伊集院光のエッセイ80本をまとめた新刊。いやー、これはおもしろい。声だして笑ったなー。本職のモノ書きでも、ここまで笑える文章を書ける人はなかなかいないのではないだろうか。太田光もラジオで絶賛していましたが、たしかにこれはいい。渋谷パルコではさっそく平積みで売っていて、わたしはパルコでこの本を買ったけど、あのおしゃれな空間は伊集院というキャラクターにまったくそぐわなくて実によかった。気がつくと、なんだかあっという間に読了してしまった。 このエッセイは、携帯電話会社がメールマガジンとして配信していた素材をまとめている。「週三回の配信、一度につき400字以上」というのが、連載の条件だったという。考えてみると、これはかなりしんどい。伊集院は、この連載を750回ほど続け、その中の80本をよりすぐって一冊の本にした。すごいよね、週三回のペースで750回続けるというのは(月に13回と仮定して、58ヶ月=
ふと、「カレーが食べたいな」とおもいたって、スーパーへ買いものにでかけるようなタイミングがある。カレーを作るぞ、というつよい意志に導かれて、スーパーへと向かうわけである。しかし、そこでどうにもてれくさいのは、かごに放り込んだ食材のラインアップだ。カレールーにくわえて、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、肉、福神漬。これらをレジに出すのがとても恥ずかしいのである。まるわかりじゃないか。かごの中には、わたしの欲望がつまっている。心なしか、レジ係の人が口の端でわらっているような気がしてきてしまう。 「おや、今日はカレーですか。あなたはいかにもカレーが好きそうな顔をしていますね。皿までなめそうな感じがしますよ。さあ、この材料を持ってかえって、鍋いっぱいに作るといいでしょう。あっ、ごはんは三合ていど炊くといいかも知れませんね。なにしろ、腹ぺこ君なんでしょうから…」などと、すっかり侮蔑されているようだ。いい
いぜん、心理学者の岸田秀が書いたエッセイを読んでいて、とてもおもしろいとおもったのは、彼がまだ若かったころ、ある日「世の中にはつまらない本がある」という事実を発見した、という文章だった。岸田は、この世の中につまらない本があるなどとはかんがえもしなかったのだという。かわりに岸田はこうかんがえていた。本というものが、人手と時間をかけて作られている以上、その中には有意義な内容が込められているに決まっている。出版社がわざわざ印刷をし、書店に並べるからには、もちろんその中身はしっかりと吟味されているはずだし、無内容な本、つまらない本を、手間をかけて出版するなどということはありえない。どんな本でも最後まで真剣に読み通す習慣のあった岸田青年は、かたくなにそう信じていたわけだ。 ところが岸田は、あるタイミングで発見してしまう。この世界には、つまらない本というものがあると。読んでもいっこもいいことがない、た
「あのさー、もうすぐ声明だすことになったから」と、彼はいった。世田谷区のせまい1Kアパート。オリジンのバランス弁当をおいしそうに食べながら、かたわらに置いた2Lペットボトルの烏龍茶を、直で飲んでいる。彼と一緒に暮らしはじめて二年。すっかり日本にもなじんでしまった。「俺、日本人に生まれたらよかったな。日本、ごはんうまいし、女の子かわいいしさ。男は、サウジアラビアの方がイケてるとおもうけど。サウジアラビアって服とかカッコわるいしねー。俺も学生服着たかったよ。そいで学生服デートするの。あはは」。僕は、声明のことが気になっていた。 「ちょっと、声明ってなに」と僕は訊いた。二年前、彼を居候させる条件はふたつあった。ひげを剃ること。そしてテロをやめること。タフな交渉の末に、彼はひげを剃り、テロをやめると約束した。じっさい、今の彼はテロとは無縁の生活を送っていた。ふたりでタイフェスティバルにいってグリー
わたしにはわかる。男はみんな、ホストになりたいとおもっていることを。「俺はちがうぞ」とか言わせない。男であれば全員が、やり手のホストみたいに女をたらしこみたいと願っている。そうに決まっているのだ。みなまで言うな。わたしにはわかっているのだからね。いいねえ、女たらし。「女たらし」って、「女をたぶらかして」を短くしたものかしら。たぶらかし。たらし。いずれにせよ語感がいいね。もて遊んでる感じが。わたしもどうにかたらしたくて、この夏も必死にがんばってきたのだけれど、気がつけばもう終戦記念日。夏が半分終わってしまった。もう海にはくらげがでるし、そろそろとんぼが飛びはじめる。ちょっと、もう。夏をどうするの。ここはホストに学ぼうとわたしは考えた。どうすれば女の子をたぶらかせるのかを学ぼうとわたしはおもった。 ホストについて興味ぶかいのは、「素の自分は大したことがない」と冷静に理解していることだ。彼らは自
