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2007年4月11日のブックマーク (7件)

  • ネットの「群衆の叡智」の可能性とはなにか その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    群衆の叡智と単なる群衆心理 ロングテールとともに、昨年のキーワードとなったのが、ニューヨーク在住のコラムニストであるジェームズ・スロウィッキー氏ののタイトル「The Wisdom of Crowds(群衆の叡智:の邦訳は、『「みんなの意見」は案外正しい』)」である。 そんな群衆の叡智の壮大な実験に取り組んでいるのが、サンフランシスコにある米ディグ(Digg)だ。・・・情報が溢れる今の世の中で、自分が見たり聞いたりする情報(メディア)は、わずかな数の記者や編集者に依存している。そんなメディアを「民主化」しようというのが同社の社是だ。 インターネット上にあるメディアをすべて民主化し、ランク付けしようとするディグ。何かに似ていないだろうか。そう、グーグルの検索結果表示である。・・・グーグルは、ページランクと呼ばれる手法で、リンクされたページの質と量、リンクしたページの内容などを数値化し、膨大

    ネットの「群衆の叡智」の可能性とはなにか その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ぼくたちの洗脳社会

    kunimiya
    kunimiya 2007/04/11
  • ARTIFACT ―人工事実― : ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に

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  • ブログにつまらないことを書かないために知っておくとよい10の心得(前編)

    以下は、ブログ論としてすっかり定着していることや、自分の経験から生まれたことを基にした、つまらないことを書かないための10の方法論である。これを参考にして、すばらしい記事を書いていただければ、筆者としてこれ以上の喜びはない。 なおこのエントリ自体がつまらないことに関しては、スルーしていただければ幸いである。 今回は、つまらないエントリを作成しないための方法を5つ紹介する。 サイトの更新を義務だと錯覚してはならない(どらみそら。より)リンク先の記事が非常に参考になるので、是非一度目を通してみて欲しい。 無理して書こうとすると、脳に負担がかかって、いい記事も悪いものにしかねない。きちんと頭の中を整理できる余裕がある状態で記事作成に臨むべきだろう。 もちろん、ブログは毎日書くことにも十分意義がある。しかし、ブログはあくまで趣味。自分が疲れない程度の更新が望ましいことは、言うまでもない。 自分の土

    ブログにつまらないことを書かないために知っておくとよい10の心得(前編)
  • ブログに期待されたいブロガーの喜劇 - 萌え理論ブログ

    「ブログに期待しすぎてしまった人」の悲劇 粗探し My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ。 以下、梅田望夫氏が言う「粗探し」に見えるかもしれませんが、あくまでブログにどんな可能性があるか、という視点でお読み下さい。 悲劇 琥珀色の戯言 - 「ブログに期待しすぎてしまった人」の悲劇 ブログが編集者の目に留まり、作家デビューしたということもありませんでした。実際にそうやって、ブログがきっかけでを出版された方もいます。アフィリエイトもしていたのですが、

    ブログに期待されたいブロガーの喜劇 - 萌え理論ブログ
  • ブログはなぜ書かれるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ブログは必ず読まれる? ブログを含めたネット上のパーソナルなテクストは、報酬がないにもかかわらず、精力的に製作されている。これを支えているのが、「見られている」ということである。ネットは公開され、だれでもみることできるという技術的な可能性が、「誰かが見ている」という希望的可能性を増幅させる。そして「誰かが見ている」可能性は、技術的な可能性を越えていく。それはかつて「ネットに公開すれば、世界中の人がみることができる。」という神話を捏造した。いまはその神話は陳腐化したが、それでもブロガーは神話を捏造している。それは「私がみられたいと思う人が見ている」ということである。 これはブログだけのことではない。行為を含めた広い意味でのコミュニケーションでは、だれもが「見られたい人」が見ているように捏造している。たとえば、誰かと話をしていても、それは目の前の話し相手と話しながら、「見られたい人」に向け発信

    ブログはなぜ書かれるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • Blog論2005年バージョン(1) - My Life Between Silicon Valley and Japan

    僕のBlog論の現在バージョンを、FPN「梅田望夫氏 座談会レポート」 http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=537 を解説する形で書いていくことにする。 Blogはテーマ性を強く持つべきか まずは第三のQ&Aから。 Q: ブログを始めたコンセプトはどういったものでしたか? UMEDA: CNETの連載が始まるまでのブログではプライベートのことなども書いていたわけだが、私が他の人のブログを読んでいて正直個人的なものを面白いとは思えなかった。そこで「テーマ性を持とう」ということで、どんなものが読まれて書き続けることができるかを考えた末に出てきたのが『英語で読むITトレンド』というテーマだった。 ちょうどこのコンセプトを固めていた時期が、個人サイトからCNET Japanへ移行する時期にあたり、昨日の

    Blog論2005年バージョン(1) - My Life Between Silicon Valley and Japan