古代魚沼地域の拠点か!?「有力者がいたのは間違いない」 新潟県南魚沼市・六日町藤塚遺跡で溝で区画された集落跡発見、一般向け現地説明会8月3日開催
IAEA「驚くほど損傷少ない」 女川原発調査 (08/10 18:27) 東日本大震災の揺れに襲われながら、被害が少なかった東北電力女川原発(宮城県)を訪れた国際原子力機関(IAEA)の調査団が10日、都内で記者会見し「驚くほど損傷は少なかった」との調査結果を公表した。 団長のスジット・サマダー耐震安全センター長は「地震より津波の影響が大きかったが、三つの原子炉建屋も安全システムもすべて健全に機能した」と評価。「女川で得たデータは世界中の原発の安全性向上に役立てたい」と述べた。 約20人の調査団は7月30日から延べ9日間、施設を目視で点検し、運転員ら約50人から震災時の運転状況などを聞いた。 < 前の記事 | 次の記事 >
生還の歓喜、絶望、そして 東松島の夫婦 津波に流されたときに着ていた保温防水スーツを広げる安倍さん夫婦=4月30日、大崎市 淳さんのスケッチより。床板に乗ったまま流される2人 ◎津波に流され3メートル四方の板の上に 降り掛かる危機の中で、あるいは九死に一生を得た中で、人は何を思うのだろうか。宮城県東松島市に、約3メートル四方の板に乗ったまま東日本大震災の津波に流された夫婦がいる。震災から2カ月。生き延びた後の歓喜と絶望、後悔を経て、2人は自らの体験を若い世代に語り始めた。(藤田杏奴) ◎あの日/ごう音・衝撃、四つの橋くぐり抜け/上流7キロの土手に立つ <避難迷う> 安倍淳さん(52)、志摩子さん(49)夫婦が経営する潜水土木工事会社と自宅は、鳴瀬川河口から歩いて数分の東松島市野蒜新町地区にあった。3月11日午後2時46分、2人は事務所で地震に遭った。 揺れが収まるとまず、同居する淳さ
東日本大震災の発生直後、学校に迎えに来た保護者と一緒に避難した小学生が多数、津波に巻き込まれたことが分かった。09年の学校保健安全法施行で、主に小学校では災害などの際、保護者に児童を引き渡すルールが定着したが、今回は校舎に残った児童が助かったケースが多く、保護策が裏目に出た形だ。防災の専門家は「津波の場合、児童を引き渡すルールは完全な誤り」と指摘している。 津波の被害が甚大だった宮城、岩手両県の主な小学校を調べた。 宮城県石巻市の市立釜小学校(児童数657人)では、主に3年生以上の約450人が校内にいた。約420人は校舎の上層階に逃げ無事だったが、保護者と帰った児童約30人のうち12人が死亡し、4人が行方不明になった。同小によると、災害などの際は保護者に一斉携帯メールを送って迎えに来てもらう。今回は余裕がなく通知しなかったが、迎えに来た親には子どもを引き取ってもらった。 同市立大街道(おお
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