出雲国府跡(松江市大草町、国史跡)で、奈良−平安時代の公文書と書状の一部とみられる漆(うるし)紙(がみ)文書が出土し、15日、島根県埋蔵文化財調査センターが発表した。戸籍から抜き出した男性の名前などが書かれた文書の断片3点。西日本の国府跡からの出土は珍しいという。 文書は国府政庁跡の約100メートルにあった穴から、土器片や獣骨などと一緒に出土。文書には奈良、平安時代にまたがる年号「延暦」(782〜805年)のほか、当時の出雲地方に多い「日置(へき)」と推定される姓に続き、名の「真梶(まかじ)」などの墨書跡が赤外線写真で判明した。 当時は、容器に入れた漆の乾燥を防ぐため、紙で蓋(ふた)をしていた。この蓋に、使い古した文書を使用することが多く、この文書に漆がしみこみ、腐食しなかった場合、漆紙文書として発掘調査などで見つかるケースがまれにある。 佐藤信・東大大学院教授(日本史)の話「この時期は、
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考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 慰労詔書を勉強してみなくては、と思ったら よろしくお願いします。 『延喜式』もっと勉強しろ!という激励を受けて??早速慰労詔書の研究状況を確認しました。本当にお恥ずかしい限りですが、あるはあるは山ほどあることが解りました。そしてもっとお恥ずかしいことに自分でその論文の載る雑誌を持っていたのであります。 『延喜式研究第10号』(延喜式研究会1995年3月15日)であります。 丸山裕美子「慰労詔書・論事勅書の受容について」という論文がありました。済みません丸山さん。いかに日頃勉強していないか、雑誌を取っていても積ん読だけかが露呈しました。 早速読みました。するとその引用に中野高行「慰労詔書の「結語」の変遷について」(『史学』55-11985年)という、そのものズバリの論文のあ
地名に興味を持って10年になります。地名について知るほどに、いろいろのことが判るように なりました。 地名には新しいものもありますが、古いものでは日本に字が出来る前から、存在 したと思われる地名もあります。その他、人名と多いに関係がある。歴史と切り離すわけには いかない。同じ読み方の地名が全国に有る。どうして、このような読み方が出来るのだろうと思 われる地名が有るなどなどです。 詳しいことを知ろうとしますと、先人が苦労して調べられたものを、聞いたり、読んだりするこ とになります。知ればしるほどに興味がわきましたが、次第に不満を感じるようになりました。 例えば、現在の地名の読み方と朝鮮語が良く似ているから、朝鮮からの渡来人が名づけたの であろう。いや、アイヌ語に似た発音があるからアイヌ語由来であると。このような例はいっぱ いあるのだと説明されています。
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