の主旨はその約1年前に書かれたものですが、この歴史資料の発見により、ほぼ実証されたと考えています。1988年当時の宮内庁長官富田朝彦氏のメモが見つかったもので、そこには昭和天皇が靖国に参拝されない理由が以下のとおりに明確に書かれていました。 「私は、或る時に、A級戦犯が合祀され、その上、松岡、白取までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか。易々と。松平は平和に強い考があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」 この報道のバックグラウンドの解説資料として論文は最適かと思います。長文ですが、検索でこられた方は是非お読みください。 -----------

  • nozomu.net - 吉田望事務所 -

    「会社は誰のものか」(新潮新書) 吉田 望 (著) 新潮社 書のライブドア評: 長い目で見ると「合理的理由で社名を変えた会社は再び合理的理由にて社名を変えるだろう」と予言しておきます。

  • 3月28日(金)東山に靖国神社の原型を訪ね建仁寺で予習する - 島田裕巳の「経堂日記」

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    kageyomi 2014/03/31
    京都霊山護国神社”当初、明治政府はここを中心的な招魂社として定めようとしたが、東京遷都によって、それが九段の東京招魂社になった。その意味では、靖国神社の原型。”これマジ?
  • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) 3月30日なので

    「フランシーヌの場合」も探すとあるものだなと。 普段から、「3月30日」とか「おばかさん」とか「場合」という言葉が出ると、「フランシーヌの場合は」とか「あまりにもおバカさん」とか、節が口を出てくるものだね。「まあ、この」とか「あー」とか言う時に、角栄とか大平首相の口真似で「まこのー」とか「あー、うー」というようなものか。 でもねえ、日の反戦歌ってあんまりね。むしろ反戦的なメッセージとして一番強烈なのは、ニュース映画で出てくる「海ゆかば」とか、学徒出陣の「抜刀隊」とかのほうがねえ。勘弁してくれという気持ちが想起されるんじゃないのかな。 コレ見て思うのが「屋根がないとオリンピックができない」って甘えだね。神宮外苑でそんなことを言い出すのは非常識ではないか。ほとんどの競技で学徒選手の戦死者だしてるんだから、「雨降ったらできない」なんて言うものではないと思うがね。 あとは、最近に大学が休講にしな

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    kageyomi 2014/03/30
    ”もともと戦後の早慶戦って、要は追善供養みたいなものだから、後世にわたって休講にすべきなんだがね。学部生だった平成初期なんか、学徒出陣した連中が先生やってたからまずは休講だった。”