高島屋は3日、大阪の堺店(堺市)を2026年1月7日に閉店すると発表した。少子高齢化で地方の百貨店は今後大きな成長が望みにくい。インバウンド(訪日外国人)客などが好調な全国の主要都市の店舗に経営資源を振り向けることで収益力を引き上げる。高島屋の地方店閉鎖は24年7月末の岐阜店(岐阜市)以来となる。堺店は1964年10月に開業した。駅前立地で利便性は高く、食品売り場改装や大型のテナント誘致などを
今月14日(金)から上映される大人気映画のプレ企画。先日、同作に登場する架空の村「ホビット庄」が大阪府堺市と仮想姉妹都市提携を締結したのを受けて、実施された。 パネル展が開催されているのは、大阪府堺市の市役所高層館21階展望ロビーと、堺伝統産業会館の2カ所。映画内場面写真や、人気キャラクター・魔法使いガンダルフの等身大パネルが展示されている。「ホビットの衣装やビルボの剣『つらぬき丸』も用意しているので、写真を撮りたいお子様は気軽に申し出てほしい」と同市役所担当者は呼びかけている。 またあわせて、同作主要登場人物の設定画や、作中の「ビルボの家」の間取り図なども展示。「ファンの方たちが、興味深く見ていかれました」と話す。さらに、展示会場2カ所をつなぐスタンプラリーも実施。6つのコースターに分割できる「中つ国」マップが抽選でプレゼントされる。 展望ロビーの一角では予告編が流れ、興味深く見入る家族
堺市の永藤市長は、2021年に堺市「財政危機宣言」を発表しました。維新の会・馬場代表も「堺市は貯金もなく危機的状況」としましたが、その年の決算は大幅な黒字で、翌年の予算も過去最大規模。その後、市長選を前に永藤市長は財政危機宣言を解除しました。 この一連の流れに、「財政危機を改革で脱却した」と選挙で言うために虚偽の財政危機宣言をでっち上げたのではないか?という疑惑が出ています。 橋下知事時代の大阪府の財政についても詐称疑惑が 財政危機宣言は、大幅な市民サービス削減が見込まれ、市民生活に大きく関わるもの。宣言を出した後、計画を作り、市民の意見を聴取し、議会で諮り、予算化するのが通常の流れ。当然、その効果が表れるのは数年後の財政、ということになります。 ですが、堺市は宣言を出した年にいきなり黒字化したことになります。何もしないうちに黒字になったのに、改革の成果なわけがないという話ですが、永藤氏の
「伊勢道」とある南海電鉄バスの停留所 いったいどういう経緯があって「伊勢道(いせみち)」と名付けられたのかしら? 「伊勢道」というからには、伊勢詣のための古い街道みたいなものがあったのだろうと想像されはする。竹内街道(wikipedia:竹内街道)関連でそんな話があったような記憶もある*1。けれど、このあたりの場合、高野街道以外にナントカ街道に相当するようなものってあったっけか? さて。 「伊勢道」をウィキpで検索すると曖昧さ回避のページにたどり着いてしまう。で、「いせどう」というよみと、wikipedia:伊勢参宮街道とwikipedia:伊勢自動車道の項目が紹介されている。いずれも冒頭写真の「伊勢道」とは縁がないようだ。 コトバンクで検索すると、「伊勢道(いせみち)とは? 意味や使い方」(コトバンク)には《距離の遠いことのたとえ》とあって、具体的存在としての「伊勢道」は、単独の項目がな
明治36年(1903)、第5回内国勧業博覧会が閉幕したあと、堺市は水族館の払い下げを受け、あらためて市営の「堺水族館」としてオープンさせました。堺水族館はその当時としては最高水準の施設内容を誇り、自然観察・生物教育・水産奨励のためのすぐれた文化施設として声価も高く、市内外から多くの来館者を迎えました。 しかし、昭和9年(1934)の室戸台風による高潮におそわれ水族館は大破、さらに修繕中に火事にみまわれ全焼してしまいました。再建は多くの困難を乗り越え、昭和12年に実現し、「東洋一」のキャッチフレーズで、以前をこえる人気を博しました。 第二次大戦後、昭和28年には水族館の大規模な改装を行い、かつてのにぎわいを取り戻しましたが、臨海工業地帯造成により、大浜海岸がなくなると次第に客足は遠のき、昭和36年に水族館は閉鎖されました。 なお、開設時から水族館の守護神として「乙姫さま」の名で市民に親しまれ
ヤングタウン…この言葉で連想するのは、関西では知らない人はいないだろうラジオ番組、通称「ヤンタン」でしょう。 1960年代後半から始まったこの番組は、当時売れに売れていた桂三枝(現:六代目桂文枝)をパーソナリティにしてから徐々に人気が上がり、そのテレビ版と言える『ヤングおー! おー!』と共に関西の看板のラジオ番組となりました。70年代に青春時代を過ごした現在の60代の方などは、鮮明に覚えているでしょう。 そんなヤングタウンが始まった同時期、番組名そのままの街の建設が大阪の南で始まろうとしていました。 今回は、かつて堺泉北の地にあったもう一つの「ヤングタウン」のお話を。 ヤングタウン-若者が集まる夢の街敗戦の焼け跡から立ち直った日本が、いわゆる高度経済成長期に入ったのは昭和30年代後半のこと。経済の発展で労働力の需要が増大、地方から都市部への人の流入が多くなってきました。特に、「金の卵」など
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