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著作権と思想に関するsweetloveのブックマーク (3)

  • 大切なのは言葉の見せ方ではないのかな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「瀬戸風味@はてな "自分の言葉"」を読んで。 setofuumi氏のこの記事を読み、思う所があって書いてみる。氏の取り上げた記事に書かれている「自分の言葉」の意味が私にも分からなかったので、自分なりに「自分の言葉」という語句について考えてみた。 「自分の言葉」を私は文体として捉えている。私は此処で綴るのが初めてではないので、以前はこういう文章を書いていたわけではない。だから、もし以前の私の書いたものを知っている者が、今の私の文章を読んだら「自分の言葉で語っていない」と言われるかもしれない。それは私としては不意だ。私は、それ以前にも他の文章で書いていた事もある。だから、その頃の私を知る人間が今の私を見たら「元に戻った」と言うだろう。「自分の言葉」何と曖昧な言葉なのだろうか。 話を戻すが、setofuumi氏が取り上げていた記事で言われる「自分の言葉」とは、恐らく、他人が「こうである」と語

    大切なのは言葉の見せ方ではないのかな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    sweetlove
    sweetlove 2006/08/10
    大切なのは「リスペクト」があるかないか、だと思うよ。
  • YAMAGATA Hiroo's Will

     山形浩生の遺言状 -----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA1 山形浩生(以下、ぼく)が脳死状態に達したら、ぼくの著作や翻訳はすべて GPLのもとにおかれる。ぼくの相続人はぼくの著作や翻訳についてはいっさい 権利主張をしてはいけない。だれが賞賛、阿諛追従、罵倒、侮辱、糾弾、引用、 出版、翻訳などどのような形でそれを利用しようとも、クレジットさえきちんと していれば、それをネタにお金をせびったりたかったり、訴えたりしてはいけな い。だれかが変なパロディをつくってぼくやその関係者をこちゃこちゃにコケに しても、ぼくの書いたものにかかわるいろんな権利をたてに、文句をつけたり足 をひっぱったりというような各種茶番を展開してはならない。 それ以外の資産については、遺言するほどのものがそろった時点でまた考える。 1999年3月31日 山形浩生 ----

  • 正しいパクり方――藤原定家の「本歌取りの方法」[絵文録ことのは]2004/03/29

    「盗用」について、著作権的な観点から言うならば、「もともと他の人が作ったものを利用している、という事実と、その範囲を、誰の目にもすぐわかりやすいような形で示さないものは、盗用」と言ってしまっていいと思う。不正な転載は盗用である。 また、「情報を共有する」ということは決して「著作権を放棄する」ことにはならない。著作者人格権を守りつつ、しかもそのリソースを活用できるようにするために著作権法があり、盗用にならないよう適切に引用するための規定があるわけである。 適切な引用については「引用」は無断でやるのが当たり前で書いたのでご参照を。 さて、私たちは、他の人の業績を利用してさらにそこに新しいものを付け加え、アレンジすることができる。それが単なる「盗用」になるのか、それとも「アレンジ」「翻案」「パロディ」になりえるのか、という分かれ目は、結局のところ「もとの作者への感謝と尊敬」の念を表現するか否かに

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