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2017年7月18日、代官山 蔦屋書店にて、同書店主催が主催のイベント『福岡伸一、西田哲学を読む』刊行記念の講演会が行われました。第1部では、福岡伸一氏が「ロゴス対ピュシス」のテーマで本書の読みどころを紹介。そして続く第2部では、西田哲学の継承者で哲学者の池田善昭氏を招いて、書籍では語り尽くせなかった西田哲学の真髄について語り尽くします。本パートは、その第2部の様子を全文書き起こしでお送りします。商品の購入はコチラ。 池田善昭氏と西田哲学 池田善昭氏(以下、池田):私の専門は西洋哲学です。 西田哲学というのは、京都大学に入ると、当時はどうしても勉強しなければならないといった雰囲気があり、学生時代には西田を勉強せざるを得ないような状況でした。しかし私自身はそのときは「ちんぷんかんぷん」というか、西田はよくわからなくて、途中で放棄というか、勉強するのをやめてしまいました。そして、ずっと30年ぐ
1991年生まれ。ゼロ年代以降の多様化した批評/創作活動にコミットする。 青土社『ユリイカ』やくしまるえつこ特集、ジョン・ケージ特集などに評論を寄稿。 Twitter ID: @sensualempire ブログ: 「仲山ひふみの日記」http://d.hatena.ne.jp/sensualempire/ 実際、デリダの文体は詩的な凝集感よりは、散文的(=小説的)な拡散感を強く感じさせます。小説を読むようにデリダを読むこともおそらく十分に可能でしょう。そんなわけで、デリダ的テクストの快楽に入門するための6冊を紹介します。 読みづらさの果てのどんでん返しを求めて 著者 ジャック デリダ 出版日 2013-12-24 1967年に原著が刊行されたこの論文集は、デリダの初期の仕事を幅広くまとめたもので、彼の哲学の根幹にかかわるキーワード群(エクリチュール、差異、痕跡など)がすでにはっきりと姿を
冊子版 ストーリーはそのままに、まんがを全編描き直してフルカラーにアップデートした「新版」を販売しています。
適菜収によるニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪教です!』を読んだ。 ニーチェが言いたいのは、イエス本人はまあまだいいとしても、そのあとを受けたパウロが、そのイエスの考えをイエスと似ても似つかぬものにつくりかえてしまい、それが西洋文明を覆い、やがて近代文明のベースにまでなっちゃったってことだ。 それはキリスト教攻撃というよりも、弱者がルサンチマンをためこんで「平等」とか「愛」をふりかざし、力の強い高貴なものを束になって襲いかかっていることを批判している。 つまり民主主義とか社会主義とか革命といった原理を、ふるえあがるほど嫌っているということだ。そういうことがベース。石原慎太郎みたい。 その中身はともかくとして、適菜による「現代語訳」は面白かった。 一節を紹介しよう。こんな調子。 『新約聖書』を読んだ後では、どんな本もすがすがしく感じます。 要するに、彼らは正真正銘のバカなの
言語や宗教の違いも、軽やかに超えてしまうエチオピアの村人たち。 ふつうに複数の民族の言語を話せるし、宗教が違っても、 困ったときには、ためらいもなく別の神様に頼っている。 いっけん「民族」というものが、あまり重要でないかのようにも思えてしまう。 でも、人びとの付き合い方をよくみていると、 やっぱり「民族」が、ひとつのベースになっているのも事実。 こうした状況をどのように理解したらよいのだろうか? 文化人類学の有名な理論に「エスニック境界論」というのがある。 これは、フレドリック・バルトという人類学者が1960年代末に唱えた理論。 簡単にいうと、民族は、中身が違うから違うのではなくて、 違う民族だという境界線が引かれることで、違うものになる。 なんだか、なぞなぞのようだけど、もう少し具体的に説明していこう。 ふつう、民族が違えば、文化も違うと考える。 でも、よく調べると、同
著者: 貫 成人 出版社: 勁草書房 参考税込価格: 3,150円 ISBN-10: 4326199180 ISBN-13: 978-4326199181 名著といわれる本がある。実際に読むと、びっくりすることが多い。ボケナス頭には難しすぎるのだ。文字を追っても、なかなか頭に入ってこない。例えば『存在と時間』。最初のチャレンジから三十年間で通読二回(桑木務訳、および細谷貞雄訳)。それでも腑に落ちない。それが本書『歴史の哲学』の著者、貫成人の数年前の著作(あえて名を秘す)に出会って腑に落ちた。時間にしてわずか30秒(この秒数は嘘ではない)。あっという間に名著の全貌を理解できたのである。 何をいいたいか。貫成人が、いかに物事をわかりやすく解きほぐす達人であるか。それをいいたいのである。つまりこの本、わずか221頁の『歴史の哲学』を繙けば、ややこしい「歴史哲学」の全貌はあっという間に理解