中島義道という人の本はふしぎである。読むとイヤな気持ちになる。でも、どこか説明のつかないおもしろさもあって、つい読んでしまう。それは「真実を抉るのはえてして不快である」ということの証左なのかも知れないけれど、やっぱり読後感はわるいのね。彼の「ひとを愛することができない」(角川文庫)という本は、今年読んだ中でいちばん後味のわるいものだったのだけれど、この本についてなにかを書こうとおもったら、それだけで鬱がやってきて止めた。ちょう鬱になったの。中島は偽善やタテマエを嫌うし、ある種の共感を強制されることをどこまでも拒否する。それが徹底しているので(葬式で泣く人を見ると不快だ、とまでいう)、こんなこと書いちゃっていいのかしら、すごいなあ、とおもいながらわたしは彼の本を読むことになる。「人間嫌いのルール」(PHP新書)も、かなり身も蓋もない内容でしたが、なるほどとおもいつつ読みました。 中島の人間嫌
反省、という行為には、いまひとつよくわからないところがある。反省って基本的にいいこととされているじゃない。世の中的にさ。己を省みる。しかし、しなくていい反省、するだけムダな反省、むしろしてはいけない反省というものもあるようにおもう。反省もほどほどになさいという意味あいのことを、僭越ではありますが、わたしが今からお伝えしていこうとおもう。 わかりやすい例をあげると、たとえば恋愛において。意中の相手にメールを送ったとします。しかし返信がこない。あれっ、なんでだろう。自分はなにかまずいことを書いただろうか。そんなことないとおもうんだけどな。うーん。そういえばこの前会ったときに、遅刻しちゃった。あの日はどうもお互いに機嫌がよくなかったような気がする。なにかヘンなことでも言ったかな…。ことほどさように、人はなぜかひとりでに「反省マシーン」と化して、自分のおこないをひとつひとつ検証してしまう。しかし実
いぜん、営業の仕事をしていたころ、当初わたしはほんとうに契約が取れなくて、仕事を辞めさせられるのではないかとはらはらしていた。このままでは、ひとつも契約が取れないまま、強制的に退社させられてしまうのではないだろうか。いったいこんな調子で、給料をもらったりしていいのかしら。その後、試行錯誤あり、しだいに契約を取れるようになっていったが、かんがえてみれば、べつにこれといった技術を身につけたわけではなかった。なんかこう、営業スキル的なものをね。ただ、「ふつうにやっていれば、月に3件くらいは取れるよなあ」ということがイメージできるようになった。それだけは変わった。月を通してやれば、すくなくとも3件は反応があるだろうということが、きちんとイメージできるようになったし、そのていどなら自分にもできるとおもえるようになった。そうした自己イメージに従って動くことができるようになったのである。 しかし、月に3
世間的にいって、三十五歳というのは、転職可能な年齢のぎりぎり上限である。求職情報などを見ると、たいていの求人には応募可能な年齢があって、職種や企業の規模にもよるのだが、「三十五歳まで」というのがおおかたの上限である。それ以上の年齢の求職者を雇用する会社というのは、雇用条件だったり、雇用形態だったり、給与やなんかで、いろいろとあれな感じになってくる。日給が、バナナひと房とかね。いやですな、歳を取るっていうのは。わたしも過去に何度かの転職を経験したが、さすがにこれ以上の転職はできない。もう時間切れになってしまった。ここで辞めても、わたしを雇ってくれる会社をあらたに見つけることは困難だろう。バナナはすきだが、それ以外のものだって食べたい。パイナップルやいちご、すいかやりんごが食べたいです。もう転職はきつい。わたしは、今の仕事が理想であるとか、この会社と運命を共にするなどとかんがえたことはないです
