日本の『正史』とされる古事記・日本書紀には、出雲の国の国譲り神話 が書かれています。 それによると 「出雲の大国主の子である 建御名方(たけみなかた) は、大和朝廷との戦いに敗れ、長野県の諏訪に逃げて、諏訪大社に鎮まった」 とされています。 しかし、諏訪地方には、記紀神話とは異なる、独自の神話が伝えられています。 この神話は、諏訪大社の祭祀をつかさどった 守矢(もりや)家 に言い伝えられてきたものです。 守矢家は、明治維新まで 「神長官(じんちょうがん)」 という、諏訪大社の筆頭神官の職を世襲していました。 明治政府は、天皇家中心の 国家神道 を創作し、人々に強制する一方で、日本の各地域地域に伝えられてきた信仰や、天皇家の神話とは異なる系譜の神話などを、抹殺しようとしました。各地の寺や神社に伝わる古文書を焼き、古くからの祭りを 「淫祀邪教」 として禁止するなど、さまざな宗教弾圧が