15分で移動できる範囲が分かるシンプルな地図です。まちを知るのに役立つ機能を順次追加していきます。
道路の方角は、隣り合う街どうしで微妙に違っていたりする。それが分かりやすいように道を方角によって塗り分けてみたところ、街の地形や歴史が見えて面白かった。 北海道、東京、京都、ニューヨークなどでやってみた。 今回、こんな地図を作った。 なんのこっちゃと思うが、拡大するとこうなっている。 道路を、その方角によって塗り分けたものだ。 右側の黄色いエリアは江東区。中央のカラフルなのは銀座とか日本橋だ。街ごとに道の方角が少しづつ違うということが色によってとても分かりやすくなっている。銀座から日本橋まで歩くと少しづつ道がカクッと曲がってるなーという感覚があるが、そういうこともまざまざと示されている。 こんなことできるかなと思ってやってみたらできて、結果も面白かったのでいろんな場所でやってみようというのが今回の趣旨です。 (本記事の地図は OpenStreetMap のデータをもとに加工したものです。末
先日、こんな地図を作った。 なんのこっちゃと思うが、拡大するとこうなっている。 じつは小さな文字が集まってできている。東京の地名の末尾の一文字だけを並べたものなのだ。 中央やや右でぽつんと「田」となっているのは、千代田の「田」だ。全体をよく見ると「山」「谷」「海」などが散らばっている。それぞれ、代官山だったり渋谷だったり青海だったりするのだが、こうやって末尾の一文字だけにすることでうまい具合にその土地の特徴や地形が浮かび上がるように見える。 どうしてこんなものを作ったか これを作ったきっかけは永太郎さんという方のツイートだ。 永太郎さんは京都で地理を専攻している学生だ。先日も「なんでもない地図を語る会」という記事でお世話になった。なにかの調査の一環だと思うが、地図から地名だけを抜き出してものを作っていた。これがとても面白く、しかもそれ自体ぎりぎり地図と言えないこともない。しかし、残念ながら
数年前、作っている過程はTwitterでお届けしたのですが、市外局番の一体何がおもしろいのか…はあまり文字化していませんでした。リアルで話すときには話すものの、めんどくさがってWebにアップしてなかったのです。 境界線を示す場合、点線を描けばいいのですが、塗り分ける方法もあります。世界地図には国ごとにいろいろな色が塗られていますよね。でも、それぞれの色に意味はありません。隣の国と違う色になるように塗り分けているのです。ちなみに、4色あれば、隣合う色が同じ色にならないので、4色で塗り分けるのが一般的です。 こんな感じで、上3桁を同系色(赤・黄・青・緑のどれか)で塗り分け、同じ上3桁、つまり赤・黄・青・緑の各エリア内を、さらにそれぞれ4色で塗り分けています。塗り分けることで境界や範囲、面積がはっきり見えますが、青系の色が広い範囲に及んでいるところもあれば、狭い範囲にとどまるところもあります。こ
大正から昭和初期に起こった大観光ブーム。そのブームの中、日本内外の旅行パンフレットに鳥瞰図を取り入れたのが「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎です。「吉田初三郎式」として人気を集めた彼の鳥瞰図の最大の特徴は極端なデフォルメで、大胆な構図と鮮やかな配色による豊かな表現に彩られ、今日と比べても遜色ないほどの詳細な情報が盛り込まれた旅行案内が多数出版されました。 吉田初三郎は京都生まれの鳥瞰図絵師で、最初の『京阪電車御案内』(大正2年)が、皇太子時代の昭和天皇から「これは奇麗で解り易い」と賞賛されたことに喜び、生涯に1600点以上もの作品を描いたと言われています。 国際日本文化研究センターでは吉田初三郎、および彼の影響のもと同時代の絵師が描いた鳥瞰図の網羅的な収集を行ってきました。本データベースではその全体像を把握できるようにするとともに、画像を共有するための国際的な枠組、IIIF (Intern
多くの空港では、横風を防ぐために滑走路がその場所の平均的な風向に合わせて建設されています。また、風の方向が不規則な場所では、滑走路が複数の方向に設計され、スムーズな離着陸が可能になっていることもあります。空港の滑走路の位置と方向を世界地図上にマッピングした「Trails of Wind」をみると、空港だけではなく地球全体の大気の流れを一目で把握することが可能です。 Trails of Wind https://trailsofwind.figures.cc/ Making-of: Trails of Wind - Towards Data Science https://towardsdatascience.com/trails-of-wind-39967f07a67f Trails of Windにアクセスするとこんな感じ。左上の「<」のアイコンをクリックすると、左端に表示されている説明
1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:国内唯一!ウラン坑道は廃退的な異世界だった > 個人サイト オカモトラボ 江戸時代の初めまで瀬戸内海に浮かんでいた「児島」 日本列島の形は絶えず変化を遂げている。 その最たるものの一つは岡山県の南側であろう。あまり知られていないが海岸線が現在とは大きく異なる。 独立した島が多数存在し児島という巨大な島も横たわっていた。 400年前の岡山県の南側の地図(点線が現在の海岸線)。 そして児島と本州との間には「吉備の穴海」という海原も広がり、現代人がイメージするのとは全く違う日本列島の輪郭がそこにあった。 しかもナウマン象が闊歩していたような大昔の話ではなく、ほんの400年ほど前の話である。 干拓よって江戸初期に児島と本州は陸