このページは、インド学/現代インド諸語に関連あるサイトのリンク集です。 私自身が無精なのと、他のサイトを評価するような文章を書いてトラブルになった経験がいろいろあるので、サイトの内容説明は全くしないか、してもほんのちょっとにします(主に、サイトにアクセスしてみても、なぜここがインドに関係するのかわかりにくい場合に、簡単な説明をつけます)。みなさんで確かめてください。 各カテゴリの中の順は適当です。何らかの価値判断が入ったものではありません。 複数のカテゴリーにわたる内容のサイトは、それぞれのカテゴリーに重複して掲載しています。 リンク切れ報告や、有用なサイトの紹介をしてくださるとありがたいです。メールや掲示板でお願いします。 目次 サンスクリット パーリ語 ウルドゥー語/ヒンディー語 その他の言語、インド言語一般 中国語、漢文など 哲学・宗教 文化 図書館・書店・大使館・団体・その他 ↑目
Ludwig Wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus Yet another Hypertext of the Ogden bilingual edition. ウィトゲンシュタイン(ヴィトゲンシュタイン)の論理哲学論考を始めて読んだときから、ハイパー・テキストにすれば(少しは)理解しやすくなるのではと思っていたのですが、同じ事を考えた人がいて ここ にドイツ語・英語のhtmlが公開されています。C.K. Ogdenと言う方の独・英対訳を、Jonathan Laventholと言う人がhtml化し公開しています。 アクセスして見ると、最初の画面に1から7までの命題が表示され、1を選択すると、1.1と1.2の命題だけの画面に遷移します。 私のイメージしていたハイパーテキストは、こういう動きではなく、1を選択すると1.1と1.2が追加される(2-
【パリ=国末憲人】20世紀を代表する思想家で文化人類学者のクロード・レビストロース氏が死去したと、AFP通信が3日、出版社の情報として伝えた。100歳。今月28日には101歳の誕生日を迎えるはずだった。 同氏はパリ在住。メディアにはほとんど出ないが、健康で、旅行もしていたという。今年に入って一時健康を害したものの、頭脳の明敏さは相変わらずだったという。 昨年11月に同氏が100歳の誕生日を迎えた際には、地元フランスのサルコジ大統領が訪問して敬意を表した。大統領府によると、現代社会の今後についてサルコジ大統領と意見を交わしたという。様々な記念行事も催された。 レビストロース氏は構造主義の父といわれ、55年に発表した「悲しき熱帯」が人文社会科学全般に大きな影響を与えた。日本文化の愛好者としても知られる。 ◇ レビストロースさんは1908年、ベルギー生まれ。パリ大学で法学と哲学
ウィトゲンシュタインとラムゼー* テクニカルな話には*をつけることにしたので、経済学や哲学に興味のない読者は無視してください(BLOGOSにも転載しなくて結構です)。 今月の日本経済学会の招待講演で、神取道宏氏が今後の経済学の方向として行動経済学をあげていた。ただしその現状は、物理学でいえば落ち葉の運動がニュートンの運動方程式(新古典派理論)では記述できないと指摘するにとどまっており、そのゆらぎにいろいろなパラメータを当てはめてアドホックな仮説を立てている段階だ。神取氏は、ここから進んで空気抵抗の理論のようなものを見つけないと行動経済学は行き詰まるといい、空気抵抗に相当するのは人間の認知構造だと結論した。 神取氏から認知構造という言葉が出てきたのは意外だったが、これを空気抵抗のような例外と考えている限り、行き詰まると思う。天動説に惑星の運動のような例外を際限なく付け加えれば、天体の運動
ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫) / フリードリッヒ ニーチェ 「YouTube - nietzsche」 ニーチェの『反キリスト者』を読了したので、レジュメを作る。 私はきっと来年の今頃はカトリックのクリスチャンとして世界を生きている。 洗礼前の今だからこそ、私は本格的にニーチェの本書を解体することを決意した。 キリスト教は、すべての弱いもの、低劣なもの、出来そこないのものの味方となってきた。(五節) 冒頭間もなく、ニーチェはそういう。 全て弱いひと、苦しんでいるひと、病床にふしているひとのために祈るのが、キリスト者である。 イエズスは弱いひとは強められ、強いひとは弱められる(高いひとは低くされ、低いひとは高くされると同義)と述べている。 したがって、キリスト者が弱者の味方になるのは当然である。 すなわち、私の主張はこうである。現今人類がその至高の願望をそ
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