ネイサン・ブラウンによる日本語聖書 右から『雅谷之書(やこぶのふみ)』(1875年)、『天毛天(てもて)・亭止(てと)・飛礼毛無(ぴれもん)』・『與波子仁安良波之太留與計無(よはねにあらはしたるよげん)』(1878年) 安政5(1858)年、幕府は日米修好通商条約を締結し、その第8条で、居留地に住む外国人の信教の自由と礼拝堂の建設を認めました。居留地以外の地での布教は認められなかったものの、布教の足がかりを得た欧米諸国のキリスト教各派は、日本への宣教師の派遣を決め、安政6(1859)年以降、次々と宣教師が来日します。 安政6年10月、長老派の宣教医ヘボンが、神奈川に上陸しました。二週間遅れてオランダ改革派宣教師S・R・ブラウンが来日します。翌年の4月にはバプテスト派ゴーブルが来日しました。彼らは、神奈川の成仏寺に住み、日本語の習得と伝道の基礎となる聖書の翻訳に取り組みます。 ヘボンの来日か
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