1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー) 前の記事:エレベーターのショールームで閉じ込められ体験 > 個人サイト 右脳TV 再び調布でグッドラック! 場所は東京都の調布飛行場である。大島など離島への定期便が飛ぶほか、航空写真撮影の拠点となっている飛行場だ。当サイトでもかつて調布でグッドラック!などでおじゃましている。 梅雨明け前であいにくの空模様です。 フェンスの向こうに小型機がたくさん。かわいい。 指定された格納庫に向かうとセスナが!脳裏に流れる山下達郎「RIDE ON TIME」 この飛行機に超精密なバネばかり(航空重力計)を乗せ、これから4年かけて日本全国の空を飛び、10km間隔で重力を測るという。 配付資料に載っていたバネばかりのイメージ。物
行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、本人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー) 前の記事:トラックの荷台で飛んでるドローン、トラックが急発進するとどうなるのか? > 個人サイト むかない安藤 Twitter つくばは今日もいい天気だった 前に茨城県に住んでいた頃、彼女がつくばに住んでいたので週末のたび訪れていた。 あの頃も確かつくばはよく晴れていたように思う。そのおかげか木々の生い茂り方がすごい。放っておくとこの一帯だけ太古に戻ってしまうんじゃないかというくらいに、緑が力強い。 空が広くて緑が多くて四角い建物がある。これが僕のつくばの印象です。 そんな「つくばの中のつくば」とも言える、産業総合研究所の敷地内に地質標本館はある。思いっきり研究施設のど真ん中だけれど、受付を通れば基本的に誰でも入ることができるのであきらめないでほし
大阪市電気局・交通局発行物 大阪市電気局庶務課(1936)『大阪市電気局例規』 大阪市電気局(1943)『大阪市電気局四十年史 運輸篇』 大阪市交通局(1953)『大阪市交通局五十年史』 大阪市交通局(1980)『大阪市交通局七十五年史』 大阪市交通局(2005)『大阪市交通局百年史 本編』 大阪市交通局(2005)『大阪市交通局百年史 資料編』 大阪市電気局『電気事業成績調書』各号 大阪市交通局『事業成績調書』各号 大阪市交通局『事業概要』各号 大阪市交通局『大阪市交通局報』各号 大阪市交通局『交通統計年報』各号 大阪市交通局『大阪のあし』各号 大阪市交通局『市営交通のご案内』各号 各区広報誌 大阪市北区『わがまち北区』各号 大阪市都島区『広報みやこじま』各号 大阪市福島区『広報ふくしま』各号 大阪市此花区『広報このはな』各号 大阪市中央区『広報ちゅうおう』各号 大阪市西区『かぜ』各号
戦前、日本帝国の「勢力圏」の拡大に伴い、日本国および日本人によってアジア太平洋地域に多くの海外神社が建てられました。本データベースは海外神社及びその跡地に関する、当時の写真・現況写真・図面・地図など非文字資料を中心に収録・整理したものです。 - 2023年6月の修正について - 2021年3月に改訂版を公開しましたが、データベースにバグが発生し、どうしても改善することができませんでした。そのため致し方なく2020年度版で追加したデータを削除し、以前の形(2016年度版)に戻さざるを得なくなりました。 5カ国語の検索に対応 神社名の5カ国語の検索に対応しました。従来の日本語表記に加え、英語表記、ハングル表記、簡体字表記、繁体字表記で検索できます。この画面右上の検索欄で使用できます。 5 Language Search Engine : 2016 Revised Edition It is n
坂道散歩するときに調べていて知ったんですけど、東村山市には「正福寺地蔵堂」という国宝建築があるんですよ。 [正福寺地蔵堂の様子] 写真1 それがこちらですね。 正福寺地蔵堂と言って、正福寺の境内にありました。 なんでも国宝に指定されている東京都で唯一の木造建築 ... もっと読む +++++ NO. 681 坂名:松の木坂 住所:東京都東村山市野口町 今回は、東村山市野口町にある松の木坂について取り上げてみたいと思います。 場所は、西武新宿線・東村山駅から南西に徒歩7分ほどのところにある前川公園グラウンドに隣接している坂道です。 [坂下あたりの様子] 写 ... もっと読む +++++ ホンダウエルカムプラザ青山を出て、青山通りを歩いていたら、この季節らしい階段風景をみることができたので、今回はそのときのことでも。 写真1 青山通りを歩いていて、たまたま見つけたんですけど、ここは明治神宮外
江戸市中(御府内)の範囲を幕府が示したのはたった一度、しかもその時期は江戸幕府誕生から二百年を過ぎた1818年だった。 文政元年(1818)目付 牧助右衛門から「御府内外堺筋之儀」についての伺いが出された。つまり「御府内とはどこからどこまでか」との問い合わせがあり、それについて幕府評定所で評議し江戸朱引図を作成したがこれが江戸の範囲として幕府の唯一の正式見解となった。 天正18年(1590)徳川家康が江戸に入府して以来、発展・膨張をし続けた首都江戸は、100年後の享保期には町数が千を超え人口が百万人を超える巨大都市へと変貌した。 しかしながら、江戸の境界・範囲については意外にも幕閣の間でも統一見解はなかった。 というのも江戸時代は身分社会で町民・武士・僧侶により支配する機関もそれぞれ独立しており今日で言う行政区画の制度はなかった。 そこで幕府は統一見解を示すように求められて文政元年(181
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