戦後、朝霞には米軍基地があり、多くの兵士と、その相手をする女性たちが集まった。小学生だった田中利夫さんは、当時のまちの様子、兵士や女性たちの実態、彼らとの交流を、絵に描き、紙芝居として演じている。「金ちゃんの紙芝居」は、ほほえましくせつない物語。一級の娯楽作品だが、同時に貴重な歴史資料になっている。 現在の本町に住む ―田中さんは元々朝霞ですか。 田中 ここの生まれです。現在の本町、駅前のロータリーになっているところ、当時は岡という地名でした。 ―米軍基地があった頃は。 田中 私は今77歳で、終戦時4歳でした。 ―仕事は絵描きさんなのですか。 田中 職業は洋裁を教えていました。元々は、日本橋のアパレル会社でデザイナーをやっていたのですが、混んだ電車に乗るのがいやで会社を辞めた。ぐずぐずしていたら洋裁を教えてもらえないかと。ずっと教えるのが主で、あとは婦人服の仕立てをしていましたが、3年前、