新宿のHMVで、安室奈美恵のあたらしいシングルを試聴していたら、これがすごくいい曲で、ついうっかり店内で泣きそうになってしまった。「ベイビー・ドント・クライ」。もちろん、どうにかこらえましたけど…。さすがにわたしもいいおっさんなので、人前でアムロちゃんのCDを聴いて泣くわけにはいかないのです。まさにオッサン・ドント・クライである。この曲がなんかねえ、あまずっぱいんですよ。もう、すっかりまいってしまった。歌詞に描かれた風景がくっきりと浮かんでくるようである。 曲はちいさな風景のスケッチからはじまっている。主人公は、たぶん、二十五歳くらいの女の子なんだろうな。彼女がひとり、交差点で信号待ちをしているわけです。すると、向こう側の道に、どこか見覚えのある人が立っている。あれっ、あの人、誰だろう。よく見てみると、三年前に付き合っていた、いぜんの恋人だった。懐かしさがふっと湧いて、声をかけようとすると
【問】どうして、僕のお父さんとお母さんは、けっ婚したんですか? もしかして、り婚をすることはありますか? しんぱいなので教えてください。(八歳・男子) 【答】こんにちは。世田谷区子ども相談室です。お元気ですか? 今回は、手紙をくれてどうもありがとう。とても読みやすい字でしたよ。でも、手紙を書くときに、チョコレートを食べるのはよくないわね。さて、きみの質問はとてもむずかしいので、きちんと答えられたかどうか、私にもよくわかりません。でもがんばってかんがえてみたので、ぜひ読んでくださいね。 どうして人はけっ婚するのかしら。かんがえてみると、とてもふしぎですね。私はおもうのですが、世の中には、「がんばれば、かならずうまくいくこと」と、「いくらがんばっても、うまくいくかどうかわからないこと」のふたつがあるように見えます。たとえば勉強は、「がんばれば、かならずうまくいくこと」の代表ね。もちろん、人によ
いぜん、イギリス人の女の子と話していたときに、とても興味ぶかくおもったのは、日本人が電車で寝るのは信じられないといっていたことだ。平気なのかしら、電車で寝るなんて。ふしぎそうな顔つきをして、そう訊いてくる彼女に、わたしはどう答えていいのかよくわからなかった。 「それは、なにかを盗まれたり、乱暴されたりするかもしれないっていうこと?」「それもあるけど、うーん、若い女の子とかがすやすや寝ているのを見ると、なんだかこわいの。ねえ、ここ電車だよ? っていいたくなる」「イギリス人は、電車で寝たりしないんだね」「しない。そんな人いないよ」。彼女のいわんとしていることは、なんとなくわかる。これはおそらく、電車に対するイメージのちがいなのだ。日本人は、電車を、部屋のようなイメージでとらえているのかも知れないと、そのときかんがえた。そうでなかったら、寝ないんじゃないかなあ。 イギリス人にとっての電車とは、見
(内容に触れています) 歌舞伎町にて。諸事情ありつつも、けなげにがんばった市川由衣にはぐっときました。リアリティあってよかったですよ。この映画にはいろいろとかんがえさせられました。それは、人がひとりの相手を選ぶ、という行為のむずかしさについてである。男が女を、もしくは女が男を選ぶ場面において、その動機が純粋であるとか不純であるといった基準はあまり意味がないのではないか、といったことをかんがえました。 劇中、市川は、ふたりの男のうちどちらかを選択しなければいけない。ひとりは玉山鉄二、もうひとりは成宮寛貴。市川はどちらかの子どもを身ごもっている。玉山も成宮も、ともにミュージシャンである。ふたりとも男前であるため、ルックスは同等とかんがえても、市川がどちらを選択するのかという基準は、おおよそ以下にまとめられるとおもう。 人間性 成功度 収入 愛情 妊娠を告げた時の反応 まずは玉山の場合。 冷たい
ずいぶん前になるが、「運転免許証をIDとして使用し、たばこを買う自動販売機」を試験的に導入した地域があるというニュースをきいたことがある。その自動販売機では、運転免許証を使わないと、たばこが買えないのだ。未成年の喫煙を防止するためだという。なんか、いやだなあとおもった。わたしは喫煙をしないため、基本的には関係のないことなのだが、それでも、これが全国的にひろがるのはいやだとおもった。 この問題がやっかいなのは、では、この自動販売機を導入することで、なにが失われるのか、とかんがえると、それはたとえば、「未成年が、こっそりたばこを買う権利」ではないかということになりかねない点だ。そんなばかな権利はない、といわれれば、反論のしようがない。今、改札を携帯で通過できるシステムもひろがっている。駅の利用が個人認証化されているわけだが、もしわたしが、そうした流れに対して、「こうなんでも機械で管理されると、
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