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KOBEに関するnoto92のブックマーク (4)

  • 神戸新聞NEXT|総合|神戸地下鉄と阪急乗り入れ 新神戸、長田駅など候補

    神戸市営地下鉄西神・山手線(新神戸-西神中央)と阪急神戸線(梅田-神戸三宮)の相互直通(相直)構想で、神戸市と阪急電鉄が接続地点として三宮駅に加え、新神戸駅や長田駅なども候補として検討していることが23日、関係者への取材で分かった。年度から両者の幹部級で格協議を始め、久元喜造神戸市長が10月の市長選で相直の検討を公約に掲げ再選し、協議加速の機運が高まった。両者は年度内にも実現可能な2~3案に絞り込む。 両線の接続ルートについて、阪急側はこれまで「王子公園駅の西側から地下に潜って三宮駅でつなぐ」案を公表してきたが、両者はその他にもさまざまな案を検討している。 有力案の一つとして、阪急王子公園駅と地下鉄新神戸駅の間を地下で結ぶ案が検討されている。阪急の乗客が新幹線を利用しやすくなるほか、新神戸駅一帯のにぎわいづくりにつながる。また、市道の地下にトンネルを掘るため用地を確保しやすい上、三宮に

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  • 震災記録写真(大木本美通撮影)

    ここに公開する約22,000枚の写真は、放送カメラマンの大木美通氏がお仕事のかたわら個人的に撮影されたものです。 震災直後から2002年1月まで、大木さんのお仕事場に近い三宮・元町周辺のほか、神戸市内の様々な地域を丹念に歩かれて、この膨大な資料が生まれました。 今回、大木さんの記憶・記録と震災文庫による調査を総合して、できる限り撮影場所の特定・キャプション付与を行い、貴重な記録写真をインターネットを通じて広く公開します。 撮影者、大木さんのメッセージ

  • 兵庫県公館 - Wikipedia

    兵庫県公館(ひょうごけんこうかん)は1902年(明治35年)に建てられた庁舎建築。当初の用途は兵庫県庁庁舎。1985年(昭和60年)からは県の迎賓館および県政資料館として活用されている。 概要[編集] 中庭を中心とする回廊式の壮麗なルネサンス建築で、設計は文部技官山口半六。竣工時は日最大級の庁舎建築であった。これは1890年代から東洋最大の海運市場を有するようになっていた神戸港の往時の繁栄を映したものともいえる。 第二次世界大戦の神戸大空襲で外壁以外の全てを焼失するなどしたため、これまで二度の大改修工事が行われてきた。1948年(昭和23年)には阪神教育事件で暴徒に占拠される。1983年(昭和58年)に県庁庁舎としての役割を終えたのを期に外装および内装が細部に至るまで竣工時の姿へと復元され、1985年(昭和60年)に「兵庫県公館」と名前を変えて再開館した。建設当初から残るものは建物外壁

    兵庫県公館 - Wikipedia
  • ウィリアム・メレル・ヴォーリズ - Wikipedia

    1880年 - 米国カンザス州レブンワースで生まれる。 1882年 - この頃から教会の礼拝に出席するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。弟ジョンJr.(ジャック)生まれる。 1888年 - 米国アリゾナ州フラッグスタッフに一家で転居。 1896年 - 米国コロラド州デンバーに一家で転居。イーストデンバー高校に入学[7] 1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジに入学し、YMCA活動を開始。 当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学、3年目に工科大学に転校する予定にしていた。 1902年 - トロントの世界学生宣教義勇軍大会での講演に感激し、外国伝道への献身を決意する。(のちの関西学院第4代院長のベーツもこの大会に参加していた。)この決意により転校せず教養学課程を続け、建築設計の自習を続けた。

    ウィリアム・メレル・ヴォーリズ - Wikipedia
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